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24 June

「無私の奉仕」

journal & report [2/2] 
amma "embracing the world" tour in japan
「アンマ」が日本を抱きしめる日。

28,29 may 2007
@東京調布 味の素スタジアム内ミズノフットサルプラザ


「無私の奉仕」


___アンマとの出逢いはどういうキッカケだったんですか?

 アンマが日本へ来るようになって、もう15年くらいになります。僕自身は12年くらい前にたまたまイベントに来たんです。でも、正直、最初は何も興味がなかったです。ちょうどオウムの事件の後で、怪しい団体だとか思いました。
 僕はバリバリの会社人間だったので、人を乗り越えて潰して行くような社会で仕事をやってきたんです。そんな時たまたまイベントにやって来て、アンマを感じたと言うより、ボランティアの姿を見て「何でこんなこと黙々と出来るのかな?」と、そっちに関心が行ったんです。それで翌年もイベントに行った。
 アンマのところでやっているボランティアって面白い。いろんなキャラクターの人が混ざって、よくこれだけのことが出来るなぁという所に注目して、それからなんです。

___アンマのボランティアは何か特徴があるんでしょうか?

 アンマの教えが根底にあるんです。アンマの言っていることの一番は「無私の奉仕」ということです。
 もう一つは、いろんな人が集まってきてやっています。男も女も年齢もバラバラ、しかも滅多に会わない。そうすると社会生活とは違う一面が出てくるんです。組織があって上司がいて、というのではなく、みんな一列。
 そういった時に、いろんな作業を進めて行くうえで、「ああしたい、こうしたい」という自分の思いが出てくる。それが「我欲」というもので、人間は「欲」があるから自己実現して「満足」したい。アンマの言う「無私の奉仕」は、そんなことを何も考えない。考えずに延々と出来るか、という勉強になるんです。
 なかなか「無私の奉仕」というと難しくて、仲間同士ぶつかったり、「私はこれだけやったのに」となってくる。上下関係の組織ではないので、それぞれが勝手に出来るから、やっているうちにいろいろ出てくるんです。「それはマズいんじゃない」と言う人がいても、その人は決定者じゃないわけです。そうしてみんなの思いがぶつかり合うと、いろんな人間関係の問題が出てくる。そういう時、人間の一番「悪さ」が出てくるんですよ。そして、それに気づかされる。

___それをどなたかがコーディネイトする?

 そのコーディネイトがすごく難しいんです。そういった中でモチベーションを上げていくのは難しい。
 「欲」が無い、というのは「何もしない」ということじゃないんです。気持ちがフラットで出来るか、ということなんです。それが試される。
 今日も見ていたら、ある組織にいる有名なリーダーの方が手伝いに来てくれたんです。本来なら指示をして人を動かせる方なんですが、黙々と来場者の方にパンフレットを配ってくれたんです。社会的に立場のある方は、そういう所に人間性が出てくるんだなぁと思いました。
 「無私の奉仕」といっても、「気づき」がなかったら「学び」にはならないと思うんです。人と何かをやっていて、反りが合わないとか、こんなこと言って生意気だとか、憎しみを持ったりするのはたくさん出来るけど、自分自身に還って「こんなことが良かった」と言えるのは少ないですね。やっぱり、こういう活動を通して「気づき」をたくさん得られなくちゃいけないですね。
 アンマを紹介したくて、ボランティアで無料のイベントをやっているけど、お客さんは勝手なことを言ったりする。なんで謝らなきゃいけないんだろうと思いながらも、そういった中で「学び」や「気づき」が出てくる。自分の感情のコントロールだとか。それが、日常社会と違った勉強になって、面白いかなと思う。

「ダルシャン」


___アンマの「ダルシャン(抱擁)」を通じて気づかれたことは、どんなことがありますか?

 男性にとっては母性回帰みたいなものがありますね。僕の母親はもう亡くなっていますが、そういう昔のことを思い出す。母性の温かさだとか、守られた安心とか、疲れたものを取ってくれるとか。もう何十年も経験していなかったことを、ふと思い出す。それは、すごく気持ちの平安ですね。
 「ダルシャン」を受けて、涙する人も多いんです。悲しくて涙するのではなくて、感激して涙するなんて、なかなか経験出来ないことです。僕が感激して涙が出たのは、アンマの「ダルシャン」と荒川静香さんの「イナバウアー」のふたつしかない(笑)。

___神々しいものがあるのかしら?

 そんな感じがしますね。アマチ見てると、そういう気持ちになりますね。


21:50:00 | milkyshadows | |

17 June

「アンマ」が日本を抱きしめる日。

journal & report [1/2] 
amma "embracing the world" tour in japan
「アンマ」が日本を抱きしめる日。

28,29 may 2007
@東京調布 味の素スタジアム内 ミズノフットサルプラザ


抱きしめる聖母


___アンマのプログラムの全体像を簡単にご説明いただけますか?

 非常に説明し難いんです。プログラム自体は世界共通のスターンダードモデルがあって、どこでも同じパターンなんです。
 パンフレット見ても、問合せが多いんです。「いったい何時に終わるんですか?」とか。アンマは、一人でもいたら終わらないんです。だから「終わるまでやってます」としか言えないんです。
 不思議なイベントですよね。アンマが来て抱擁してくれる、それだけなんですよ。

___眺めていると、本当に果てしなく一人一人をしっかりと抱きしめて、それを永遠とやっている。

 日本が終わると全米ツアー。その後はヨーロッパ。
 いろいろな宗教者とかいますが、それを実際にやり続けている凄さがアンマにはありますね。しかも一人一人を、誰でも、毎日となると、見てるだけでも感動する。
 彼女のやっていることは、形そのものはヒンドゥー教です。例えばキリスト教のやり方があったり、仏教の儀式の流れがあったりするように。
 日本では仏教やキリスト教は受け入れやすいのですが、ヒンドゥー教となると宗教色に抵抗があるようで残念です。
 アンマは「気づき」をくれる存在です。
 
___実際に触れてみて、アンマってどんな方ですか?

 何なんでしょうね?
 昔の自分を抱っこしてくれたお母さんの優しさを、年に一回来てくれて思いださせてくれる存在。単純明快に抱きしめてくれる。それによって癒される。
 今、癒しブームですよね。アロマだとか、そういったものが肉体を持ったようなものです(笑)。

___「癒し」ってどういうことでしょう?

 僕にとっては、「ストレス」と正反対のものでしょうか(笑)。

___解き放たれる、みたいな感じですか?

 気持ちのプレッシャーや、行き違いなどから解き放されて行くみたいな、そんな感じですかねぇ。

___アンマをまだ知らないたくさんの日本の人に、何かメッセージをいただけますか?

 パンフレットには「抱きしめることが生きること。」って、ちょっと重たいことが書いてありますけど、僕が好きだったのは「昔、お母さんに抱きしめられたこと、覚えてますか? アンマはいつもあなたを抱きしめてくれます。是非いらしてください。」っていうコピーです。それにすごく感動したので、アンマを知らない人にはそう言ってみたい。

___そういうキャッチコピーは、やっぱりボランティアの方が作るのですか?

 ほとんどそうです。最近は、プロがボランティアをしてくれています。相当なプロの方が入ってくれています。

映画『ダルシャン』


___ 『ダルシャン』というドキュメンタリー映画が公開されるそうですね。

 去年、カンヌ映画祭に出品されたんです。ノミネートされて、賞は取れませんでしたが、フランスでは既に一般公開されました。DVDも発売されています。日本ではこれから、2008年に公開されます。

___どんな内容ですか?

 アンマの50歳の生誕祭の「ダルシャン」を、インドのコーチンという場所でやったんです。何万人もの人が集まりました。
 その様子を、インドの文化を織り交ぜてドキュメンタリータッチで紹介している映画です。ヤン・コーネンという監督が撮りました。映像がすごいキレイなんです!

___日本でアンマの知名度が芳しくないのはどうしてでしょう?

 宗教アレルギーでしょう。
 こういう形で行うと、新興宗教のように思われる。後援でついてくれている自治体や教育委員会にしても、マスコミにしても、何か悪いもののように捉えられてしまう。これが仏教やキリスト教だったら違うんでしょうが、ヒンドゥー教だったりすると怪しまれてしまう。海外はそういうことがないですから、全然問題無くできる。
 そういう点、難しいところがあるんです。
(つづく)

[お話]
五十嵐 修 さん / NPO法人 国際チャリティ協会アムリタハート


21:50:00 | milkyshadows | |