Complete text -- "体に宿るインテリジェンス"

11 November

体に宿るインテリジェンス

artist file "tanebito" #10 [1/3] 
小笠原 和葉 さん(ボディワーカー / Effleurage

ボディワークならではの一番大きな恩恵は
「気づき」だと思っています。


___「ボディワーク」というのは、「治療」とは何が違うのでしょうか?

 「治療」ではない、というところが一番違うんだと思います。(笑)
 「治療」というと、そこへ行って痛みをとってもらう、という説明が分かりやすいでしょうか。痛みから解放されるということは大事なことですし、そうすることが出来る「治療」は素晴らしいと思います。
 けれど、痛みというのは体からの大きなサインだったりするんです。痛みを通して何かに気づいたりすることもあるんです。痛みに対して常にネガティブなラベルを貼り続けると、そこからのメッセージをいつまでも受け取れないんです。
 それは痛みということだけではなくて、変化に対してキチンと自分自身でコミュニケーション出来るようになるために、体と魂がちゃんと再び繋がってくれるように外から助けてあげる、ということが「ボディワーク」なのだと思います。
 例えばセッションが終わった後に「すごく疲れていたことに気づきました」とおっしゃることがあります。それは、治療に行った結果だとしたら、「疲れが取れました」ということではないのですからネガティブですよね。でも、ボディワークではそのことは大きな成果だと捉えます。その方が自分の中の要求に気づいた。自分の体と結びついて、そこからのメッセージを聴こうとした。
 結びつけるだけで、結果は保証できないし、その方にあるものに気づいてもらう。外からやるよりも、その方の体の中にあるインテリジェンスに気づくことの方が余程大きいことですから。

___ボディワークにおいては「気づき」ということが重要な要素なのですね。

 「気づき」がメインテーマだと思います。ボディワークならではの一番大きな恩恵は「気づき」だと思っています。

___気づいた後のステップについては、何かフォローがあるのですか?

 セッションを受けていただくこと自体によって、どんどん変わっていくと思います。
 具体的な体の問題に対しては、自己メンテナンスを含めてアドバイスすることも出来ますし、私自身が気づいて変わってきたというプロセスがありますから、そういうことについてお話したりすることも出来ます。

___自然治癒力に委ねるような方向なのでしょうか?

 「治癒」というのがどういうことを意味するのかという問題もあると思いますが、大事なこというのはやっぱり自分が一番よく知っていると思うんです。体の状況にしてもそうですし、もっと大きな「人生でどこへ向かって行きたいか」とか「どういうことを大事にしていきたいか」ということに気づいていかなければ、[疲れる→セッションを受ける→何となく元気になる→元の生活に戻る→疲れる→またおいでいただく]というステップを繰り返すばかり。それはそれで良いと思いますが、もっと本当に自分の心の声に目覚めることが出来れば、ここに来る必要もなくなりますしね。(笑)

___そうすると、セッションの多くの部分はクライアントさん自身の「気づき」に任されている。

 そうですね。
 これを言うのはボディワーカーにとって勇気の要ることですが、結果に対して何も保証出来ないんです。その方自身がすべてを起こすのです。
 「癒し」という語が流行していますが、「癒し」は外から与えられるものではないんです。自分の内側から「癒し」を行う力を誰でも持っていますし、そこに目を向けた時に内側から起こってくるものだと思っています。それは、痛みが取れたり何かが良くなったりという形で現れ始めることもありますし、もっと深いレベルで変化が起こってくることもある。その可能性に自分が気づいてあげることが、何に対しても一番の近道だと思います。

「繋げる」と言うよりは、
「もともと一体なんですよ」ということに気づいてもらう。


___たくさんの方に施術なさっていますが、クライアントさんの反応はいかがですか?

 いわゆるマッサージというようなものとは全然違う、内側の要求というようなことに目覚めてこられる方が多いように感じますね。

___目覚めたからこそいらっしゃるのかしら?

 その段階としてセッションを使う、ということだと思います。
 私自身はヨガから始めたのですが、ヨガをやると体の疲れも取れたりするのですが、自分の中の変化に気づいていくんですね。それから、自分で自分の体や気持ちをコントロール出来るという自信を取り戻したり、体と心、それから魂との繋がりを築いていって、「あ、最初からここにあったものなんだ」という感覚を取り戻していくというステップがあったんです。ボディワークは、それを外からサポートすると言うか、一緒にそれをやっていく過程のような、その人が自分で気づいていける場所を提供するという感じかも知れません。

___「body/体」と「mind/心」と「spirit/魂」という3つの側面について語られることがありますが、小笠原さんが携わっているのは、その境界領域なのでしょうか?

 その3つは、もともと1つのものだと思うんです。それが「離れている」と思い込んでいる人が多い。
 本当は近くにある一体のものの中にどんどん衝立てを作っていったり、その中のどこかに過剰にフォーカスすることによって、他のものとの一体感、繋がっていると感じられなくなっていく。特にアタマをたくさん使っていますよね、私たちって。そこの動きが激しいので、その奥から湧き上がってくる魂の要求やカラダの要求、そのサインは常に出続けていると思うのですが、そうではない思考活動の方に過度にフォーカスしている状況が多いのだと思います。
 それを「繋げる」と言うよりは、「もともと一体なんですよ」ということに気づいてもらう。

___なるほど。だから「気づく」ということには「思い出す」という感触があるのですね!

 そうですね。「再び繋がる」という感じだと思います。
 その「body/mind/spirit」について、バランスが崩れるとか、何かが失われる、と思う方が多いようですが、そうではないんですね。一体であることを思い出せば、いつでもそこへ戻って行けるんです。

大自然と繋がって生きていた頃の古代の人の方が、
そういうエネルギーの使い方は自然なことだったと思います。


___セッションでは、そのような時には実際に手触りが変わるのですか?

 はい。何の感覚で感じているのかよく分からない時も多いですが、肉体的な動きの変化として本当に皮膚の感覚(センセーション)を感じることもあります。
 例えば頭に触れている時に、足元の方から波のようなものがワーッと上がってくるようなカンジがして、頭に到達した時に、その拡がりを手のセンセーションで感じたりします。あるいは、宇宙に繋がっているカンジがする、とおっしゃる方もいらっしゃいます。

___和葉さんの手は、すごく温かいですね。

 もともと冷え性で、実際に触るとそれほどでもないと思うのですが、セッションが始まるとエネルギー・ワークも行いますから温かく感じられるのかも知れません。

___『 レイキ』というエネルギー・ワークは、どのようなものでしょう?

 19世紀半ばに日本で発祥したハンド・ヒーリングです。臼井甕男(うすいみかお)さんという方が修行中に、そのエネルギーの使い方と特徴をインスピレーションで得て、それを細々と周りの人に広めることをしていたようです。日本から一旦西洋に伝わって、向こうの人は人々に広めるシステムなどを作るのが上手ですから、日本にも逆輸入されて、世界では何百万人に広まっていると言われています。

___「手当て」ということのルーツだそうですね。

 もっと大自然と繋がって生きていた頃の古代の人の方が、そういうエネルギーの使い方は自然なことだったと思います。頭を使うようになって、だんだんそういうことを信じることが出来なくなっていって、自ら回路を閉じていったというところがあると思います。
 だから、赤ちゃんの手からは、何もしなくても(エネルギーが)出ているんです。〔笑〕
 それを、だんだんマインドが閉じていって、「こういう回路があったんですよ」と思い出させてあげるステップが、レイキをやっていく中であって、そうするとまた誰でも開いていく。

___一度体験しないと怪しく思われるかも知れませんね。〔笑〕

 そうですね。怪しいかも知れません。〔笑〕

___初めて体験される方は、どんな反応をされますか?

 まず「温かい」と感じられる方が多いです。
 私の所へいらっしゃってくれる方はヨガをやってらっしゃる方が多くて、そうすると、自分の体の中のエネルギーの動きが分かる方が多いので、「ここが滞っていたのが流れるのが分かりました」とか。痛みが取れるというレベルでも変化が起こるし、精神的なレベルでも変化が起こるし、終わってから徐々に変化に気づいていく方も多いです。

体というものは必ずどこかへ行きたがっているんですね。
それは、もともと持っている「健全性」で、100%輝かせようとする動きです。


___「スピリチュアル」という語が流行していますが、そこで語られる「オーラ」というような部分を「エネルギー・ワーク」では扱うのでしょうか?

 目に見えないもの、科学では実証できないものを扱うという意味では、同じフェーズ(側面)のものという感じはしています。

___私自身がエネルギー・ワークを体験した上での感覚では、どうもスピリチュアル・ブームで語られている世界観には違和感を感じています。

 ハリウッドから「ヨガ」のブームが流れてきた後、「スピリチュアル」や「ロハス」ということが急速に展開してきて、それがファッションのように取り入れられている面もありますし、ちょっとマスコミに操作されている面はあると思います。
 けれど、それが生活の中に入ってくるということ自体、人々の意識が変わってきているということだと思うんです。特別なものではなくて、本当はもともと持っていて忘れられていたものに少しづつ戻っていっている、再び目を開いていっている、という状態なので、今これはこういうステップで良いのではないかと思っています。

___とするなら、次のステップというのがあるのでしょうか?

 まだ本当にそこへ戻っているというよりは、ちょっと取り入れたり目を開いていったりという感じだと思うんです。フィットネスクラブに行くとか飲みに行くという感覚でオーラを観てもらう、みたいな。〔笑〕
 まだ特別なものだったり、馴染んでいない感じがあると思うので、特別にそれを観られる人がいるとか、そういうことじゃなくて、もっと自然に、本当にそういうことがあるんだなと皆が心から受け入れるまでは、もうちょっと時間がかかるのかなと思います。
 もともと私も科学(宇宙物理学)をやっていたので、こういうものを受け入れたり目を開いたりしていくことは本当に大変だったのですが、でも「ボディ・ワーク」や「ヨガ」を通して本当にそこにあるということに触れたから、徐々に馴染んで自分のものになったんです。それを、本で読んだり、人に聞いたりということで始めたとしたら、もうちょっと時間がかかったかなと思います。

___実際に感じることがあったのですね?

 科学で説明できないことは本当にたくさん起こりますし、人の体に触れることを毎日繰り返している中で、その方のリズムを感じて触れていると、「この人を生かしているのは心臓じゃない」って感じるんです。
 心臓が動いて、血液が循環して、臓器が働いて、神経やホルモンのバランスがあって、ということじゃなくて、その背後にもっとそれを推進する力がある。この人の頭が知らない所で。すごくそれを感じる。

___それは、触ると分かるのですか?

 そうですね。〔笑〕
 分かると言うより、感じるんです。こうやってお話していても、その人が笑っているけど実は怒っているとか、分かるじゃないですか。それは、顔のパーツを分析してということではなくて、それを越えたもので伝わってくるものがあるからだと思うんです。そういう「なんとなく」という感じです。

___人は、言葉を越えて「感じる力」を持っているということですね。

 そうですね。

___感じていることを理屈で裏付けしようとすると、その作業をしているうちに感覚が消えて行ってしまう。

 セッションをしていて、メソッドとして、心の中でクライアントの体の中に語りかける時があるんです。それを初めて指導された時に、「なんてバカなことをしなくちゃいけないんだろう」と思った。〔笑〕そんなことでクライアントの体が変化する訳がないじゃないか、って。
 ところが、やってみると、その心の中の語りかけに応えるようにクライアントの体の中の動きが変わるんです。それは、実際に手で触れて感じるレベルの動きとして、変わるんです。それを体験した時は本当にビックリして、「こんなことがあってはいけない」と思ったくらいです。〔笑〕
 私は科学をやっていたので実験をデザインすることが出来るので、いろいろな手順で確認して、これは偶然ではなくて、意識の上での語りかけがクライアントの中の何かを動かしている、物理の法則を越えたところで何かが起こっている、と認めざるを得なくなった。

___それは、操作出来る、ということでしょうか?

 「操作」というと、強制的に望まない所へ連れて行くという感じがありますが、体というものは必ずどこかへ行きたがっているんですね。それは、もともと持っている「健全性」で、100%輝かせようとする動きです。その動きは、どんな状態の方でも必ずあると断言できることなんです。
 そこに気づいてサポートしてあげようという意図を持った時に、それに体が応えてくれるという感じです。「こっちに来い」という働きかけには応えてくれないですね。
(つづく)


18:00:00 | milkyshadows | |
Comments

ホッチキス wrote:

科学とは文学のひとつ。
そう考えると「気づき」というものの可能性を大きくとられることができました。
ホッチキス
11/12/07 03:23:04

milkyshadows wrote:

> 科学とは文学のひとつ。

おっしゃる通りですね!
私たちは、科学という文法でこの宇宙を記述しようとしているのかも知れません。
とすると、
この時代の閉塞感というのは、
「気づき」に文法が追いついていないことの苛立ちなのかも知れませんね。
11/13/07 00:23:33
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