Complete text -- "自然から得た恵みを還元する"

27 January

自然から得た恵みを還元する

artist file "tanebito" #12 [4/4] 
MAX さん(ナチュラルヒーラー)

「催眠」にしても「心理学」にしても、
それは学問であって、実験なんですよ。
それが外へ出て行ってしまうから核兵器が出来てしまう。


___「変性意識」と「催眠」ということをおっしゃいましたが、今の社会では、その「変性意識」へと、何らかの意図を持って「催眠」で誘導するようなことが行われているように感じます。

 あまりにも安易ですよね。
 「催眠」にしても「心理学」にしても、大学の中で研究されることは素晴らしいことで、自然界に在るものを純粋に知ろうとすることですから問題ないんです。ただ、それは学問であって、実験なんですよ。だから外へ出て行くというのは、人体実験をしてしまっているようなものなんです。そこから外へ出て行ってはいけないんです。まだ完成されていないものなんですよ。分からないものなんですよ。
 ところが、それが外へ出て行ってしまうから核兵器が出来てしまう。哲学も、外へ出て人と関わろうとすると「宗教」になってしまう。心理学も外へ出てしまうと「催眠療法」になってしまう。まぁ、その人が幸せになるというよりは、迷走してしまう方向へ行っているという感じですよね。
 「どうして特殊なことをしようとするの?」ということです。「宇宙」で在って、星が在って、という単純なことが、それが素晴らしいのに、それでは満足出来なくなってしまった。
 何かしらの理由があるかもしれない。だけど、少なくとも今の僕に言えるのは、何をしてもいいから、「とにかく、空を見て、雲を見て、星を見て、月を見て、自然を感じて」ということです。

___MAXさんは子どもの頃、石を見ていろいろなことを感じていたというお話をされていました。それは、何十億年という長いスパンの歴史を、石から感じたのだと思います。一方で多くの人は、自分のライフタイムという短いスパンでの結論を求めているということではないでしょうか?

 社会で「死」を設定したということも、それは良いんです。それがどうして間違ってしまったかと言えば、「人は死なない、人間は死ぬ」ということが感じられなくなってしまったということなんです。
 「死」は、人を怖がらせる為のものじゃなくて、安心させる為のものだったんです。普段の生活でも「寝て起きる」ということがあります。実際、それすら出来なくなって不眠症が多い。眠れない。眠れないから起きれない。疲れてしまう。不感症になったから、そういう障害が起きてしまう。脳が暴走して「悩」んだから、自然のサイクルから離れてしまったんです。
 僕は今回『闇と光のガイドブック』という本を書きましたけれど、その中の詩を読まさせていただきます。
 
  「死」は神からの贈りもの
  生き抜いた人へのご褒美
  それは、大きな二重(ふたえ)の虹
  あなたの自由な魂は
  その虹を飛び越える。
  やがて始まる、新しい旅へ
 
 これはあくまでも詩ですから、自然界にある分からないものを敢えて言葉に表現しているもので、「こうだ!」と言っているのではないですから、「神がいて、、」というように誤解されて欲しくないのですが、要するに僕は「死」は贈りものだと思うんです。「一区切り」なんです。だから、「死」は怖いものじゃないんです。逆に、ホッとするものなんです。
 例えば、この番組がいつか終わるとします。でも、放送は終わるけれど、放送番組というものは実体がないんです。やっているもと佳さんに実体があるし、聴いている人に実体があるんです。放送は終わっても、その実体は終わらないんです。そんな感じですね。ずぅっと続けるとなると、人はヘコタレちゃうんです。動物は、そんなこと意識もしないから結構平気なんです。

一つのものがすべてに良いということはないんです。
もちろん何をやっても良いけれど、
まず「感じる」ということをやって欲しい。


___ヨガについて、否定的なことをおっしゃっていました。
 
 否定はしていないんです。自分が出来ている人がヨガをやるのは良いんです。でも、感覚が麻痺しちゃって、自分が「感じる」ということが抜け落ちている人がやるものじゃない、ということです。
 何をやっちゃいけないということはないんです。まず「感じる」ということをやって欲しいということです。

___私もヨガをやりますが、わたしにとっては、体の感覚を通しての「気づき」というプロセスなのですが。

 それは「感じる」ということを、ヨガをしなくては感じられない特殊なものとして殊更に捉えているんです。
 ヨガはあくまでもバラモン教・チベット密教の頃の修行法ですから、それとは違います。そこでまず体を鍛えていって、その長時間の特別なポーズをすることで、脳を変性意識に導いて行って、変性意識の中で幻想を見ようという試みなんです。つまり「幻想」を見る為のものなんです。でも、幻想も良いんですよ。人は幻想で生きていて良いんです。子どもが「ボク宇宙飛行士になるんだ」という夢も幻想なんです。それで人間は生きられるんです。
 でも、その頃は今みたいにビルがたくさん建っていた訳でもないし、チベットの山奥ですよ!空や星が見えて、その上でやるのなら良いんですよ。ビルが林立して常に人工的なものに囲まれている人がヨガをするのと、チベットの山奥でほとんど人と関われない状況の中でヨガをするのとでは違うんです。そこをカン違いしている。
 一つのものがすべてに良いということはないんです。もちろん何をやっても良いけれど、まず自分が「感じる」、そこがしっかり出来ている人なら、何をやっても良いということです。
 
ただ元へ戻るだけ。ただ在ることを感じるだけ。
それほど素晴らしい即効性は無いんですよ。
要するに、自然からの恵みです。


___時間の永遠性と有限性からくるジレンマなのかも知れませんが、不完全な学問が外へ出てしまうことしかり、どうしても人は即効性を求めがちに思います。即効性のあることとしては、どんなことをお考えでしょうか?

 だから私が一番言っていることじゃないですか。「空を見て」って。一番早いでしょ?
 例えばね、ヨガの教室に通うのには、場所を調べたり、授業料を用意する為に仕事をする訳です。そうすると、ヨガを始める為にはどのくらい時間がかかります?

___諸々のことを考えると、かなりの時間が必要です。

 でしょ?
 僕が言っているのは、「空を見て、星を見て」です。時間を計ってください。今、僕は立って、窓を開けます、網戸を開けます。もう終わりました。これ以上の即効性があります?(笑)これだけなんですよ。
 あそこにカラスが飛んでます。雲があります。紅葉がキレイです。音も聞こえます。もうそれで、僕の体には変化が起きているんですよ。勝手に変化が起きるんです。僕たちが意識しなくても、心臓は動いてる、髪の毛は伸びている、細胞は動いている。それ以上の、それほど素晴らしい即効性は無いんですよ。人が作れないんです。いくら人間の技術が進歩して、コンピュータやTVが出来たところで、人間はハエ一匹作れないんです。月まで飛んだって、石一つ作れないんです。作れないんですよ、人間は。

 大学へ行って勉強することも良いでしょう。それが人の営みだったり、生きることだったり、楽しみです。僕もサーフィンをします。サーフィンをする為には板が必要です。その板を買う為にはお金が必要。だから仕事をして、板を買って、ガソリン代を使ってそこまで行って、そしてサーフィンをする。何も否定することはない。僕も僕で、そうして楽しんでいます。
 今はこうして閉じこもった部屋にいるけれど、本当に空を見ることはタダなんですよ。サーフィンの場合はそのこと自体が、空を見て、雲を見て、風を感じて、波を感じて、海を感じて、砂利を感じて、自分の体も自然と一体となるから僕は大好きなんです。
 僕たちはこの宇宙に生きていて、宇宙にはもの凄くたくさんの星がある訳です。あるということは、見えなくてもそこからエネルギーが届いているんです。電波望遠鏡があれば、それが観測出来て、波形も出るんです。それを、僕らの体は感じているんです。勝手に感じて、勝手に反応している訳なんです。それを、脳で意識することで、そういうものから離れていると思い込んでしまっている。本当は離れてないんです。ただ元へ戻るだけ。ただ在ることを感じるだけ。とても簡単なことなんです。
 僕も、マウナケアに行き、海に行き、感じていくことによって、自分の中にあったものと、変化して感じてくるものとがあったから、凄くそれが分かるんです。「これは凄い!」と経験したんです。要するに、自然からの恵みを得たんです。
 
自発的な感謝、自発的な思いやり。
それは源泉のようなものですから尽きることがないんです。
バイブルも要らない。自分の中にすべてがあるんです。


 ハワイにホクレア号という舟の船長でナイノア・トンプソンという方がいらっしゃるんですが、彼が星だけを頼りに(自然/宇宙を頼りにするということは、全体をフル活用するということなのですが)航海をする時に、「何故それをするのか?」と聞かれて「自然からいただいた恵みは、還元しなければいけない」と答えたんです。僕は「あぁ、そうだよな、当たり前だな」と思ったんです。それをしたかったんだな、と。
 「そうしなきゃ」と言うのではなくて、ただ自然にそうしたくなるんです。こうして日本に来ることも、自分がハワイで得た、感じたものがある訳なんです。そうすると、自発的な行為としてそうしたくなる、こうして話したくなる。自然から恵みを得た者は、循環してしまう。
 だから、自発的な感謝、自発的な思いやり、それが社会としての法律や道徳ではなくて、人の中から自発的に出てくることが大切なんです。そうしたらそれは源泉のようなものですから尽きることがないんです。バイブルも要らない。自分の中にすべてがあるんです。そしてそれは、人それぞれバラバラで良いんです。

 だから、私が書いた「『闇と光』のガイドブック」という本は、「闇」というのは「死」という意味もあるでしょうし、人が「闇」と感じてしまって怖れているようなことの問題点を書いているようなものなのですが、あくまで「ガイドブック」なんです。僕はこれでも余計なおせっかいをしていると思った。(笑)
 ガイドブックすら自分で書けばいいと思ったのですが、今の人たちにはあっても良いかなというように感じたし、私のやっている行動の正当化ではないですが、「自然から得た恵みを還元する」というナイノア・トンプソンさんの言葉が背中を押してくれたかなと思いますね。


18:00:00 | milkyshadows | |
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