Archive for May 2008

25 May

「新しい小田原へ」

artist file "tanebito" #18 [1/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

小田原はポテンシャルの低い街ではありません。
今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。


___マニュフェストでは、「新しい小田原へ」という表現をなさっています。「新しい」ということについて、「今まで」と「これから」にはどんな違いをお感じになって、どんなことを提示なさろうとしているのでしょうか?

 いくつか切り口があります。
 一つは、モノやヒトの活かし方がガラリと変わることだと思います。二宮尊徳の言葉を借りれば、全てのモノには徳があって、それを活かして行くことが大事だということです。小田原はそんなにポテンシャルの低い街ではありません。これだけのものを持っていながら元気がないというのは、それを活かせていなかっただけなのではないのか、ということです。古いものを根こそぎにしてしまって何か新しいものや仕組みを持ち込もうと言うのではなくて、今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。
 28歳で小田原に戻って来てから、この地域でいろいろな仕事をやらせていただきました。百姓も漁師も、林業関係の仕事もやりました。小田原駅周辺の商業地域でも、商人の方々と長くおつき合いもさせていただいていますし、地場産業の担い手の国宝級の方々ともおつき合いをしてきました。足柄平野の隅々まで歩いて、いろいろな景色を、いろいろな季節で見て来ました。そういう自分の経験をトータルに考えると、この地域は大変なポテンシャルを持っている所だと思う訳です。「新しい小田原」というのは、そういったヒトやモノが活かせるか活かせてないかの違いだけであって、本来持っているそれらの力が充分に遺憾なく発揮される状態を差して言っているんです。そういう仕組みにして行きたいと思うんです。
 その為には、「市役所の◯◯さんが、、」とか「市会議員の◯◯さんが、、」とか言うのではなくて、ずっと在野で活動してこられた方々の感性や、会社を経営されている方々の視点や、生活をしているお母さま方の視点が大切で、そちら側の視点からものを見て行く。それは、現場サイドの発想からいろいろなものを捉え直して行くということでもあると思うんです。
 私がマニュフェストの中で通奏低音のように言っているのは「市民の力で」「市民が主体になって」ということですが、まさにそのことによってでしか「新しい小田原」には至れない。内側から皮を脱ぐというか、そういうことなんだと思うんです。

___「今まで」は、どうしてそれが出来なかったのでしょう?

 小田原は、与えられる歴史に慣れ過ぎて来たんだと思います。恵まれていましたから。
 この街は北条氏の時代に全国から職人を呼んでつくりあげたのですが、例えば江戸時代に宝永火山が噴火して、この足柄平野に火山灰が1mくらい堆積した時も、いち早くお手上げして、お上に領地を返上して助けに来てもらった訳です。それで、日本中からいろいろな方がこの地域に助けに来てくれて救っていただいた。近世になっても、お江戸/東京が近いですから、何かあれば援軍が来たり、そちらを頼って出掛けて行けばいろいろなものが得られたりしてきました。そのうえ、後ろに箱根と伊豆があるから、黙っていても人が通る。ですから、何か自分たちで求めなくても恵まれた状況が与えられてきたことと、神奈川県の西部で街らしい街は小田原しかなかったですから、いろいろな集積が自ずからありましたし、商人の方々も比較的恵まれた中で、この街は成り立つことが出来たんだと思います。
 それに、何と言っても気候が穏やかで、過酷な気象条件や過酷な地形ということが無い訳です。過酷な経済状況に置かれたこともないですし、そういう意味では、自分たちで強く求めたり、活用のしかたをあれやこれや考えないと生きて行けないという状況は無かった訳です。蒲鉾は蒲鉾であれば良いし、お魚は刺身で食べれば良い、という具合に、それほど工夫をしなくてもこの街は生きて来れた。そしてその中で「安定」していることが尊ばれていて、時の為政者にお任せしていれば喰い逸れることはありませんでした。ですから、生きることへの貪欲さという意味では、私もいろいろな地域を訪ねましたが、小田原は本当に希薄です。
 例えば、この辺では空の上を風はただ吹いているだけですが、岩手県葛巻町では、他に何も資源が無い中で風すら活かして地域経済を何とかしようと風車を建てたりしています。そうして、有るか無いかも分からないような資源さえも取り出して地域づくりをやっている訳です。そういうことを考えると、小田原の方々は、何か工夫をしてやり繰りをして無から有へというようなことをやる必要がなく生きて来れたような気がします。

___そうした意識に変換して行く為には、どのような視点を持ったら良いでしょう?

 今までは基本的に、生活に困るとか生きて行くことに困るとか、地域の未来に大きな不安が襲うような見通しというのはあまり無かった筈なのですが、それがこれからはやって来る訳です。
 幸い、小田原は財政赤字が雪だるま式に膨らんでいるようなことはないですが、かなり巨額な借金は抱えていますし、あまり財政的な余裕はありません。これからは税金を納める人も減って行きますから、社会を支える様々な部門を賄う為の税収を、これまで通りのやり方では支えて行けない時代に入って行くんです。高齢者の介護のこと、地域の医療のこと、教育のこと。これから先は、好むと好まざるとに関わらず困り始めると思います。それは小田原だけではないですよね。日本の地方都市が、すべからくそういう状況に直面して行くことになると思います。
 まだ小田原はそうした状況がどなたにも等しく訪れているという状況にはなっていませんが、意識のある方はそれを見越して非常に心配されています。

___危機に直面していない方々に対して、現状を知らせる必要がありますね。

 はい。それは最低限のことですよね。
 そうは言っても、危機が来るからと言って「わかりました」と言う人ばかりではないので、やっぱり、できるだけ生き方や暮らし方や地域の運営のしかたを皆で探して作って行くことで、それを楽しむ人たちが増えて行ってもらいたいと思っています。

特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。
子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。


___楽しむ人たち、、、

 ええ。
 例えば、私が問題視していることの一つに、地域の子供会の加入率が下がっているんです。地域によっては解散してしまった所もありますし、年々下降しています。それはそのまま行くと、地域の中で子どもたちをお互いに面倒見ようという気運や風土が、小田原から消えて行ってしまう訳です。こうした事は、かなり怖いことだと私は思うんです。そういうことは、お年寄りの面倒を見ない地域、孤立したお母さんがいてもあまり気にかけない地域、と言ったようなお互いに関わり合わない方向へ行ってしまう。そういう状況は、自分がリアルに生存の危機として感じないとなかなか変わって行かない。
 けれど一つ救いは、とかく皆さんが大変だと思って引き受けないような、例えば子供会やPTAや自治会の役員なども、やってみてそれなりに肩を入れてみると「あぁ、なんだ結構楽しいじゃないか」というようなことがあるんです。「恊働」という言葉もありますが、地域の中でお互いが力を合わせることの楽しさ、それによる達成感というような、素朴なことですが、そういったことを確実に育てて行くことが必要だと思っています。それは支え合う地域をつくる為だけではなくて、そういった動きが出来てくれば、例えばこれまで行政が税金で賄っていた人件費を作業員の方たちに払うのではなくて、地域のコストを下げて行くことに繋がる訳です。
 だから入り口としては2つあって、危機感の方から、つまり問題に直面して本当に困った人たちから変革の作業が始まるという話と、そんなに困っていないけど、プラスの意味で地域により関わって行くことに楽しみを見出して行く人たちを増やして行くことと、2つあると思うんです。

___そうした自発的な参加を促す仕組みとしては、どんなアイディアをお持ちでしょうか?

 特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。一番動き難いのは、子育て世代の大人たちが、ある意味感度が鈍いんです。地域のことに一番熱心なのは、65歳以上の、自治会の役員のお年寄りの皆さんで、我々勤労者世代はゴボッと抜けている。あと可能性があるのは、小中学校の子どもたちでしょうか。地域に接点を持ちやすいのは、子どもたちと、意識を持っているご年配の方たちだけなんです。
 そういった人たちが地域に関わって行く為の回路づくり。その回路の作り方には工夫が必要ですが、何かちょっとした作業で地域の環境が目に見えて変わるといったような、ささやかなことから始めるしかないだろうと思っています。そういうところで、参加する楽しさや関わって行くことの面白さを感じて、終わった後に缶ビールが出たりすれば、もうそこで繋がりが出来てしまう訳です。(笑)
 そうやってささやかなことを積み重ねて行く中で、地域に応じた活動の裾野を、少しづつ広げて行くということだと思います。

___一方で、感度の低い層に対してはどうなさいますか?

 そこでまた「子ども」に戻る訳です。やっぱり、子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。子どものことだからと言って、貴重な休みの週末にお父さんが出て来てくれるケースは今でも充分あります。
 子どもというのは自然を背負って生まれて来て、少なくとも10歳の頃までは本当に優しい気持ちを持っていますし、自然に親しみたいという率直な野性や、楽しく遊びたいという欲求も持っています。そういったものを伸ばすような活動を作っていくことで、そこに大人たちが着いて来るという構図は作れると思います。
 あとは、市の職員ですね。税金で雇われている職員は、そうした地域の中での人の変容を促進するための触媒になるべきだと思っています。私もこれまでいろいろな活動に関わってきて痛感することですが、仕事を抱えていますと、帰ってくるのは夜遅くだったり、土日は午前中寝ているというような方が多い訳です。そういう中で、さらに地域の為にもう一踏ん張りして、責任をもってキチンとコミットして行くのは、正直、市民の方には難しいと思うんです。要するに、地域の活動の仕組みづくりの起爆剤になれるのは、今は市の職員しかいないと思っています。職員が5〜10年の間、地域に入り込んで人材と資源を掘り起こして行く訳です。
 そうしていつかの段階で、職員が黒子に回っても地域の人たちの力で活動が支えられて行くような方向に持ち込みたいと思います。
(つづく)


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18 May

"Article 9"

artist file "tanebito" #17 
The Foundation Movement(HipHopデュオ / www.foundationmovement.com



___どのくらい活動なさってるんですか?

(Erock)
 2001年から活動しています。
 主にUSAで活動していますが、パレスチナやキューバ、タンザニア、南アフリカ、そして日本と、いろいろな国へ行っています。

___どうして日本へ?

(Erock)
 たくさんの理由があります。
 There are many reasons.

___『9条ピースウォーク』に帯同なさっていますね。
 You're joining "Article 9 Peace Walk",aren't you ?


(Erock)
 最初からずっと一緒に、広島から東京まで歩くんです。
 Yes. We've been walking from the beginning. We'll walk to Tokyo from Hiroshima.

___やはり「憲法9条」に響いたのでしょうか?
 What attracted you ? Especially "article 9", I mean your reason to come here.


(Erock)
 もちろん「9条」はひとつの理由です。でも『ピースウォーク』に参加することで、音楽を通じて人々に出会えるし、平和を訴えることが出来ます。それでやって来ました。
 全行程を歩いている日本山妙法寺の加藤行衛上人やシスター・クレアとは、ボストンで行われたピースウォークや平和の為のイベントで知合いだったんです。シスター・クレアから,一緒に歩かないかとお誘いを受けました。
 私たちの住んでいるボストンは、4日置きに殺人が起こるほどに暴力的な街なんです。そんな環境に生きていると、いつも平和というものに意識があるものですから、憲法9条を通じて平和を実現するという活動に興味をひかれてやって来たんです。
 
 It was one of the reasons. Getting to understand "article 9" has come more as we're being in Japan. We're learning more about "article 9". But, it was "Peace Walk" that bounce here, then idea for walking and be able to share our music and perform, and meet new poeple who are interested in peace and justice.
 And Reverend Kato and Sister Claire, both come from same stste,We had known each other form and different rallies; Peace Walk from Boston and different events that I have to do peace and justice in Boston in Massachusetts.So Sister Claire extended the invitation to myself bag way to come to Japan and walk from Hiroshima to Tokyo.
 Boston, the city we're from, has a lot of violence, as one murder every four days. We are very adjusting and bringing into the violence and creating peace, atmosphere peace, having us for "article 9" and "Peace Walk" comes every movement.

(Optimus)
 「9条」については、聞いてはいましたが深くは知りませんでした。
 ボストンでは、平和について、非暴力的な紛争解決の方法について、常にコミュニティの中で人々と話し合って来たのですが、日本に「9条」があるということは、それが政府レベルで認められているということですし、民衆レベルでも、スピリチュアルなレベルでも、あらゆるレベルで「私たちは平和を実現して行く」という意志が示されているという、象徴的なことだと思います。

 I originally came "article 9" for me, "What is just that 'article 9' ?", I had people talking about. But I didn't know what it is, or what it really meant.
 And I think, I'd used to, I great, so, like within our communities we always talk and there're a lot of people who act towards making a world nonviolent, as well as a world for peace and a world for justice. And within Japan, one of the things with "article 9", it seems to have the support of the government. Because, there're a lot of different power type of power; people power, political power, spiritual power. It was "article 9", it seems usually the most difficult element that does happen is government support to promote justice as well as to promote peace. And I think "article 9" is kind of symbolism of the way of life and culture of putting peace at the forfeit for every level.

 こんなふうにして招かれて、実際にそこに行ってみることは素晴らしいことです。歴史の本などで物語として読むだけではなくて、事実に直接触れることは、私にとって非常に重要なことだったんです。

 And I mean for me, anytime I get offered to travel, it's a beautiful thing I have opportunity, two side of where I am. So, that's one thing, just like we're learning about the culture, learning about the people, when you are close you get to the source, 'cause you know we insert things in history books, or you should insert things in television. But when you're actually there in present, you can kind of feel that a little stronger of what it is, kind of separate that reality from that fiction was. Were that exaggeration, of a culture?

 私たちの来たアメリカという国は非常に暴力的な国で、むしろ、その暴力を拡げて行くことをしています。
 一つの例をあげると、今回私は日本で、戦争に行って戦ったお年寄りの方に会いました。その方は、戦争で右腕を失って、自分自身のことを戦争の犠牲者だと思っていましたが、同時に、200万人ものアジアの同胞を殺して来たことも話してくれました。自分は犠牲者でもあるけれど、人を殺している現場を実際に目の当たりにしたことで、加害者でもあるのだと考えが変わった、と話してくれました。
 私自身も旅をすることで、考え方を変えられる体験をしています。住んでいる所から離れることによって、物質的な暮らしよりも、人々と接することで築かれて行く関係性に重きが置かれてくるからです。グローバルに旅をすることで、自分が住んでいる所のものを行った先の人々に伝え、そこから自分は持ち帰ってくるんです。

 We come from violent culture, now it's States of America's window, most party for bales of violence to broke entire the world.
 There was a gentleman who was involved in World War?,fight on the side of Japanese. And during the War, he lost his arm. He god of himself as a victim of this war. Then he realized the mount of people, Japanese as himself, had killed within a country of Asia. He said he shifted that himself as a victim to a surviver of this


___日本では、一歩を踏み出すことのハードルが高い状況があります。実際に日本に来て、こうした活動に参加して、どんな印象をお持ちでしょうか?

(Erock)
 たくさんの方が、とても暖かく迎えてくれています。車から手を振ってくれたり、子どもたちも手を振ってくれたりします。一方で、こうした平和運動のようなことに煩わされたくないと言って避ける人もたくさんいます。こうしてチラシを配ったりしていますが、突き返されたこともあります。
 同じようなことはアメリカでもあります。大半の人々は、自分の仕事や消費生活に気持ちを向けています。日本では、こうした運動に興味を向けているのは本当に一部の人たちで、あまり世代間の交流も無く、偏っているように感じています。ここまで63日間歩いて来ましたが、若い人たちがなかなか参加してくれないという話をよく聞きます。私たちのようにHipHopをやっている者の役割は、全ての世代の人たちをこうした運動に引きつけるということだと思っています。それぞれの世代なりの活動はあるのでしょうが、今までバラバラだったことが音楽によって結びつくことが出来れば、もっとパワフルな活動になる可能性があるはずです。
 私たちは『ピースウォーク』に参加するだけでなく、東京や名古屋や大阪のクラブや、今日も小田原のポケットパークでパフォーマンスをしました。そうしたことで、もっと若い人たちが集まってくれて、世代を超えた活動に結びつくようにと考えています。

(Optimus)
 歳をとった人たちも、もともとは若かった訳ですから、これまで伝統的に行われて来た活動にしても、上の世代は若い世代から大きなエネルギーをもらうことが出来るし、若い世代も上の世代からたくさんのことを学ぶことが出来るはずです。ですから、お互いに与え合うということが大事だと思っています。


___楽曲は、どんなテーマを歌っているのですか?

(Erock)
 自分たちの音楽は、「Life Music」と呼んでいます。フィジカル、スピリチュアル、メンタルといった、すべての「Life/いのち」にフォーカスして曲作りをしています。

(Optimus)
 今日も街で話していたことですが、若い人たちが社会的な抑圧にどう対処したら良いか分からないような時に、それを表現する方法として音楽があると思います。どこかにそうしたハケ口がなくてはなりません。ですから、私たちの音楽のテーマは「liberation/解放」「freedom/自由」「justice/正義」、そして「peace/平和」ということです。
 「history/歴史」は文字通り「His Story」ですから、支配者側から書かれたものでしかありません。例えば、コロンブスはヒーローとして国やストリートや学校の名前になっていますが、それはあくまでも建国者側の歴史です。征服されて殺されて行ったネイティブの側の歴史を学ばなくては、過去に起きたことの全体像は見えて来ません。そうして初めて、現在と未来とが繋がって行くんだと思います。

(Optimus)
 旅をして、人と出逢って、話をしたり、歓びを共有したりしながら曲作りをしています。

(Erock)
 音楽には癒しの力がありますし、宗教的な儀式でも必ず音楽が伴います。南アフリカやアメリカでの様々な平和運動においても、自由の唄が象徴として歌われてきました。プランテーションの奴隷たちの歌には、解放へのメッセージが込められていました。
 嬉しい時も、悲しい時も、怒りすらも、音楽ならば直接表現することが出来ます。資本主義的なアメリカ文化に対して、ポジティブな音楽を表現して行けたら良いと思っています。パレスチナの占領についても歌うけれど、外へ出て踊ろうという歌も歌います。

(Optimus)
 両方とも大事なんです。


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11 May

野良坊主の地蔵菌

artist file "tanebito" #16 [3/3] 
柿沼 忍昭 和尚(僧侶,禅アーチスト / 地蔵Cafe

昔は寺に行けば、そこがその時代の最先端のテクノロジーやアートが見られる所だったんです。
それを伝えるのがお坊さんの仕事なんです。
私のような野良坊主の生き方が、本来のお坊さんの生き方なんです。


 お坊さんというのは、本来はトレンディなんです。昔は寺に行けば、そこがその時代の最先端のテクノロジーやアートが見られる所だったんです。それを伝えるのがお坊さんの仕事なんです。私は、こんなヤクザみたいなフリーターの坊主なので「野良坊主」と言っていますが(笑)、私のような野良坊主の生き方が、本来のお坊さんの生き方なんです。
 これから私がやりたいことは、「本当のトランスを教えてあげる」ということです。「トランスを扱っているのは坊主なんだゼ!」って。(笑)「Eco,Ero,Ego/エコ、エロ、エゴ」を盛り込んだ総合的なパーティをやりたいと思っているんです。
 「本来の面目」という禅の言葉があるのですが、本来何を求めて生きて行くのか、ということです。その答えを見つけることが「祭り」の役割になってくるんです。

___その「祭り」としてのトランスパーティということでしょうか?

 そのパーティの出来上がり方が、次の時代のキーワードになるのではないかと思っています。

___出来上がり方?

 もうどうにもならなくなっているので、再構築したい訳なんです。環境にしても、金融にしても、食べ物にしても。そして人間がどんどん弱くなってしまっているんです。

___それは、菌のレベルで、ということですね。

 だって、その「菌」をつくったのは「祭り」だったんです。昔はフリーセックスでしたから、「踊り/オドリ」は「男取り/オトコドリ」だったんです。だから、エロティックでセクシーでなかったら「祭り」じゃないんです。本当の意味で学べば、変な性被害は無いんです。
 ただ、どうなるかということは私にもコントロールが効かないですし分かりません。でも、とりあえず、未来の雛形の一つのデザインを見せられたら良いと思っています。

___楽しみですね。

 だから「クラブ」というものは、ものすごく原初的な要素を持っているんです。踊ること自体がそうです。「テクノ」も大好きなんですが、アコースティックな要素を削ぎ落として行くと電子音の波形になる訳ですから、ものすごく禅的なんです。禅ではすべて鳴らし物で進行するんですが、打楽器はすべてのベーシックなんです。リズムは心臓の鼓動ですから。それを縮小したものが、茶室の世界なんです。
 面白いことはいっぱいあるんですが、誰も野良坊主を相手にしてくれないんです。(笑)

「妄想」と「莫妄想」


___「禅」と「エロス」は対極のように感じますが、、

 いいえ。あるがままですから。

___陰極まれば陽に転ず、というような東洋的思想でしょうか?

 私にはそういう考えがあります。いろいろな人がいて、自分にとって異性は女性しかいない訳ですし、どう考えたってそういう仕組みに出来上がっているんです。
 「菌」を考えると面白いですよ。私たちの体には約100兆個の菌がいて、それを考えると、私たちをコントロールしているのは「菌」だと思えて仕方ないんです。どうして男女が求め合うのかと言えば、実はその人の菌が欲しいんじゃないのか、って。(笑)
 だって、そうすることで菌は戦略的に強くなるわけでしょ? 惹かれ合うということは、その人の菌が欲しいということです。菌同士が決めることですから、仕方ないです。(笑)

___肉感的に分かる気がします。(笑)その考えはリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』に繋がりますね。しかも「遺伝子」や「ミーム」と言うよりも「菌」の方が生々しい気がします。

 そうですね。生々しいしリアルです。

___なるほど。そう考えると、最近の花粉症などにしても、菌のレベルでおかしくなっているのかも知れませんね。

 そういうことでしょうね。さらに、菌を作りあげている物質のことを考えたらもっと面白いでしょ? 「禅」とは、そういう物質構造のことなんです。
 
___「禅」というのは、かなり生々しいんですね!

 禅は、リアルを一番大事にするんです。と同時に、イメージを大事にする。

___カタチあるものに魂は宿る、ということでしょうか?

 リアルは、捉えようとしたら捉えられないんです。
 例えば、「今この瞬間」を認識するのに何秒かかりますか? 要するに「今」というのは予測の中にしか存在しないんです。私たちの頭の中は、すべて仮説で出来上がっているということです。仮説を組立てて行ってイメージが出来上がる。そして、それが失くなった途端に病気になるんです。
 だから、私たちは常に「妄想(モウゾウ)」しなければ生きて行けないんです。そして、その妄想が正しいかどうかを確かめて行くということが禅の修行なんです。イメージで鍛えていって、それが結局は妄想なんだということを理解して行くんです。
 「莫妄想(マクモウゾウ)」という言葉があります。禅では、「妄想」と「莫妄想」の違いがとても大切なんです。

___「妄想」と「莫妄想」?

 簡単に言えば、考えて仕方があることと無いこと、です。考えても仕方がないことを考えるから、悩むんです。
 禅では、その「考えても仕方がないこと」を切り捨てて、一番の髄に到達して問題を解決するんです。「死にたくない」と考えても死にますから、そう考えるよりも今を生きる、ということです。

___刹那的な世界観なのでしょうか?

 そうではないです。そういう概念も関係ない訳です。「刹那的」と言うよりも、私たちが生きているのは「刹那」なんですから。
 私たちの体の物質は、3ヶ月もすれば全部入れ替わってしまう訳ですし、ただ記憶がそれを繋げているだけのことなんです。だからこの瞬間にも、この体の中で生と死がある訳です。だから、私たちはイメージ力に負けているということです。

そのまんま、あるがまま。
それが実社会にどう繋がるかと言うと、
人間が何かの形で壊れた時に、再構築する素となる結晶を作ってくれる。


 菌は私たちの体に入ると、「自分たちは菌じゃないんだよ」と情報を流して、食べに来るミクロファージを騙すんだそうです。つまり、私たちの身体の中で行われている免疫システムを、菌は知っている訳です。戦略を持っているんです。一番知らないのは人間です。

___意志の力では抵抗しようがないですものね。

 癌患者は、「コレが癌細胞で、コレがそれを食べて行くNK細胞です」というようなイメージ訓練をするんです。「大丈夫だ!」と思うことが、大丈夫なことなんです。このことはネイティブの人たちは昔から知っていたことで、スリランカの祈祷師は「病気はワクワクしないと治らない」と言って、劇を見せるんです。病気の役の人と、悪魔の役と、それをやっつけるスーパーマンみたいな役の人が出てきて、熱狂的な芝居なんです。
 だから、禅で言っていることをその通り真に受けていたら生きて行けないんです。「ヴィジョンは持つな、無になれ」って。実はその反対なんです。つまり、「どんどん妄想して、どんどん間違いなさい」ということです。
 コンピュータのメモリに喩えると良く分かると思います。「情報」は、どんどんアットランダムにインプットして行けば良いんです。でも、要らないことでメモリを食えば動かなくなる。つまり、妄想して暴走したら、答えを出す計算能力がどんどん鈍ってきて遅くなるということです。
 「座禅」ということに効果があるとしたら、座禅をすることで「情報」が本来在るべきところに整理されるんです。私たちは本来、瞬間々々で反応できるように出来ているんですが、自分でコントロールするから変なものが付いてしまってアウトプット出来ないんです。整理されれば、引き出しから出しやすい。

___なるほど。

 私も今こうして自分の引き出しを探しながら話していますが、必要じゃない時には出てこなくて良い訳です。目の前にいる人が私に対して鐘を叩くから鳴らしているだけのことです。そして、この人が何を訊きたいのかを探りながら言葉択びをしているんです。
 人間って、本来そういうことが出来るんです。

___それこそが「コミュニケーション」ですね!

 はい。そういうことが「禅」なんです。

___「今」の中に「永遠」があり、「永遠」の中に「今」がある。

 それを出して見せろと言われて、出して見せるのが禅マスターの仕事なんです。

___どうやって見せるのでしょう?

 「永遠」を見せろと言われたら、それは「自分」そのものなんです。ありのままの裸を見せれば、それこそ私がデザインし続けてきたものなんです。

___そこにすべてが込められている、ということですね?

 それはあなたの受け止め方次第です。裸を見せて「セクハラだ!」と言われれば、それはそれで答えです。ならば「セクハラとは何か?」と禅問答になる訳です。それを徹底的にやり尽くして、莫妄想が出たところで師匠がストップさせるんです。
 その、ストップさせることが一番大事なんです。座禅で「無になる」ということと同じです。つまり、妄想はしても、それにストーリーは作らないで、イメージを切る訓練をするということです。

___なるほど。出来事を繋ぎ合わせるということは、そこに思考が入ります。

 思考が正しければ良いのですが、ほとんどが妄想で、間違ったイメージで答えを出してしまうんです。
 考えている悩みなんて悩みではなくて、起こるべくして起こっている。分からないことを分からないままにしておくことも大事なんです。そのまんまでいることしか出来ないのに、何でも分かろうとするから大変なんです。

___それが「エゴ」ということですね?

 「エゴ」だからいけないと言うのはないんです。「エゴ」は出さないと相手に伝わりません。それを避けたらコミュニケーションは出来ないんです。
 だから、徹底的にリアルなエゴを出し合って行くのが禅なんです。そのまんま、あるがまま。男も女も、やってはいけないことは何一つ無いんです。思いのまま表現したら何が起こるのか、そしてその問題処理をして行くだけのことです。
 それが実社会にどう繋がるかと言うと、別に役に立つ必要は無いんです。ただ、人間が何かの形で壊れた時に必要になってくるんです。再構築する時に、その素となる結晶を作ってくれる。
 
表現すべきことは「ヴィジョン」ではなくて、「自分」なんです。
ヴィジョンはあくまでも道具なんです。
それは、身に着けて行くことではなくて、一つ一つを脱ぎ捨てて行くという意味なんです。


___ヴィジョンは持つな、、、

 私たちは、いろいろなものに影響されています。でも、表現すべきことは「影響されたもの」や「ヴィジョン」ではなくて、「自分」なんです。ヴィジョンはあくまでも道具なんです。
 世の中が回って行くことよりも、あなた一人が人間として生きて行くことの方が素敵じゃないですか。だから「素敵なことを教えてあげますよ」と言うんです。そう言ってナンパも出来ますね。(笑)
 でもそれは、身に着けて行くことではなくて、一つ一つを脱ぎ捨てて行くという意味なんです。

___なるほど。

 禅の修行僧の、面白い話があるんです。
 流れの早い川があって、女の人が二人、渡れないで困っているところへ、お坊さんが弟子と通りかかるんです。本来なら女性と直接触れてはいけないことになっているのですが、お坊さんは肩車をして女の人を渡してあげたんです。弟子は「こんなことをして良いのですか?」と師匠に訊くんですが、師匠は「お前はまだ背負っているのかい?」と答えるんです。(笑)「ワシはもう置いて来た」と。

___まさに禅問答ですね。(笑)

 瞬間々々に恋心を抱いて、それで「どうぞ飽きるまでいてください」ということです。
 惚れてるものは仕様がないものね。(笑)


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04 May

エコ(Eco) / エロ(Ero) / エゴ(Ego)

artist file "tanebito" #16 [2/3] 
柿沼 忍昭 和尚(僧侶,禅アーチスト / 地蔵Cafe

自分の中にある過去からの記憶、自分が生き抜いてきた智慧、
自分のDNAを、自分の師としたんです。


___『食禅(ジキゼン)』というワークショップを全国展開なさってらっしゃいます。

 去年はアメリカ西海岸を廻りました。ここ4年くらいやっています。「座禅」が座る禅なら、食べる禅があっても良いだろうと、私が始めました。「応量器」という食器があって、それを扱う作法がとても素晴らしいんです。茶道も、そこから派生した作法なんです。
 精進料理は基本的には一汁三菜(ご飯、味噌汁、煮物、和え物、漬け物)で、実際の応量器は6個あるのですが、私は作法を教えたいので三つ椀を使ってお粥でやっています。一汁三菜だと食べ終わるまでに2時間以上かかってしまいますから、正座でそれをやると足が痺れてしまいます。(笑)
 袱紗に包まれていますから、その解き方・縛り方、全部に決まりがあって、最近は不器用な方が多いですからなかなか出来ないのですが、ものすごく合理的な作法なんです。

___私も体験させて頂きましたが、その作法は無駄のない一連の流れで、様式美を感じました。

 無駄なことをするから間違えるんです。(笑)単純に考えればそれが一番良い方法なのに、勝手に想像してしまって、かえって難しくしているんです。

___器の持ち方や箸の持ち方が、通常の感覚とは違います。箸先を右に向けて置くのですね。

 そうすることで、そのまま器を持ち上げた時に箸を持ち替えなくて済むんです。

___究極のテーブルマナーですね。

 800年も前からそうしているんです。
 何よりも素晴らしいのは、応量器の中の一番大きい器を「頭鉢(ズハツ)」と言って、お釈迦様の頂骨をデザインしたものだとされているんです。つまり、仏像はなかなか触れることが出来ないですが、応量器には毎食口を付けたり触ったりしますから、お釈迦様に直接触れることができるという訳です。

___お釈迦様の頭蓋骨で頂くというのは、生々しい感じもします。

 ネイティブな文化では伝統的にあることです。チベット仏教でもそうですが、高僧とされる方の頂骨に漆をかけて、それで飲み物を飲むんです。日本の戦国時代でも、勇猛勇敢な武将が亡くなった時にその頭蓋骨に金箔をかけて杯にして、そのエネルギーを頂いたんです。

___とても尊い作業なんですね。

 「食禅」は「コミュニケーション・アート」だと私は考えています。食事の中の、研ぎすまされた部分です。その中に、お釈迦様からの2000年の時の流れを受けて「今」があるんです。そのお釈迦様とのコミュニケーションであり、800年間のお坊さんとのコミュニケーション、大地とのコミュニケーション、宇宙から繋がった自分と食べ物とのコミュニケーション。
 食事って、本来そういうコミュニケーションなんです。素晴らしいアートだと思います。

___片付ける時も、食事が終わると全部の器をタクアンとお湯で洗って、そして最後にそれを飲み干してしまう。

 本来はそれを流してしまうんです。でも食べ残しはもったいないので、それを飲み干してしまうんです。自分が下水になるということですね。そして、必要な栄養分と不要なものとを体の中で分けて行くんです。

___そして、飲み干すと同時に器もキレイになっている。

 エコでしょ。(笑) 最後は「如天甘露味」と言って、天の極楽のコズミック・スープなんです。
 本当の原点ですから、これは世界のどこへ行っても分かってもらえます。茶道もブームになっていて、ものすごく真剣ですね。

___禅では動物性の食べ物は摂らないのですか?

 出されたものは、基本的に何でも食べるんです。時代によって法があったりしましたが、決まりではないんです。



___アメリカでは、お粥ではなくてシリアルが出されるそうですね。
 
 そうです。ヨーグルトも出てきます。私が行った道場では、必ず抹茶を出してくれるんですが、チョコレートと一緒です。(笑)

___それは、その土地のものを食べるという「身土不二」の考えなのでしょうか?

 「マクロビオテック」に「禅」を付けて「ZENマクロ」という言葉があります。「身土不二」というのは、その土地の四里四方のものを食べようという考え方です。
 でも、日本食を食べるようになった最初の頃のアメリカ人は、どうもそれに慣れなかったようです。禅の道場で、お粥ばかり食べていて耐えられなくなって、そこの住職さんに頼み込んだらしいです。それからチェンジしたみたいです。

___そこまで禁欲的でなくても良いということなのですか?

 戒律ではない、ということです。ルールを決めるのは師匠なんです。だから禅では、どの師匠を選ぶのかということが大事です。この人に騙されるなら本望だと思えたら良いですね。(笑)
 私の場合は、そういう師匠だと思っていましたが、そうではなかったですね。キッカケは作ってくれましたが、感性が全然違っていました。
 ですから私は、自分の中にある過去からの記憶、自分が生き抜いてきた智慧、自分のDNAを、自分の師としたんです。

私は、野の草に戦略を感じるんです。
彼らはしたたかですよ。まさに「野心」ですね。(笑)
生きる為に存在しているんです。ただそれだけです。


 「3E」ということを私は言っています。「Eco,Ero,Ego/エコ、エロ、エゴ」です。
 「エコ」ということは、私たちは宇宙という大局の中にいるということです。その中で、花だって2つの性を持っている訳です。だから私はどんな小さな存在にも「エロ」を感じるんです。そして、そこにある戦略が「エゴ」なんです。結局、この3つの醸し出し方なんです。
 大上段に「エコ」などと言っても、何も変わらないでしょ? 「エロ」だって、実は大事なことですが、自分のことが分からないとなかなか難しい。そして「エゴ」はいけないと言うけれど、この世にエゴでないものなんて何一つ無いんです。
 だから、分かってもらう為に存在するのではなくて、生きる為に存在しているんです。ただそれだけです。

___その「存在」に寂しさを感じるのは、どうしてでしょうか?

 それは「エゴ」を認めて欲しいからでしょう。と言うよりも、むしろ「エロ」の方かも知れません。女性性だとか男性性だとかの問題でしょう。どちらかの性を持っている訳ですから、寂しさが癒されるということは、それを認めてもらえることでしょう。
 今の時代、その問題は解放されたようで、実は全く解放されていないんです。自分がどんどん狭められてきていて、人を愛することに制限をしなければいけなかったりするんです。そして、とてつもない寂しさに駆られるのではないでしょうか。
 だから私は、野の草に戦略を感じるんです。彼らはしたたかですよ。まさに「野心」ですね。(笑)彼らは手を組むときは組むけれど、所詮は「エゴ」なんです。人間だって本来そうです。「みんなで手を結ぼう」と言うけれど、いったい「みんな」というは誰のことでしょう?「個」が幸せでなければ全体は機能しないんです。
 でも、社会というのは何かの犠牲の上に成り立っています。個人が個人として認められた社会なんて、今までありません。世界は「エゴ」ですから、誰もそんなことを認めないんです。だから、認めてもらう為にいろいろなことを身に着けて来たんです。花だって、ハチに認めてもらいたくて葉っぱに色を着けたんです。

___「個性」ということについて考えることがあるのですが、自分らしくありたい思う反面、自分らしく振る舞うことに抵抗を持っている方が多いように感じます。

 それは、自分を自分が評価してしまうからでしょうね。しかも、その評価の基準が他人にあるからでしょう。「良い評価」というものを選んでいる訳です。誰も本当はあなたのことなんか受け容れていない、ということなんです。(笑)
 例えばキャリアが大切だと言うけれど、そのキャリアが自分に無ければ「自分はダメなんだ」と評価して、それに追い立てられているんです。その人の持っているものをそのままで受け容れてくれる場所がどこにも無くて、親ですら「素のまま」を受け容れてくれなかったりしますから。
 ですから、如何に「エゴ」を醸し出して行くのかということしかないんですよ。だって「エゴ」でないと分からないし、できるなら「良いエゴ」に騙されたいですよね。(笑)幸せはそこから始まるんです。

すべて物質はデザインする力があって、それは形を残す為なんです。
だから、私たちはデザインそのものなんです。
つまり宇宙には「意志」があるんです。


___捨てて行くことは、難しいことです。

 着ているのかどうかも分からないからでしょうね。
 何枚脱ぐかと言ったら、何枚着ているか分からないと脱げない。知らない間に着せられているから、着せられているのかどうかも分からないし、だから脱げない。

___着ていることに気づかないといけない、ということですね。

 無理矢理引き剥がしたりしないと分からなかったりします。
 そういう意味で、私にとってアートは「魂のストリップ」なんです。作品は、私が脱いだ服なんです。自分を表現するということは、脱ぎきって初めて成立する。自分の中にあるものを、包み隠さず表現する。それでも、脱いでみてまだ着ているものが見えてくるんです。

___それは、どこまで行っても脱ぎきれない、、

 そうですね。何万年という「私」の歴史がある訳で、枯渇することはあり得ない。

___DNAの来し方行方、ということですね。

 DNAだってデザインでしょ? すべて物質はデザインする力があって、それは形を残す為なんです。だから、すべてはデザイン、つまり宇宙には「意志」があるんです。私たちはデザインそのものなんです。だからそれを思えば、どんな人でも崇高で、何を見ても私は感激します。
 ファッションもそうです。あなたの持っている「心地良さ」が、そこに表れているんです。何万年を生き存えて来た「私」が「心地良さ」と合ったということです。

___そういう視点に到達できると、この宇宙は過不足がないですね。

 ただ「遊べ」と言っているだけです。目の前にある何を見ても、楽しくてしょうがない。(笑)
 「美しさ」って、いろいろあるんです。シンメトリーであったり、そういうものを美しいと感じるように私たちは出来ているんです。生物学的な美しさって、数学なんです。数学が無いと、何回も同じものをコピー出来ないですから。

___数学も「禅」ですよね!

 でも、数学は究極の「騙し」ですから。コピー作ること自体がね。だから、おカネにならないことはやらないでしょ?(笑)
 世の中すべて「騙し」なんです。だから、その「騙し」に乗ってあげないとつまらなかったり、乗りたくなければ乗らなければ良いんです。
 
『地蔵カフェ』


___禅を遊ぶ『地蔵カフェ』ということをなさっています。

 寺にカフェがあって、好きな時にお茶を飲みに行けたら良いと思ったんです。そういう場所があれば、和尚さんとのコミュニケーションが取れる。お坊さんって、一人一人がみんな面白いんです。でも、その良さがなかなか出し難い。それを私はオープンにして、自分のアートや精進料理を出したり、食禅をやったり。



 永平寺では春先から梅雨にかけて山に作務に入るんですが、その時に出てくるおにぎりが美味しいんです。それを「山作務ランチ」や「修行定食」として出したり。(笑)スペースを借りたりすることもあるし、「そういうものを食べたいから」と呼ばれたらそこへ行きます。料理が好きな弟子だったので、一緒にアメリカにも行って車で展開していました。
 今年は『食禅ツアー』ということをやっています。カフェだからどう、ということではなくて「よろず相談」なんです。
 今やりたいのは、トランスパーティのDJを自分がやって『地蔵レイブ』とかね。(笑)

___『地蔵レイブ』ですか!

 私たちは800年からの伝統がありますから。だって盆踊りは「盆ダンス」ですよ。(笑)

___そんな風に融合させて行く感性は、横須賀に育ったことが影響なさっているのでしょうか?

 そうだと思います。やんちゃなところはありますね。自分の中では、桃山や歌舞伎の婆娑羅な感じがあったりします。何か世の中が気に入らなかったり、偉そうな顔が嫌いだったり。そういうことをどうしたらユーモアのネタに出来るか、と思っています。
 禅宗の坊さんって、変な奴ばかりで面白いですよ。
(つづく)




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