Complete text -- "恵み について"
16 September
恵み について
「知識」と「知恵」はどう違うのか?
ある人にそう聞かれて、ハッとしました。
「だって、“知恵”は“恵み”と書くでしょう」って。。
人類は「知恵」を授かって生まれてきた。
そして千年をかけて「知識」を構築した。
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現代社会で「教育」とよばれている作業の本質は、
つまり、
授かった「知恵」を「知識」へと変換する作業なのかも知れません。
気まぐれで捉えどころの無い「恵み / 知恵」という有機体を、
分析し、解析し、合理的に体系づけて、管理して飼いならす。
そうして体裁を整えられて「知識」へと変換された情報は、
誰にでも分かりやすく、扱いやすくて、素早く伝えられるから、
地球上の津々浦々にまで、遍く恩恵が及ぶ。
「知識」は積み重ねられて、「幸福」が大量生産され、
私たちは、繁栄を享受している。
さて、「幸福」は大量生産できるのでしょうか。。?
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「知恵」は、「知識」に変換することで「商品」となる。
もう少し露骨に言えば、
つまりそれは、カネを生む。
そして今や、
身体や心や魂までもが「知識」へと変換され、消費されている。
「知恵」という恵みは、
経済原理の下に呑み込まれようとしている。
それでも、
私たちが授かった「智慧」は驚くほどに豊かなのだと、あらためて思うんです。
驚くほどに豊かで、そして、怖いほどに深い。
怖さゆえ、持て余し、浪費している。
「ムダ」というのは「豊かさ」 と不可分だから、
「浪費」もまた、「知識」の為の揺かごなのかも知れません。
それならば、
いったい目的は何なのでしょう?
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「魂」までをも地平に取り込もうとする「知識」というものの先に、
いったい、私たちは何を見ようとしているのでしょうか?
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