Archive for April 2008

27 April

聖なる野蛮人

artist file "tanebito" #16 [1/3] 
柿沼 忍昭 和尚(僧侶,禅アーチスト / 地蔵Cafe

人が一つ真剣にやれるものであれば、見つけられるものは一緒です。
真理は同じだと思います。


___どうしてお坊さんになろうと思ったんですか?

 テニスプレーヤーになりたかったんですが、肩を壊したんです。その時に父親が「オマエみたいなのは坊主に向いている」と言ったんです。
 勉強は嫌いだったんです。「俺が今生きているというのはどういうことなのか?」という本当のことを知りたかったのに、学校というのはそういうことを教えてくれる場所ではなかった。大学で仏教を勉強した瞬間に、「あ、コレが子どもの頃から俺が知りたかったことだ!」ということが分かったんです。仏教は、生きるということを突き詰めて行くことだったんですね。だから、自分にとっては天職みたいなものです。

___宗教なら何でも良かった訳ではなくて「仏教」だったのですね?

 いえ。宗教なら何でも良いんです。人が一つ真剣にやれるものであれば、見つけられるものは一緒ですから。真理は同じだと思います。
 たまたまそれが仏教であり、禅であり。それがテニスでも同じだと思います。自分が与えられた肉体を、如何にパフォーマンスして行くかがテーマなんです。そして「より美しく」となれば、何をやっても同じです。

___その想いに応えてくれるだけの懐の広さが「仏教」にはあった。

 そうですね。
 人一人を幸せに出来なくて仏教など語れません。自分が如何に幸せになれるかということを発して、それに連れて皆が幸せだと思ってくれたら、それが一番幸せなんです。あとはもうずっと坊さんとして生きています。アートを始めてからは15年くらいでしょうか。

___アートを始めたのは、どんなキッカケだったのですか?

 私のことを面白いと思っていた人がいて、「作品をつくりなさい」と、ギャラリーと資金を提供してくれたんです。そうしたら最初の個展で売れちゃって、やってみたら続いたんです。父がサラリーマンでしたけれどアーチストでしたから、父の感性を受け継いだんだと思います。

___とても自由な作風ですね。ルーツは日本画なのでしょうか?

 『鳥獣戯画』もそうですが、お坊さんの描くものはイラストなんです。アニメの原点ですね。何にでも描きますよ。
 一時期「クラブ」というものにも興味があって、お経が欲しいと言うので、何年間かお経を上げに行っていたことがあります。(笑)

___クラブでお経ですか!

 アンビエントのパーティでした。私が上げたお経に音をかぶせたり、リズムを刻んだりして行くんです。

___前衛ですね。

 それでも出来ちゃうからね。(笑)
 暇を与えられると深く悩んでしまうので、常にハプニングが面白いですね。

「禅」というものは、
みんながどちらかに偏った時に反対側に歩んで行けるバランサーなんです。
その時代のバランスを取っていく。

 
 私は小田原で生まれて、生後100日目に父の仕事の関係で横須賀へ行ったんです。その横須賀での14年間の生活が自分のベーシックに大きな影響を与えていますね。物心ついた時にはアメリカンブレックファストでしたから。自分にとってアメリカはとてもオシャレに感じたんですね。住んでいたのが下町の方でしたから、学校には肌の色や目の色が違う子がいて、毎日ケンカしていました。(笑)
 そうしたことが、自分の禅の道にクロスしてくるんです。父はサラリーマンでしたから、別にお坊さんになる必要はなかったのですが二十歳で出家したんです。

___アメリカの文化と禅の美意識とは対極のように感じますが。

 そうなんですよね。僕らにとっては、物心ついてからアメリカ文化に憧れていましたし、学生の頃には『ポパイ』や『オリーブ』が創刊されて、アメリカの西海岸の情報がたくさん入って来るんです。だから、私の憧れた彼らが、なぜか禅に憧れているという感じなんです。差別しているということは、意識しているということですから、僕らが「禅/ZEN」を背負ってアメリカを歩いていると、そのものが歩いている訳ですから「It's COOL !」なんです。カッコ良いんですよ。
 仏教を勉強し始めた頃は、ちょうどヒッピーの時代だったんです。60年代で、ベトナム戦争の真っ盛りでした。「ビート・ジェネレーション」と呼ばれる人たちがいて、そんな時代の矛盾を50年代から訴えていました。そして、何か見えざるものに導かれて、私は坊さんになるんです。
 私が禅に関心を持ったのは、二十歳で出家をした後にインドを放浪して、その時にヒッピーの人たちに出会ったんです。それで彼らが「ZEN」の話をする訳です。彼ら欧米人が関心を持つ「ZEN」というものは、自分たちが感じている「禅」とどう違うんだろう、と興味を持ったんです。それで、本来なら永平寺に修行に行くところを、ヒッピーの聖地サンフランシスコへ行って3ヶ月放浪したんです。その中で、アメリカの禅センターを知ったんです。

___「禅」よりも先に「ZEN」に触れたのですね。

 どちらかと言うと、そうですね。

___異文化に接することで、自らのルーツが浮き彫りにされたのでしょうか?

 アメリカというのは、結局、日本人のアイデンティティを根底から奪い去ろうとしている訳ですよね。そうしておきながら、「禅/ZEN」だと言って憧れている。
 それは、アメリカの指導者たちが、もうどうにも出来なくなっているからなんです。世の中のコントロールが効かなくなっている訳です。だから、その状況をチェンジして行くシステムを、彼らは禅の悟りに見出そうとしているんです。

___今までと違う発想をすれば状況を切り拓けるだろう、としているのですね?

 そうですね。
 もともと「禅」というものは、みんながどちらかに偏った時に反対側に歩んで行けるバランサーなんです。その時代のバランスを取っていく。そこが禅の面白さなんです。

禅は宗教ではありません。モノゴトをデザインする根本なんです。


 日本では、お寺に入ると言っても、今は葬式仏教ですから結局は法要の仕方を教わったりする訳です。でもそれは現代の生活に直接反映されているものではないですよね。
 ところがアメリカでは今、何千何万もの人たちが座禅をしていて、修行道場が約2000ヶ所もあるんです。

___「禅/ZEN」はブームなのでしょうか?

 何回かブームが来ていますね。
 1950年代に、鈴木大拙という人がアメリカ全土を講演して廻ったんです。それにカルチャーショックを受けて「禅」に興味を持った連中が「ビート・ジェネレーション」なんです。時代の限界を見た時に、それを越えて行くのが「禅/ZEN」なんだ、ということですね。

___「ビート」のルーツは「禅」だったんですね!

 そうです。
 ビートの人たちは、最初NYのグリニッチビレッジあたりにいたのですが、ちょうどマッカーシーの赤狩りの頃でしたから、みんな新天地を求めて西海岸のサンフランシスコへ行くんです。そこで、ギンズバーグやケルアック達の「ポエトリー・ルネサンス」が興るんです。ギンズバーグが初めて『吠える』を読んだ時、会場に遅れて行くのですが、実は鈴木大拙に会っていて遅れたんだそうです。

___生々しいお話ですね。あの時代は、もの凄いパワーに満ちていたのでしょうね。

 50'sですから、アメリカは光り輝いていたんです。クルマは何台も持っている、家にはクーラーもある、何でもある、未来は明るい、と。
 でも、彼らは「そんなことはない!」と、追いやられて行く人間や矛盾を敏感に感じ取って、それを詩によって声に出し始めて行く訳です。そして案の定、ベトナム戦争が起こるんです。

___意識の進んでいた人たちは、当時、そうした危機を察知していた。

 そうです。今の日本もそうですが、繁栄の裏では貧富の差が開いて行くんです。

___そういう意味で、「禅」はバランサーとして働くのですね。

 だから、彼らは「聖なる野蛮人」と呼ばれていたんです。
 『禅ヒッピー』という本があって、私はとても影響を受けたのですが、その中に「リュックサック革命」という言葉があるんです。バックパッカーが現れるよりも前の時代ですね。(笑)

___今で言うところの「自分探し」のルーツなのでしょうか。

 そうですね。若い人はあちこち旅に出ていますよね。スピリチュアルやネイティブにもいろいろな系統があって、ハワイに行ったり、インドに行ったり。僕らの頃は、インドのゴアがヨーロピアンな感じで、ヌーディストやヒッピーが集まっていた。今まさに、その時代が再び来ている気がしますね。
 ただ、どんどん日本人の感性が鈍ってきちゃってる。禅は、大胆だけど繊細ですから、日本人には合うんですが。

___禅は、削ぎ落とす文化というイメージがあります。

 そうですね。どんな思想でも良いのですが、最終的には禅的な感覚が残って行くだろうと思います。禅は宗教ではありません。モノゴトをデザインする根本なんです。
 真理が何らかのカタチとして結晶になってきたら、◯や△や◇と同じなんです。単純化して行くんです。ポリネシアとかネイティブの文化も、学んで行くと、自ずとまた結晶になって行く訳です。

___一線を超えると、共通した価値観へ到達するのですね。

 それが「禅/ZEN」なんです。インドから来たのですが、日本に入ってから非常に洗練されて行くんです。日本人って凄いよね。
(つづく)



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20 April

絵の役割

artist file "tanebito" #15 [3/3] 
須藤 一郎 さん(美術館館長 / すどう美術館

「絵」というのは、社会性を持っているんです。
人間に生きるうえでの大きな力を与える、それが「絵」の役割ではないのかなと思います。


___「見てくれることによって絵は役割を果たす」とおっしゃいました。役割とは、どういうことでしょう?

 「絵」というのは、社会性を持っているんです。だから自分が好きで描いているということでも良いのですが、例えば展覧会をやりますと、絵の前で動かないで涙を流す人もいっぱいいるんです。絵を見て、自分の過去だとか、そういうものと繋がって感動したりする訳です。
 私が良い例です。私が「絵」に関心を持つようになったのは、まさに一人の作家の絵なんです。

___ 菅創吉さんですね。

 ええ。「絵」は人間に生きるうえでの大きな力を与える、あるいは、人生を変える力があるんです。私は人生を変えられてしまって良かったのか悪かったのか、と思っていますが。(笑)
 だから、絵を見てもらう、あるいは、絵を見せるということが大事だし、それが「絵」の役割ではないのかなと思います。

___菅創吉さんの『壷中』という絵との出会いがキッカケだったそうですが、それで須藤さんは何かに目覚めてしまったのでしょうか?

 そうですね。
 美術について特別に関心があった訳ではなかったのですが、たまたま伊豆に縁があって、池田20世紀美術館を時々覗くようになったんです。もちろんそれまでも美術館に行ったりはしていましたから、それほど無関心だった訳ではないですが。
 ある時、今まで見ていた絵とはちょっと違う絵に出会って、何か暗いような感じがしたり、形があるような無いような、「こんなのが絵なのかなぁ?」と、もうひとつ分からなかったんです。やっぱり、風景や花が絵だと思っていた時期がありますから。
 それでも30分くらい見ているうちに、だんだん体の中に染み込んで来たんです。それはまさに作家の生き方が伝わって来たのでしょうね。そうすると、暗く渋いように感じた絵にユーモアや暖かみが見えてきて、「そうか、絵というのはこういうものなんだ」と考えが変わったんです。それで、この人の絵がどうしても欲しいと思って館長にお願いして、何点か見て選ばせてもらったのが『壷中』なんです。
 実はその時、『壷中』は館長の部屋に飾ってあったんです。だから、私は『壷中』という作品で人生が変わったということになったりしていますが、言ってみれば菅創吉という人全体の作品なんです。

___菅さんの作風に、須藤さん自身の何かが投影されたのでしょうか?

 その頃は何も知りませんでしたし、こうして作家さんとつき合いが出来るとは思っていませんでした。この方も亡くなった直後でしたから会うこともなかったのですが、後から勉強したり話を聞いたりすると、自由さがあって面白い人だったんです。
 小さい頃、お父さんが芝居に連れて行ってくれたりして、絵が好きだったんです。お姉さんの援助で日本画を習ったこともあるようですが、ほとんど独学です。30歳を過ぎてから満州に渡って、広報の仕事でポスターを描いたりして、戦争が終わって日本に帰ってきて、進駐軍の人に絵を教えたりしていた。芝居が好きでしたから、満州にいた時代に自分で劇団を作ったりして、その縁で森繁久彌さんとつき合いが出来た。53歳になって初めて絵だけで生きるようになるまで、毎日新聞の嘱託で挿絵や漫画を描いたりしていました。その頃、手塚治虫さんとか漫画家の方とも親しくおつき合いがあったんです。そして、58歳でアメリカの荒波の中に行ったんです。そういう自由人だったんです。
 お金にも執着しないで、「自分の絵は50年経たないと分かってもらえない」と言って、すぐ売れるような形で描こうとした訳ではない。そういうようなものが、まさに私の気持ちと結果的に繋がっていたということでしょうか。

___作品以上に、その作り手の生き様という部分に興味がおありなのでしょうか?

 それは結果かも知れません。絵を買い始めた頃は、作家の人には全然関係なく、絵が気に入ったかどうかで買っていました。やっぱり、人を知っているから絵を買うというのではなくて、まず絵が良いかどうか、気に入るかどうかということで、結果的に、その背後の人間が繋がってくるという感じなのではないでしょうか。

絵が残って行くというのは、
絵が良いということと、誰かそれを支える人間の力と半々なのではないでしょうか


___須藤さんがなさっているのは、作り手の方と、その作品を見る方との間を取り持つ仕事なのですね。

 そうですね。
 例えば見に来て下さる方には、抽象画ばかりですから、知識ではなくて感覚で良いということを伝えています。洋服だってネクタイだって、みんな抽象なんです。それを自分で選んで買っている訳です。そういう抽象の世界に生きている訳です。それを、絵だからと言って構えてしまうんです。絵を見て「分からない」と言って苦しむほどバカバカしいことはないんです。絵は楽しむため、豊かになるためにあるんです。「高いから良い絵ではなくて、安くても自分の目で見ましょう」とお話をします。
 絵を描く方には、自分自身が作品なんだという話をしたり、その覚悟の話をしたりします。

___これは私の考えですが、「美しさ」には「循環」の概念がとってまわるように感じています。美しいと感じることによって、エネルギー的なやり取りがあるのだと思います。須藤さんのお仕事のスタンスには、そういう意味で、とても共鳴するものを感じます。

 ありがとうございます。
 大したことをやっているとは思いませんが、会社の生活はタテの社会でしたが、こうしてヨコの社会も経験出来ていろいろな人との関係が繋がりました。そういう意味では、すごく幸せなんだろうと思います。
 「美しさ」ということについて言えば、本当の「美」はただ「美」だけではないんですね。

___須藤さんのエッセイの中にも、「汚れていて美しい絵、描けそうで描けない。美しい絵でもない。そして、美しくて汚れている、絵でもない絵。」という表現があります。

 やっぱり、表面ではない美しさがどれだけ出てくるかということなのでしょうね。二科展の理事長をなさっている織田広喜という方は、「下手は宝です」という話をしています。要するに、上手くキレイに描くことが大事ではなくて、下手でも自分しか出来ないことを出せば良いのだという意味ですね。「汚れていて美しい絵」というのは、まさにそういうことだと思います。
 だから絵が残って行くというのは、絵が良いということと、誰かそれを支える人間の力と、半々なのではないでしょうか。純粋に応援する人が出て来ていれば、もっと評価される作品というものもあるのでしょうね。出来るだけそういう方たちを見出して行きたいですね。売れる売れないと言う以上に、正しい評価をしていく人が増えると良いと思っています。

___絵は絵だけでは持ちこたえられないというお話ですが、人間と環境との関係にもあてはまるかも知れませんね。

 そうですね。
 一見迂遠なものが人間にとっては大事ですが、目先のことばかりで生きてしまっているような感じがしますね。環境のことも、どれだけ皆が真剣に考えているのか。絵のことも、本当は必要なのになかなか分からない。でも、少しづつでもそういう意識を持った人が動けば、増えて行く。
 そういう迂遠なもの、自分のメリットに跳ね返って来ないものに対しては、何でも後回しにしてしまいがちですけど、それでもこういうことをずっとやって行くと、その大事さを知ってくれる人は増えてくるんです。だから環境の問題についても、温暖化に対して各家庭でどうしたら良いかも含めて、少しづつでも実行する努力をして行かないといけないと思います。
 美術のことでも、行政を待っていてはダメなんです。上からのお仕着せではなくて、下から盛り上げて行かないといつまでたっても良くならない。ゆとり教育などという変化があったりしますけど、図画工作などは端に追いやられてしまうんですが、海外留学でベルギーに行った子の話を聞いたら、美術の時間がやたら多いんだそうです。それで、受験のこともあるのでしょう、先生に文句を言ったんだそうです。そうしたら先生がビックリして、「こういう美しいものに触れる時間が多いことが、どうして悪いのですか?」と反論されて、それでハタと分かったと言うんです。
 日本では美術に関心のある政治家なんてほとんどいませんでしょ。海外ではたくさんいるんです。小さい頃から先生が美術館に連れて行くといえば、「事故でも起こったら大変だ」ということになると言って、そういうこともほとんどしていません。そうすると、誰を最初に教育すれば良いのか?(笑)
 子どもに自由に絵を描かせるように教育するためには、先生を教育しなくてはいけない。親の問題もあります。お役所をアテにしていてもダメです。だから、とにかく、下から盛り上げて行くより仕方がない。
 私は「出前美術館」というようなこともしていますが、いろいろな形でいろいろな人に絵を見てもらいたい。まだ私のところだけやっていても点ですけどね。もっと多くのところが関わり合えるようになって、点が面になって行かなくてはいけない。そうすれば、ずいぶん変わってくるのでしょうけど。
 それこそ迂遠な話になりますが、まさに種を蒔いている段階なんだと思います。



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13 April

絵を描く覚悟

artist file "tanebito" #15 [2/3] 
須藤 一郎 さん(美術館館長 / すどう美術館

私は、絵を見るのに知識は要らないと思っています。
知識はむしろ邪魔で、絵は体で感じるものなんです。


 この間も、「絵を見て欲しい」と言う方が自分の考えをギッシリとワープロで手紙を書いてきて、作品もDVDにして送って来てくれました。本人にしてみると、自分の作品をこういう風な考えで作ったのだから、それを知って欲しいという気持ちがあるのでしょう。それは分からなくはないのですが、あまり説明しすぎると、見る人はみんなそういう風に見てしまうんです。

___作品の見方が限定されてしまう、ということですね?

 自分の思いはあっても良いと思うのですが、それをどこまで話をして、どこからは見る人に委ねるのか。私は、作家は作品を作ったらもうその作品から手を放れ、次の日は新しい気持ちでキャンバスに向かうべきだと思います。そして作品は見る人には自由に見てもらうべきだと思います。
 俳句の「蛙飛び込む水の音」にしても、いろいろな解釈があるんです。蛙は1匹なのか何匹なのか、本当はどういう情景であったのかとかね。ですから、芭蕉が詠んだ時は自分の思いがあったのでしょうけれど、後世の人たちがいろいろに解釈していろいろな見方をしている訳です。
 ただ残念なのは、見る人の自由とは言え、日本ではなかなか見る人のレベルができていないですよね。どういうことかと言うと、私は、絵を見るのに知識は要らないと思っています。知識はむしろ邪魔で、絵は体で感じるものなんです。

___体で感じる。

 例えば、今回の展示した作品はカタチがあって分かりやすいといえるかもしれませんが、いつもはもっと抽象作品が多いものですから、見て悩んで「分からない」と言う方が多いんです。どうして分からないのかと言うと、それは、まさに「知識」で絵を見ようとしているからなんです。先ず、何に見えるのか分からないと不安になるんです。それから、有名な人が描いたのか、高い絵なのか、そういう観点からみようとする訳です。
 体で感じるというのは、見た絵に対して、自分がどういう風に感じて、伝わってくるのか、ということです。面白いのか面白くないのか、好きか嫌いか、それで良いんです。
 欧米の方々は絵を見るときこの絵は好きか嫌いかは言うけれど、「絵が分からない」とは言いません。何故かと言えばどこの家にも絵があって、美術の時間には先生が生徒を美術館に連れてきて一生懸命話をする。だから、ただ絵を描かせるということだけじゃなくて、実物の絵が家にあり、美術館で生の絵を見る、そういう環境で育っているんです。どこの家でも両親が絵を集め家中に絵がかかっている訳です。そして、その中で一番気に入った絵を子どもの独立の時にお祝いでプレゼントするんです。

___素敵ですねぇ。

 そうして、子どもたちはその絵を核にして、また新しい絵を集め始める。そんな空気がある訳です。だから、絵というものが体に沁みついている。だから「絵が分からない」とは言わない。
 ですけど、日本では立派な大人の方々が絵を「分からない」と平気で言う。知識人ではあるけれど、教養人ではないんです。

人に迎合しないで描く絵は、すぐには受け入れられないかも知れない。
だけど、そういう姿勢というのは、必ず理解してくれる人が出てくると思いますし、
そういう作家を私は求めたいと思うし、応援したいと思う。


 絵を描く人は、日本にたくさんいるんです。みんなそれぞれ思いがあって、一生懸命描いている訳です。見ているといろいろな方がいらっしゃいますが、やっぱり良い絵を描くには「覚悟」が要るんです。

___覚悟、、

 だれでも生活のことを考えたり、名前が出たいと考えたりします。しかし、それだけだと表面的にはともかく、本当の意味でいい絵につながっていきません。そうではなくて、自分が何をどうしたいのか。菅創吉の「50年後に認められれば良い」、或いは「認められなくても良い」という言葉のように、描きたい絵を描く。やりたいことを一生懸命やるかどうかということなんです。
 何かの賞をもらったりすると「これで自分の絵は認められた」と思ったりしてしまうけれど、そうではなくて「一生、完成はない」と思った方が良いんです。そういう意味で、評価は自分でするんです。褒められた時は素直に喜べば良いのですが、それは褒められただけなんです。(笑)
 例えば、作品が売れたり、有名になったりすると、画商さんもついたりして、同じような絵を描くようになってしまうことが多いのですが、他人の評価に惑わされず、自分の原点に戻る。そして、今の描き方で良いのかを問う。やっぱり、絵というのは変わって行くべきものだと思うんです。歳をとり、環境が変わる。だけど、描かされて同じような絵を描くと、楽になって新しいことが出来なくなって、有名にはなっても、絵そのものは止まってしまう。どれだけ本当に覚悟をして描いているかどうか。
 人に迎合しないで描く絵は、すぐには受け入れられないかも知れない。だけど、そういう姿勢というのは、必ず理解してくれる人が出てくると思いますし、そういう作家を私は求めたいと思うし、応援したいと思う。そんな風に考えています。

___描く技術よりも、何を感じているのかを知る訓練が必要だということでしょうか?

 絵を描く人は、絵が本業ですから絵に力を入れなくてはいけない、手を抜いてはいけない。それは言うまでもないことです。ただ、それ以外のものをどれだけやるかによって、ある限界を越えられるんだと思うんです。そこが、人間の大きさ、幅なのではないでしょうか。
 サラリーマン時代、若い人によく言っていたことは、本業の仕事が忙しくても、自分の時間を見つけて趣味でも社会活動でもやりなさい、と。それが生きる充実に繋がる訳だし、ただ朝から晩まで仕事をやっていても良い仕事ができる訳ではないんです。長時間仕事をやって充実しているという錯覚なんです。いろいろなことをやり幅の広い人間になっていれば、時間ではなく良い仕事に繋がるということです。絵を描く人もサラリーマンも、同じことのような感じがします。

「良い絵」という以上に大事なのは、人間の関係だと思うんですよね。


___「若き画家達からのメッセージ展」という企画を継続して行ってらっしゃいます。出展者の選考では、必ず作家さんと面接をなさるそうですね。

 そうなんです。銀座で10年続けてきました。
 いろいろな団体展やコンクールがありますが、絵だけで審査される訳です。展覧会に作品を送ると審査員が審査し、入選を決めたり、賞を出したします。それで、展覧会が終わったらゼロになってしまう。要するに、絵だけが一人歩きして、人間がついていない気がするんです。
 「絵」と「人間」はくっついていると、私は思います。「ヘンな人だけど絵は上手い」とか「絵はダメだけど人が好い」とか、そういう言い方もありますが例外でしょう。だから描いた絵を見れば、人もある程度分かる。したがって絵だけで選ぶのもいいでしょう。
 でも、私は、描いている人と、見る人と、我々美術に関わる人、そういう人間の関係の中に絵があるという位置づけをしているんです。ですから、展覧会をやる前に私は会っておきたい。自分の絵についての思いを伝えたい。展覧会をやる意味を話したい。そういうことで、面接をずっとやってきたんです。
 そして、展覧会をきっかけに人間の関係が続いていけばいいと考えてのことです。
 今年も11回目をやるのですが、面接をするのに小田原ではちょっと不便ですから、場合によっては電話でとか東京の会場でとも思ったのですが、山形からも大阪からも皆さん小田原まで来てくれたんです。それは嬉しかったですね。そのことで人との関係が出来るのはもちろんのこと、私がこんな所でこんな風にやっているということも、見ていただけました。
 もともとは、若い人たちを応援したい、展示の場を提供したい、ということから始めた訳です。ですから、面接の時は資料として絵を持って来てもらったりするのですが、それで選考する訳ではないんです。それはあくまで参考資料で、そこでいろいろな話をして、OKとなると、そこから展覧会に向けて新しい絵を描いてもらうんです。それはユニークだと思います。そしてその中から、「すどう美術館賞」を出して買い上げもするんです。その後、賞を出した人には副賞として個展を企画してやってあげる。
 先日は、今まで賞を差し上げた人に新しい作品を描いてもらって、企画展をやったんです。ですから「若き画家達からのメッセージ展」は、そこからがその人たちとの繋がりの出発なんです。過去10年、もちろん絵をやめてしまう人もいない訳ではありませんが、ほとんどの人たちが今でも絵を描き、何かあれば来てくれる。
 絵を描く人たちは続けていって欲しいし、繋がっていって欲しい。そして、観に来て下さる方たちや、いろいろな形で応援してくださる方たち、そういう人との関係で、こうして続けて行けるんです。
 だから、「良い絵」という以上に大事なのは、人間の関係だと思うんですよね。
(つづく)



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「カリバラ」


誕生日の翌日から数えて3ヶ月を、
「カリバラ」と言うんだそうです。
一年のうちで、
お母さんのお腹にいることのなかった空白の3ヶ月。

私たちは、
お母さんのお腹に宿されてからの十月十日は、
お母さんとずっと一緒にいた訳ですが、
この世に産み落とされれた後の最初の季節というのは、
考えてみれば、
たった一人で息をする初めての季節なんですね。

 魂が、体に馴染んで行く為の、デリケートな季節。

無理をせず、大きな変化を控え、
穏やかにやり過ごすのが良いのだそうです。
魂の居場所が、しっかりと定まるように。。

 私にとっては、ちょうど今がその時期。
 春分頃から梅雨入り頃まで。。


時々、
私はいったいどこから来たのだろう、と
遠く耳を澄ませて、思いを馳せることがあります。

 この宇宙は、「無」から始まった。

深い夜に、静かに目をとじていると、
そのビッグバンの響きが、聴こえてくるような気がする時があります。
誕生の衝撃波は、
この身ばかりか 宇宙の果てまで響いてる。

 それは、
 くだけた波が ちいさな泡へと分かたれて行くような、
 シュワシュワとはじけては消えて行く 真夏のサイダーのような、、
 私たちは、
 そんな存在なのかも知れない、と思う。
 __残響が刻印された泡沫。

そう考えると、
人生は「無」へと帰る旅なのかも知れない。

けれど、こうして息を吸うと、
生命の記憶は、一息ごとに新しくなる。
泡のような囁きは、一息ごとに増幅されて、
それは、
永遠に響き合うシンフォニーのように、私には聴こえます。


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06 April

絵のある生活

artist file "tanebito" #15 [1/3] 
須藤 一郎 さん(美術館館長 / すどう美術館

「上手い絵」と「良い絵」というのは違うんです。


___2004年10月に、向田小学校(南足柄市)で「出張美術館」をなさったそうです。

 たまたま話がありまして、子どもさんに見て欲しい、知って欲しいという気持ちは持っていたものですから、収蔵している作品を60点ほど持って行って展示をし、子どもたちに見せ、授業もしたんです。小さいうちから実物を見るということは、大きくなっても絶対に残って行くんです。
 子どもというのは純粋ですから、抽象的な作品であっても、ちゃんと自分の感覚で見分けるんです。好きか嫌いか。「好きな絵の所に行きなさい」というと、みんな飛んで行く。
 後で先生に講演もしたのですが、大人は絵を知識で見ようとするので、抽象的な作品はわからないと言う人が多いんです。
 今の美術教育のことはよくわかりませんが、私たちが小さい頃に描いた絵というは、空はみんな青ですし、林檎は赤ですし、家は真直ぐに建っている、そんな風に教えられました。ですけど、絵というのは、見る人が描くものなんです。
 ある講演会で、「どうして風景を絵に描くのでしょう? 写真に撮った方がずっと素敵なのに」と質問を受けたことがあります。写真が良い悪いではなくて、機械が撮るのか、人間が描くのか、ということが大きな違いなんです。私たちには空が青に見えていても、絵を描く人には青く見えていないかも知れません。林檎だって赤ではないかも知れないし、家だって歪んで見えているかも知れない。だから、その人が感じているもの、持っているもの、受けているもの、それを表現するのが「絵」なんです。そこが写真とは違うんです。
 子どもたちの描く絵は気持ちのままに表現していて皆素晴らしい。ですから私は、先生に「子どもの絵はみな褒めてあげて下さい」と言ったんです。本来は、そういう意味で、絵について点などつけないで欲しいと思っています。そんな風に良い絵を描いている子どもたちに、大人がいろいろ言って駄目にしてしまっている。
 子どももだんだん知識を持ってくるということもありますが…。 その時にも、子どもからも「どうしたら絵が上手くなりますか?」と質問を受けましたが、上手く描かなくて良いんです!上手く描こうとすることが大事なのではなくて、自分が何を描きたいのか。それを素直に表現することが、一番大事なんですと言いました。

「絵」とは何か?


 だいたい、「絵とは何か?」という問題があります。「絵」というのは、額の中に閉じ込めて描くものだと皆さん思っていますが、絵についての定義は無いんです。ですから、そういう概念をどれだけ取り払って自由に表現できるか、ということが大事だと思っています。
 関連して 「良い絵」というものも、基準があるわけではないので、自分が「良い」と思えばそれで良いのかもしれません。
 でも、私にとって良い絵とはどういう絵かと聞かれれば、その絵を傍に掛けて一生一緒に暮らせるかどうかだと答えます。だから、形でも色でも上手さでもなくて、その絵を描いた人の人間性、生き方、絵を描く姿勢、そういうものが画面を通じてどれだけ伝わってくるかが大事です。そういうように選んで行かないと、飽きてしまう。
 
 作品の制作のことですが、みんな、自分(作家)が居て、作品を作ると思っている。だからつい、褒められる絵を描きたい、売れる絵を描きたい、となる。私は「自分自身が作品だと考えなくちゃいけない」と、一生懸命言っているんです。展覧会の人のために作品を作るのではなくて、自分が作品なんだから、自分をどれだけ高めて行くか、幅の広い人間になって行くか、それが大切なんです。そして作品である自分をそのままアウトプットして出来たものを展覧会に出す。そういう風に考えなくちゃいけない。
 だから、若い作家さんたちにも、早く帰って絵を描きたいからとアルバイトの手を抜くということではなくて、例えばレストランだったら、お客さんと会話をしたり、喜んでもらったりというように、自分の為に働くのだと考えなければいけないと言うんです。そうすれば、それが血や肉になって自分を大きくして行くわけです。また、真面目にやれば良いということだけではなくて、遊びということも必要です。とにかく、豊かな人間になっていくことがいい絵につながっていくんだということです。

絵は、多くの人に見てもらって初めてその役割を果たすんです。


 もっと日本の社会で、どこの家でも絵がある生活をして欲しい。それの為の活動だと思っている訳なんです。絵がなくても生きて行けちゃうと思っている人が多いんですけど、人間の精神的な面で絵はなくてはならないもの私は思っています。絵は心の糧なんです。たとえば、一旦絵を掛けて外すと、初めて「絵があるということはこんなに豊かななんだな」と分かると思います。高い絵が良いというのではなくて、自分が見て気に入った絵を掛ける。
 ただ現代に生きているのですから、現代の生活空間に合う「現代美術」の作品を薦めたいと思っています。私の現代美術の定義は、現代の生活空間に合う絵ということであって、抽象的な絵に限らず具象的な絵でも現代美術と言い得る作品はあると考えています。
 もっとも、現代美術の作品であっても、それが刹那的なものではなくて、次の世代に残っていくような良い絵を選んで欲しいと思っています。

 スペインなどでは、画廊へ行くと鍵が締めてあるんです。ベルを鳴らして、開けてもらって入るんですね。日本だったら、鍵なんか締めていたら帰っちゃいます。
 どこが違うかと言うと、画廊には絵を買いに行くんです。家具屋へ家具を買いに行くのと同じです。家具屋には何か必要なものがあって行くのですから、考えていた物があれば買って行く訳です。それと同じように、こんな絵を掛けたいと思って画廊へ行くんです。だから、買う。
 日本の場合ですと、誰々が展覧会をやりますと言うと、皆さん絵を見るというよりもほとんど義理で行くんです。花を持って行ったり、金一封包んでお祝いしたり、行ってあげれば済んでしまう。だけど何が大事かと言えば、その作家さんの絵を、小さいものでも気に入ったら買ってあげることなんです。それが作家さんにとってどのくらい励みになるか知れないし、買った人は家の中に掛けて楽しめる。日本にはまだそういう習慣が少ないですね。
 画廊には作家がいなくても良いし、買う人も作家が有名かどうかなど気にしません。そうして、近所の人や友達に「こういう絵を買った」と言って見せたりするんです。日本でも、もっと買った絵を見てもらうような流通が出来てくるとおもしろいと思いますねぇ。

___一人で見るのではなくて、みんなで鑑賞する。

 私が自宅を開放して美術館を始めたのは、2つ意味がありました。
 ひとつは、絵から受ける感動を皆さんに伝えたいということ。自分が絵を買って家へ持って帰って掛けた時、何とも言えない感動がありました。その後もたくさん絵を買いましたが、その都度感動があった訳です。
 もうひとつは、絵は多くの人に見てもらって初めてその役割を果たすということです。だから、どれだけたくさんの人に見てもらえるかということが大事なんです。
 よく、作家さんがキャリアの中で「どこそこの美術館に収蔵されました」などと書いたりしています。美術館に収蔵されることは名誉でしょうし、保管がちゃんとされるということでは良いなのですが、美術館では、持っている絵を展示する機会というのはほとんど無いんです。私は「美術の墓場」と言っているんです。
 だから、個人の人が絵を買ってくれて家の人やお客さんが見てくれる方が、一番の原点なんだと思うんです。
(つづく)


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18:00:00 | milkyshadows | |