Complete text -- "ものづくりの骨格"

14 September

ものづくりの骨格

artist file "tanebito" [Archives #8] 
安藤 和夫 さん(創作家具 /安藤工房


___安藤さんは、伝統的な技法で家具を作ってらっしゃいます。

 「伝統」を学びたい、ということがスタートにはあります。でも、それは目的ではなくて、自分が届きたいことの道すがらに「伝統」というものがあって、それを避けて行く訳にはいかないので勉強している、ということです。
 造形を欲するというのは、大げさに言えば、一人の人生の中で人類史を再現するようなことだと思うんです。「ものづくり」という仕事はそれをやらなきゃいけないと思っています。
 こういう仕事をしていると、よくオタクだと思われるんですが、オタクには家具は作れない。「ものづくり」には、オタクくらいの熱量の高さは必要だけど、クールに全体を見渡せる力がないと、特に家具は作れない。何故かと言うと、人が使うものだから。
 そういう、家具という仕掛けが面白くて家具屋になったんです。その中に芸術的な要素があるとしても、そんなものは客の側が求めていなかったりもする訳です。(笑)だから僕は、自分らしさというものを削いでいく仕事をずっとやってきた。独立してから22年、ずっと引き算の旅をしてきました。

___「引き算の旅」?

 辛いけど必要なことだったので、行かざるを得なかった。逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。
 見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。「個性」とは、デコレーションを付けるように作り出すものではなくて、削いで行って削いで行って、それでも滲み出てしまうもの、隠れようがなかったものがあるとしたら、それが「個性」なのだという捉え方なんです。
 「もの」を作るということは、そのことによって生活に大きな影響を与える。極端に言うと、生活を規定してしまう。
 資本主義の社会では、「もの」をどんどん新しく作ることで欲望を喚起して、欲望までも作り出して経済をまわして行く。「引き算」は絶対にしない。それが今の時代です。「引き算」であるはずの「エコ」ですら、「エコ」という着物を着せることで売れるから「足し算」に使われている。
 こんな時代に、もの作りで思想的に提案するとしたら、作ることを止めてしまうしか無い。そうもいかないので、パラドックスですが、「もの」を作ることによって「もの」を否定して行くことを考えています。
 いつの時代もそうですが、僕は根源的な所へ戻って仕事をしたいと思う立場なので、骨格がきちんと在った上での装飾が美しいと思っています。でも、怪しいものも大好きですが。(笑)


___家具の製作は、クライアントさんの依頼を受けてなさっているのですね。

 今、僕はふたつの役割を演じています。
 ひとつは「注文家具屋」という側面。 それは、例えばお客さんの「こんな機能が欲しい」とか「こんな棚が欲しい」というような要望を、プロとして、プロの技術でそれを実現してあげる。
 でも「注文家具屋」ということだけだと、様々な制約から、どうしても欲求不満になってくるんです。その部分を僕からの提案ということにして、「作家」として時間割を作っています。

___クライアントさんとの間には、かなり濃密なコミュニケーションが必要ですね。

 そうです。相当な想像力が必要ですね。
 僕に注文をくださったということは、戦いを挑んできたわけですから。 過酷ですよね。(笑)

___その戦いは、やはりチャレンジングですか?

 それはクライアントに対してのチャレンジではなくて、「時代」に対してのチャレンジですね。
 クライアントと僕とは、共同製作だと思っています。それは、「未来」に対しての共同製作です。「何がこの時代なのか?」と自問自答しながら、「この時代が作った」という骨格のものが作れたら良いと思うんです。
 日本は、「手」の文化だと思います。「器物百年を経て精霊を宿す」という言葉があるように、手で使い込んでいくことによって物を育てる。手で磨き出していく。器物を100年使い込むことで、確実に別のステージのものになっていくんです。だからこそ、作る側は心して作らないといけない。


___そうやって「木」を見ていくと、語りかけてくるような気がします。

 「木」の方が明らかに僕たちより長生きしている訳ですから、樹齢数百年の木を伐るということは大変なことなんです。
 あたりまえのことですが、木は生き物だったということです。地球の一部であった木の、体を使わせてもらっているのだとしたら、その命の長さ、その命の量、それに対して僕はどういう仕事が有効なんだろうかとバランスを考えるようになりました。 少なくとも、感謝と悲しみをもってその「いのち」をいただくことはとても大事だと思うんです。
 そうすると物量としてはなるべく使わない方が良いのですが、 そこは、人間が最低限の量の仕事をすれば良い。量的には最低限、質的には最高の仕事です。ひとつひとつのものを丹誠込めて、未来に対する届け物のようなつもりで作っています。

___素材としての「木」には、安藤さんにとってはどんな魅力がありますか?

 「木」は素材ではなくてパートナーなんです。
 命は有限で、人間だけが死を悲しむ。人間は、そこに明らかに自然とは違う時間軸を見ているんだと思うんです。だから「永遠」という概念が生まれた。それを僕は形にしたい。「祈り」に近くなりますが、木の教えてくれることにどれだけ耳をそばだてられるかということを、自分の仕事にして行きたいと思っています。そうすると、木がなろうとしている形が何となく分かってくる。
 木の家具の注文を下さる方は「木って良いですね」と必ず言う。木を「自然」への入り口として、そこから「自然」を見ているんだと思います。ですから、僕はなるべく素性の分かる「木」を使って、「木」のストーリーを必ず語るようにしています。「木」に触ってもらって、「木」のエネルギーとその方とが何か響き合ったならば、それは素材を超えるんです。
 そこへ僕が技術をもって、「木」を器物に置き換える。それは、器物に置き換えた「いのち」なんです。使う方は、例えばテーブルという機能として使うのでしょうが、それは「いのち」をいただいている訳なんです。生活の中で「自然」を自分の傍に置いて、そこから大きなエネルギーをもらって行くのだと思います。そうして、大きなストーリーの中で、新しい1ページがそこへ加わって行く。その中のどこに自分はいるのか、ということだと思うんです。
 人間の自然観なんて、大したものじゃない。「自然」と言いながら、相当に不自然なことをしているんです。だから僕は、個人の為だけに作るのではなくて、その先にあるものの為に作っているんです。



20:00:00 | milkyshadows | |
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