Complete text -- "『闇と光』のガイドブック"

13 January

『闇と光』のガイドブック

artist file "tanebito" #12 [2/4] 
MAX さん(ナチュラルヒーラー)

むしろ、僕が与えるとすれば「闇」です。
そうすれば逆に「光」に気づく。


 こうしてヒーラーとしてやっていると、よく「自分もヒーラーです」と言う人と会うんです。そして大概そういう方は「一人でも多くの人に光を与えたいんです」と言うんです。そんなもの(光)は、僕が与えるものじゃないんです。そうしようとすることは、良くも悪くも自己顕示欲です。
 「光を与える」ということは、悩ませてしまうようなものです。白夜のように、ずっと光があったら脳が悩み始めて鬱病になる。むしろ、僕が与えるとすれば「闇」です。そうすれば逆に「光」に気づく。その人が「感じる」ことに気づかなくなってしまっているのですから、それだけ教えてあげれば良いんです。余計なおせっかいをする必要はない。太陽が光ってしまったら星が見えない。
 昼間の地球で星が見えないのは、大気があるからなんです。大気中の水蒸気に光が反射するから、青空になって星が見えない。だから、僕がしていることは、その水蒸気を取り除くようなことかも知れません。月のようにほとんど大気がない状況では、星と太陽が同時に見えるんです。地球は、大気によって守られて暮らしているというシステムですから、そのお陰で生きられる、けれど星が見えない。
 だから、地球の在り方が人間の在り方に現れている。要するに、大気=社会制度によって守られているけれど、それによって本当の関わりに気づかなくなってしまっている、ということです。宗教という枠の中では、居心地は良いけれど、星は見えなくなっている。どんなシステムも、それは素晴らしいものですし、それがなかったら僕たちは生きられない訳ですから否定はしません。けれど、本質は自分と宇宙との関わりですから、目には見えなくともそこに気づいてください、感じてください、ということを僕は言っているんです。

ただ感じる、ただ見る、ただ聞く。
4次元の波には乗れませんから。


 とてもシンプルなことなんです。それを、社会や宗教の都合で複雑なシステムになってしまっている。宗教は、教義が複雑な方が、より多くの信者が集まりやすい。社会も、複雑な方が人がまとまりやすい。それを、人間的な方法で記述しようとすると、微分積分などとなってくる。実際、太陽にとっては、微分積分なんて運行には関係ないのに。(笑)
 物理学では、3次元で解決できないから4次元5次元から数式を持ってきて辻褄を合わせている。それは嘘ではないけれど、僕は興味を持たない。4次元の波には乗れませんから。(笑)
 この地球で、肉体を持って生きることが、すごく気持ち良くて楽しくて、幸福を感じるものなんです。それを感じられない人に、「こうしたら感じられるよ」と教えてあげるには「自然を見て」と言うしかないんです。僕だったら、サーフィンをする。そういう目的を持って海へ行っても良い。でも、ただ感じる、ただ見る、ただ聞く、という根幹を忘れないことは大切です。

「自分」が無い人は、答えを外に求めてしまう。
でもそれは本当の「自分」ではないんです。


 自然科学はニュートン力学で月まで行って原爆まで作って、それで良かったけれど(良くはないですが)、哲学は迷走してしまった。分からないことを分かった気になって、幻想を見るようになってしまった。そして心理学ができて、「心」などという実体のないものを研究し始めた。
 それでニューエイジ・ブームやトランスパーソナル心理学が興って、そういう人たちが例えばネイティブ・インディアンの知識を題材に取り上げて結託していった。けれど、良心を持った本当のネイティブ・インディアンの人たちは、そんなことはやらない。「自分の感じているだけのことだから他人に伝えることではない」と言う。ハワイのカフナの人たちも、そうです。
 無闇やたらに人と関わろうとする人は、霊的に言えば憑依された自己顕示なんです。「自分」が無い人は、答えを外に求めてしまう。だから放浪の旅をしたり、占いを聞いたり、儀式に参加したりする。そしてそこで「自分」を見つけた気になってしまう。でもそれは本当の「自分」ではないんです。聞き慣れない言葉や珍しい状況だと変性意識に入りやすい訳なんです。そして、どんどん「自分」から離れて行ってしまう。

___そのような「自分探し」は、そこここで演出されています。

 一つは、商売だから。一つは、自己顕示欲だから。一つは、虚栄心だから。つまり、心が満たされないんです。
 体は満たされるんです。食欲も性欲も睡眠欲も、満たすことが出来るんです。それは良いんです。ところが、食欲は卑しいもの、性欲は淫らのもの、睡眠欲は怠け者として、それらを見下げてしまった。とんでもないことです。生きるうえで素晴らしいことなのに。
 さらに、死は穢れとして、ウンコは汚物としてしまった。僕らの食べ物はウンコなんですよ。金の肥と言われてたんです。それが感じられなくなってしまった。

「幻想」は良いんです。
ただし、それを他人に乗り移させるな、ということなんです。


 僕は、子どもの頃から星ばっかり見ていました。それから石が大好きで、気になる石を拾ってきては石としゃべっていた。(笑)いっぱいある石から、どうしてこの石を選んだんだろうって、子どもながらに考えて、そして石を見て「この石も宇宙から来たんだな」っていつも思っていた。この石は、宇宙が始まったときから、形や大きさが変わってもずぅっとあったんだな、って。でも、その行く末は分からないな、って。石を見てそう感じて考えて、言葉にはならないけれど自分もそうなんだって悟った。4〜5歳の頃です。
 小学校に入ってすぐ東京に転校して、一人っ子だし、さらに一人になる感じがあって、意識的には郷里(長州)への誇りのようなものがあった。要するに、吉田松陰や高杉晋作とか明治維新の志士たちが僕の味方で、アイデンティティだった。で、それは僕の「幻想」な訳です。
 「幻想」は良いんです。「僕、宇宙飛行士になるんだ」と夢を持つこと。それによって人は生きられる。個人の幻想は良いんです。ただし、それを他人に乗り移させるな、ということなんです。「死後の世界はこうだ」と本を書くのは良いけれど、それを他人に押し付けるな、ということです。自分がしっかりしている人は大丈夫だけれど、「自分」が無い人は同化してしまうんです。飲み込まれてすがって行ってしまう。

___すがることを求める人たちがいるのだと感じます。

 いると思います。過去の宗教がそうですから。それを僕は否定しません。
 でも、僕は違うと思うから、僕は僕でこういう話をする。その中で感じてくれる人がいたら、それが僕の喜びだったりする。自分がどう思おうが、太陽は輝いている。「ありがとう」と感謝しようが、「暑いな、この野郎!」と言おうが、太陽の輝きが一割増しになる訳でもないし、温度を下げてくれる訳でもない。
 それが「あいする」ということの本当の意味だと思います。認めるとか、許すとか、それは余計なお世話なんです。「あいする」は、ただ「合った」だけのことなんです。「愛する」は「合いする」なんです。ただ合っちゃっただけのことなんですから、何をどうしてやろうということではないんです。
(つづく)



【序章】

 「あいするあなたに、いまつたえたいこと」

 これはガイドブックである。見知らぬ国へ旅する時、多くの人はその国のガイドブックを購入し、予め下調べをする。片言の言葉をにわかに覚えたり、その国の習慣、挨拶、ビザが必要ならその取得方法と手続き、交通手段などなど。その上で、見所や観光地、お土産になる現地の特産品、旅をする時期の気候などを調べる。またその土地の治安など、旅の安全を確保する術を調べる。
 観光旅行というのは、その字の如く、光を観る旅に行くことだ。見知らぬ国に行く。見知らぬことが闇である。闇を恐れていては旅立てない。闇を恐れないためにガイドブックを手にし、勇気を持って旅を楽しむ。そしてその初めて見る光景や味や、そして見知らぬ人に出会い感動する。そうして、闇こそ光であることを知る。

 「人生は旅である。」

 しかしこれはあくまでガイドブックに過ぎない。マニュアルではない。実際に旅をするのはあなた自身である。あなたの足で歩き、あなたの目で見て、あなたの耳で聞き、あなたの口で話したり食べたり、手にとってみるのは、あなた自身である。
 だからこのガイドブックの読み方も、あなたの自由である。気になる章から読んでいただいて何も問題無い。逆読みも由。飛ばし読みも由。気になるとき、気になる所だけ読んでいただいて結構である。ただ一つ著者からのお願いとして、あなたの「今の旅」が終わる前には、全部読んでいただきたい。それがもし理解されなくとも、難解に感じても、読んでさえいただければ、きっと「旅」の案内として役に立つだろう。だからあなたの「旅」のお供に、気長に気ままに読んで戴けたら幸いである。

   〜 『闇と光』のガイドブック(MAX前森/著)より
18:00:00 | milkyshadows | |
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