Archive for March 2008

16 March

季節が動く日


何かに気づくこと。
それは、いつでも過ぎ去ってからやってくる。

「あぁ、そうだったんだ。
そういうことだったんだ」

ある時、唐突に、
すべての繋がりにハッとする。

どんな準備も、
どんな予感も、
季節の前には 訪れない。

気づいた時には、
スデに、スベテが、ハジマッテいる。


季節はいつも一瞬で変わる。
変わらないのは、人の「意識」
何故って、
誰もが、自分の人生は昨日からの続きだと信じているから。


季節が動く日。
まるで抜打ちの試験のように、人は心構えを問い詰められる。
そして、迎えの使者が来て、
準備が出来た者だけを、次の季節へ連れて行く。


17:50:00 | milkyshadows | |

09 March

「エッジ」


ヨガでは、一つの アーサナと呼ばれるポーズを、一定の時間ホールドすることをします。
この時には、自分の体を 最大の可能性まで広げるように、意図的に導いて行きます。
この、ギリギリの瀬戸際のことを「エッジ」と呼びます。


さて、この「エッジ」と呼ばれる状態ですが、
まさにギリギリのバランスを、しかも自らの意志で、導いて、保つワケですから、
普通に考えたら、それはとても困難で苦痛な作業のように思います。


その時に、選択肢は3つあると思います。

 1. 早くゆるめて、楽になること
 2. さらにチャレンジをして、その先を開拓すること
 3. そのままそこで、どうにか居場所を見つけること

ヨガで、この「エッジ」において目指していることは、
強いて言うならば、3つ目の選択肢が近いのかも知れません。

 自らの意志で迎えたギリギリの瀬戸際で、
 諦めるのではなく、力づくで頑張るのでもなく、
 深く呼吸をして、
 そこから先は、宇宙の力にまるごと委ねる。


この感覚は、ヨガという体験だけにとどまらず、生きることすべて、
人や社会、自然や宇宙との関係性にも、あてはまるだろうと感じています。

最大限に可能性を広げ、抗わずに心を開く。
抵抗を手放して、私を導く力に耳を澄ませる。
一方で、踏みとどまる。
今この場所に、強く立つ。
そして、
そのチャレンジを、穏やかに見つめる。



「どうして私は、ココにいるのだろう?」

 理由は知らなくてもいい。
 謎は解けなくてもいい。
 ただこの感覚の正体にさえ気づいていれば、
 きっと私は、迷わずに歩いて行ける。



17:50:00 | milkyshadows | |

02 March

極意。

流れのままに生きるって、どういうことだろう?

 だって、
 モノゴトの「流れ」って、たしかに感触を実感することもあるけれど、
 それにたいしての「抵抗」という体験も、同じくらいにリアルで大きい。

 本当に力のある人って、しなやかだと思う。


或るイカしたオヤジが、こんなコトを言った。
 「俺は、こだわらない、って事にこだわってるんだ」
 うん、それそれ! 余裕の一言__

 何かを手放す、って勇気が必要。



本気で走り出そうとするのなら、
今両手に抱えているものを置いてゆくべきだ。
そうでなければ、
走ることを、楽しいとは思えない。


 抱えているモノが何であれ、
 ソレがなかったら、私は私でなくなってしまうのかしら?


何モノにも寄りかからずに自分の足で真っ直ぐに立つ、ということを「自立」というのなら、
それはまた、
自分の中心を知るということなんだと思う。
 
 つまり、そういうチャレンジ。
 私はどこまで透明になれるだろう。。?


極意は、
流れていること。
開いていること。
17:50:00 | milkyshadows | |