Complete text -- "ドキュメンタリーの力"

24 February

ドキュメンタリーの力

artist file "tanebito" #13 [4/4] 
鎌仲 ひとみ さん(映像作家 / 最近作『六ヶ所村ラプソディー』

単純な「記録の羅列」ではなくて、
作家が介在して、物語を伴った「ドキュメンタリー」になるということです。


___「ドキュメント」と「ドキュメンタリー」は違う、というお話をされていました。

 映像の作り方としては、「いろいろな人の意見をその人たちが語る」という語り方で、私が押しつけないというような作り方をしています。その作り方自体が作家としての私の意図だし、マスメディアが取り扱わないような現場にわざわざ行って映画化するということ自体も私の意志であり、作家としての意図なんです。そういうものがあって初めて、単純な「記録の羅列/ドキュメント」ではなくて、物語を伴った「ドキュメンタリー」になるということです。
 ただ自動的に、そこにある物や人に出逢って撮っていけばドキュメンタリー作品が出来るのかと言ったら、そうではない。作家が介在して、作家が「こうしよう」「こういうものを作ろう」と、大きなコンセプトや伝えたいものが無ければ、「ドキュメント」は「ドキュメンタリー」にステップアップしないと思っています。

___取材対象の方には、問題に対して賛成派/反対派の方々がいらっしゃいます。

 賛成/反対という二元論ではなくて、それを超越して撮っていかないと今までと全然変わらない訳ですよ。両者を別々に撮って行って、それを一つの作品の中に入れるというだけでも新しいのですが、こちらの価値観を両者の対立だけに執着させているだけでは次に行けないんです。それを超えるような視点を持たなくてはいけない訳なんです。
 「賛成派/反対派」と言うのではなくて、岡山さん、小笠原さん、上野さんという「個人」として私は撮っているんです。「賛成派」と言ってもグラデーションがあるんですよ。そのグラデーションをマスメディアは無視して、ステレオタイプに「賛成派/反対派」としている訳です。そうではなくて、そこにいる「個人」の、本当に具体的でリアルな存在に出会って、それを見せて行くという考え方です。
 たしかに「賛成派/反対派」というのはありますが、一人一人が抱えている生活や、人生の事情というのは違いますからね。それを無視しないようにしているんです。それが、その人たちに対する尊重というか尊厳ですよね。

___そのような超越した視点を持つためには、どのような意識を持って判断して行ったら良いでしょう?

 それが「メディアリテラシー」です。自分の意識を開いて、相対化して行くということです。良い悪いではなく、状況を俯瞰して見る。
 世の中には矛盾がある訳ですよね。一つの事に対して、赤だったり白だったり黒だったりと言う。それで、それを互いに言い合って膠着して埒があかない状況というのが、世の中にはいっぱいある。その全体を遠くから見た時に、それを支えている、そういうことに事態を持っていった大きな原動力のようなものが見えてくるんじゃないかなぁ、と思っているんです。
 また一方で、そういう人たちの中に分け入っていくことで、マクロ的な視点とミクロ的な視点を同時に持ち続けて行く、ということです。

___先入観を捨てる、ということでしょうか?

 もちろんそうなのですが、先入観を捨てただけではそうはならないと思います。自分の中にモニターがいくつもある、ということですね。

___多角的、多面的に、、?

 それを統合して行く何か、というものが必要ですけどね。
 私がマクロ的視点とミクロ的視点を行ったり来たりする中で見えてくる、それは、私個人がそう動くことで見えてくる「世界観」ですよね。その世界観というのは、実際に現場に行って、具体的に人にぶつかって行って、現在進行形で起きている問題に自分がまみれて行かないと見えてこないものだろうし、巻き込まれないと見えないものだろうと思います。
 そういう体験を、自分を通過させて出して行くということなんです。それが映像になって出てくる訳です。

___一旦自分を通過させるということによって、作者の世界観が投影されて行く。

 だから「ドキュメンタリー」なんです。作家がいて初めて成立する「物語の物語られ方」ですよね。「物語を物語る作法」というか。。

美学? 無いんですよ。(笑)
一番大事なのは美学ではなくて、
自分が取材をさせて頂く人たちに対する「尊重」や「尊敬」なんです。


___鎌仲さんをご紹介するにあたって、肩書きは何と、、?

 肩書きは一応「映像作家」ということにしています。

___「作家」ということは、「作品」を作ってらっしゃるということになります。

 そうですね。私は「ドキュメンタリー」は「作品」だと思っています。

___作品としての「美学」などはございますか?

 美学? 無いんですよ。(笑)
 無い。無いなぁ。。

___とは言え『六ヶ所村ラプソディー』『ヒバクシャ』を観ていると、夕陽の空やお花畑の風景など、美しい映像が時折挿入されています。

 美しさねぇ、、
 何かありきたりの美しさに対して抵抗があるんですよね。「ステレオタイプは嫌だな」って、美学になるのかなぁ、、? 誰でも美しいと思うようなものを撮っちゃうと、恥ずかしい。(笑)
 新たに、それまで美しいと思ったこともないようなものに対して「あ、すごくキレイだった」って言ってもらう方が良いなぁ。。それまで偏見を持って「嫌い」と思っていたものの中に、「素敵」とか「愛すべき」とか「こんな惹かれるものが在ったんだぁ!」っていうような、観る人の中の思い込みが壊れると言うか、打ち破ると言うか、或いは不要になってしまうと言うような、そんな化学反応を起こさせるような映像が良いなぁ。。と思っています。(笑)
 その化学反応というのは、その人その人によって感じ方や反応の起こし方が違うんです。それを、必ずこういうふうに、とはしたくない。観た側の方から引き出されてくると言うか、それまで自分の中にあったのに気づかなかったものが出てくると言うか、そういう欲望のようなものは確かにあります。
 けれど、ドキュメンタリーで一番大切なのは美学ではないと思っています。一番大事なのは美学ではなくて、自分が取材をさせて頂く人たちに対する「尊重」や「尊敬」なんです。その人たちを格好良く撮るために本来ではない形にしたりだとか、映像の為にその人たちの在り方を曲げて見せるとか、それは美しくないと私は思っています。

___それは「リアリティ」や「ライブ感」ということでしょうか?

 リアリティ、、、単純にリアリティということだけではダメですね。リアリティは「必要条件」ですが、それだけではダメですね、きっと。

___物事をありのままに捉えるということは、量子論的矛盾を抱えた難題でもあります。観測するという事自体が、対象物を操作してしまう。そんな葛藤をお感じにはなりませんか?

 それは、そのままを映るようにしています。その人たちに出会うというということが、例えば私がそこに空気のようにいるのではなく、常に私が「うんうん」とか「はい、はい」とか言いながら、いつも映像の中に私のプレゼンス/存在感というようなものが出ている。そうしながら、マズイことを言ったりNGな雰囲気になったとしても、それをそのまま見せている。
 だから、そこに機材を置くことをお互いに了承して初めて関係が出来て映像化される訳だから、カメラがあるから映るという事実を下手に隠さない方が良いと思ってやっています。隠し撮りじゃないんだから、そのことを抜きには語れませんから。隠し撮りは「ドキュメンタリー」ではないです。

___それにしても、取材された方々は皆さん見事にお話をされてますね。

 いやぁ、何時間も撮った中でちょっと喋ったところを編集しているんです。そこは実体とは違う。(笑)

___イラクの子ども達の笑顔も、とても素敵です。

 『ヒバクシャ』の映像ですね。それは何回も何回も通って慣れてもらって、こちらのことも知ってもらって安心してもらわないといけないですからね。お互いに名前も知って、普通に出会って、人と人としての関係性がないとカメラを回せないですよね。

___新しい企画などはお考えですか?

 今『六ヶ所村通信 no.4』を作っています。普通、映画監督さんは完成して本当にキレイになったものしか見せない。NGは全部抜いて途中なんて絶対に見せない。でも、途中から見せて行こうということで、ビデオレターを作って出しているんです。「その後の六ヶ所」ということで、映画を作っても長くなるので、その第4弾になります。2月末には完成させる予定です。

___「核問題」の他には、注目なさっているテーマがありますか?

 もともと「核」に興味があった訳ではないので、『ヒバクシャ』を撮る前に撮ろうと思っていたテーマがいくつかあります。医療や、食べ物のことですね。

___「医療」というと、どのような観点のテーマなのですか?

 人間が「死ぬ」ことを、今の西洋医療は「敗北」だと捉えているんですよね。でも、人間ってみんな死ぬじゃないですか。それなのに、例えば癌で死んだということを医療の敗北だ、負けちゃった、残念だ、と勝手に言っている。「でも人間の死って敗北なのかなぁ?」って。
 そういうふうに医療が人間の命を捉えていることに違和感をずっと感じていて、だから、人間が生きて死ぬということを全部ひっくるめて捉える医療の考え方を提示できたら良いなと思っています。

___取材は進んでらっしゃるのですか?

 いいえ。今は『六ヶ所』にどっぷりですね。(笑)



[鎌仲 ひとみ さん / プロフィール]

大学卒業と同時にフリーの助監督としてドキュメンタリーの現場へ。
初めての自主制作をバリ島を舞台に制作。その後カナダ国立映画製作所へ文化庁の助成をうけて滞在する。カナダの作家と共同制作。NYではメディア・アクティビスト集団ペーパータイガーに参加。95年に帰国してからNHKで医療、経済、環境をテーマに番組を多数制作。98年、イラク取材をきっかけに「ヒバクシャー世界の終わりに」を作る。現在は東京工科大学メディア学部助教授に就きながらその後も映像作家として活動を続けている。
[代表作品]
『ヒバクシャ――世界の終わりに』(2003/グループ現代)『エンデの遺言――根源からお金を問う』(1999/NHK)『メディアリテラシーの現在と未来』(世界思想社)『ドキュメンタリーの力』(子どもの未来社) 他
 
18:00:00 | milkyshadows | |
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