Archive for April 2007

29 April

「癒し」と「感情」のメカニズム

artist file "tanebito" #01 [3/4] 
伊東 知子 さん(創作ジュエリー作家 / 風にかえるアトリエ

photo/AKIHIRO FURUTA

「私」の中の答えに「気づく」


___「セッション」というのは、双方向性の共同作業だと思っていますが、その辺はどうお考えですか?

 いわゆるヒーリングワークには、 癒す人がいて癒される人がいるのですが、私は、すべての人の心の中にヒーラーはいると考えています。だから悩みや疑問の答えは、その人の中にあると思っています。
 それは、知らない人へ「私が教えます」って言う先生を見ながら、いつからか「それは違うんじゃないかな?」って思っていったんです。本人が自分の中の答えに気づく、という感覚でセッションやったらどういう事が起きるんだろうと思ってやりたくなって、そしたら「あ、やっぱり先生が答えを言ってくれるんじゃなくて、私の中に答えがあって、それに気づいた!」って自分の感覚に自身を持つセッションになった。

___自分で腑に落ちないと絶対に変わりませんものね。

 そう。何か先生に答えを決めてもらうと、「先生はそう言ったけど本当の私の感覚はちょっと違う」っていう所が出てくるでしょ。それがどんどん大きな違和感になっていく。
 お互いに会話をする中で両者が気づく、というのが「気づき」とか「癒し」だと思ってるから、「私があなたを癒しますっ」ていうセッションは出来ないし、あんまり興味もない。両者がひとつの時間を作り上げる、何かお互いに分かち合う、お互いにメッセージがあるとしたらそれに気づく。そういうセッションをやりたいと思います。
 先生が教えるというのは、一方向性でしょ? 
 もちろん、心のメカニズムだったり感情のシステムについては、多少知識として知ってもらうこともあるんだけれど。

___その辺のスタンスは、問題の捉え方自体に関わりますね。

 いわゆる一般的なカウンセリングの考え方は、やっぱり受ける人とそれを引き出す人とに分かれちゃってるんだけど、でも例えば歯医者さんみたいに、行って座って口開けて「はい治してください」っていうのでは、いわゆるヒーリングの分野では、積極的に自分が「気づく」というのがないと「癒し」は起こらない。
 それぞれの中にいるヒーラーが働いてくれなければ「癒し」は起きないから、それが働くかどうかは本人が鍵を握ってるんですね。

___そうですね。まず痛みがココにあるっていうことを直視する勇気だとか。

 うんうん。
 自分は今こういうテーマについてとても悩んでいて、それについてどう解決したらいいのか、っていう問題意識がない状態では「癒し」は起きてこない。「何でもいいから今私に必要なことを言ってください」みたいに、 本人が受け身だと「癒し」は起きてこない。
 両者がしっかり自分を持って「参加する」っていう意志がないと「セッション」にはならなくて、多分それは音楽でも同じだと思う。音楽の「セッション」って、自由にやってくださいっていう部分は、多分それぞれがすごくオープンな感覚で、しかも受け身では出来ないでしょう?アドリブって。
 ヒーリングの分野でも、あまりに受け身になって何もしないで「治療してください」っていうのは、もう「癒し」からはズレちゃってる。

感情の排泄


___「癒し」ということ自体は、どういう風にお考えですか?

 「癒し」って、多分とても新しい言葉なんだと思う。
 ちょっとぬいぐるみを触って「あぁ癒されたぁ」とか、よくみんな使っているんだけど、私は「お掃除されなかった古い感情が流されて、新しいエネルギーになる」っていうのも「癒し」かな、と思っています。

___お掃除されなかった感情。。

 はい。子供から大人になるプロセスで、怒ったり泣いたり喜んだり、いろいろなことがあるんだけど、その人のパターンによって、ある感情だけがすごく排泄されないでそのまま大人になってしまっている部分というのが誰しもあって。その人の、ある特別な感情だけ溜ってしまうというパターンを、 流して手放すことが「癒し」かなと思う。

___「癒し」が必要だから「癒し」を求めるんだとすると、人はどういう時に「癒し」を欲しいと思うんでしょう?

 ・・・自分で気づくんでしょうね。癒したいとか、変わりたいって本人が思う。「もぅイヤだぁ!」って。
 例えば、どうしても怒れないタイプの人が「怒り」を表現出来ないで、自分の内側に怒りを溜めてしまって、結局自分を責めてしまう時に、ある程度はひきこもりとかをして時間を過ごせるんだけど、ある時「あぁもうこんな自分は違う!」って爆発する。何か思い込みがあるから溜まっているんだから、思い込みを外して、新しく生き始める、生活に向かい始める、自分の人生を積極的に創ることに向かっていくというような、そんな時。
 直面する「勇気」は必要かもしれない。「今変わりたい」って思った時、変わりたければ変わる選択をするのは、本人の作業なんですよね。「私の車をあなたが代わりに運転してくれませんか」っていう心理状態になってる時があって、
それは、運転するのが怖いとか責任を取りたくないとか、いろいろ理由があるのですが、 本人が決めることがいちばんパワーがあると思う。
 変わることのメリットとデメリットを両方感じながら、「明日もその次もそういうことをやりたいか?」って自分に質問をした時に、「あぁもっと他のやり方をしてみたくなる」っていう時があるんだよね。その変わりたくなった時が「癒し」のチャンスなんだと思う。
 本人の中に答えがあるから、自分で答えに気がつく作業を、自分の心と会話すればいいんだけど、そのやり方が判らないから一時的に私が質問をする。その部分では、質問を繰り返していく。
 溜まってしまった感情は、ヘドロのようにドロドロしてるようなイメージがあって、蓋を開けるのはすごいヘビーな作業だとか思い込んでいるようだけど、全然そうじゃなくて、深刻なものでもない。その思い込みをハズしたいですねぇ。 逆に、クソ真面目にやってはいけないものだと思う。笑いがセラピーって、病院でもやってるじゃない? だからもっと、感情の排泄は気持ち良くて楽しくてシンプルなものなんだと思うな。

「怒り」の裏側


 感情には、人間が後づけした、良い感情・悪い感情ってあるかもしれないけど、感情は純粋にただのエネルギーだから、それ自体には良い感情とか悪い感情って、ない。

___ 怒ることにも、もっと慣れた方がいいとおっしゃってましたね。

 そうそう。
 いわゆる「怒り」というものに対して、特に日本人は怒りを露にしてはいけないという社会的ルールがある感じがして、 怒ってても柔和な顔をしてる感じで、「怒り」の取り扱いについてはとても苦手な民族なのかも知れない。 それゆえ、人に言えなかった怒りがエネルギー的にオーラの中に溜まってしまう。アメリカ人は、もっとアグレッシブに自分を表現するから、「癒し」のテーマはまた別な所にあると思う。
 感情っていくつも層があって、 「怒り」の下にはまた別の感情がある。「怒り」の下には「悲しみ」があるって言われてるんです。だから、何かについて凄く悲しくて、もうこれ以上の悲しみを感じたくないから怒るんですね。だから、隠す行為なんですよ、「怒り」って。

___怒ることで、隠してる。。

 悲しみを隠す。
「怒り」を純粋に感じていくと、その前に悲しかった出来事があって、その「悲しみ」の部分が残ってる。だから「怒り」を処理するよりも、その下の「悲しみ」に気づいてそれを排泄させてあげると、結果的に「怒り」もなくなって行く。
 たいていは、怒る事によって悲しみを感じなくて済むようにしちゃうんですね。これ以上悲しみたくないから。
 戦争も、そのバリエーションの違う表現で、これ以上痛い目にあいたくないから、先に怒って攻撃して相手をやっつけちゃえっていう発想なんですね。

___誰かが悪いことにすれば、自分が楽になる。

 はじめはそうなんですね。怒りの矛先は他者にして、自分は良い人になろうとする。けれどやがて「どうして私の人生は嫌なことばかり起きるの!」って、自分の人生に怒るようになる。
 だから「怒り」では解決できないんですね。「怒り」の下にある思い込みとか、「恐怖」があったりとか、状況によってそこを感じていくと、だんだん「怒り」が生まれたプロセスが見えてくる。
 そんな感じで私自身が感情を扱う事にリラックスしていると、 私と話すときに人が感情を表現しやすいみたい。ただ話してたら泣きたくなったとか。「どうぞ、泣いて悲しみを晴らした分お掃除してください!」っていう感じだから、逆に相手が感情を表現しやすいかも知れない。

___発散するからそれが「癒し」になるんですね? 流れて解けるように。

 そうそう。
 普段は言わないようにしていることを言いたくなっちゃうみたいで、聞いてないのに「そういえばさぁ」みたいな感じで話すんですね。私も、話した内容について「じゃあこうすれば」とかっていうのもあんまりなくて、話してお終い。
 フリートークセッションでは、そういう感じでどんどん喋って、吐き出して、エネルギーを燃焼して行く。吐き出したらその分新しいものが自動的に入って来る。呼吸と同じで、吐いたら吸おうと思わなくっても入ってくるから、そこで新しく入れ替わっちゃう。

___生きてるってそういう事なんですね。

 うん。吐いて吸っての繰り返し。
 みんなね、深刻になって、吐く息少ないみたいだね。深刻さっていうのは「癒し」をストップさせるね。

___ しかも傲慢ですよね、深刻さって。

 自分にすべての非があるかのような「罪悪感」なんかも、深刻さが影響してる。
 もっと自然は大きいし。私達はもっと自分の力じゃなくて大きなものに委ねていいし、楽になっていいよね。
(つづく)


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15 April

「風にかえる」

artist file "tanebito" #01 [2/4] 
伊東 知子 さん(創作ジュエリー作家 / 風にかえるアトリエ

ギャラリーと演劇


___真鶴の前は、どちらに?

 真鶴の前は川崎です。

___そこで、ギャラリーに勤めていた?

 勤めるって形じゃなくて、一角を借りて「経験を積みなさい」と提供してもらえた所だったんです。
 ギャラリーで作品展を初めてやった時に、私は、どんなお客様がどんな風に買っていくのかって興味があって、毎日ギャラリーに行ってたんです。そしたら、どんな人が作っているか分かった方が、安心してお客様が買えるっていうことがあったり、作品を買いに来てるんだけど、その時の自分を確認したいという人も多くて。その時に、「ギャラリーとは?」「売る仕事とは?」とか「作家とは?」みたいなことがすごく試されて、「あぁ、私は両方やりたいんだ」ってすごく思って独立した感じです。

___ギャラリー以前は?

 ギャラリー以前は、舞台衣装のデザインを。『オズの魔法使い』とか、日本の昔話の着物だったりとか『レ・ミゼラブル』とか、そういうお芝居の衣装をデザインしてました。

___ 結構大きな舞台も?

 はい。出演者の大勢いる舞台も。

___ その時も生地選びから?

 生地選びからやらせてくれるようなお芝居はなかなかなくて、舞台はとてもお金がかかるので、ありものを加工するとか、衣装屋さんに行って借りてくるとか。
 でも、『オズの魔法使い』とかはイリュージョンの世界だから、その辺に売ってるもので出来るものではないから、そういうものは、絵を描いて作ってもらっていましたね。
 衣装デザインのいちばんは、設計をするってことね。誰がいつ、どのシーンで何を着るのか、っていうことを提案する仕事があるので、それは縫い子さんとは、またちょっと違う。

___ 演じる側は、興味なかったんです?

 演じる側をやりたくてお芝居の世界に入ったのに、なかなか役につけてもらえなくて。裏方を転々としている間に衣装に出会って、すごく面白いと思って。衣装を勉強している合間に時々、舞台に出てたりとかして。
 お芝居はものすごく大勢のスタッフがいて成り立っていて、いろいろなものの一部が役者さんなのよね。お客さんとしては、 舞台の上の役者さんしか見ないけれど。
 そういうチームワークみたいなものは 、舞台をやったからこそ学べて、今、 作品展をやるときに一人でその作業を全部やらなきゃいけないわけなんだけど、舞台の経験があるからそれがスムーズ出来るんだろうな。

針金のスキマ


___作り手として、「作風」についてはどんなスタンスでなさっていますか?

 私は、目に見えているものと目に見えてない空間の両方で表現したいタイプで、針金と針金のスキマとか、そういう所もすごく大事なんです。だから、左右対称にしてドーンという感じは、私の仕事ではないかもしれない。
 なんか動いてる感じ、空気のある一瞬の輪郭を縁取った、っていうような。そこは、すごく大事にしていますね。
 だから、作品だけが目立つというのは好きではなくて、 身に着けた時に本人と作品がピタッとはまる、その人らしさというのがトータル的に表現されるものがすごく好き。
 ジュエリー業界というと、どんなにその石に希少価値があるか、というところに価値を置くんですけど、私のは全然そういう価値ではないですよね。原石などの自然が生み出す造形とそのお客様との出逢いが素晴らしい、というところなので、価値観がちょっと違う気がする。
 一般的に、作家は作家、売る人は売る人という風に分かれていると思うんだけど、その両方をやることは、作家だけをやりたい人にとってはとても面倒くさいことかも知れない。ひとつのアイデアを出して、同じものを10個作る方がよっぽど労働的には楽でしょう? そういう、生産性をあげて沢山の利潤をあげる価値観の方が一般的のような気がする。
  特にオーダージュエリーの仕事は、「素材とあなたの個性の両方を生かして、あなたの為に世界にひとつの作品を作ります」という感じなので、「このパワーストーンはすごいです」という感じではないので、 感覚的にはすごく新しいのかも知れない。

___あえて挑戦している?

 私のやりたいことが、たまたまそういう新しい価値観だったという感じ。それは自然なことなので、あんまりチャレンジしてる気もなくて。

インド


_____インドに行ったことがあるんですね。

 はい。染織やデザインに興味があって。
 例えば更紗だとか木綿だとか藍染だとか、日本の文化のデザインの源流を辿っていくと、だいたいインドに行っちゃう。シルクロードの文化、それを現地でどんな風にやってるのか、その環境をみたくなっちゃって。そんなツアーないから、テーマを決めて一人旅をして、小さな村々を訪ねていくの。

_____あらかじめ調べて行った?

 インドに行くって言ったら、みんなが危険だって言って。で、ガイドブックに載っている日印協会っていう民間の団体にホームステイ先を紹介してもらったの。そしたら、日本と交流のある日本通のインド人のお家を紹介されて、そこを拠点に村々を訪ねた。

_____訪ねる村々は、現地に行ってから調べたんですか?

 そう。現地に行って「あそこがいいよ」とかって言われて、「じゃあここから何キロですか?」みたいな。友人の旦那さんがたまたまインド人で、ローカルな地図を日本で描いてもらって参考にした。

_____そこでは、染色の技術も学んだ?

 うーん、、むこうでやっているのは、例えば地面に穴をほって、そこにドボンと布をつけて、洗う時には川で洗って、みたいなことだから・・・
 たぶん私は、技術というよりはその景色を見たかったのかなぁ、、湿度とか、、
 たまたま田植えの時期に行ったんだけど、田んぼに苗がわぁっと緑になっていて、川から時々霧があがってきて、本当に(故郷の)信州みたいな景色で、ほとんど日本と似たりよったりのカスリを織ってるの。たぶん、染織と土地の環境はすごく似てる、影響しあっている。だから、そういうことを見たかったのかな。
 何かに惹かれたんだと思う。 作家として何が大事かっていうのを。その頃は作家になろうとは思ってなかったけど・・
 たぶん今の私の作品も、この真鶴の空と海があるからだと思う。

「風にかえる」


___どうして真鶴だったんですか?

 真鶴に遊びに来てるうちに、「あぁ、この空とこの海を毎日見ていたら、私の作風はもっと変わるかも知れない」と思って、新しい自分を見たくなったんです。

___土地と作品の関係性って面白いですね。

 舞台のときも、いろんな人の舞台を観察して、いちばん大事なのは湿度かなって。例えば『アラジンの魔法使い」っていう砂漠のお芝居を観る時に、その乾いた風を衣装で表現できるか、装置として表現できるか、って。 お客さんがそれを感じることができるとすごく良いなって思った。

___肌触りですね。

 はい。空気感。感じる世界。
 この話で思いついたのは、私の石が「生きてるね」ってよく言われるのは、何か命っぽい呼吸してるような風を感じるのかも知れない。乾燥したただの石じゃなくて。

___だから『風にかえる』?

 それは後づけでね。そうかも知れない。
 この場所の名前を考えているときに、原生林の近くの海を見下ろせる所に座っていたら、凄く大きな風が吹いて、高いところにある楠の葉っぱがフワァって落ちてきて、一枚一枚がくるくるくるくる回りながら、目の前をヒューって横切っていたの。
 「あぁ風だぁ」って思って、『風のアリトエ』にしようかなって思った。
 その帰り道にカエルに会って、最初『風とカエルのアトリエ』にしようかと思ったんだけど、ちょっとモジッて『風にかえる』にしてみた。
 名前を『風にかえるアトリエ』にした後に、整体をやってる方に「人間にとって一番身近な風は、自分の呼吸だよ」って言われて、「あぁ風にかえるっていうのは、自分の呼吸に戻るって意味があるなぁ」って。私自身も、自分の呼吸を取り戻したくて真鶴に来たようなところもあって、なにかこの空とこの海とこの原生林の自然のリズムに、私が戻りたいってすごく思った。

___ カエルのメッセージだったんですね! カエルは、南米ペルーでは神聖な動物とされているらしいです。

 音楽をやってる人は、ゲコゲコ鳴くからか「音楽の神様」って言う人が多い。「癒しの神」と言う人もいて、カエルが鳴くと浄化の雨が降るって言う。
 たぶん、かえる、元に戻る、っていうのは癒しでもあるし浄化でもある。その象徴っぽい気もする。でも「自分の呼吸に戻る」っていうのが、今の私には一番ピンと来てるんだけど。
(つづく)


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08 April

創作ジュエリーとワークショップ

artist file "tanebito" #01 [1/4] 
伊東 知子 さん(創作ジュエリー作家 / 風にかえるアトリエ

photo/AKIHIRO FURUTA

自然の造形


___どうして自然石を扱うようになったんですか?

 もともと 天然素材の絹とか麻とかすごく好きでした。自然がつくった造形の中に人間が努力しても到底及ばないような素晴らしい姿を見た時に、あぁもう自然の力の方がスゴイんだって思って。
 そしたらもう、半分は自然に助けてもらいながら、素晴らしい造形の原石を使って創作活動をやっていった方がいいんじゃないかなって。

___きっかけがあったんですか?

 自然石を使ったネックレスを作るお教室があるからと友人に誘われて、そこで教えてもらったのがきっかけです。当時は今みたいに石を売ってるお店が少なくて、だけどその人の家にはいっぱい石が並んでいて、「あぁこんなのあるんだ。いろいろあるんだ」って思いながらひとつ自分のを作って。
 そしたら何故かそのネックレスを着けてる時だけ無性に悲しくなって涙が出たりとかして、「あっ、石って何かあるかも」と思って。それが石の事を詳しく知りたいと思ったきっかけですね。何か心と関係してる気がした。

___それで、本などをガイドに勉強をした?

 しなかった。(笑) 
 勉強というか、自分の好きな石を、直感で、ひとつづつ集めていった感じです。
 今もそうなんですけど、私が図書館みたいに満遍なくすべての石を揃えるっていう必要はなくて、自分がいいなと思う石を仕入れてきたら、それを求めてくる人と私が出会うという流れです。
 よく、「石がすごく生き生きしている」と言われますが、本当に生き物を扱うように扱っていて、たぶんお花と同じ様にひとつの命をもって生きてるんじゃないかなって思っています。結晶するのに百年単位で何ミリって結晶する石もあれば、鍾乳洞みたいにどんどん成長する石もあって、やっぱり人間の目に見えないレベルで成長してると思うんですよね。ある時色が変わったり、あるお客様が来ると急に綺麗になったりとか、そういうのを見ているとやっぱり「あぁ、生きてる!」って。

___だから「パワーストーン」と言う?

 やっぱり生き物同士だから、反応するのでしょう。
 人間同士でも、素敵な人と出会うと心がすごく高揚したり、自分がパワーをもらえたって思う様な事がありますが、それと同じようなことだと思います。

___ 選ぶ石によって心の有り様が変わったりするんでしょうか?

 微細なエネルギーですから、無視する事ももちろん出来ますが、それでも何となくその気分にさせてくれるような事はあると思います。
 たぶん一番は、美しいものと出逢ってそれを自分が手に入れる事ができて、それを見た時に「あぁ美しい、綺麗だなぁ」と思う事が、すごく魂の栄養なのかなって気がしています。だから、あんまり、パワーストーンの種類とか作用とかはブッ飛んじゃって「あぁキレイ♪」ってウットリするのが、いちばん心が満たされる事なんじゃないかなと思います。

___「キレイ」の感じ方は人それぞれ違いますよね。

 違いますねぇ。私が表だと思って飾っているものを、お客さまは反対側が美しいと思って、帰りに反対側を表にして置いていったりとか・・(笑)
 で、それもアリだなと思う。あぁこんな美しさを発見した、って。

「出逢い」のプロデュース


___ オーダーはどんな感じで受けるんですか?

 例えば、ミリ単位で絵がファックスされてきて、こういう感じでお願いしますって細かく指定がある場合もあるし、全くお任せです、っていう場合もあります。あなたが作ってくれればそれでいいからって。(笑)

___どっちが楽ですか?

 どうだろう? 何かいろんな挑戦(?)を受けて、それを自分が超えていくところがすごく楽しいかな。
 タイトルや石のイメージだけもらって、私に合う石を探してくださいっていう事もすごく多くて、そういう出逢いをプロデュースすることも私の仕事でもあって、それはなんか・・・楽しい♪
 魔法みたいで。(笑)

キーワードは「創造力」


___ 原石の加工だけじゃなく、いろいろなメニューがありますね。

 そうですね。「石を使って楽しみたい」と楽しめることは、 何でもやっちゃおうかなって。
 リクエストに応じて、例えば真鶴をお散歩したいとか、自然も満喫したいとか、そういう希望があるとそれも取り入れてワークショップにしちゃったり。

___どんなワークショップ?

 ドリームキャッチャーを作るワークショップを、希望があればやっています。
 ネイティブアメリカンが、子供が生まれるとその子供の幸福を祈って枕元につるす道具で、良い夢を捕まえてその子にもたらすように、悪い夢は朝露と共に宇宙へ返す、という祈りが込められている蜘蛛の巣です。

___それを自分で作るためのワークショップ?

 自分で作ることで自分の気持ちがそこに入るし、作っていくプロセス自体が自分自身と繋がっていく時間だったりするので、そういうものを大切にしてワークショップをやっています。
 自分にしかできないアイデアとか色使いとか、そこがその人の個性や創造力なんですよね。そういう素晴らしいものを自分の中から引き出すきっかけにしてほしいなと思っています。

___なるほど「きっかけ」、、

 そうです。素材選びとか、いつ作業を始めるかとか、その時間の流れ次第も本人に任せて、私はいっしょに見てるという感じです。そこが創造力をひきだすひとつのコツになっていると思います。
 自分の夢は自分で叶えていこう、という自発的な「創造力」が私のやっているいろいろな事のひとつのキーワードです。

___左手で絵を描くワークショップをなさってますね。

 左手は直感の手と言われていて、右脳が働くことで感覚が働いてくるんですね。
 例えば絵を描くにしても、上手い絵を描かなくちゃいけないとか、上手いねって言われたいとか、そういう気持ちがあると素直な創造力は使えなくなっちゃうんですよね。 評価されることを意識してしまうと、オリジナルな表現は出てきにくいから、「何でもどうぞぉ」って見ている感じで、あんまり後押ししちゃダメなんですね。
 そもそも表現って、子供の落書きみたいに他愛もなくて楽しいものじゃないかと思っていて、そこに戻ると何かワクワクする気持ちだとか、工夫する気持ちが自然と出てくるんです。そこではもう「どう思われたいか?」っていうのは忘れてもらって「自分がどう表現したいか?」っていう素のところに戻って欲しいと思ってやっています。

___新月のワークショップは?

 「夢を叶える」というのがキーワードです。がむしゃらにすごくいっぱい働いて頑張って夢を叶えていく、というのとはやり方がちょっと違って、半分は宇宙に手伝ってもらってシンクロしながら夢を叶えるというのが目的です。
 このワークショップをやり始めて、新月の度にその企画の事を考えるので、私自身が月のリズムを自分の生活の中に意識するようになりました。あっまた新月が来たとか、あっ満月だぁとか、宇宙のリズムの中に自分が生きているっていう感じにすごくなりますね。 それと、変化していくものに対してあんまり抵抗しないようになった気がします。すごく頑張りすぎたり計画したりとかじゃなくて、自然に物事が進行していくことに任せればいいと思うようになりました。
 個人セッションとかカウンセリングというのは、ひとつの心の世界を見ていくので、「わたし」という命はどういうリズムを持っていてそのリズムはどういう周期で変わっていくんだろうって、 ひとつの生命体を感じるように深いと思っています。
(つづく)


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