Archive for October 2007

21 October

"Just Keep Playing !"

私は、
ものごころつく前からオンガクが大好きでした。

まだ一人では歩けない頃から、おじいちゃんの背中で、
小田原の5月のパレードの時には、 ズンズンとリズムを踏みしめていたそうです。

カセットテープもまだ無い時代で、
父が持っていたのは、
ポータブルのレコードプレーヤーと、オープンリールのテープレコーダーでした。

目の前で、装置が回転して音が出ることが、
幼心にも、生々しくユーモラスで、
私にとっては、
「オンガク」というより、「録音された音」そのものが、
城址公園の梅子さん以上のアイドルだったように思います。

思春期の頃の私の最大のアイドルは、
父の影響で、ビートルズでした。
もちろん、リアルタイムではありませんでしたが、
オンガクが音楽以上の力を持つことを、
私はビートルズから学びました。

その後、紆余曲折ありましたが、
ある学生時代の終わりの夏に、
ひとりのアメリカ人ミュージシャンの演奏に感動して、
東京中のライブハウスを追いかけたことがありました。

そのミュージシャンは、
リチャード・ティーというキーボード・プレーヤーで、
この番組のオープニングとエンディングに流れている曲のフェンダーローズは、
彼の演奏です。

その夏、
ある場所で、演奏を終えて帰って行く彼に、
私は、勇気を出して声をかけたことがありました。

「あなたの演奏が大好きなんです」
と、片言の英語で話しかけると、
彼はいつもの人懐っこい笑顔で、
でも、ちょっとはにかんで、
握手をしてくれました。

その彼の腕の太さと言ったら、
それこそ私のウエストくらいはありそうなほど逞しくて、
これでピアノを弾いたら、そりゃぁ鳴るだろうなぁと思ったものです。

 「私も少しピアノを弾くんです」

 「へぇ、どのくらいやっているんだい?」

 「10年くらいです」

 「そうか、俺は40年やってるよ。
  やっとピアノが少し分かってきたところだよ」

彼はそう言って、一瞬真剣な目をしました。

 「私に何かアドバイスをいただけませんか?」

 「OK」

そして、彼は一言だけ私にメッセージを残して、去って行ったのです。
彼のメッセージは、こんな言葉でした。

 「Just Keep Playing!」

その後、
リチャード・ティーは、1993年に、残念ながら亡くなってしまいました。
私は、結局、彼のアドバイスは実行できませんでした。
音楽は大好きですが、
どうも私は演奏家には向いていなかったようです。

「とにかく続けなさい」という彼の言葉。

私は演奏家にはなれませんでしたが、
今もこうしてオンガクの隣にいて、
ずっとずっと愛し続けて行くことでしょう。


17:50:00 | milkyshadows | |

14 October

“インスピレィション”

蒼いほど若い頃、
“インスピレィション” という語が好きでした。

辞書によると、
「直観的なひらめきや、瞬間的に思い浮かんだ着想」という意味ですが、
私にとって、
それはまさに「神が降りてくる瞬間」と呼ぶにふさわしい神聖な体験で、
その魂が震えるほどの高揚感に、私は幾度となく酔いしれては、
突き動かされるように、イメージの冒険を重ねて行きました。


けれど、オトナになって、
いつからか、“インスピレィション” という語を、私は使えなくなりました。
どうしてなのか、
その神聖な輝きは色褪せて、言霊が薄まったように感じて、
口にすることが恥ずかしくなってしまったのです。

そんな語が、いくつかあります。

 インスピレィション 感性 クリエィション ヒーリング スピリチュアル
 etc...


ある概念が流布されて人口に膾炙されることには功罪があるように思います。
キーワードひとつで説明を省略できるようになる反面、
本質への道のりは、
縮まるどころか、むしろ遠くなっているような気がしてなりません。


遠い雲の、その高さにハッとしたり、
夕暮れの見事に、ガッと心動かされたり、
心が何かにクッと反応する瞬間。

それは唐突に訪れて、
雷のように、魂の遠い地平を一瞬だけ照らしだす。
そして、その閃光は、
私たちに「いのち」の奥行きの、距離と深さを照らし出す。

 どうしてだろう?
 “ひらめき” って、いったい何のためにやって来るんだろう? 

私は、その光を恩恵だと思うのです。
残像の記憶は、
私たちが暗闇の中で走るための、確かなガイドになってくれるのですから。

むしろ、
光は一瞬だけで充分なのかも知れません。
「いのち」のリアリティは、
暗闇の中で、感覚を研ぎすませて走ることにこそあるように、
私は感じています。



17:50:00 | milkyshadows | |

07 October

国造神 / コタンカラカムイ


 その昔、アイヌの神々が世界を創ろうと思い立った時のお話です。

 国造神/コタンカラカムイが命じられて、 はるかな天界から、 春楡の鍬と春楡の叉木を持って下りてきたそうです
 コタンカラカムイは、指先で川をつくり、爪先で谷をこじり、立派な大地をつくりあげました。
 仕事を終えると、コタンカラカムイは大雪山の頂で、春楡の木に座って地上を見下ろし、ほれぼれと世界を眺めました。

 「我ながら上出来だ。
  うねうねと連なる山、長々と流れる川、泥の平原に木も植え、草も生い茂った。
  なんと、いい眺めではないか」

 けれども眺めているうちに、何かが足りないような気がしてきました。

 「なんだろう? 
  何かをつくり忘れた気がしてならない。
  はて、何をつくればよいのだろうか?」

 いくら考えても分かりません。
 国造神コタンカラカムイは、日が暮れてから夜の神に命じました。

 「私は世界をつくったが、何かが足りない気がする。
  お前の思いつくものをつくってみてくれ。」

 夜の神は困りましたが、首をひねりながら足元の泥をこね回すうち、泥の人形のようなものが出来上がりました。
 「これだ!」と思った夜の神は、柳の枝を泥に通して骨にして、頭にはハコベを取って植えました。

 「それでは息を通わせてみよう。」

 夜の神が扇で扇ぐと、泥は乾いて肌になり、頭のはこべはふさふさと髪の毛になり、二つの目は星のように輝いてパチパチと瞬きました。

「これでよい。では、十二の欲の玉を体に入れてやろう。」

 食べたい、遊びたい、眠りたいなどの十二の欲を与えると、ようやく完全な人間が出来上がりました。

 けれども、生まれた人間たちは年を取るばかりで、いっこうに増えていきません。何故ならば、夜の神がつくった人間はみんな男ばかりだったのでした。
 殖えることの出来ない人間は、だんだん死んで減っていくばかりです。これでは勿体無いと思ったコタンカラカムイは、昼の神に頼んで別の人間を作らせることにしました。

 「宜しいですとも。
  私は、昼の輝きのように美しい人間を作ってみせましょう。」

 そうして昼の神がつくった人間が、女だったのです。

 この世界に男と女が一緒に暮らすようになると、どんどん子どもが生まれて、人間は段々に数を増やしていったのでした。

 こんなわけで、男の肌が浅黒いのは夜の神の手で作られたからで、女の肌が白いのは昼の神の手で作られたからなのです。
 そして、人間が年をとると腰が柳のように曲がるのは、柳の木を背骨に使ってあるからなのです。

 コタンカラカムイは後になって後悔して、「やはり丈夫な石で作るにこしたことがない」と思い直しました。
 そこでカワウソを使者に立てて、急いで下界に派遣しましたが、カワウソは途中で沢山魚のいる沢に差し掛かった時に、使命を忘れて夢中で魚を追いかけました。そのために伝令は間に合わず、カワウソは怒った神に頭を踏みつけられて、扁平な顔になってしまったのです。

 もしも人間が石で作られていたのなら、人間は朽ちることのない命を持つことが出来たでしょう。
 けれど、木でつくられたおかげで、人間は木のように後から後から生長して増えることが出来るようになったのです。



17:50:00 | milkyshadows | |