Complete text -- "「癒し」と「感情」のメカニズム"

29 April

「癒し」と「感情」のメカニズム

artist file "tanebito" #01 [3/4] 
伊東 知子 さん(創作ジュエリー作家 / 風にかえるアトリエ

photo/AKIHIRO FURUTA

「私」の中の答えに「気づく」


___「セッション」というのは、双方向性の共同作業だと思っていますが、その辺はどうお考えですか?

 いわゆるヒーリングワークには、 癒す人がいて癒される人がいるのですが、私は、すべての人の心の中にヒーラーはいると考えています。だから悩みや疑問の答えは、その人の中にあると思っています。
 それは、知らない人へ「私が教えます」って言う先生を見ながら、いつからか「それは違うんじゃないかな?」って思っていったんです。本人が自分の中の答えに気づく、という感覚でセッションやったらどういう事が起きるんだろうと思ってやりたくなって、そしたら「あ、やっぱり先生が答えを言ってくれるんじゃなくて、私の中に答えがあって、それに気づいた!」って自分の感覚に自身を持つセッションになった。

___自分で腑に落ちないと絶対に変わりませんものね。

 そう。何か先生に答えを決めてもらうと、「先生はそう言ったけど本当の私の感覚はちょっと違う」っていう所が出てくるでしょ。それがどんどん大きな違和感になっていく。
 お互いに会話をする中で両者が気づく、というのが「気づき」とか「癒し」だと思ってるから、「私があなたを癒しますっ」ていうセッションは出来ないし、あんまり興味もない。両者がひとつの時間を作り上げる、何かお互いに分かち合う、お互いにメッセージがあるとしたらそれに気づく。そういうセッションをやりたいと思います。
 先生が教えるというのは、一方向性でしょ? 
 もちろん、心のメカニズムだったり感情のシステムについては、多少知識として知ってもらうこともあるんだけれど。

___その辺のスタンスは、問題の捉え方自体に関わりますね。

 いわゆる一般的なカウンセリングの考え方は、やっぱり受ける人とそれを引き出す人とに分かれちゃってるんだけど、でも例えば歯医者さんみたいに、行って座って口開けて「はい治してください」っていうのでは、いわゆるヒーリングの分野では、積極的に自分が「気づく」というのがないと「癒し」は起こらない。
 それぞれの中にいるヒーラーが働いてくれなければ「癒し」は起きないから、それが働くかどうかは本人が鍵を握ってるんですね。

___そうですね。まず痛みがココにあるっていうことを直視する勇気だとか。

 うんうん。
 自分は今こういうテーマについてとても悩んでいて、それについてどう解決したらいいのか、っていう問題意識がない状態では「癒し」は起きてこない。「何でもいいから今私に必要なことを言ってください」みたいに、 本人が受け身だと「癒し」は起きてこない。
 両者がしっかり自分を持って「参加する」っていう意志がないと「セッション」にはならなくて、多分それは音楽でも同じだと思う。音楽の「セッション」って、自由にやってくださいっていう部分は、多分それぞれがすごくオープンな感覚で、しかも受け身では出来ないでしょう?アドリブって。
 ヒーリングの分野でも、あまりに受け身になって何もしないで「治療してください」っていうのは、もう「癒し」からはズレちゃってる。

感情の排泄


___「癒し」ということ自体は、どういう風にお考えですか?

 「癒し」って、多分とても新しい言葉なんだと思う。
 ちょっとぬいぐるみを触って「あぁ癒されたぁ」とか、よくみんな使っているんだけど、私は「お掃除されなかった古い感情が流されて、新しいエネルギーになる」っていうのも「癒し」かな、と思っています。

___お掃除されなかった感情。。

 はい。子供から大人になるプロセスで、怒ったり泣いたり喜んだり、いろいろなことがあるんだけど、その人のパターンによって、ある感情だけがすごく排泄されないでそのまま大人になってしまっている部分というのが誰しもあって。その人の、ある特別な感情だけ溜ってしまうというパターンを、 流して手放すことが「癒し」かなと思う。

___「癒し」が必要だから「癒し」を求めるんだとすると、人はどういう時に「癒し」を欲しいと思うんでしょう?

 ・・・自分で気づくんでしょうね。癒したいとか、変わりたいって本人が思う。「もぅイヤだぁ!」って。
 例えば、どうしても怒れないタイプの人が「怒り」を表現出来ないで、自分の内側に怒りを溜めてしまって、結局自分を責めてしまう時に、ある程度はひきこもりとかをして時間を過ごせるんだけど、ある時「あぁもうこんな自分は違う!」って爆発する。何か思い込みがあるから溜まっているんだから、思い込みを外して、新しく生き始める、生活に向かい始める、自分の人生を積極的に創ることに向かっていくというような、そんな時。
 直面する「勇気」は必要かもしれない。「今変わりたい」って思った時、変わりたければ変わる選択をするのは、本人の作業なんですよね。「私の車をあなたが代わりに運転してくれませんか」っていう心理状態になってる時があって、
それは、運転するのが怖いとか責任を取りたくないとか、いろいろ理由があるのですが、 本人が決めることがいちばんパワーがあると思う。
 変わることのメリットとデメリットを両方感じながら、「明日もその次もそういうことをやりたいか?」って自分に質問をした時に、「あぁもっと他のやり方をしてみたくなる」っていう時があるんだよね。その変わりたくなった時が「癒し」のチャンスなんだと思う。
 本人の中に答えがあるから、自分で答えに気がつく作業を、自分の心と会話すればいいんだけど、そのやり方が判らないから一時的に私が質問をする。その部分では、質問を繰り返していく。
 溜まってしまった感情は、ヘドロのようにドロドロしてるようなイメージがあって、蓋を開けるのはすごいヘビーな作業だとか思い込んでいるようだけど、全然そうじゃなくて、深刻なものでもない。その思い込みをハズしたいですねぇ。 逆に、クソ真面目にやってはいけないものだと思う。笑いがセラピーって、病院でもやってるじゃない? だからもっと、感情の排泄は気持ち良くて楽しくてシンプルなものなんだと思うな。

「怒り」の裏側


 感情には、人間が後づけした、良い感情・悪い感情ってあるかもしれないけど、感情は純粋にただのエネルギーだから、それ自体には良い感情とか悪い感情って、ない。

___ 怒ることにも、もっと慣れた方がいいとおっしゃってましたね。

 そうそう。
 いわゆる「怒り」というものに対して、特に日本人は怒りを露にしてはいけないという社会的ルールがある感じがして、 怒ってても柔和な顔をしてる感じで、「怒り」の取り扱いについてはとても苦手な民族なのかも知れない。 それゆえ、人に言えなかった怒りがエネルギー的にオーラの中に溜まってしまう。アメリカ人は、もっとアグレッシブに自分を表現するから、「癒し」のテーマはまた別な所にあると思う。
 感情っていくつも層があって、 「怒り」の下にはまた別の感情がある。「怒り」の下には「悲しみ」があるって言われてるんです。だから、何かについて凄く悲しくて、もうこれ以上の悲しみを感じたくないから怒るんですね。だから、隠す行為なんですよ、「怒り」って。

___怒ることで、隠してる。。

 悲しみを隠す。
「怒り」を純粋に感じていくと、その前に悲しかった出来事があって、その「悲しみ」の部分が残ってる。だから「怒り」を処理するよりも、その下の「悲しみ」に気づいてそれを排泄させてあげると、結果的に「怒り」もなくなって行く。
 たいていは、怒る事によって悲しみを感じなくて済むようにしちゃうんですね。これ以上悲しみたくないから。
 戦争も、そのバリエーションの違う表現で、これ以上痛い目にあいたくないから、先に怒って攻撃して相手をやっつけちゃえっていう発想なんですね。

___誰かが悪いことにすれば、自分が楽になる。

 はじめはそうなんですね。怒りの矛先は他者にして、自分は良い人になろうとする。けれどやがて「どうして私の人生は嫌なことばかり起きるの!」って、自分の人生に怒るようになる。
 だから「怒り」では解決できないんですね。「怒り」の下にある思い込みとか、「恐怖」があったりとか、状況によってそこを感じていくと、だんだん「怒り」が生まれたプロセスが見えてくる。
 そんな感じで私自身が感情を扱う事にリラックスしていると、 私と話すときに人が感情を表現しやすいみたい。ただ話してたら泣きたくなったとか。「どうぞ、泣いて悲しみを晴らした分お掃除してください!」っていう感じだから、逆に相手が感情を表現しやすいかも知れない。

___発散するからそれが「癒し」になるんですね? 流れて解けるように。

 そうそう。
 普段は言わないようにしていることを言いたくなっちゃうみたいで、聞いてないのに「そういえばさぁ」みたいな感じで話すんですね。私も、話した内容について「じゃあこうすれば」とかっていうのもあんまりなくて、話してお終い。
 フリートークセッションでは、そういう感じでどんどん喋って、吐き出して、エネルギーを燃焼して行く。吐き出したらその分新しいものが自動的に入って来る。呼吸と同じで、吐いたら吸おうと思わなくっても入ってくるから、そこで新しく入れ替わっちゃう。

___生きてるってそういう事なんですね。

 うん。吐いて吸っての繰り返し。
 みんなね、深刻になって、吐く息少ないみたいだね。深刻さっていうのは「癒し」をストップさせるね。

___ しかも傲慢ですよね、深刻さって。

 自分にすべての非があるかのような「罪悪感」なんかも、深刻さが影響してる。
 もっと自然は大きいし。私達はもっと自分の力じゃなくて大きなものに委ねていいし、楽になっていいよね。
(つづく)


[伊東 知子 さん / プロフィール]

神奈川県真鶴町『風にかえるアトリエ』にて、「目には見えないけど つながってる」をテーマにインスピレーション発信中。
作品づくりの傍ら、各地で作品展を開催。創造的インスピレーションを活かして、アートワークセッションやヒーリングセッションも行う。
(1965年) 信州・北アルプスの麓で生まれ育つ
(1986年) アマチュア劇団入団。みんなでひとつのものを創り上げる喜びを知る
(1990年〜) インドへ渡り、染織を学ぶ
(1994年) 文化庁芸術研修生として舞台衣裳を学び、舞台衣裳家として独立
(1997年) 天然石や自然素材に魅了され、創作ジュエリーをつくり始める
 ビジョン心理学と出会い、「アート・ワークショップ」をライフワークとしてスタート
(2001年) 神奈川県真鶴町に、『風にかえるアトリエ』オープン
 
22:00:00 | milkyshadows | |
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