Archive for June 2007

24 June

心臓の鼓動

artist file "tanebito" #03 [3/4] 
土屋 譲 さん(打楽器プレーヤー)


3拍子


___人間のリズムの基本は、心臓の鼓動から来ている?

 「ドクンドクン」だから、聞こえている音だけから言ったら2つの音。

___2拍子ですか?

 でもこれは、最後まで聴くと3つになるんです。「ド・ク・ン / ド・ク・ン」という刻みなんです。3拍子。
 僕なんかJazzじゃないですか。Jazzのビートも、基本的には3つなんですよ。その中にいろいろな音符が入っていますけど、構成としては3連符を刻んでる。それが早いか遅いか、というだけ。
 それが、Rockなど8ビートのサウンドが受けている理由につながるんです。
 ヒトが持っている基本的なリズムが3拍子だから、『スケーターワルツ』のような3/4の曲は人が和むんです。で、それに逆らって、1拍の中で「タタタタ」と4つ刻んだら「アレ!?」っと思うでしょ?

___刺激的なんだ!

 その通りなんです。
 リズムの発祥地アフリカの「ポリリズム」も3拍子から成り立っているんです。奇数ですよね。8ビートや16ビートは偶数拍ですから、全然取り方が違うから刺激的なんでしょうね。だからみんながそこに惹かれるんだと思います。

___しかもデジタルな社会ですし、、

 余計にそうなんでしょうね。偶数の方がキッチリ行くんですよ、リズムも。

___あぁ、そうか、割り切れますものね。

 奇数の方が難しいんです。ゆったりしてるし。

___オーガニックなのかな?

 そういうリズムは奇数の方が出せるかな。僕の経験の中では、そう思います。自然が3拍子で動いてるとは思いませんが、自然の推移とか、自分の呼吸に逆らわないで出来る。
 8ビートも16ビートも楽しいですよ。でも 3/4の曲を演っている時は気負わなくて済むのが不思議ですね。

鼓動とリズム


___Jazzのスウィング感や「シャッフル」なども、その辺の感覚なんでしょうか?

 「シャッフル」もそうですよね。子供でも分かるように言うと「お馬さんポッコポッコ」ですよ。4本の足でシャッフルで走る。(笑)
 不思議ですよね。(笑)「4」が「3」になってる。「サンバ」ですよ。
 「サンバ」って、「4」と「3」が入り乱れてる。で「どっち行ったらいいんだ?」っていうもどかしさがイイんです。どっちでもOKっていう。
 国によってリズムもいろいろあって面白い。

___そうしてみると、日本のリズムは、どちらかと言うと鼓動を感じませんね。あんまり心拍数が上がらない。

 日本のリズムは、鼓動を感じたうえで演る感じですね。イチイチひっきりなしに演るんじゃなくて、「ボーン」と出したら後は沁みて行くのを感じてる。だから、もっと大きいのかも知れない。
 もともと日本人は、ゆったりとした大きいリズムを相として持っているのに、せわしないリズムに行きたがる。そうやって、刺激を求めたがるんだと思います。自分も若い頃はそうでした。

___リズムに興味を持ったのはドラムスを演奏するようになってからですか?

 いやぁ、最初はとにかくドラムが上手くなりたかった(笑)。

___どうしてドラムスだったんですか?

 高校に入った時に、あまりにもギター人口が多くてドラマーがいなかったんですよ(笑)。
 で「あ、俺、ドラム演ろう」って素直に思った。リズムには興味があったので。それで、アルバイトしてドラムセットを買って、とにかく練習しまくりましたね。
(つづく)


22:00:00 | milkyshadows | |

「無私の奉仕」

journal & report [2/2] 
amma "embracing the world" tour in japan
「アンマ」が日本を抱きしめる日。

28,29 may 2007
@東京調布 味の素スタジアム内ミズノフットサルプラザ


「無私の奉仕」


___アンマとの出逢いはどういうキッカケだったんですか?

 アンマが日本へ来るようになって、もう15年くらいになります。僕自身は12年くらい前にたまたまイベントに来たんです。でも、正直、最初は何も興味がなかったです。ちょうどオウムの事件の後で、怪しい団体だとか思いました。
 僕はバリバリの会社人間だったので、人を乗り越えて潰して行くような社会で仕事をやってきたんです。そんな時たまたまイベントにやって来て、アンマを感じたと言うより、ボランティアの姿を見て「何でこんなこと黙々と出来るのかな?」と、そっちに関心が行ったんです。それで翌年もイベントに行った。
 アンマのところでやっているボランティアって面白い。いろんなキャラクターの人が混ざって、よくこれだけのことが出来るなぁという所に注目して、それからなんです。

___アンマのボランティアは何か特徴があるんでしょうか?

 アンマの教えが根底にあるんです。アンマの言っていることの一番は「無私の奉仕」ということです。
 もう一つは、いろんな人が集まってきてやっています。男も女も年齢もバラバラ、しかも滅多に会わない。そうすると社会生活とは違う一面が出てくるんです。組織があって上司がいて、というのではなく、みんな一列。
 そういった時に、いろんな作業を進めて行くうえで、「ああしたい、こうしたい」という自分の思いが出てくる。それが「我欲」というもので、人間は「欲」があるから自己実現して「満足」したい。アンマの言う「無私の奉仕」は、そんなことを何も考えない。考えずに延々と出来るか、という勉強になるんです。
 なかなか「無私の奉仕」というと難しくて、仲間同士ぶつかったり、「私はこれだけやったのに」となってくる。上下関係の組織ではないので、それぞれが勝手に出来るから、やっているうちにいろいろ出てくるんです。「それはマズいんじゃない」と言う人がいても、その人は決定者じゃないわけです。そうしてみんなの思いがぶつかり合うと、いろんな人間関係の問題が出てくる。そういう時、人間の一番「悪さ」が出てくるんですよ。そして、それに気づかされる。

___それをどなたかがコーディネイトする?

 そのコーディネイトがすごく難しいんです。そういった中でモチベーションを上げていくのは難しい。
 「欲」が無い、というのは「何もしない」ということじゃないんです。気持ちがフラットで出来るか、ということなんです。それが試される。
 今日も見ていたら、ある組織にいる有名なリーダーの方が手伝いに来てくれたんです。本来なら指示をして人を動かせる方なんですが、黙々と来場者の方にパンフレットを配ってくれたんです。社会的に立場のある方は、そういう所に人間性が出てくるんだなぁと思いました。
 「無私の奉仕」といっても、「気づき」がなかったら「学び」にはならないと思うんです。人と何かをやっていて、反りが合わないとか、こんなこと言って生意気だとか、憎しみを持ったりするのはたくさん出来るけど、自分自身に還って「こんなことが良かった」と言えるのは少ないですね。やっぱり、こういう活動を通して「気づき」をたくさん得られなくちゃいけないですね。
 アンマを紹介したくて、ボランティアで無料のイベントをやっているけど、お客さんは勝手なことを言ったりする。なんで謝らなきゃいけないんだろうと思いながらも、そういった中で「学び」や「気づき」が出てくる。自分の感情のコントロールだとか。それが、日常社会と違った勉強になって、面白いかなと思う。

「ダルシャン」


___アンマの「ダルシャン(抱擁)」を通じて気づかれたことは、どんなことがありますか?

 男性にとっては母性回帰みたいなものがありますね。僕の母親はもう亡くなっていますが、そういう昔のことを思い出す。母性の温かさだとか、守られた安心とか、疲れたものを取ってくれるとか。もう何十年も経験していなかったことを、ふと思い出す。それは、すごく気持ちの平安ですね。
 「ダルシャン」を受けて、涙する人も多いんです。悲しくて涙するのではなくて、感激して涙するなんて、なかなか経験出来ないことです。僕が感激して涙が出たのは、アンマの「ダルシャン」と荒川静香さんの「イナバウアー」のふたつしかない(笑)。

___神々しいものがあるのかしら?

 そんな感じがしますね。アマチ見てると、そういう気持ちになりますね。


21:50:00 | milkyshadows | |

『ラーマーヤナ』のリスの話


インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に、こんな話があるそうです。

  昔々、ある王子が、囚われたお姫様を助けようと、
 島へ渡る橋をかけようとした時の話です。

  その時に、
 サルとリスがお手伝いをしてくれたんだそうです。

  サルは力持ちなので、
 大きな石を運んで来て、海に投げ入れて橋をつくり始めました。

  リスは、サルのようには力がないので、
 石を運ぶことは出来ません。
  それでも
 「何か自分に出来ることはないだろうか」と一生懸命考えて、
 砂浜にころがって、自分の身体に砂をつけて、
 その砂を 石の間にふるい落として、
 石のすきまを埋めるお手伝いをしたんだそうです。

  それを見た王子は、
 かしこいリスの背中をなでて、褒めてあげたんです。

  そのとき王子がなでた跡が、
 リスの背中の3本線なんだそうです。


「ボランティア」って、
そんな、リスのようなワークなのかも知れません。

  たとえ大きな力がなくとも、
 一滴の水が 集まれば川となり、流れ行くように、
 ささやかな奉仕は、いずれ大河となって海に注ぎ、
 ふたたび雨となって、循環してゆくのでしょう。


アンマの『ダルシャン』
は、
そんな献身を、私たちに、身をもって教えてくれているように感じました。


21:49:00 | milkyshadows | |

17 June

川の流れの如く

artist file "tanebito" #03 [2/4] 
土屋 譲 さん(打楽器プレーヤー)


山で暮らす


___いつもドラムを演奏しながら何を考えてるんですか? 気持ち良さそうに叩いてますネ。

 考えてないですよ、何も(笑)。
 何かの為に演奏する、というのは有り得ないですね。僕は「自然」というのをテーマにしてる。ずぅっと遡って、人類がこの世に生まれる前に「自然」はあるわけですよ。海があって、山があって。人も自然に生かされている。それが僕にとっては一番の深い感覚なんです。
 僕自身、自然の中に行こうと思った時期があったんですよ。寄(やどろぎ)っていう所なんですが、そこで、山の中で暮らそうと思った。音楽だとか考えなくて。
 山があって、川があって、谷の端にログハウスがあって、「そこで暮らせば?」と言われて2年ほど暮らしたんです。丸太の間から隙間風が凄くて、寒いし。でも、朝、ドアを開けると、鳥が目の前の木にとまって「ちゅんちゅんちゅん」て囁くんですよ。その音色がものすごくキレイなんですよ。それが谷間に響くんですよ。
 それを聞いた時に、僕たちが出してる音ってみんな雑音だな、って思いましたね。

___音楽家の演奏も雑音?

 どんなに上手いクラシックの演奏家でもそこまでは行けないかな。鳥のさえずりを聞いて、僕は愕然としましたね。
 特に僕なんか打楽器じゃないですか。「こんなキレイな自然ってあるんだ」と思うと、到底追いつけないし、しばらく音が出せなくなった。
 参りました m(_ _)m っていう感じ(笑)。

無駄な音


___そのログハウスにはドラムセットを持ち込んだんですか?

 もちろん持ち込みました。
 実は、自分のドラミングや音楽性を変えようとして自然の中へ行ったのに、しばらくはドラムセットに向かえなかった。

___どのくらいの期間ドラムを叩けなかったんですか?

 半年くらいは叩けなかった。
 その間、情けないことに、お酒を飲んだり、川の流れを眺めながら鳥の音を聴いたり、夜はたき火をしたりして。
 本当に「自然」っていうのは無駄な音が無くて、安らいじゃう。でも、だんだんその安らぎが危険だなって思い始めたんですよ。「自分はまた音楽ができるのかな?」って。
 今感じているのは大事なことだけど、「でも俺は音を出して何かやらなければいけないんじゃないか?」って、このままボーッとしたままになってしまうこととの、精神的な戦いになりました。そして、そういうことを感じた土屋譲が良い音を出せばいいんじゃないか、って無理矢理自分に言い聞かせた。

川の流れの如く


 そんな体験がすごく役に立っているし、音を大事にするようになりましたよ。
 例えばシンバルって金物系って言うんですけど、キンキンするじゃないですか。でも、叩いてるスティックは木ですよね。木と金属をどうやって交わらせるのか。その間に僕が入って、僕の奏法があれば、絶対に良い音が出せる。
 同じことを、僕は川の流れで感じたんです。川が流れて行く時って「ザァー」って流れて行くんだけど、よく聞くと抵抗もあるじゃないですか。海の満ち引きの音は例えばブラシを使って表現できるんですけど、川の流れってJazzのスイング感そのものなんですよ。決して一定ではないんだけど、流れて行く、そして、優しい。 
 Jazzではトップシンバルを中心に音楽が動いて行くんですが、僕はそのシンバルレガートが川の流れの如く動いて行ければいいなぁって、それをイメージして叩いてきたんです。そうしたら、Jazzだとかジャンルにこだわりが無くなった。自然に音が出ることさえ思っていれば、どんな音楽でも出来るんだっていうことが分かった。
 流れてるでしょ。毎回違うんですよ。変化してるんですよ。川だけじゃなくて、すべて、毎日が、川の流れの如く。時の流れを感じるのかな、川の流れを見ていると。

___「唄心」ということについては、自然の中で暮らすことで変化がありましたか?

 それについては違いはないですね。
 でも、昔は荒かったかな。唄ってるというよりは、単純にリズムを楽しんでるだけだった。結局は今またそこへ戻ってきているんだけど、無駄な音を出すくらいだったら暴走族と同じだろ(笑)。

___それを自己表現だからと許される境目って何でしょう?

 どんな形であれ、他人がうるさいと思うものはうるさいんですよ。ただそれだけ。
 僕が山の中で小鳥のさえずりに土下座したのは、そこに境目は無い。「ちゅんちゅん」っていう音だけで、「参りました」ってだけなんですよ。
(つづく)


22:00:00 | milkyshadows | |

「アンマ」が日本を抱きしめる日。

journal & report [1/2] 
amma "embracing the world" tour in japan
「アンマ」が日本を抱きしめる日。

28,29 may 2007
@東京調布 味の素スタジアム内 ミズノフットサルプラザ


抱きしめる聖母


___アンマのプログラムの全体像を簡単にご説明いただけますか?

 非常に説明し難いんです。プログラム自体は世界共通のスターンダードモデルがあって、どこでも同じパターンなんです。
 パンフレット見ても、問合せが多いんです。「いったい何時に終わるんですか?」とか。アンマは、一人でもいたら終わらないんです。だから「終わるまでやってます」としか言えないんです。
 不思議なイベントですよね。アンマが来て抱擁してくれる、それだけなんですよ。

___眺めていると、本当に果てしなく一人一人をしっかりと抱きしめて、それを永遠とやっている。

 日本が終わると全米ツアー。その後はヨーロッパ。
 いろいろな宗教者とかいますが、それを実際にやり続けている凄さがアンマにはありますね。しかも一人一人を、誰でも、毎日となると、見てるだけでも感動する。
 彼女のやっていることは、形そのものはヒンドゥー教です。例えばキリスト教のやり方があったり、仏教の儀式の流れがあったりするように。
 日本では仏教やキリスト教は受け入れやすいのですが、ヒンドゥー教となると宗教色に抵抗があるようで残念です。
 アンマは「気づき」をくれる存在です。
 
___実際に触れてみて、アンマってどんな方ですか?

 何なんでしょうね?
 昔の自分を抱っこしてくれたお母さんの優しさを、年に一回来てくれて思いださせてくれる存在。単純明快に抱きしめてくれる。それによって癒される。
 今、癒しブームですよね。アロマだとか、そういったものが肉体を持ったようなものです(笑)。

___「癒し」ってどういうことでしょう?

 僕にとっては、「ストレス」と正反対のものでしょうか(笑)。

___解き放たれる、みたいな感じですか?

 気持ちのプレッシャーや、行き違いなどから解き放されて行くみたいな、そんな感じですかねぇ。

___アンマをまだ知らないたくさんの日本の人に、何かメッセージをいただけますか?

 パンフレットには「抱きしめることが生きること。」って、ちょっと重たいことが書いてありますけど、僕が好きだったのは「昔、お母さんに抱きしめられたこと、覚えてますか? アンマはいつもあなたを抱きしめてくれます。是非いらしてください。」っていうコピーです。それにすごく感動したので、アンマを知らない人にはそう言ってみたい。

___そういうキャッチコピーは、やっぱりボランティアの方が作るのですか?

 ほとんどそうです。最近は、プロがボランティアをしてくれています。相当なプロの方が入ってくれています。

映画『ダルシャン』


___ 『ダルシャン』というドキュメンタリー映画が公開されるそうですね。

 去年、カンヌ映画祭に出品されたんです。ノミネートされて、賞は取れませんでしたが、フランスでは既に一般公開されました。DVDも発売されています。日本ではこれから、2008年に公開されます。

___どんな内容ですか?

 アンマの50歳の生誕祭の「ダルシャン」を、インドのコーチンという場所でやったんです。何万人もの人が集まりました。
 その様子を、インドの文化を織り交ぜてドキュメンタリータッチで紹介している映画です。ヤン・コーネンという監督が撮りました。映像がすごいキレイなんです!

___日本でアンマの知名度が芳しくないのはどうしてでしょう?

 宗教アレルギーでしょう。
 こういう形で行うと、新興宗教のように思われる。後援でついてくれている自治体や教育委員会にしても、マスコミにしても、何か悪いもののように捉えられてしまう。これが仏教やキリスト教だったら違うんでしょうが、ヒンドゥー教だったりすると怪しまれてしまう。海外はそういうことがないですから、全然問題無くできる。
 そういう点、難しいところがあるんです。
(つづく)

[お話]
五十嵐 修 さん / NPO法人 国際チャリティ協会アムリタハート


21:50:00 | milkyshadows | |