Complete text -- "絵のある生活"

06 April

絵のある生活

artist file "tanebito" #15 [1/3] 
須藤 一郎 さん(美術館館長 / すどう美術館

「上手い絵」と「良い絵」というのは違うんです。


___2004年10月に、向田小学校(南足柄市)で「出張美術館」をなさったそうです。

 たまたま話がありまして、子どもさんに見て欲しい、知って欲しいという気持ちは持っていたものですから、収蔵している作品を60点ほど持って行って展示をし、子どもたちに見せ、授業もしたんです。小さいうちから実物を見るということは、大きくなっても絶対に残って行くんです。
 子どもというのは純粋ですから、抽象的な作品であっても、ちゃんと自分の感覚で見分けるんです。好きか嫌いか。「好きな絵の所に行きなさい」というと、みんな飛んで行く。
 後で先生に講演もしたのですが、大人は絵を知識で見ようとするので、抽象的な作品はわからないと言う人が多いんです。
 今の美術教育のことはよくわかりませんが、私たちが小さい頃に描いた絵というは、空はみんな青ですし、林檎は赤ですし、家は真直ぐに建っている、そんな風に教えられました。ですけど、絵というのは、見る人が描くものなんです。
 ある講演会で、「どうして風景を絵に描くのでしょう? 写真に撮った方がずっと素敵なのに」と質問を受けたことがあります。写真が良い悪いではなくて、機械が撮るのか、人間が描くのか、ということが大きな違いなんです。私たちには空が青に見えていても、絵を描く人には青く見えていないかも知れません。林檎だって赤ではないかも知れないし、家だって歪んで見えているかも知れない。だから、その人が感じているもの、持っているもの、受けているもの、それを表現するのが「絵」なんです。そこが写真とは違うんです。
 子どもたちの描く絵は気持ちのままに表現していて皆素晴らしい。ですから私は、先生に「子どもの絵はみな褒めてあげて下さい」と言ったんです。本来は、そういう意味で、絵について点などつけないで欲しいと思っています。そんな風に良い絵を描いている子どもたちに、大人がいろいろ言って駄目にしてしまっている。
 子どももだんだん知識を持ってくるということもありますが…。 その時にも、子どもからも「どうしたら絵が上手くなりますか?」と質問を受けましたが、上手く描かなくて良いんです!上手く描こうとすることが大事なのではなくて、自分が何を描きたいのか。それを素直に表現することが、一番大事なんですと言いました。

「絵」とは何か?


 だいたい、「絵とは何か?」という問題があります。「絵」というのは、額の中に閉じ込めて描くものだと皆さん思っていますが、絵についての定義は無いんです。ですから、そういう概念をどれだけ取り払って自由に表現できるか、ということが大事だと思っています。
 関連して 「良い絵」というものも、基準があるわけではないので、自分が「良い」と思えばそれで良いのかもしれません。
 でも、私にとって良い絵とはどういう絵かと聞かれれば、その絵を傍に掛けて一生一緒に暮らせるかどうかだと答えます。だから、形でも色でも上手さでもなくて、その絵を描いた人の人間性、生き方、絵を描く姿勢、そういうものが画面を通じてどれだけ伝わってくるかが大事です。そういうように選んで行かないと、飽きてしまう。
 
 作品の制作のことですが、みんな、自分(作家)が居て、作品を作ると思っている。だからつい、褒められる絵を描きたい、売れる絵を描きたい、となる。私は「自分自身が作品だと考えなくちゃいけない」と、一生懸命言っているんです。展覧会の人のために作品を作るのではなくて、自分が作品なんだから、自分をどれだけ高めて行くか、幅の広い人間になって行くか、それが大切なんです。そして作品である自分をそのままアウトプットして出来たものを展覧会に出す。そういう風に考えなくちゃいけない。
 だから、若い作家さんたちにも、早く帰って絵を描きたいからとアルバイトの手を抜くということではなくて、例えばレストランだったら、お客さんと会話をしたり、喜んでもらったりというように、自分の為に働くのだと考えなければいけないと言うんです。そうすれば、それが血や肉になって自分を大きくして行くわけです。また、真面目にやれば良いということだけではなくて、遊びということも必要です。とにかく、豊かな人間になっていくことがいい絵につながっていくんだということです。

絵は、多くの人に見てもらって初めてその役割を果たすんです。


 もっと日本の社会で、どこの家でも絵がある生活をして欲しい。それの為の活動だと思っている訳なんです。絵がなくても生きて行けちゃうと思っている人が多いんですけど、人間の精神的な面で絵はなくてはならないもの私は思っています。絵は心の糧なんです。たとえば、一旦絵を掛けて外すと、初めて「絵があるということはこんなに豊かななんだな」と分かると思います。高い絵が良いというのではなくて、自分が見て気に入った絵を掛ける。
 ただ現代に生きているのですから、現代の生活空間に合う「現代美術」の作品を薦めたいと思っています。私の現代美術の定義は、現代の生活空間に合う絵ということであって、抽象的な絵に限らず具象的な絵でも現代美術と言い得る作品はあると考えています。
 もっとも、現代美術の作品であっても、それが刹那的なものではなくて、次の世代に残っていくような良い絵を選んで欲しいと思っています。

 スペインなどでは、画廊へ行くと鍵が締めてあるんです。ベルを鳴らして、開けてもらって入るんですね。日本だったら、鍵なんか締めていたら帰っちゃいます。
 どこが違うかと言うと、画廊には絵を買いに行くんです。家具屋へ家具を買いに行くのと同じです。家具屋には何か必要なものがあって行くのですから、考えていた物があれば買って行く訳です。それと同じように、こんな絵を掛けたいと思って画廊へ行くんです。だから、買う。
 日本の場合ですと、誰々が展覧会をやりますと言うと、皆さん絵を見るというよりもほとんど義理で行くんです。花を持って行ったり、金一封包んでお祝いしたり、行ってあげれば済んでしまう。だけど何が大事かと言えば、その作家さんの絵を、小さいものでも気に入ったら買ってあげることなんです。それが作家さんにとってどのくらい励みになるか知れないし、買った人は家の中に掛けて楽しめる。日本にはまだそういう習慣が少ないですね。
 画廊には作家がいなくても良いし、買う人も作家が有名かどうかなど気にしません。そうして、近所の人や友達に「こういう絵を買った」と言って見せたりするんです。日本でも、もっと買った絵を見てもらうような流通が出来てくるとおもしろいと思いますねぇ。

___一人で見るのではなくて、みんなで鑑賞する。

 私が自宅を開放して美術館を始めたのは、2つ意味がありました。
 ひとつは、絵から受ける感動を皆さんに伝えたいということ。自分が絵を買って家へ持って帰って掛けた時、何とも言えない感動がありました。その後もたくさん絵を買いましたが、その都度感動があった訳です。
 もうひとつは、絵は多くの人に見てもらって初めてその役割を果たすということです。だから、どれだけたくさんの人に見てもらえるかということが大事なんです。
 よく、作家さんがキャリアの中で「どこそこの美術館に収蔵されました」などと書いたりしています。美術館に収蔵されることは名誉でしょうし、保管がちゃんとされるということでは良いなのですが、美術館では、持っている絵を展示する機会というのはほとんど無いんです。私は「美術の墓場」と言っているんです。
 だから、個人の人が絵を買ってくれて家の人やお客さんが見てくれる方が、一番の原点なんだと思うんです。
(つづく)


[須藤 一郎 さん / プロフィール]

(1936年) 東京生まれ。
(1960年) 東京大学法学部卒。第一生命保険相互会社。
(1990年) 自宅を「すどう美術館」として開放。収集作品を一般に公開。
(1991年) 第一生命投資顧問株式会社常任監査役。
(1995〜96年) 国士舘大学政経学部非常勤講師
(1998年) 退職。すどうあーと企画株式会社設立。銀座に「すどう美術館」開設。同館館長。
 博物館学芸員。


[著書]

世界一小さい美術館ものがたり』(三好企画)
 
18:00:00 | milkyshadows | |
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