Archive for February 2008

28 February

情報発信サイトHNNと提携しました

 この度、『soulbeauty.net』では、
 情報発信サイトHNNへ、コンテンツ提供をさせていただくことになりました。
 HNNは、新しい形の情報発信を試みています。
 趣旨に賛同しての、コラボレーション企画です。
 
 提供コンテンツは、基本的にはこのサイトと同内容のものになります。
 第一弾は、コチラからご覧いただけます。
  ⇒ http://www.harinw.com/2008-02-28news-soul-beauty.html


21:31:00 | milkyshadows | |

24 February

ドキュメンタリーの力

artist file "tanebito" #13 [4/4] 
鎌仲 ひとみ さん(映像作家 / 最近作『六ヶ所村ラプソディー』

単純な「記録の羅列」ではなくて、
作家が介在して、物語を伴った「ドキュメンタリー」になるということです。


___「ドキュメント」と「ドキュメンタリー」は違う、というお話をされていました。

 映像の作り方としては、「いろいろな人の意見をその人たちが語る」という語り方で、私が押しつけないというような作り方をしています。その作り方自体が作家としての私の意図だし、マスメディアが取り扱わないような現場にわざわざ行って映画化するということ自体も私の意志であり、作家としての意図なんです。そういうものがあって初めて、単純な「記録の羅列/ドキュメント」ではなくて、物語を伴った「ドキュメンタリー」になるということです。
 ただ自動的に、そこにある物や人に出逢って撮っていけばドキュメンタリー作品が出来るのかと言ったら、そうではない。作家が介在して、作家が「こうしよう」「こういうものを作ろう」と、大きなコンセプトや伝えたいものが無ければ、「ドキュメント」は「ドキュメンタリー」にステップアップしないと思っています。

___取材対象の方には、問題に対して賛成派/反対派の方々がいらっしゃいます。

 賛成/反対という二元論ではなくて、それを超越して撮っていかないと今までと全然変わらない訳ですよ。両者を別々に撮って行って、それを一つの作品の中に入れるというだけでも新しいのですが、こちらの価値観を両者の対立だけに執着させているだけでは次に行けないんです。それを超えるような視点を持たなくてはいけない訳なんです。
 「賛成派/反対派」と言うのではなくて、岡山さん、小笠原さん、上野さんという「個人」として私は撮っているんです。「賛成派」と言ってもグラデーションがあるんですよ。そのグラデーションをマスメディアは無視して、ステレオタイプに「賛成派/反対派」としている訳です。そうではなくて、そこにいる「個人」の、本当に具体的でリアルな存在に出会って、それを見せて行くという考え方です。
 たしかに「賛成派/反対派」というのはありますが、一人一人が抱えている生活や、人生の事情というのは違いますからね。それを無視しないようにしているんです。それが、その人たちに対する尊重というか尊厳ですよね。

___そのような超越した視点を持つためには、どのような意識を持って判断して行ったら良いでしょう?

 それが「メディアリテラシー」です。自分の意識を開いて、相対化して行くということです。良い悪いではなく、状況を俯瞰して見る。
 世の中には矛盾がある訳ですよね。一つの事に対して、赤だったり白だったり黒だったりと言う。それで、それを互いに言い合って膠着して埒があかない状況というのが、世の中にはいっぱいある。その全体を遠くから見た時に、それを支えている、そういうことに事態を持っていった大きな原動力のようなものが見えてくるんじゃないかなぁ、と思っているんです。
 また一方で、そういう人たちの中に分け入っていくことで、マクロ的な視点とミクロ的な視点を同時に持ち続けて行く、ということです。

___先入観を捨てる、ということでしょうか?

 もちろんそうなのですが、先入観を捨てただけではそうはならないと思います。自分の中にモニターがいくつもある、ということですね。

___多角的、多面的に、、?

 それを統合して行く何か、というものが必要ですけどね。
 私がマクロ的視点とミクロ的視点を行ったり来たりする中で見えてくる、それは、私個人がそう動くことで見えてくる「世界観」ですよね。その世界観というのは、実際に現場に行って、具体的に人にぶつかって行って、現在進行形で起きている問題に自分がまみれて行かないと見えてこないものだろうし、巻き込まれないと見えないものだろうと思います。
 そういう体験を、自分を通過させて出して行くということなんです。それが映像になって出てくる訳です。

___一旦自分を通過させるということによって、作者の世界観が投影されて行く。

 だから「ドキュメンタリー」なんです。作家がいて初めて成立する「物語の物語られ方」ですよね。「物語を物語る作法」というか。。

美学? 無いんですよ。(笑)
一番大事なのは美学ではなくて、
自分が取材をさせて頂く人たちに対する「尊重」や「尊敬」なんです。


___鎌仲さんをご紹介するにあたって、肩書きは何と、、?

 肩書きは一応「映像作家」ということにしています。

___「作家」ということは、「作品」を作ってらっしゃるということになります。

 そうですね。私は「ドキュメンタリー」は「作品」だと思っています。

___作品としての「美学」などはございますか?

 美学? 無いんですよ。(笑)
 無い。無いなぁ。。

___とは言え『六ヶ所村ラプソディー』『ヒバクシャ』を観ていると、夕陽の空やお花畑の風景など、美しい映像が時折挿入されています。

 美しさねぇ、、
 何かありきたりの美しさに対して抵抗があるんですよね。「ステレオタイプは嫌だな」って、美学になるのかなぁ、、? 誰でも美しいと思うようなものを撮っちゃうと、恥ずかしい。(笑)
 新たに、それまで美しいと思ったこともないようなものに対して「あ、すごくキレイだった」って言ってもらう方が良いなぁ。。それまで偏見を持って「嫌い」と思っていたものの中に、「素敵」とか「愛すべき」とか「こんな惹かれるものが在ったんだぁ!」っていうような、観る人の中の思い込みが壊れると言うか、打ち破ると言うか、或いは不要になってしまうと言うような、そんな化学反応を起こさせるような映像が良いなぁ。。と思っています。(笑)
 その化学反応というのは、その人その人によって感じ方や反応の起こし方が違うんです。それを、必ずこういうふうに、とはしたくない。観た側の方から引き出されてくると言うか、それまで自分の中にあったのに気づかなかったものが出てくると言うか、そういう欲望のようなものは確かにあります。
 けれど、ドキュメンタリーで一番大切なのは美学ではないと思っています。一番大事なのは美学ではなくて、自分が取材をさせて頂く人たちに対する「尊重」や「尊敬」なんです。その人たちを格好良く撮るために本来ではない形にしたりだとか、映像の為にその人たちの在り方を曲げて見せるとか、それは美しくないと私は思っています。

___それは「リアリティ」や「ライブ感」ということでしょうか?

 リアリティ、、、単純にリアリティということだけではダメですね。リアリティは「必要条件」ですが、それだけではダメですね、きっと。

___物事をありのままに捉えるということは、量子論的矛盾を抱えた難題でもあります。観測するという事自体が、対象物を操作してしまう。そんな葛藤をお感じにはなりませんか?

 それは、そのままを映るようにしています。その人たちに出会うというということが、例えば私がそこに空気のようにいるのではなく、常に私が「うんうん」とか「はい、はい」とか言いながら、いつも映像の中に私のプレゼンス/存在感というようなものが出ている。そうしながら、マズイことを言ったりNGな雰囲気になったとしても、それをそのまま見せている。
 だから、そこに機材を置くことをお互いに了承して初めて関係が出来て映像化される訳だから、カメラがあるから映るという事実を下手に隠さない方が良いと思ってやっています。隠し撮りじゃないんだから、そのことを抜きには語れませんから。隠し撮りは「ドキュメンタリー」ではないです。

___それにしても、取材された方々は皆さん見事にお話をされてますね。

 いやぁ、何時間も撮った中でちょっと喋ったところを編集しているんです。そこは実体とは違う。(笑)

___イラクの子ども達の笑顔も、とても素敵です。

 『ヒバクシャ』の映像ですね。それは何回も何回も通って慣れてもらって、こちらのことも知ってもらって安心してもらわないといけないですからね。お互いに名前も知って、普通に出会って、人と人としての関係性がないとカメラを回せないですよね。

___新しい企画などはお考えですか?

 今『六ヶ所村通信 no.4』を作っています。普通、映画監督さんは完成して本当にキレイになったものしか見せない。NGは全部抜いて途中なんて絶対に見せない。でも、途中から見せて行こうということで、ビデオレターを作って出しているんです。「その後の六ヶ所」ということで、映画を作っても長くなるので、その第4弾になります。2月末には完成させる予定です。

___「核問題」の他には、注目なさっているテーマがありますか?

 もともと「核」に興味があった訳ではないので、『ヒバクシャ』を撮る前に撮ろうと思っていたテーマがいくつかあります。医療や、食べ物のことですね。

___「医療」というと、どのような観点のテーマなのですか?

 人間が「死ぬ」ことを、今の西洋医療は「敗北」だと捉えているんですよね。でも、人間ってみんな死ぬじゃないですか。それなのに、例えば癌で死んだということを医療の敗北だ、負けちゃった、残念だ、と勝手に言っている。「でも人間の死って敗北なのかなぁ?」って。
 そういうふうに医療が人間の命を捉えていることに違和感をずっと感じていて、だから、人間が生きて死ぬということを全部ひっくるめて捉える医療の考え方を提示できたら良いなと思っています。

___取材は進んでらっしゃるのですか?

 いいえ。今は『六ヶ所』にどっぷりですね。(笑)


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18:00:00 | milkyshadows | |

信念について


以前、何かの本で読んだのですが、
ひとつの街で、そこに住む人のうち100人の意識が進化すると、
その街では犯罪や事故の発生率が劇的に低下するのだそうです。

 ひとり では ダメ。
 ふたり でも ダメ。
 99人 でも ダメ。
 けれど、
 100人になったその日、歴史は動く。。

これは決してメタファーではないと思います。
信念を正しく保ちつづければ、
進化への臨界点は 明日にでも訪れる。


けれど、
信念が力を持つのは、”強く”信じたときであって、
”正しく”信じるということだけでは、必ずしも充分ではないように思います。

 ”強い信念”は人を動かし、流れを呼ぶけれど、
 ”正しい信念”は、意に反して争いを導く。。

 良い悪いという判断は、つまりただ価値観ですから、
 その行き先といえば、
 お互いを川の向こうへと、追いやってしまう。。

大切なのは、
信念の海は空のムコウまでつづいている、
と知っておくこと。


 それは、妄想かも知れない。
 ただ、頑迷かも知れない。

 けれど、
 信じることは、生きることの意味なのだと思う。

身体にとって、
食欲や睡眠がそうであるように、
魂にとって、
信じることは本能なのだと、強く思う。

 私たちは、希望をたよりに 生きている。


誰かと寄り添って生きてゆく為に、
何をいちばん確かめ合えば良いのだろう?

 歴史は変わる。コロリと変わる。
 意味が変わる。価値が変わる。

 夢も 変わる。ガラリと変わる。
 言葉が変わる。都合が変わる。

 季節は変わる。気分が変わる。
 私は変わる。あなたも変わる。

 それでも 私は信じ続ける。


何でもないただありきたりの愛を、
背筋を伸ばして見つめて行こう。


17:50:00 | milkyshadows | |

17 February

メディアリテラシー 〜 メディアを読み解く力 〜

artist file "tanebito" #13 [3/4] 
鎌仲 ひとみ さん(映像作家 / 最近作『六ヶ所村ラプソディー』

「情報」というものは如何にして作られて、何を目的にしているのか?
情報というのは人を操作できるものなんですよ、使い方によって。
怖いですよ。暴力的だし。


___今日は東京工科大学へお邪魔して、鎌仲ひとみ監督にお話を伺っています。

 ようこそ。(笑)

___こちらではどんな講義をなさっているのですか?

 一つは、「メディアリテラシー」をドキュメンタリーということを媒介に教えるということと、社会問題を見る視点を養うこと。もう一つは、自分で映像作品を作って発信するためのスキルを身につけることの指導をやっています。

___「メディアリテラシー」という言葉は最近目にすることが多くなって来ましたが、どんなことなのでしょうか?

 私たちは「メディア」というものの中に囲まれて私たちは生きています。TVもラジオも、新聞もインターネットも、その中の広告もブログもそうです。道を歩くといろいろな看板もありますが、それもすべて「メディア」なんです。そうして種々雑多なレベルの情報の中に囲まれて生きているのですが、ではその「情報」というものは如何にして作られて、何を目的にしているのか? そのことを学ぶことが「メディアリテラシー」なんです。端的に言えば「文字が読み書き出来るようにメディアを読み解く力」のことです。
 今の時代は「メディア」というものを見て「これは絶対買った方が良い」って、それまで持ってた使えるものを捨てて買ったりする。それは「プロパガンダ」ですよね。必要のないものを必要だと思わせて買わせる技術というのが広告プロパガンダです。それで大量生産、大量消費、大量廃棄ということをやることによって、今の経済は廻っている。
 だけど、そういう商業的なプロパガンダの他に公共放送というものがあります。普通の人は、公共放送が言っていることは一定の信頼を持って良いものだと思い込んでいる訳です。それは公正に公平に公共的な常識に基づいて報道されているんだろう、と思っている。でも、必ずしもそうではないんです。限界があるんです。意図してそうしている時もあるし、意図せずにどうしてもそうなってしまうような宿命的な構造というか弱点を持っている。それを頭にインプットしておかないと、流されて来る情報を自分の中にフィルターを通さないで入れてしまう。
 だから、本当に自分の頭で思考して言っているのか、TVでそう言っていたからそのまま言っているのか、ということが曖昧になっている。そこをキチンと区別つけるのが「メディアリテラシー」なんです。

___メディアを読み解く力。。

 例えば「郵政民営化、良いんだよね」と誰かが言っていたとします。「それは誰が言っているの?」ということです。或いは、最近で言うと「憲法9条」。「憲法9条、変えた方が良いんだよね」って。誰が言ってるの?「あなたは何故そう思うの?」「だってTVで言ってたじゃない」(笑)
 TVの中で、10人出てきて8人が「憲法9条変えた方が良いよね」と言ったら、皆きっと「ああ、そうだ。変えた方が良いんだ」という風に思う訳ですよ。でも、それはTVの中の誰かが言っていたことで、自分で考えたことではないんです。自分で集めた充分な情報を、自分で取捨選択して判断している訳ではないんですよ。「だって有名なあの人が言っていたから、今あれが流行なのよ」とか、そういうことです。
 そんなことをやったら、世論とか選挙とか政治とか簡単に動かすことが出来る訳ですよ。現代の戦争は、それに気がついて「情報戦争」だと言っているんです。ブッシュが「やっぱりイラクを攻撃するしかない!」と言った時に、メディアがこぞって「そうだ!そうだ!」とやって、反対した人をバッシングした。そういうことを見抜けないと、また同じ轍を繰り返してしまう。操作されていることに気がつけない自分がいる訳です。
 かつてヒトラーが「ドイツは優秀な、純粋なアーリア人(の国)だ!ユダヤ人は劣等だから迫害して良いんだ!」などとやった。でも、当時ドイツ人はそんな馬鹿げたことを信じて、仲良く暮らしていた隣人のユダヤ人が殺されても「仕様がないんだ」と思った。それほど、情報というのは人を操作できるものなんですよ、使い方によって。怖いですよ。暴力的だし。
 そのことを、自分を守るために知っておかないと。

自分の立ち位置と言うか軸を持たないといけないのですが、
同時にそれを開いて行くことが必要です。
そういう姿勢って、訓練が必要ですよね


___情報には送り手と受け手がいて、受け手としての力を養おうということですね?

 そうです。
 でもその力を養うには、発信する立場に立てばすぐ分かるんです。例えばブログを書いたら、ヒット数を多くしようとしたらいろいろな工夫がある訳です。キャッチーにしたり、明るく華やかにしたり、人を惹き付けるいろいろな方法がありますよね。作る側に立って初めて、必ずしもすべて公平に同等でフェアな形で情報が出されているのではない、しかもそのように情報を出すこと自体が実はすごく難しいことなのだ、と分かってくる訳です。

___ 以前読んだ本に「20世紀は川の時代だった」という表現がありました。情報は、上流へ行って流せば自動的に下流へ流れた。でも「21世紀は海の時代だ」と。この海は地球の裏側とも繋がっているけれど川のように上流下流はないから、情報を発信するためには自分で潮流を作らなくてはいけない。受け手も、泳ぎ方を学ばなくてはいけない。

 オーバーチョイスになりますよね。あまりにもいろいろなものがあり過ぎて選択できない。どれをどう選んだれ良いのか分からない。だから、情報の海の中で「こっちだ!」と見極める力というのは、どうしても必要です。

___先ず自分の中にアンカーが落とされる必要がありますね。

 自分の立ち位置と言うか軸を持たないといけないのですが、同時にそれを開いて行くことが必要です。
 人間の思考って、すべてそのように外から来たものによって決められているんですよ。自分はそれを思い込んでいる訳です。でも「それは誰が言っているの?」と、頭の中をかき分けて行くと「あ、半年前に読んだ本に書いてあった」って。それが思い込みだということすら自覚していない。
 何か全然違う考え方に出会った時に、そういう考え方もあるということに対して自分はどう向き合うのか。そういう姿勢って、訓練が必要ですよね。だから、カナダでは小学校の時からメディアリテラシーを教育しています。

___具体的にはどうのような教育なのでしょう?

 それはいろいろあるのですが、マニュアルではないんです。結局、思考する能力。人から何かを言われた時に、それをキチンと聴いて、自分の中で咀嚼して、それについて自分の意見を言える人間になる、ということがメディアリテラシーの基本なんです。思考を深めるスキルを身につけるということです。

___ということは、マスメディアに対してというレベルだけでなく、人と人との関係性についてのことでもありますね。

 そうです。コミュニケーション能力がすごく必要です。

客観報道なんてあり得ませんよ。主観報道を客観的にやっているだけです。
絶対的な情報ではなくて、自分も相対化して見ることができるようになるのが最終目標ですね。


___大学の講座ではどんなアプローチで講義されているのでしょうか。

 気になっている社会問題でも、知らないことってたくさんあるんですよね。例えば「裁判員制度」。聞いたことあるけど、どういうことか分からない。それで「じゃぁ裁判員制度について皆で調べてみよう」と言って、調べさせるんです。そうすると皆インターネットで簡単に調べて来ようと思うのですが、「それは最後。それ以外の方法で調べて来なさい」と。調べるとなるとすべてメディアでしかないんです。私たちはメディアでしか伝えられないんです。だから「伝えられなかったこと」は「無いこと」になっちゃうんです。
 一番大事なのは「第一次情報」、直接自分が取材をするということなんです。例えば法務省に電話してみよう、実際の裁判官に会ってみよう、或いは弁護士の人に会って裁判員制度をどう考えているのか聞いてみよう、裁判の傍聴に行って実際に裁判がどう進むのか見てみよう、とか。そんなふうに実体験をすることから、全然違う情報と知識が自分の中にインプットされる。それは「メディア」ではないんですよ。
 実体験はメディアではないんです。その人だけの経験だから、その人のものになるんですよ。例えば1本のペットボトルを立てて、一人一人がどういう情報やイメージを持っているのか「知っていることを言いなさい」と言うといろいろな違ったことを言う訳ですよ。(笑)実体と、一人一人が思っていることとがズレを持っている。そのズレをどう認めて、且つ自分の中のズレを自覚するということです。
 それでまた帰って来て報告をさせる。そうすると全員の視野が広まっているんです。そういうことをやらせるんです。

___とすると、「メディア」というのは「実体験」のための時間や労力を買っているようなものなのですね。

 そうなんですよ。
 でも自分が実体験をして、そのことを人に伝えようとした時にどうでしょうか? 主観が入らないか? 絶対入りますよ。だから「客観報道が在る」という思い込みを、先ず打ち砕かないといけないんです。客観報道なんてあり得ませんよ。主観報道を客観的にやっているだけですよ。(笑)
 だから「あぁそういうものなんだ」と分かった時に、もっとリラックスして、絶対的な情報ではなくて「たかがそんなものなんだよな」という相対化が出来る訳です。

___では、自分が送り手になった時にも、伝え方の客観性を検証するための相対化が必要ですね。

 そうですね。自分も相対化して、自分を相対的に見ることができるようになるのが最終目標ですね。

___誰もが受け手であり、送り手でもある。

 発信してるんですよ。人間はそれを見て読み込むことをやっているんです。「今日の上司の雰囲気は?」とか、体全体で発信されているものがありますからね。「あ、今日はマズそう」とかね。(笑)
(つづく)



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18:00:00 | milkyshadows | |

『六ヶ所村ラプソディー』あしがら上映会



【上映日】
2月23日(土)

【上映スケジュール】
13:30 〜 15:30 第一回上映
15:40 〜 16:00 ミニコンサート
16:15 〜 18:00 非電化製品 発明家 / 藤村靖之氏による講演会
18:15 〜 20:15 第二回上映

【会場】
小田原 川東タウンセンター マロニエ
小田原市中里273-6   0465-47-1515

【料金】
前売:800円
当日:1000円(学割500円)

【問合せ】
『六ヶ所村ラプソディー』あしがら上映会実行委員
ちえのわハウス 0465-49-6045
志村 俊介 090-6190-7694

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鎌仲ひとみ監督からのメッセージ
〜『六ヶ所村ラプソディ』あしがら上映会によせて〜


___六ヶ所村では、核燃料再処理施設の本格稼働が差し迫っているようです。

 差し迫っていたんですが、延期になっているんですよ。1月1日に事故があって、その影響で遅れ込んで、2月の稼働と言っていたのですが「2月は無理だろう、今年度中も無理なんじゃないか」と。でも、日本原燃はそういうことを認めてはいませんが。

___一般のメディアでは、なかなかそういう情報に触れる機会がありません。
 
 マスコミが報道しませんからね。日本原燃はHPで発表するし、地方新聞は経過報告のようなことをやっているんです。でもマスコミを通じて出て来る情報というのは断片です。「いついつ本格稼働します」と言われても、普通の人はその意味が分かりません。
 「ドキュメンタリー」というスタイルで目指していることは、その全体像が分かって、尚かつその本質が分かるということです。自分にとってどういう関係があるのか、どれくらい重要なことなのか、全体像と一つ一つが分かって初めて自分と結びつけて考えられるし、想像することが出来る。でもマスコミがそういう伝え方をしないので、皆知らないし、興味も持てない。そういう状態だと思います。 

___なるほど。こうしたドキュメンタリー映画を自主上映して皆で観るという企画自体が、その先の展開を人々に考えさせるための仕掛けでもあるということですね。

 そうなんですよ。だから一人で観ちゃダメなんです。一人で観たら落ち込むだけ。(笑)
 自主上映は、人と人が繋がる。人の想いと想いが繋がったりする。それを企画して実行しようとする人たちが、地域の問題に直接向き合ってぶつかってみる良い機会なんです。

___2/23に、小田原マロニエで『六ヶ所村ラプソディー』の上映会があります。これから観る方へ、メッセージをいただけますか?

 長い映画なので、リラックスして観てください。(笑)
 どちらかと言うと、答えがあるというより思考を促すように作った映像なので、TVとはずいぶん違うので、「自分から参加して観る」という感じでしょうか。

___参加して観る、、

 与えられるのではなく、自分から一歩踏み出して観る。そうして観れば、見方がすごく変わってくるんじゃないかなぁと思うんです。
 「自分に関係な〜い」ということではなく、「自分とはどう関係があるんだろう?」と踏み込んで観ていただけたら良いと思います。

(08.1.22) 東京工科大学 鎌仲研究室にて


17:50:00 | milkyshadows | |