Archive for June 2008

29 June

「海へ」

artist file "tanebito" #19 [2/3] 
木村 正宏 さん(がんこ本舗代表)

私が取材にお邪魔した時、木村さんは、目の前でひとつ実験を見せてくれました。
洗剤をまったく使わないで 油汚れを落とす実験です。

用意したのは、真っ白なピカピカのお皿と、マジックのペン。
木村さんは、その真っ白なお皿に、グリグリとマジックで落書きを始めたんです。

そして、
「これでこすってみて」と言って手渡されたのは、消しゴムでした。
それこそ、どこにでもあるフツーの消しゴムでしたが、
それでゴシゴシとやると、マジックの落書きはキレイに落ちるんです!

さらに、
「そのままだと力も必要だし、消しゴムのカスも出るから」と、
今度は、その消しゴムをコップの水にポチャンと濡らしたんです。

さて、濡らしたゴムで、油汚れをこするとどうなるか、、

是非、みなさんも一度お試しになってみて下さい。
本当にビックリするくらい、キレイに スッキリ、油汚れが落ちちゃうんです!



___あ、本当だ! キレイに落ちるんですね!

 はい。
 ここに存在するのは、ゴムと水。ゴムは相手を傷つけるほどの硬さはありませんが、汚れを吸い付ける力がある。摩擦の力で汚れは水の中に漂うんです。漂った汚れがこちらに吸着する。だから、如何に汚れとお皿の接着よりも強い吸着力を示させるか、なんです。そこで、ゴムです。ゴムだと繰り返し使えるし。

___そんな原始的なことで汚れは落ちるんですね。化学製品はいらないですね。

 いらないらない。
 みんなTVとかで「洗剤を使わないと汚れが落ちない」って頭の中に思い込まされているので、その思い込みを取ってあげる。

___これはビックリしますね!

 30年近く前に、この技術は出来上がっていたんです。

___ 「海へ」という洗剤の理論も、かなり斬新ですね。

 「汚れの正体は何か?」って考えたら、水に溶ける汚れ、油を含んだ汚れ、それからあと一つちょっと違って、染めるっていう汚れ、この3つに別れるんです。で、一番困っているのは油汚れなんです。この油汚れの最大のものが、タンカー事故で出たオイルじゃないですか。この処理を自然界の環境中で出来るようにしていけば、全ての問題は解決できる訳です。この一番大きな問題に取り組んで、考えて行ったら、洗濯用や台所用の洗剤が出来たということです。
 「暮らし」というものがあって、その「暮らし」の積み重ねで地球規模の環境汚染になるのであれば、最初から規模の大きい汚染を対象にして、その解決を考えれば「暮らし」に応用が出来る。そういう発想で作っていったんです。

___タンカー事故の時は、その処理の研究に携わったんですか?

 いや。事故がある度に自衛隊や大学のチームが出動する訳で、いろいろな研究機関を見つけるのが自分の仕事なんです。どうやって海洋タンカーの事故を処理してるのかなぁ、って。
 自分たちから見たら、オイルフェンスを張ったり、汲み取ったり、いろいろやっているでしょ? あれを大きなお皿だと思ってさ。(笑)あれは家庭では使えないような薬品も応急処置で使ってたりするんだけど、危なくないものを使って油を処理できれば良いなって、いろいろヒントを頂きながら、後は、勉強をたっぷりしたので「お願いしまぁす!」って神様に投げて、返って来た。(笑)

「地球に優しい」は、「人間に優しい」でしかない。
だから、二酸化炭素が増えちゃいけない理由は無いんだよ。(笑)


 洗剤や石鹸って、原料は何? 油だよね。お皿に残ってるのは何? 油だよね。これ、お皿から洗剤を作るんです。お皿に原料がある訳だから、反応させて洗剤に変えちゃうの。襟に油が付いてる訳。それを洗剤にすれば良いでしょ。
 洗剤を作ったんじゃなくて、洗剤にするものを作ったんです。普通はあり得ないんだけど、あり得ない普通のものを工夫して作った。普通の発想では、完全なる洗剤というものを作りあげて、お皿や襟から汚れというものを引きはがして溶かそうとする。でも、洗剤の原料の油がここにあるんだったら、それを利用して洗剤を作っちゃえば、余分なもの要らないじゃん。それは普通、強力な酸性剤や強力なアルカリ剤がなかったら難しいんだけど。

___これは一回使うと、みんなビックリするんですよね!

 ビックリするねぇ。考えられない。中に入っている洗浄成分の100倍の量の油を処理するんですよ。異常ですよ。
 普通の洗剤って、油を処理できないんですよ。油って、洗剤の粒子より細かいの。細かいものだから、取り囲んでも間から逃げて行っちゃうの。で、間から逃げないようにするには、ギッシリ詰め込まなきゃいけないって思うんですよ、みんな。ギッシリ詰め込んでも、小田原城の石垣にも隙間があるように、隙間から逃げていくんですよ。(笑)だから、量を増やしても逃げるものは逃げるんです。
 洗剤自身を油とほぼ同じくらいの粒子の大きさにすると、軽くて俊敏な動きをする子が出来るんです。そうるすと、その子が“油ちゃん”の周りを、まぁ俺の発想だからね、風を切りながらビュンビュン回る訳。(笑)「かごめかごめの法則」とか呼ばれてるんだけど、隙間だらけなのに出れないのよ。(笑)
 “油ちゃん”は、ものすごく地縁血族を大事にする子たちで、油を含んだものとすぐくっつく。自分と同じものだったら余計、もの凄い吸引力で、ラブラブになっちゃう。(笑)だから、ラブラブにならないように高速で周りをピューンってやってると、“油ちゃん”同士は見えてるんだけど、近づこうにも近づけない。
 そのうち、ごく小さい油は、微生物が吸収できる大きさになっちゃう。何だってそうだけど、自分の口より大きなアンパンは食べられないでしょ? どんどん小さくして行って、ミキサーにかけてもっと小さくして行ったら、口の中に入ったか入らないか分からないくらいになって、息してるだけで食べちゃったってことになる訳。

___なるほど! 後は微生物に分解してもらうということですね。

 まさしく!
 それは、特別な微生物を養っている訳じゃなくて、土の中や海や川に普通にいる微生物に食べられ易いようにしているんです。そうすると、まるで呼吸をしているように、勝手に微生物の体内に吸収される。後は、水と二酸化炭素に分解されて行く。

___微生物のためにゴハンを作ってあげるようなものですね。

 そうなの。(笑)でも、本来、微生物はそういうもの欲しくないの。無くて良いんだもん。もともと無いんだから。
 地中で、地下資源がなぜ眠っているのか?

___あぁ、そうか。要らないから残っている。。

 油は、金や銀のように地球にもともと存在していたものじゃないんです。生体内の化合物なんですよ。生物の体の中でしか作られないんです。

___生体というのは、植物のことでしょうか?

 そうです。
 もちろん今は人間の体の中でも作りますけど、なぜ植物が体の中で油をつくったのか? 名古屋女子大の奥山治美先生っていう食用油の研究者の方に教えてもらったんだけど、植物が氷河期を乗り越えるために、体内に脂肪分を貯めるメカニズムを作っていったんです。そして、その集約が「種」なんです。どんな乾燥や冷凍があっても、一定の適温に達すると発芽するシステムを作りあげて、それを守っているのが「脂肪」なの。

___凄いことですね!

 その凄いことを、「汚れ」とか言っちゃダメでしょ。(笑)

___それが蓄積されて、化石燃料になった。

 そうそうそう。
 別の見方で、物理の法則とかの説明も出来るんだけど、業者の人に変に使われると困るから喋れない。廃油回収業者が燃料に替えてくれるなら良いけど、処理するのにお金が掛かるからと言って、ウチの“洗剤の素ちゃん”を入れて流しちゃったら環境汚染にされちゃうじゃん。
 いくら良いものでもたくさんの量を流せば、栄養がいっぱい流れ込む訳だから、当然微生物たちは喜んでゴハンを食べます。彼らの体のキャパは決まっているから、繁殖という形で増えていく訳です。増えていく所に、またその微生物を餌にする者たちが集まって来て、だんだん生態系のバランスが崩れていく。
 だから、もともと微生物しかいなかった時代には、油は無かったんです。無いものは、処分できません。後から来たものだから、“微生物ちゃん”たちには誰もその才能が無かったの。だからずっと残ってる。

___じゃぁ、今人間が使ってあげて、地球は良かったのかも知れませんね。(笑)

 うん、もともと無くても良かったものだから。
 まぁ、それを言い始めると、もともと「酸素」なんてほとんど無かったからね。空が青く見えるのは酸素のせいで、火星のように二酸化炭素に覆われた大気であれば、赤い星なんだよね。地球も赤い星だったの。それで、二酸化炭素を消費して酸素を出す微生物が大繁殖した。餌がいっぱいあるから。で、酸素を出し過ぎて、自分たちの行為によって、ほとんどの種が滅んで行った。そして今、酸素の時代を我々が過ごしているというだけの話です。
 だから、二酸化炭素が増えちゃいけない理由は無いんだよ。(笑)「地球に優しい」は、「人間に優しい」でしかない。

___どこかで巧妙にすり替えていますね。

 すり替えてる。
 ここの存在する自分というものがどこから来たのか、ちゃんと考える。それを検証して行けばいろんなことが見えて来て、そしてこれから自分たちが何をしたら良いのか、どんなことだったら自分たちが居なかったのと同じように消滅できるのか。そういうことだよね。難しく考えなくても、「美しいものを作ろう」「美しい関係を作ろう」、そういうキーワードで「環境」なんて括れちゃうのかもよ。
 誰かが得して、誰かが損する。そういうものだってみんなが思い込むほど、俺は抵抗したいよね。ゲリラのように。(笑)

___今日は言葉以上のものをいただいています。
 
 あ、そう?
 騙されちゃいけないよ。(笑)

___でも、幸せなものだったら騙されてもいいですよね。(笑)

 そう!良い言葉だなぁ。だって、一生騙されていたらそれが真実になるからね。
 同じ目玉が付いて同じものを見ていても、意識の中では違っている訳ですから、だったら現実と嘘とはどういう違いがあるのかっていうことになっていくし。

___しかも、誰しもが世界を自分が見たいようにバイアスをかけて見ています。

 そうそう。

___どこまで削ぎ落としても、本当の真実には到達出来ないのかも知れませんね。

 出来ないでしょう。それはもう神様事の話だから。
 必要ないしね。
(つづく)


20:00:00 | milkyshadows | |

22 June

幸せの法則

artist file "tanebito" #19 [1/3] 
木村 正宏 さん(がんこ本舗代表)

「お客さん」っていう言葉は距離がある。
モノを通じて、向こう岸にいる人なんですよね。
「売るより一緒にやろうよ」って。


___洗剤の開発は、海洋タンカーの座礁事故から学んだということですが、座礁事故の処理に携わってらしたんですか?

 いや。俺ね、興味がある方向へ出掛けて行くんです。文献とか調べて、「勉強したい」って電話入れちゃう。日本だけじゃなくパリの工場や、ネパール、南インドにもありますけど、そこへ行って、自分の体で体感して持って帰る。
 たいてい研究されている人って、深いんですけど一方向で考えているんで、商品化するという表現力には乏しかったりするんです。こっちは表現者として訪れて「つまりこういうことなんなんですね?」っていうことをつかみ取れれば、あとは出来上がって行くんです。
 知識をお借りするだけじゃなくて、先生の息のかかった工場を使うことで、恩返しにもなるし。そこにオリジナルな考えもプラスαで入れて行って、モノが出来上がって行く。

___「表現者」とおっしゃいましたが、そういうスタンスをご自分に課してらっしゃるんですか?

 あのね、俺、自分がやっているのは「会社」じゃなくて「劇場」だと思ってるの。全員、役者なの。俺は劇団の団長であったり、脚本家であったり、演出家であったり、いろんな面があるけど俳優がいなかったら成り立たないでしょ? 大道具さんもいるし、小道具さんも、メイクさんもいる。

___そして、オーディエンスも。

 そうそう、もちろん!
 だから、そういう「劇場」のような感覚でみんなに見せて行く。「こんなやり方あるじゃん」って。必要以上に巨大な企業を目指す必要はなくて、「茅ヶ崎劇場」ですね。(笑)

___「等身大」というキーワードもおっしゃっています。

 それは必要でしょう! 必要と言うか、それしか出来ないのにそれ以上をやろうとすることの方が、ちょっと疲れるんじゃないの?

___手の届く範囲にしかリアリティって無いですものね。
 
 ないない。
 お客さんを作るより、友達を作った方が手っ取り早いでしょ。「お客さん」っていう言葉は距離がある。モノを通じて、向こう岸にいる人なんですよね。

___しかも、経済の関係ですね。

 そうだよね、どうしても。(笑)
 それで考えたのがフリマへ行くことだったんだよね。フリマは、お客さんと友達になれるじゃん。逆はないでしょ? 友達とお客さんになる、って言わないでしょ?「お客」から「友達」とか「仲間」という身近なものになって行く。友達だったら、「こういう洗剤あるんだよね」って言ったら「なんでオマエそんな洗剤の話するの?」「友達が作ってるから」って。(笑)友達が洗剤作ってるって、面白いじゃん。(笑)
 そうなってくると、連中が使って良ければだんだん伝わって行く。「売るより一緒にやろうよ」って。それで良いと思ってる。大きなことは何もする必要がない。

 こういう人が欲しいから、って集めるじゃないですか。それは機械でいいんですよ。何も人間じゃなくて良いじゃないですか。人間は感情がある。感情を持って生まれた者を機械のように使うっていうのは、自分の考えに反するんだよね。だって俺が嫌だもん。(笑)俺が嫌なことを他人にはしたくない。
 じゃぁどうしたら良いかって言うと、会社を人の幸せを追求できる所にしたい。人間が生まれた理由が幸せを追求することであれば、会社も人間が作ったものだから、幸せを追求する。人間って、関係性の動物なんだよね。関係性の中に、遺伝子自身が遺伝子そのものを保存して行く、未来永劫生命体であり続ける為のシステムを組み込んでいるんですよ。自分たちは「自分たちの意志で」って思い込んでいるけれど、それを操作しているのは遺伝子なんですよ。それが「本能」としていろいろな方向に持って行く訳です。だから、人との関わりっていう「多様性」、それは未来への存続を遺伝子が感じて我々を動かしているっていう真実を自分なりに見つけているつもり。
 大きな目標で動いている面もあるけど、基本はとにかく人の個性を伸ばして行くこと。それが会社の目的で良いじゃない。その結果、10年後にたこ焼きやをやっていたとか。(笑)面白いじゃん。「前は洗剤作ってたんだけど、今時代はたこ焼きだと思うんだよね」とか。(笑)

何かねぇ、今でもそうなんだけど、ハァハァ息が切れるの大好きなの。(笑)
ハァハァ言ってると生きてる気になれるんです。


 自分は愛媛県の宇和島っていう所の生まれで、育ったのが「ひろみ」って呼ばれる所なんです。自宅の近くに小さなせせらぎがあって、それが少し大きな川にぶつかって、それがさらにもう一つの大きな川にぶつかって、さらにその二つが高知県側でもう一つの大きな流れと合流するんです。そこで四万十川になる。割と海も近い所で、海に流れ込む方と山奥に向かって流れて行く方とあって、奥に流れて行く方に住んでたの。ちょっと山間をぬって行くと分水嶺がある訳です。
 何かねぇ、今でもそうなんだけど、ハァハァ息が切れるの大好きなの。(笑)ハァハァ言ってると生きてる気になれるんです。子どもの頃から走るのが好きで、耳のところでゴォーっていう音が聞きたくて走るの。「ゴォー」が好きなの。風を切る音。ずっとそれを感じていたくて、だから走るしかない。

___趣味は「実験」だそうですね。

 考えて閃いたら、即行動に移してみないと分からない。とにかくやっちゃう。やって失敗、というのは学びでしょ。だから、やればやるだけ狭まって行くというのかな。結論の導き方って人それぞれだと思うけど、自分は数学や物理という思考の傾向があるものだから「消去法」なの。これじゃなかった、というものをどんどん消して行くと、最後に残ったものが「本質」。
 例えば「太陽とは何だろう?」という投げかけに対して、それをハートだけで捉える表現の方法もあるじゃないですか。「生命」と捉える人も要るだろうし、「愛」というように捉える人もいる。そういう「愛」とか「生命」という言葉を自分の中に宿してくれる「太陽」というもの自身は一体どんな存在であるのか? その本質を見極めて行く為に、他の星と違うところはどこか、とやっていくと「太陽」というものが見えてくる。そうすると、心象風景を作ってくれている「太陽」を客観で捉えつつ、自分の中で起こった現象とがようやく結びついてくる。

___そういう手法は、「クリーエーション」や「アート」と同じですね。
 
 それだけですから。そのくらいしか遊び道具はないですよ。(笑)

___遊び道具なんですね。(笑)

 所詮暇つぶしですから。だって知らないんだもん。仕様がないよね。(笑)
  だから、小さいときから扱い難い子だったと思いますよ。親も大変だったと思います。本を買い与えるしかない。「どうして?」「何故?」ばかりですから、それが物理学や天文学に及ぶ質問になってくると、小学校2年くらいになると親は答えなくなって来ますよね。それで、どっさり本は買っていただきました。その本を読むのが面白いから、本を読んでいた。勉強するつもりはないんです。漫画を読むのと変わらない。いろいろな本を読んでいて、アイデアが浮かんだり、また違う謎に巡り会えたり。
 そんな子だから、会社は使い難い。スポンサーをやってくれているゴム工場で働こうと思ったんだけど、社内では使い難いって。他の人間が調和を取っている中に自分が入ると崩れちゃう。「どうして今の指示が出ているんですか?」「目的は何ですか?」ってすぐ聞いちゃう。「その目的を達成する為にだったら、方法論は一つじゃないですよね」と。要は、本来のモノゴトの核になるものを見つける為に、徹底してそうじゃない要素を排除して行く仕事をオープンにやると、周りの人間は厄介でしょ? 人の存在は無意味なものとは思ってないけど、逆なんですよ。人っていうものが生きる活かされる為に、不必要なものを省いて行こうってこうことです。

 今の仕事もそうですが、人間の生きる目的って幸せになりたいだけじゃないですか。それが分かっていれば、興味があることで幸せになる方法はどういうことかな、って。
 幸せっていうのは、飢えていたらあんまり実感することが出来ない。だから、飢えがない程度に収入を得るか、自分が作るか、或いは魚を獲ってくるか。そういう話じゃないですか。方法はどれでも良い。
 そういう感じですね。あまり情緒的でないですね。(笑)かなり論理的。

___そうは言っても、発するオーラは理屈っぽい感じではないですね。

 あ、その疑問なり謎の根本が、感情から来てるからですよ。感情に興味がある。今の自分の感情というものは、何故このようになっているのかという要素をキチッと見極めたい。だから、要らないものを省いて行ったら「あぁ俺がこういう気持ちになっているのはこれなんだな」って。
 おじいちゃんが亡くなった時に、泣くだろうと思ったら全然泣かないで、もう口をきいてくれなくなった亡骸が愛おしくて添い寝して、変ですねぇ。で、それは何故なのかと考えて行くと、「人の死とは何なのか?」「生とは何なのか?」って、いろいろと研究対象が見えてくる。それを、今の生きている自分のリアルな興味の中に持ち込むんです。
 そして、リアルな所では数学的にモノゴトを割り切って考える方だから、それがいつの間にか商品になっているだけ。「真実」なんて本来は到着できないものなんだけど、多角的に検証していかないと「真実」というものには到着しない。

人間なんて知れてるから、
神様に通じているのはそういう潜在意識の部分だと思う。


___さきほど「削ぎ落として行く」ということをおっしゃっていましたが、逆に「編み合わせて行く」作業も必要だということでしょうか?

 どうだろう? 意識的にする必要は全く無いと思う。
 ただ、いろんな角度から見ないとモノって分からないから、そういう見方はチャレンジして行く訳。今まで見たことのない方向から見ると「ああ!」って思う。その方からの見方を発見した時は、そういう見方が自分には欠如していたんだなと思うから、面白い。そうやって穴を埋めて行くようにジグゾーを組み合わせて行って、見えて来たものがおぼろげながら「真実」に近いものなのかなぁ。
 最終的なパズルを仕上げて、人に発表できる形になる、商品という形になる。ここの過程は、自分たちがやっているんじゃないんです。全部「神様」の力です。「宇宙」と言っても良いですけど。
 だって、お風呂入って「あぁ気持ち良い〜♪」とか行ってる時に、ボカーンって頭に電気が灯るの。(笑)「なんだ、これとこれを組み合わせて、ああやって、そうしたらコレ出来るじゃん!」とか。トイレ行ってスッキリした後、ドア開けながら「ほぉ」っとした一息の時に、ポコーンとアイデアが出て来たり。(笑)全部そう。
 人間なんて知れてるから、神様に通じているのはそういう潜在意識の部分だと思う。だから山登りと一緒で、出来ることはすべて自分の細胞に叩き込んで、後は神様任せ。神様は、編み方や組み方を知っている。そして、「自分が求めているのはこういうものなんです」というのを、潜在意識と神様が話するんじゃないの? 知らないけどさ。(笑)
 すべて「頂きもの」。頂きものを自慢できないでしょ? 自分のことのように言えない。だから、まして、ものを「売る」なんて出来ないよね。
(つづく)


20:00:00 | milkyshadows | |

08 June

あしがら理想郷構想

artist file "tanebito" #18 [3/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、
言ってみれば、
まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)


___これまで精力的に各地を視察なさっていますが、ヨーロッパなどでの印象的な事例をご紹介いただけますか?

 そもそもの話をすると、私は「足柄平野は可能性の大地で、素晴らしい未来がある」というようなことを前回市長選の時から言い続けていますが、今は実際そうはなっていないことがたくさんある訳です。だから理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、言ってみれば、まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)人は憧れだけで一つの目的を何年も掲げ続けることは出来ません。そういう意味で、私が憧れている、将来必ず到達したいと思っている足柄平野の姿を考える上で、その実現を既に果たしている地域の姿を見ることによって、「やっぱり出来る!」と勇気をもらう為にいろいろな地域を訪ねたんです。

 ヨーロッパは予てから行きたいと思っていました。スウェーデン、デンマーク、ドイツへ行きましたが、まさに私の憧れを実現している地域でした。そして行ってみて、「あぁ、やっぱりやれば出来るじゃないか!」と何度も膝を叩いた訳です。
 例えば日本の「行政」というのは、いろいろな計画を「市民参加」と言っておきながら、既に決まったものを市民に見せて「どうですか?」と言っている。つまり、市民の声を聞いてはいるけれど、市民の意見を反映するつもりはないかのようです。理想的には、計画を作る段階で市民の意見が充分に反映されて、それを基に、すべてとは言わないでもあらかたの納得の得られる計画を作って、それを実施に移して行くというプロセスだろうと思います。

 日本では「それは理想論だ」と言われてしまいますが、スウェーデンのストックホルムでは、その理想が現実として行われているんです。
 例えば大掛かりな再開発にしても、まだ計画の柔らかい段階のものが市役所のロビーに展示されていて「これは計画中ですので、市民の皆さまの意見を受け付けています」という表示までしているんです。そこで、当然いろいろな利害関係者がいろいろなことを言います。それをキチンと集約して、フィードバックして、「これをこう受け容れて、こう変えました」と。それを何回も延々とやるんです。そして、あらかた「行けそうだ」となったところで議会にかけて、承認を得て、予算がついて"GO"になるんです。

 ドイツのバルトキルヒでは、市を25地区に分割して、問題は地域の力で解決しています。全く理想的な、地域の住民による問題解決の事例です。行く先々でそうした事例に遭遇して勇気づけられました。
 だから、私の言っていることは絵空事ではないという確信を持っていますし、それは地球上のいろいろな所で実際に起こっていることで、今は出来ていなくてもそれを目指している所はたくさんあって、「やれる!」という実感を持っています。

 それから、印象的ということで申し上げるなら、岩手県の葛巻町ですね。葛巻町は、北上山地の真ん中で「岩手のチベット」と呼ばれているような所で、林業と牛くらいしか産業がないような、典型的な過疎の山村です。冬は氷点下で、いつも北西の風が吹き荒れていて、「こんな所によく住んでいるなぁ」と日本中から思われているような所だった訳です。
 そこがエネルギー自給率も食糧自給率も200%近くなっていて、日本の国家が破綻しても葛巻は生き残るという程になっているんです。

___葛巻では、その地域の方が自発的にそうした方向を見出して行ったのでしょうか?

 そうです。
 葛巻は、過疎の山間地に往々にしてある産業廃棄物処分場の計画が持ち上がって、現金収入がないですから産廃を誘致しようという人と、地域の自然の中で行きて行こうと言う人たちと、町論を真っ二つに割ったんです。その選挙で「自然と共に生きる」と言って勝ったのが、私の会った元町長の遠藤さんです。
 遠藤さんは小田原にもいらしてくれて、印象的な言葉をおっしゃっていました。「たとえこの町が経済的にダメになっても、自分たちはずっとこの町で生きて行く覚悟を決めている」と。その覚悟に触れて、私は本当に感銘を受けました。地域に対する「愛情」という言葉では済まない、何と言うんでしょう、その地域と一体になって生きて行く覚悟の凄さと言うんでしょうか。
 その遠藤さんに「小田原でも自然エネルギーを導入したいと思うので、そういった話をしに来てくれませんか?」とお願いをしたら、つくづくと「小田原はこんない良いものがいろいろとあって、あなた、これ以上何を望むの?」とおっしゃったんです。返す言葉がなかったです。(苦笑)
 葛巻は、本当に何もないところからアイデアをひねり出して、風車とミルクと、自生する山葡萄を使ったワインを、それこそ15年以上かけて難産の末に作っていったんです。町長も何代か変わっていく中で、今はそうしたいくつかの第三セクターが町の財政を支えています。だからと言って、それでもまだ町の未来は盤石ではないんです。そうした限られた大地の中で生き抜いている方々がいる訳ですから、葛巻のことを考えたら、この小田原で出来ないことなんてないですよ。
 小田原に無いのは、追いつめられて「何とかしなきゃいけない」という気迫であったり切実感だと思います。もしかしたら、大地震によってそれがもたらされてしまうのかなぁと思うこともありますが、そうした生きる死ぬに直面しないでもやって行けるようにハンドルを切って行きたいと思っています。

つまり小田原は、一つの地域圏としての理想的な姿を、
総合的な形で提示出来る可能性を持っていると思うんです。


___加藤さんは小田原のポテンシャルをとても強く信じてらっしゃいます。これから進めて行く改革は、他地域に向けてのモデルケースにもなり得るとお考えになっているともおっしゃっていました。

 私は、いろいろな町を国の内外問わず訪問して来ました。環境政策で先進的な町、福祉のコミュニティづくりで先進的な町、市街地の再生において先駆的な町。それぞれの町ごとにいろいろな先進事例がありますが、トータルにバランス良く取り組んで全体像として上手く行っている所は、まだそれほど無いんです。
 例えば、教育問題は教育のことだけを考えていてもおそらくダメなんです。大人たちが一生懸命街づくりにに取り組む生き様が子どもたちの心を開くとか、水源の森づくりに一緒に取り組むことで環境意識の高い子どもたちが育つとか、地域のお年寄りを支える活動を子どもたちと行うことで福祉の分野の裾野が広がるとか、それぞれの分野が密接に繋がり合っているんですね。そういう意味で小田原は、自然環境はあるし、都市の基盤もあるし、交通のインフラもある、産業もある、文化的土壌もある。いろいろな素材がすべてオールインワンで整っている地域なんです。
 だから、これだけ揃っているからこそ可能な取り組み方があるんです。つまり、一つの地域圏としての理想的な姿を総合的な形で提示出来る可能性を、小田原は持っていると思うんです。一番底辺に「自然環境」があって、その上に安心して暮らせる「人の営み」があって「経済活動」があって、さらにその上に、人をつくって新しい価値を構築して行くということが出てくる訳ですが、それを一体的な一つの自給自足・自主独立の地域経済圏というものが、私はこの地域には出来ると思っていて、それが私の目標でもあります。
 小田原はその可能性を充分に持っていると思います。

___加藤さんが主宰なさっているシンクタンクは『あしがら総研』とおしゃいますが、「あしがら」と掲げたことの背景にはそうした思い入れがあったのでしょうか?

 「小田原市」という行政区域は、あくまで便宜的なものでしかないと思っています。
 私は、人が生きる為に必要な地域基盤というものは、一つの水系でまとまると思うんですね。ここであれば酒匂川です。酒匂川によって開かれてきたのがこの足柄平野なんです。そこに注いでいるいろいろな川があって、その先にはその水を生み出している山がある。一つの水で繋がっている地域圏がある訳なんです。これが「足柄地域」です。
 まぁ必ずしも「あしがら」という言葉でなくても良いのですが、この2市8町(小田原市・南足柄市・松田町・大井町・開成町・山北町・中井町・箱根町・湯河原町・真鶴町)のエリアが、私たちが暮らす為に必要な「命のインフラ」だと思うんです。ですから小田原の中心街に暮らしていても、私たちの水源は山北町の玄倉川の上流や中川の一番奥にある訳で、やはりいつもそういった場所のイメージにも思いを馳せながらこの地域のことを考えて行く必要があると思っています。

___そうやって地図を見ると、視点が変わってきますね!

 そうでしょ。(笑) 私はこの地図を壁に貼ってあるんです。
 ただ残念ながら、「命のインフラ」と言うことで食糧自給率を考えると、足柄平野には水田がたくさんあるように見えますが、流域35万人の人口を通年で賄えるだけの米の生産量が無いんです。せいぜい2ヶ月分でしょう。だから結局、いくら豊かだと言っても、生きて行く為には遠くの農村地帯等と連携をして食糧を確保しなくてはいけない状況になってしまっているんです。
 もともと足柄平野は、穴を掘れば水が噴くくらいに水の豊かな所だったのですが、今は地下水のレベルがどんどん下がっているんです。それは、平野中をコンクリートで固めてしまって雨水が地中に行かないということもあるでしょうし、山が荒れてしまっている状況もあるでしょう。そういうことは目には見えませんが、いつもキチンと意識を払っておかないと危ないと思っています。
 これからは、中国やインドがいつどうなるか分からないですし、アメリカが転んでしまったらどうなるか分かりません。地球上で何か経済的な大変異があった時に、地域が食糧の安全を保障する盾になって行かなくてはならないと思うんです。せめて水や野菜や果物や、お米も出来るだけ地域の中で生産して、地域に住む方々の命を支えて行く仕組みをつくることが必要です。

___地域の問題が、グローバルな問題と繋がっていることを感じます。

 だから、そういうことを考えると、あまりノンビリはしていられないということなんです。どこの地方都市もすべからく、これからは生存が問われる時代になって行くと私は思っていますので、目先の経済的繁栄だけではなくて「10年後20年後にここで生きて行けるのか?」ということがとても重要なテーマになって来ると思うんです。今から手を打っておかないと、ある日突然水が出なくなるということだってあり得る訳です。
 市民の皆さんの命を守るということは、50年100年先まで見通して、基盤整備をキチンとして行くということだと思っています。

___その第一歩としては、どんなことから着手なさいますか?

 皆さんに実感してもらいやすいところから、一緒に汗を流して行くことでしょうか。
 分かりやすいのは、山が枯れているということでしょうね。私たちの命を支える水を生み出す元である沢が枯れているということが、山へ見に行けば分かります。明神ヶ岳の中腹まで行くと、沢がことごとく枯れ上がっているんです。土地の古老に聞けば、昔は飛び込めるほどの淵があったと言う所も、今は一滴も水が無いんです。それを見ると愕然とします。
 小田原市も現在、植樹活動はそれなりにやっていますが、もっと違う勢いでやって行く必要があるだろうと思います。そうした作業を、行政の職員と市民がタッグを組んで、同じレベルでやって行くということがとても大事で、そうでなければ難しいと思います。
 市民の生活の現場は24時間動いていますから、職員は5時になったら定時終了というのではなくて、少なくともそういう痛みが分かるような仕事の仕方をして行かなくてはいけないと思います。そういう意味で、せめて市民の皆さんとの共同作業は一生懸命やって行く。地域の問題の掘り起こしについても、率先して職員が地域を走り回って課題の拾い上げをして行く、というようにして行きたいですね。
 それから、これは他の自治体でやっていたことの受け売りですが「オラが町のカルテ」を作るんです。小学校区だと大きすぎるので自治会単位くらいが良いと思いますが、住んでいる町のことを先ず自分たちが知るということです。そういった共同作業を子どもからお年寄りまで一緒になってやってみるというのも、比較的分かりやすいアプローチの一つかなと思います。
 とは言え、こんなことは私が決めることではないので、市民の皆さんや職員の方々の知恵を総動員して、どうしたら一番早く一番効果的に理想の小田原に持ち込めるかということを一緒に考えて行くことが大事です。

水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。
自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。
私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。


___加藤さんの事務所には、『風の谷のナウシカ』が全巻揃っています。どんな興味でご覧になったのですか?

 映画を観たのは、封切りの時ではなくてずっと後でした。子どもが出来てからです。私も単純なので、困難に向かって行くナウシカの姿に感動しました。
 どうして事務所にナウシカがあるかというと、「風の谷」というのが一つの理想郷を示していると思っていて、私の後援会の機関誌は『風の谷便り』という名前です。「小田原は可能性の大地だ」とか「人に必要なすべてのものがここにはオールインワンである」というようなこと言って届かなくても、「風の谷のイメージです」と言うと子どもでも直感的に分かるということで、キーワードにしています。
 水が巡っていて、緑の大地があって、人々が子どもからお年寄りまで、皆で支え合って暮らしている訳です。まさにそういうことですよね。生かされる大地を守って、その上で人々が豊かに暮らして、お互いをいたわり合って行く地域の姿。そして、まさに酒匂川という大きな谷を共有しているイメージもあります。海から良い風も吹いて来ますし。

___街のサイズもコンパクトですよね。ちょうど手を広げた幅という感覚です。人の幸せは、手の届く距離にしかありませんから。

 おっしゃる通りです。
 横浜の中田宏市長は私と同い歳ですが、大変だろうなぁと思います。人がそこで生きて行くということのリアリティが、あのどこまでも続く住宅街の波を見ていても、私には掴めないですよ。小田原に育った私たちには、水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。そしてそれが、立つ場所や光の加減によって様々な表情を見せてくれます。これは本当に幸せなことだと思います。
 だからこそ、いろいろなことがイメージし易いと思うんです。横浜市で「持続可能な社会を!」と言っても「?」という感じだと思いますが、この土地だったら、環境も経済も福祉も教育も、皆さんイメージ出来ると思います。そういう意味で、私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。ですから、私たちはこれを活かして行く役割を与えられていると考えたいですね。
 私は「小田原から日本を変える」というような大げさなことを言うつもりはありませんが、少なくとも、そういう所へいつも通じて行くような取り組みをしたいですし、出来ると思っています。


20:00:00 | milkyshadows | |

01 June

地域社会と市民自治

artist file "tanebito" #18 [2/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

正々堂々と理想を語って、
理想の方に現実を合わせて行くことが大事だと思います。


___「加藤市長」に対しては、新しい質のリーダー像が期待されているように感じます。いわゆるカリスマ的なトップダウンではなく、コーディネーターやファシリテーターのような質と申し上げれば良いでしょうか。

 そうですね。これまでの人生を振り返っても、ガキ大将で「俺にツイテ来い」と言うのではなくて、どちらかと言うと、いつも全体を見ていて、自分が出るというよりも皆を出すことに腐心するタイプだと思います。
 ですからこういう状況になると、そうした古いタイプのリーダー像を期待する方々からすると「もっとガンガンやって欲しい」という声も頂戴しますが、私が上手くモノゴトを進めた経験の中では、各々の持っている能力や特徴をどう組み合わせると全体が一番良くなるか、というような立ち回り方を必ずしています。

___そうした手法でチームを束ねるにあたっては、構成員一人一人の自発性が強く求められます。

 全くその通りです。私の言ったようなことは皆さんの自発性によってしか成り立たないものなので、やはり、全体として何を目指すのかということをキチンと伝えていかないと、その共同作業は達成出来ないと思います。
 私は、目標の与え方は緩いと思います。もちろん、全体のビジョンはキチンと言いますし、「新しい事業の目的はこう変えます」ということは言います。そして「その為にはこういう手法に変えます」、「その時に皆さんの置かれたポジションはこういう役割になるから」と言って、「基本的に全部任せるから一番良い結果を出して欲しい」という形で投げます。
 そう言うと、迷ったり困ったりする人もいると思います。その辺は、必要に応じて手を出したりします。本当は一人で何でもやってしまった方が早いと思ったりしちゃうんです。(笑)

___とすると、重要なことは「目標とする大きな理念をどう与えるか」ということと、「底辺をどう活性化するか」という両端へのアプローチのようです。理念については、どのようなものを掲げ、どのように伝えて行こうとなさっているのでしょう?

 それには、人間が生きて行くことにおいて大事なことは何なのか、どうして行けば幸せな地域社会が築けるのか、ということについての認識は外せないと思うんです。その価値観が共有出来ないと、末端で間違えてしまうと思います。要は、どのように生きて行くことが大事なのかということの哲学を、小田原の市民で共有したいと思っています。
 別の言い方をすると、「理想的な地域社会の仕組みって何だろう?」ということです。いつまでも続けて行ける地域の仕組みはどういうものなのかということを、大前提の議論として、市民の皆さんと共有したいと思っています。もちろんそれは難しい言葉で言ってもダメなので、卑近な例に置き換えて伝えて行くことになると思います。
 そしてそこに到達する為に、「今地域の現状はこうだから何年かけてこうしましょう」という形で、とにかく地域としての理想の姿を、先に私は提示したいと思っています。とかく、キレイ事を言っても「それは理想論じゃないか、現実は甘くない」というような言葉が返って来ますが、私はそういう言葉が大嫌いで、やはり、現実に理想を合わせるのではなくて、理想の方に現実を合わせて行くことが大事だと思います。
 そういう街づくりのアプローチは世界中で始まっていますし、正々堂々と理想を語って行って、小田原や足柄平野だからこそ出来る取り組みがある訳ですから、それを子どもからお年寄りまでいろいろな言葉で共有して、そこからがスタートです。

___それが「持続可能な地域づくり」ということに繋がるのですね。

 そうです。
 当たり前のことですが、人間は自然と切り離されては生きて行けない訳ですから、一番の底辺には「豊かな自然環境」があって、命を支えるしっかりとした基盤があるということが大前提です。このことは、経済成長優先の時代にはオミットされてきたことですが、敢えてそれをやって行きたい。
 その上に、人が人として生きて行く為の「社会の仕組みづくり」です。人は一人では生きて行けませんから、お互いに支え合って行く為のものをキチンと作って行くことが次の段階です。そしてその上にようやく「経済活動」があって、お金としての生活の糧を得て行く、ということです。
 そしてさらにその上には、人をつくり、新しい価値を構築して行くということが出来てくるのだと思います。

行動が変わり意識が変わって、皆さんに実践として見て頂けるようになると、
小田原の方たちの気質ですから、
それは伝播して行くと私は信じています。


___一方で、一人一人の自発性を高める仕組みづくりとしては、どんなアイディアをお持ちでしょうか?

 自発性を高める為には、やはり現場に関心を持ってもらうしかないですよね。関心を持ってもらうには、そこに関わる楽しみを見出してもらうか、或いは、置かれている状況に対して問題意識を持ってもらうということしかないと思います。
 それが自然に起きれば御の字なのですが、なかなかそうもいかないでしょうから、市民が参加することで大きく前進するような「地域づくりのフロンティア」をたくさん作るということが一つだと思います。それは、意欲的な方々に、意気に感じて動いて頂くことになります。
 もう一つは、地域を支えて行く大人の責任として、「その地域の問題については基本的に地域で解決をするんだよ」というような市政運営の仕組みを持ち込みたいと考えています。例えば、今住んでいる地域の課題について、そこに暮らしている人たちが責任感を持って感じているかと言ったら、全然感じていない訳ですよ。これまで通り過ぎてしまっているような人たちが、「これじゃいけないな」と感じるかどうかということは、その解決を自分たちで担っているかどうかで決まるんだろうと思うんです。「これを放っておいても誰もしないぞ」とか、「これについて自分たちが意見を言って予算を市に求めれば下りるぞ」というような街づくりの回路が出来れば、それは関わって行くことにならざるを得なくなるでしょう。
 仕組みづくりのについては、工夫が必要ですし時間もかかると思いますが、地域ごとの自治の形に持ち込むしかないと考えています。いずれは小学校区を一つの単位にして、それぞれで地域の運営やより良い地域づくりについて、地域の方たちのいろいろな世代が満遍なく混ざり合って、顔を突き合わせてディスカッションをし、一緒に汗を流して動いて行くような、そんな活動の核づくりの動きを進めて行きたいですね。
 ですから、楽しみながら参加出来るような活動の「フロンティアづくり」と、地域の責任は自分たちが引き取って行くという意味での「地域運営の受け皿づくり」の両方が必要になるでしょうね。

___そうした展開に際しては、地域ごとで事情が違ったり、温度差があったりすると思います。具体的にモデルケースとして想定している地域があるのでしょうか?

 ええ。全市で25の小学校区がありますが、同時に導入できるとは全く思っていません。やはり、そういう土壌が比較的ある所とあまり無い所とあります。ですから、そういう取り組みに対して意欲的に動いて頂けそうな所に、先ず、チャレンジをして頂くことになると思います。
 そうして、その地域の方々の行動が変わり意識が変わって行くことで、皆さんに実践として見て頂けるようになると、小田原の方たちの気質ですから、それは伝播して行くと私は信じています。

私は、大地震が来ることは覚悟しています。
備蓄をするということ以上に大事なことは、
「お互いがお互いを支えて生き抜いて行く」ということなんです。


___防災については、どんなお考えをお持ちでしょうか?

 私は、大地震が来ることは覚悟しています。それは文字通り大きな、時代を変えるモーメントになると思います。
 阪神大震災の時に、私は地震発生後4日目に救援物資を2tトラックに満載して現地に入って、延べ20日くらいは向こうに行っていました。中越地震の時も、1週間後でしたが現地へ行っていろいろ様子も見て来ました。地震が起きた後の被災地の復旧ということについては、それなりに生々しく知っているつもりです。そうした現場の修羅場を見た時に、小田原の現状の中には、まだまだ備えが足りないことは多々あると思います。
 地震への備えというのは、「防災の器具を用意して、放水の訓練をして、、」ということだけではなくて、もっと大事なことは、被災した直後の瓦礫の中で「お互いがお互いを支えて生き抜いて行く」ということなんです。備蓄をするということ以上に、起きてしまったら如何に死なないようにするか、生き抜くか、復旧を一日も早くするか、ということなんです。
 これは防災訓練で訓練できることではなくて、日頃の地域の中での関わり合いの中でしか育めないと思うんです。例えば、阪神では被災地が西宮や芦屋や神戸とかの高級住宅街でしたから、地域の関わり合いは残念ながらあまり無かったんです。だから皆さん避難所で為す術なく、冷たいおにぎりが来るのを待っているしかなかったような状況で、大変でした。かたや中越では、皆さん日頃から集落単位での関係が出来上がっていますから「この子はどこの子で、どこのおばあちゃんはどういう体の不具合があって、、」ということも皆が知っていますので、避難所へ行けば、ボランティアが手を出す必要があまりなかったんです。これはコミュニティの力の差だと、それはハッキリしていました。小田原はその中間なので、そうしたことがスムーズに出来る地域と、やり難い地域と、あると思います。
 そういった意味で、「地震への備え」と「市民が主役になって支え合う地域」というのは全く表裏の関係で、一つのことなんです。だから防災訓練も、「炊き出し」と言わないで「芋煮会」ということにして年2回くらいやれば良い訳です。(笑)そういう時に、子どもたちに火の起こし方を教えたり、そこで酒盛りをしたって良い訳です。ちょっとした活かし方次第で、「防災訓練」と言ったら参加しないような人が「芋煮会」と言ったら来るかも知れないじゃないですか。
 そういったことですよね、万事が。
(つづく)


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