04 November

Jazzが教えてくれたこと

artist file "tanebito" #09 [3/3] 
菅野 邦彦 さん(Jazzピアニスト)

「世界一のスガチンの耳で世界一のピアノを探して来てくれ」と言われて、
初めて外国へ行った。
その時、世の中で初めて飛行機でピアノを運ぶことになる訳です。


___音の粒だちということについては、菅野さんの演奏を聴いているとこだわりを感じます。音の芯を探りながらプレーなさっています。

 そうなんです。
 でも、良いピアノだったら必ず良い音がしますから、音は二の次なんです。先ず、リズムがキチンと思うように入っていないと、心の表現は出来ないですね。リズムと合致した時に、本当の美しさが出てくる訳ね。だから、あくまでもリズムが先なんですよ。

___ではやはり、「音頭」の良さもリズムですか?

 そう。ハッピーな民族の、これはリズムですね。
 ハーモニーなんて、理詰めでいくらでも実験室で出来る訳で、もっと不気味な音があると思ってやっているんだろうけど、僕はそんなの40年くらい前に卒業しちゃった。不愉快な不協和音を出しても、チューニングしてくれた人が可哀相だし、音楽の意味がない。
 日本人って、鼓膜が良いのかな。調律師がみんな日本人になっちゃったことがあった。僕は六本木の「Misty」という所に出ていたことがありまして、「お金に糸目をつけないから、世界一のスガチン(菅野さんの愛称)の耳で世界一のピアノを探して来てくれ」と言われて、初めて外国へ行った。それでNYへ行って、スタインウェイでピアノを選んでね。
 その頃は船に乗せて運ぶ時代でしたが、僕がのんびり吟味して選んだものだから期限に3日遅れてしまうので、飛行機で運ぶしかないということになっちゃった。その時、世の中で初めて飛行機でピアノを運ぶことになる訳です。それが「JALカルゴ」の最初なの。

___そうだったんですか! 菅野さんは先駆けになることをなさっていたんですね。

 全部そう。(笑)
 日本でレコードを最初に出したのは兄貴(沖彦氏)のいた朝日ソノラマだったんです。日本人のやる洋モノの軽音楽ね。一番最初、秋吉敏子さんの演奏を収録して、その次が僕。それが、日本人のプレーヤーが紹介されだしたキッカケなのね。
 兄貴はオーディオ畑なんだけど、CDは耳に悪いから「オレ、辞めたぞ」って。よく薬害の事件があるでしょ?その時は分からなかったけど、後で気がつく。デジタルの音は、僕も最初に聴いた時「なんだコレは!?」と思った。

___CDでは、聴こえない周波数をカットしてるそうですね?

 本当の原盤とはエライ違いなんですわ。良い加工をしてあるらしいんだけど、でもそれも人間の耳を誤摩化している所がある訳ですよ。

___では、今後はレコーディングのご予定は無いのですか?

 レコーディングのことなんか最初から考えてない。(笑)隠し撮りでやって、良いものが出来て僕が良しとしたら、どうぞオンエアしてください。

僕ら、遊んでたからね。
太陽族の前なのさ。


 僕がブラジルで『飛べよ! UFO』をやった後、ピンク・レディが『UFO』を出したみたいね。矢追というのが友達で、ブラジルでUFOを撮って来てくれと言われて、ビデオテープ持って行ってしばらく撮ってた。結局、ブラジル人の友達が「撮れた」と言うので、『11PM』で巨泉が流した。

___30年くらい前のお話ですね。

 30年まで行かないかな。。'80年頃だと思う。

___80'sは、音楽的には不毛な時代だったように思いますが、いかがでしたか?

 あぁ、もうフュージョンになっていたでしょ。僕がブラジルに行ってブラジル掛かっちゃたから、みんなフュージョンになっちゃった。

___では、あの頃の音楽の潮流は、菅野さんがチェンジ・オブ・テンポなさった。

 そう! フォービートからこっちへ来たからね。

___渡辺貞夫さんのアメリカでのレコーディングよりも前だったのですか?

 えぇと、貞夫ちゃんより前に僕はNYに行ってる。彼はブラジルにも来るんだけど、すぐレコーディングだからね。僕は遊んでるだけ。(笑)彼はバークレーに行っちゃったからね。音楽は勉強しないと出来ない、と言うのはねぇ。。

___菅野さんはバークレーに推薦されたのに断ったという伝説があります。

 そうそう。トニー・スコット(1921〜2007/クラリネット奏者)が推薦してくれたんだけど、蹴っちゃった。
 一番の卒業生の秋吉さんの等身大の姿があるから、それを見て「これはちょっと違うな」と思ったの。秋吉さんのピアノは、ビバップとしては大したものだと思うんですけど、僕とは全然違う。ギリギリまで考えて、結局断ったの。

___そうだったんですか。バークレーの推薦を断るなんて、大変なことじゃないですか。

 音楽は、耳で聴いて消化していくものでしかないですから。紙に書いているうちに、こっちは先に行っちゃうのさ。その時間、遅れちゃうんだもの。そもそも、後に残そうなんていう考えが商業意識だなぁと思う。
 でも、友達に頼まれて何曲か作った。『飛べよ! UFO』はブラジルで作った曲。これは自分で湧いて出た曲だけど。

___稀少なオリジナル曲なんですね。

 そう。それと平尾に書いた『しあわせは音もなく』なんかは、二十歳の頃に書いた。「NHKのラジオ歌謡でやるから、この詩につけてくれない?」って僕に来たんだけど、それ、すごく伊豆とかこの辺の感じの曲なの。

___じゃぁ、湘南からこちらの黄金時代にいらしたんですね。

 僕ら、遊んでたからね。太陽族の前なのさ。
 田辺靖雄のお兄さんや、根市タカオっていうベースの人と、いつも鎌倉や逗子でヨットに乗ってさんざ遊んでた。それで、裕次郎と兄貴(石原慎太郎)が「仲間に入れてくれ」って。(笑)それを兄貴が書いたのさ。
 根市さんは東宝に入ったんだけど給料は1万円しかもらえなくて、裕次郎は兄貴が書いた自分たちのストーリーでヒットしちゃって給料800万円ももらって。それで頭にきて彼は辞めたのよ。(笑)今でもベース弾いてるけどね。
 そんな時代なのよ。

Jazzは大事なんですわ。即興性を僕らに教えてくれた。


___そう言えば、菅野さんは、商業的なところとは一線を置いてお金の流れを変えたいとおっしゃっています。

 野球やサッカーの選手も稼ぎますが、音楽産業というのは物凄いんです。一番ヒットしたレコードの売上げは2,000万枚だそうですが、1枚2,500円として、とんでもないお金の流れですよ。
 僕はお金儲けのつもりでこんな鍵盤を作った訳では全くないんだけど、それを横取りするのが常なようです。だから友達が心配して「とにかく何か名前をつけて特許を出せ」と言ってやってくれたんだけど、僕も文章が書けないし、まして特許屋さんも何のことやら分からない。(笑)この手のものは、僕が実際に弾いて、それを皆さんに納得していただくしかない訳じゃないですか。だから特殊なものなんです。
 11月にピアノが出来ると、鍵盤を持ってタイの王様に会いに行く話になっているんです。タイの王様はジャズが好きで、アルトサックスを吹きにNYへ楽器を下げて行っていたんですね。これは大変な国ですよ。政治じゃ、世の中、解決出来ないですから。
 世の中を解決するのは、音楽だけではないですけれどコミュニケーションですから、人との話が出来ないとね。音楽は非常に重要だと思いますよ。

___だからこそ、コール&レスポンスの音楽に戻る。

 そう。
 だから、本当の音楽をやるように皆が心がけないと。このまま行ったんじゃ、それこそレコード会社や電機関係の人達にお金を吸い上げられて、それで終わり。

___お金の流れを変えたい、とおっしゃったのはそういう意味だったんですね。

 だから僕は音楽でお金を稼ぐんじゃなくて、ピアノは遊びで弾いて。(笑)
 僕はヤマメ釣りが大好きで、谷川に行くとビニールの釣り針の袋ばかり。ビニールのものしか置いてないんだものね。だから、仮に谷川に忘れて来ても自然に朽ち果てるようなものを木で作って、そういうものを世界中に売り飛ばしてやろうと思ってる。
 72歳で僕流のデビューと言うか、また遊びに行くのさ。

___そうした考えを、どうやって伝えて行こうと思ってらっしゃいますか? やはり演奏活動を通してでしょうか?

 もちろん。
 ただ有名な人と仕事としてやりたくはないですね。僕の気に入った、趣味の合う人と、ね。世界中に、まだこれから若い方々もいる訳だから。
 僕はピアノを好きだということは負けないつもりでやっているけど、好きな方もたくさんいるし、人の能力なんてそんなに変わる訳ないんですよ。才能がどうのこうのなんて、他人が評価するもので、自分では分からないんです。「頼むからレコードにして売らせてください」と言うから、若いうちですから外国観たいし、そういうことをやって来ましたけれど。
 でも、僕の年代はほとんどみんなお金だったね。だから、アメリカのJAZZは崩壊しました。僕の師匠のエロール・ガーナー、フィニアス、ウィントン・ケリー、アンドレ・プレバンというような本当に素晴らしい人達もいたんだけど、白人系のミュージシャンはレールがあって商業的な指揮者になったりしちゃう。スタン・ゲッツのところのジョン・ウィリアムスもそう。スピルバーグの映画で不気味な音楽をやるようになった。
 ハービー・ハンコックなんか子どもの頃から知ってるんだけど、良いピアニストなんですよ。僕も大好きなんだけど、おかしな音楽を今はやってるねぇ。自分が神様くらいに思って欲しい、と友達として言いたいね。音楽は宗教以上のものですよ。自分を信じて、どなたでも出来る訳ですよ。そうじゃなきゃ、音楽やめた方が良いのさ。
 Jazzは大事なんですわ。即興性を僕らに教えてくれた。



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28 October

平成クロマチック鍵盤

artist file "tanebito" #09 [2/3] 
菅野 邦彦 さん(Jazzピアニスト)

ピアノの音が大好きだったんです。
兄貴は2年半鍵をかけて僕には触らせてくれなかった。
僕は壊し屋で有名だったの。


___スタートはクラシックピアノからだったそうですね。

 ピアノの音が大好きだったんです。兄貴が親父に頼んで買ってもらって、英国のピアノでした。当時、100円札でリンゴ箱2箱くらい。80万かな。
 僕には親父に買ってもらうような力はなくて、兄貴は2年半鍵をかけて僕には触らせてくれなかった。僕は壊し屋で有名だったの。(笑)どうして電気がつくのか、根本が納得できないと気が済まなくて、僕は電池まで分解した。
 音楽は大好きですし、ピアノの音なんて最も好きな音ですから。クラシックを2年半習ったんだけど、あの鍵盤では無理だと分かったわけ。
 音って、高い低いは一直線上にしかないんです。ベースはフレットが無いけれど、一直線だから音が探れるんです。トロンボーンもそう。高い音になると狭くなるけれど、一直線だから、キーが変わっても結局は同じことを演っている。それが、ピアノの鍵盤ときたらジグザクしているし、デコボコしていて、しかも黒鍵の間の白鍵は重い。これは、どんなことをしても到底無理な訳ですよ。
 そんなことが子どもの頃に分かっていたから、もう2年半で先に行けなかったですね。だから、こんなもの(独自に考案した完全にフラットな鍵盤)を作った訳ですよ。

___凄い鍵盤ですね、これは!

 是非やってくださいよ! 今からやったら、どなたでも、大変な大先生になっちゃう。
 皆さん、やっぱり先入観なんでしょうか。やらないもの。プロはやらない。下手になっちゃうと思うのかな、今までのものが。

___一回捨てないと出来ませんよね。

 本当に良いものをやるためには、今までのものを捨てるくらいの勇気がないと出来ない。何事もそうだと思いますよ。人間って、本当のことをやるには、無駄な時間も含めて、とんでもない時間を投げちゃわないとダメ。

ピアノはね、初めは一本指でやるべきなんです。
それがボール遊びなんです。
それから初めてパスをする。


 昔は音楽やっていても、ドラマーに灰皿投げたりね。説明できない訳。今こんな歳になって、長旅を終えて、ようやく若い人達に説明できる。
 まず一音なんです。要するに、ピアノっていうのはサッカーチームと同じなんです。一人一人が、チームを作る前に子どもの頃からボール遊びをして、ボールと会話をする時期が必ずある。それから、初めて友達が出てきて、隣の人へパスをする。
 だから、ピアノはね、初めは一本指でやるべきなんです。ドレミファソラシドも半音もメロディも一本指で出来るようになる、それがボール遊びなんです。それからドソミソと他の指へ行ってアルペジオになったりする。好きな友達へパスをする訳です。それが、バイエルのようにいきなりドソミソから始まっては滅茶苦茶です。みんな訳が分かってないの。今までの鍵盤のピアノでは、そんな発想は出ないですよね。それが、この鍵盤だと、ものの見事にピシッと出てくる。
 この鍵盤のピアノはドラムみたいにパーカッシブな最高の楽器です。良い音がしますよぉ!

___『ネコふんじゃった』は弾き難そうですね。(笑)

 いやいや、そんなことは無い。それも先入観なのさ。弾けてしまえば、12通り同じことですから。一つ確実に覚えて弾けるようになれば良い。だから、そういう意味ではプロの楽器でもあるんです。
 ですから、どんなことをしても子ども達にやっていただきたいと思うのですが、そうならなければならないでも良い。何百年後でも良いし。

___小学校で、この鍵盤を教材になさる計画があるそうですね。

 幼稚園とか、初めての子ども達には一番良いですから。
 今までの鍵盤を見ちゃってると思いますが、コレをやらなきゃアレが上手くならないことは分かると思います。コレが弾ければアレは弾けますから。ただ、あちらは面倒くさいしバランスが悪いし、訳が分からなくなる。そういうことを感じて、最終的にはコレしか無理なんだということが分かるはずです。

___そのプロジェクトは、もう具体的に動いているのですか?

 まだ具体的ではないですが、話を進めている人材はいます。鍵盤の完成品が出来てきていませんから、延び延びになっています。

もし、アマゾンの原住民たちが弦を張って楽器に再生したとしたら、
きっと僕の鍵盤みたいな形になっちゃうと思ったんです。
よけいなデコボコなんて無くて、一直線。


___このフラットな鍵盤は、いつ頃思いついたんですか?

 ええとねぇ、僕はレコード会社に追いかけられちゃってブラジルに逃げ出して行ったんですよ。そうして、アマゾンでいろいろな良い経験をしたんです。
 アマゾンでね、ゴムの栽培でものすごく栄華を極めた町があったんですね。そこにピアノがあったんですが、もう鉄骨だけで、朽ち果てて錆びちゃっていた。それをもし、アマゾンの原住民たちが弦を張って楽器に再生したとしたら、きっと僕の鍵盤みたいな形になっちゃうと思ったんです。よけいなデコボコなんて無くて、一直線。

___白黒ではなくて、ですね。

 そう!
 ハープを鍵盤にしたら、僕の鍵盤のようになるんです。

___なるほど。88鍵の全部が同じ幅で、平らに並んでいる。

 そうやっちゃった方が遥かに良いなと思って、ブラジルから帰って来てピアニカで試作してみたんです。そしたら、イケるんじゃないかと思った。
 平成元年にそのアイデアが出たの。それで、YAMAHAの最後の木工の人に作ってもらった。まさに「平らに成る(平成)」

___この鍵盤は工夫されていて、丸くなっていますね。

 指が入りやすいように丸くしたんです。

___今までの白黒鍵盤よりも狭いですものね。

 ピアノの幅は変わりませんから、一直線で均等にしたいと思えば白鍵は狭くなります。
 でも、鍵盤の真ん中を丸くしたのはすごく良かった。センターが分かる訳ですよ。真直ぐ打鍵できるから、音が良いんです。

___芯のある音が出る。

 野球のホームランは、丸と丸がぶつかる訳です。それでコーンと抜けた音が出る。最初は大変なんだけど、慣れるとピシッとハマる。逆に安心感が出てくるんです。
 今までの鍵盤だと、どこを触ったら良いか分からないし、鍵盤によって重い軽いがある。これは問題でしょ? 音をキチンと同じように並べることが先ず出来ないと、アクセント付けられませんから。
 この楽器を触るようになって、最初、僕もどうやって弾いたらいいのか分からなかった。6年前ですよ、ようやく分かったのは。(笑)

___弾けるようになる手がかりは何だったのですか?

 今までのピアノのようにナメてかかって大恥をかいたことですね。手も痛くなって散々でした。
 最初に発表したのは四国高松だったんですが、その次は何と南足柄のスリー・コードでこの鍵盤を発表させて下さったんです。小田原とはご縁があるんですよ。

___ピアノの準備は大変ですね。

 鍵盤だけスルリと取り替えられるのですが、その時はちょうど合うのが無かったので、下田の自宅からピアノごと運びました。

この辺りは気候も良いし、またまた奇跡の場所だと思っています。
チェット・ベーカーを日本へ呼んであげたかったねぇ。。


___この鍵盤での演奏を聴いてみたいです。

 もうじき完成品が出来ます。11月1日の檜ホールには間に合うと思います。毎月1日には檜ホールで演奏しているんです。

___檜ホールは素晴らしい所ですね!

 三石を見て、絶景でしょ。僕、あそこで子どもの頃潜ってたの。あの頃は漁師さんにも怒られなくてね。それが今、あんな素敵なホールでピアノを弾きながらそれを見下ろしているなんて、信じられませんよ。本当に幸せです。

___今は伊豆の下田にお住まいだそうですが、いつ越されたのですか?

 最後に南米から帰って来てからですから、11年目かな。南米へは7〜8回往復しているんです。
 ウチは代々、伊豆と縁があって、叔父が絵描きで西伊豆にアトリエをつくったもので、そこへ毎年行くようになったんです。僕は、この東海道、湘南から小田原、伊豆、静岡が好きなんです。日本でいちばん華のある所です。日本自体が奇跡的な場所なのですが、特にこの辺りは気候も良いし、またまた奇跡の場所だと思っています。
 小田原は秀吉の総攻めでこたえちゃいましたけど、その後は相当な剣客やアーティストがうろうろしてるね、ここは。そういう人を呼ぶ所ですよね。良い所だもの。
 チェット・ベーカーとNYで一緒に演った時に、僕は「日本へ是非いらしてください」と言ったんだけど、結局は僕がブラジルへ行ってる間に日本へ来ちゃった。その後またNYで会うんだけど、ちょうど彼はモンテカルロから帰った後で、「水の中の美しさは最高のドラッグだった」と僕に言うんです。「日本の海はどうなんだ?」と。(笑)
 モンテカルロは人口の海なんですよ。「伊豆の海に一度いらっしゃい!」と言っていたんだけど、ヨーロッパで亡くなっちゃった。彼はドラッグで知られていましたが、あんなに自然を愛する人だとは思いませんでした。日本へ呼んであげたかったねぇ。。
つづく


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23 October

菅野邦彦ライブ (湯河原 檜ホール)

  11/1(木曜日) 午後7時より
  湯河原 檜チャリティーコンサートホール
   お問い合せ 0465-63-8923


 

 【菅野邦彦さん/Jazzピアニスト】
  1935年、東京生まれ。
  アナログ時代に60枚ものアルバムをレコーディング。
  日本のミュージックシーンの先駆けとなった、大ベテランのJazzピアニスト。
  現在は、商業的な音楽産業とは一線を画して、
  南伊豆に移り住んで、本物の音楽を追求なさっています。
  「最高の音楽というのはドキュメントなんです」と、
  あくまでもライブでの演奏にこだわる菅野さんのプレーは、
  Jazzのフォービート、日本の音頭、ブラジルのサンバなどが融合された、
  シンプルかつ華やかでリリカルなピアノです。

 【湯河原 檜チャリティーコンサートホール】
  檜ホールは、
  真鶴半島を見下ろす絶好のロケーションに去年オープンした、
  総檜づくりの、とても素晴らしいホールです。
  材料は全て国産の檜だけを使用、壁は漆喰塗り。
  伝統工法で作られたその空間は、神々しいほどの美しさです。


現在は決まったバンドを持たずに、
出かけた先で、そこにいる友人プレーヤーと演奏するというスタイルの菅野さんですが、
毎月1日に、
湯河原檜チャリティーコンサートホール内「八角堂」で、
定期ライブをおこなってらっしゃいます。

 今回のライブでは、
 菅野さんが独自に考案した「平成クロマチック鍵盤/ハマール」(仮称)がお披露目される予定です。

 檜ホールの、オーガニックな音の響きと、
 菅野さんの、一期一会のライブパフォーマンス。
 メモリアルなライブになると思います。
 是非、みなさまいらっしゃってみてください。


 
  ↑ 平成クロマチック鍵盤(仮称/試作品)

 本物の音楽を求めて、菅野さんが辿り着いた一つの答えは、
 88鍵が全くフラットな鍵盤でした。


ピアノと言うとまず思い浮かべるのは、あの白と黒の鍵盤ですが、
菅野さんは、
そのデコボコな鍵盤の黒鍵を白鍵の間に引きずり出して
なんとまったく平らなものに作り替えてしまったんです。
それはちょうど、
細い竹のような棒がピッシリと88本並んでいるような状態。

ピアノ自体はそのままで、
鍵盤だけを乗せ換えるんです。

ですから、
ピアノの幅は変わらないので、
白鍵は、今までのものより狭くなるわけです。
そして、
ドの隣は、レではなくて、ドのシャープ。
全ての鍵盤が、
同じ幅で、同じ高さで、均等に並んでいる。

菅野さんのピアノは、
私たちの既成概念をまったく飛び越えた、
驚くような楽器です。

けれど、
お話を伺って行くうちに、
これほど理にかなった鍵盤はないなぁと思えてきます。

 
  ↑ フツーのピアノ(アクション部分を開いた状態)

 
  ↑ コレを乗せ換える(現在製作中)

 
  ↑ クロマチック・キーボード@ピアニカ
motoka


23:32:44 | milkyshadows | |

21 October

「最高の音楽というのはドキュメントなんです。」

artist file "tanebito" #09 [1/3] 
菅野 邦彦 さん(Jazzピアニスト)

僕は、商業意識なんて全くなかった。
音楽は商業意識があったら無理なんです。


___菅野さんの作品は、なかなか手に入れることが難しくて、ようやく『ポートレート』というアルバムを見つけました。これはもう30年以上前のレコーディングなのですね。

 兄貴(沖彦氏)の録音です。よく見つけましたねぇ。
 僕の場合は、1,000枚くらい出して、無くなるとサッと廃盤にしちゃう。CDとして正式にリリースしたものは2枚しかないんです。デジタルの音はどこまで行っても切れていて身体に悪いので,僕も兄貴もCDは録音しないことにしてるんです。神経をやられちゃうから。

___このアルバムでの演奏は、もの凄いダイナミクスです。

 録るのは難しいらしいですね。
 このアルバムは、兄貴がとにかくソロピアノで演ってくれと言うので、僕の好きなベーゼンドルファーのピアノで録りました。ソロピアノですから、独り言みたいなものです。
 45分弾いただけですから、これ。録り直しなんかしていない。

___それで『ポートレイト』なのですね。ライナーノーツには「最もサービス精神に欠けたこのレコード、そして最高にジャズ的なこのレコード」とあります。

 ほぉぉ。
 僕は、商業意識なんて全くなかった。音楽は商業意識があったら無理なんです。ジョアン・ジルベルトやマイルス・デイビスもそうでしたが、アメリカのジャズは残念ながらそれで終わっちゃった。

___海外のトップ・ミュージシャンとも親交がお広いそうですね。

 一流の人とは、全部遊びで演っています。向こうからは仕事を持ちかけて来るけど、こちらからは持ちかけたことがない。断っちゃう。

日本の「音頭」こそ、最高にハッピーなリズムなんです。
もう一度邦楽を真面目に聴いて、勉強してもらいたいですね。


___『ポートレイト』は1974年のレコーディングですが、その後はブラジルへ行かれた。

 それまでレコード会社はジャズなんて売れると思っていなかった。それが僕で商売になるいうと、あらゆる所がジャズ部門を作って、僕は毎日朝から追いかけられちゃった。それで逃げ出して行ったんです。ボサノバが特別好きだった訳じゃないし、勉強に行った訳でもない。どこでも良かったんです。カリブでも良かった。一番遠い所へ行こうと思って、南米なら真裏だから良いんじゃないかなって。(笑)
 結局、あらゆるレコード会社で片っ端から1枚づつ付き合った。友達がいるし、人が好いので。

___そうして60枚のレコーディングをなさった。

 僕のリーダーアルバムだけだったら50枚くらいかも知れないな。
 田舎の公会堂で誰かが録ったようなものも、レコードにして良いかと言ってきた。僕はライブはOKだから、LPで出す分には、気に入ったらどうぞ、って。そのお金で、ブラジルとか世界中を遊んでる訳。
 そういう意味では、数奇な人生だったなぁ。今までの音楽家の中では、一番お金と時間をかけている。

___ブラジルでは、ボサノバに日本の「音頭」を感じたそうですね。
 
 日本の「音頭」こそ、最高にハッピーなリズムなんです。ブラジル人もアメリカ人も、こうなりたいんです。だけどなれないんです。奴隷として黒人を連れてきたというところから出てきた「ジャズ」や「サンバ」というは、精神的に悲しい世界なんです。
 日本人はハッピーな民族ですから、音楽的には恵まれちゃってる。「音頭」は、神様を天から呼んで、神様に捧げる音楽なんです。それを僕らは先天的に持っている訳ですから、これからは、もう一度邦楽を真面目に聴いてジャズに取り入れたり、海外の方には勉強してもらいたいですね。

___菅野さんは、『リンゴ追分』など日本の曲も題材になさっています。

 みんなリクエストです。イントロでは初めて『君が代』を演りましたが、途中で分からなくなっちゃった。(笑)それでも、あの『君が代』はバブルが始まる前の時代をもろに表現していると思いますよ。大混乱のドキュメントです。

音楽は人の心の動きですから、
方眼紙には絶対に書けないんです。


___「音頭」の良さを音楽的に言えば、やはりリズムでしょうか?

 僕たちは当たり前のように譜面を見て演奏して、リズムも数が割り切れるようになっていますが、音楽は人の心の動きですから、方眼紙には絶対に書けないんです。
 一番最初の音楽は、おそらくアフリカで、敵が攻めてくるというので大きな楽器が始まったんでしょうね。素敵な人が来るのなら大慌てしない。不幸なことに部族同士で対立するので、敵が来るから「ドン♪」と知らせた。それに応えて「ドンドンドン♪」と返した。要するに「掛け合い」なんです。相手の音を聴いて、それに返す。
 それが、西洋では最初から譜面で「ドンドンドン♪」と重ねてしまう。それは皇帝の凱旋のための音楽で、ゴマスリみたいなものです。西洋音楽は、不幸にして、そうやって発展してきた。譜面やレコードが出来たことで音楽が広まったというのは良いことではあるのですが、軍隊式に同じように音を重ねていくというのは音楽ではないと思います。
 本当の音楽は、一対一の掛け合いから始まるんです。敵が攻めて来るにしろ、愛を語り合うにしろ、相手が音を出している時に音を出してしまったら、これは音楽にはならない。人はそれぞれ違うから、重なる訳がないんです。それを、練習して一緒に「ドン♪」と演らなきゃならないとなると、これは音楽にはならない。そのような教え方で、そのような音楽ばかりになって、音楽はどんどん悪くなっていった。だから僕は、最初から音楽をやり直そうと言っているんです。
 ジャズの場合はクラシックという手法のお手本があったものだから、それをなぞって酷い世界に入っていった。ジョン・コルトレーンやオーネット・ コールマンは、抽象的で非常に難しい音楽になってしまった。僕もその最中にいたけれど、これは違うと思ってやめちゃった。

___違和感を感じられたのですね。

 ジャズを初めて演奏したのは、松岡直也さんのお姉さんのスタジオで、バンドの練習をした時です。その時に「え?!」と思った。皆で一斉に音を出したら意味ないじゃないか、って。ジャズってこんなにイカさない音楽なのかと思った。最初から僕は疑問があった。
 朝から晩まで、音を重ねて、同じことを演る練習をする。それは音楽の勉強とは関係ないところなんです。クラシックではそういうことがとても多い。一人一人は才能豊かでも、同じことを大きな音で、ゴージャスに聴こえる為に寸分の狂いもなく演奏する。
 だって、あなたの場所に僕は入ることが出来ない訳ですから、一緒に音を出しているつもりでも、それはシミュレーションなんです。見えないが故に、あたかも重なったものが音楽だと思っている。
 最高の音楽というのはドキュメントなんです。それ以外は商業意識があるから上手く見せようと思ったり、何回も練習して人前で学芸会です。そんなことに音楽的な価値なんてある訳がない。
 大きなことを言うようですが。。(笑)
(つづく)



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