Archive for 03 February 2008

03 February

『六ヶ所村ラプソディー』

artist file "tanebito" #13 [1/4] 
鎌仲 ひとみ さん(映像作家 / 最近作『六ヶ所村ラプソディー』

今は大丈夫かも知れない。
でもその次の世代になった時に、もう放射性物質はお金を生まないんです。
それどころか汚染は蓄積して行く訳です。


___ 『六ヶ所村ラプソディー』の中で印象的だったことの一つは、六ヶ所村で核燃料再処理施設を受け入れる賛成派の方も反対派の方も、同じ言葉をおっしゃっているということです。「次の世代のため」なのだと。

 「次の世代のために」「子ども達のために」と言った時に、それが自分の息子の世代なのか、それとも7世代後のことなのかということでは違うと思うんですよ。私は、推進派の人たちは今目の前にいる子ども達が良い生活をする、より経済的に高い生活をするということを言っているんだと思うんです。でも、農業者の人たちが言っているのは、今の子ども達、また次の子ども達、そのまた次の子ども達と、彼らが守りたいものがずっと受け継がれて持続して行く、そして子ども達を生かし幸せにして行く「何か」を大事にしている訳です。
 推進派の人たちにとっては「経済的に豊かな生活」、それは今の目の前にいる子ども達くらいまではそうなると思います。今は大丈夫かも知れない。でもその次の世代になった時に、もう放射性物質はお金を生まないんです。お金は生まないけれど毒はある。それどころか、何十年か操業するごとに放射性物質が出てくることによって汚染は蓄積して行く訳です。10年後、20年後、50年後、汚染がある程度まで溜まった時に、たとえ経済的に豊かに暮らしていたとしても、そのリスクを抱え込むということは、果たして遺伝子を傷つけられずに次の世代をまた無事に健康に産んで幸せに暮らせるのか。「持続可能」というキーワードで考えると、どっちが持続可能なのでしょうか?
 エネルギーを使い続ける。これだけ必要だから、それなら原子力で作れば良いじゃないか。そんなふうに「欲望に合わせる」ということをやって行って今日のような事態になっている訳だから、やっぱり同じ言葉を言っているようでも内実は違うんだと思います。

___判断の基準となるタイムスケールが違うということでしょうか。

 そう、タイムスパンが違いますよね。
 でも人間のタイムスパンは短いから、やっぱり目の前の人が大事なのはもちろんです。目の前の生活が成り立たないのであれば、10年先20年先よりも今の生活が大事だと言うのは、誰しもそうだと思うんです。そういう意味で、そういうことを言っている人たちがオカシイとは言えないだろうと思うんですよね。

___タイムスパンの話と繋がるのですが、近頃よく環境問題などに関して「今すぐできる10のコト」というような類の提言を目にすることが多いのですが、「今すぐ」という発想自体が本質から外れて行ってしまいやすい発想なのかも知れませんね。

 そうですね。構造が深く変わらないと、事態は変わらないと思います。付け焼き刃でやっても大きくは変わらない。

自主上映は、人と人が繋がる。
それを企画して実行しようとする人たちが、
地域の問題に直接向き合ってぶつかってみる良い機会なんです。


___その辺は何かご提言がありますか?

 それは、私が映画を作っている時は答えが無くて、上映会をやる度にそこの人たちが考えるんです。
 このリーフレットは八ヶ岳での上映会の人たちが考えたものですが、「石油や原子力に頼らず、地球と共生できる道を選びたい」とあります。石油も無くなるしウランもなくなってしまうのですから、節電するとかしないとかではなくて持続可能な、この地球が再生産可能な量でどのようにしたら自分たちは暮らして行けるのか、ということを皆で考えたんですよ。地球をタマネギに喩えた絵を描いて、カルタを作ったんです。中を食い潰したら腐っちゃうから、タマネギの皮の上だけで暮らす工夫をしなくちゃいけないんだよね、って。

___なるほど。こうしたドキュメンタリー映画を自主上映して皆で観るという企画自体が、その先の展開を人々に考えさせるための仕掛けでもあるということですね。

 そうなんですよ。だから一人で観ちゃダメなんです。一人で観たら落ち込むだけ。(笑)
 自主上映は、人と人が繋がる。人の想いと想いが繋がったりする。それを企画して実行しようとする人たちが、地域の問題に直接向き合ってぶつかってみる良い機会なんです。長年ずっとその地域で平和や環境や保育や農業のことをやってきたようなグループが寄り集まって一緒に上映会をするパターンが多いのですが、その人達が『六ヶ所村ラプソディー』を観に来てください、と地域の人に呼びかける訳でしょ? そうしたら「何の映画なの? 六ヶ所村って何?」って聞かれる訳ですよ。「観たら何か良いことがあるの?」って。そうすると主催者は考えなくてはいけない。この映画観たら何か良いことがあるのかなって。(笑)
 だから、エネルギー問題や地域の問題をより深く考える機会を主催者側は与えられるし、呼び込まれて初めて来た人たちは考えがそこでスタートして、「私は何が出来るだろう?」と悩んだ時に「じゃぁ、この上映会を主催した人たちはどうなのかな?」と出会って参加して行くことにもなったりする。
 根っこはみんな繋がっているので、なにも「六ヶ所」だけやらなくてはいけない訳ではないんですよ。農業のことをやって行くと、今一番大きなテーマは、どうやって安全で安心なものを作ろうかということですよね。そんな時に、農薬はもちろん「放射性物質が入ったらどうしよう?」となるんです。「どうやって売るんだ?」「食べて大丈夫なのか?」「基準はどうなってるんだ?」って。平和のことをやっている人たちは「六ヶ所村の施設が動いたらプルトニウムが出来るけど日本は核武装の問題は大丈夫なんだろうか?」とか。それでお互いに情報交換が出来たりもするということです。

___感じたことを話し合ったりシェアすることで、自分の考えが確認されて行くということですね。

 人間って、人と話すことでしかインスパイアされないものなんじゃないかな、という気がします。私なんか、良いアイデアが浮かぶのは、誰かと全然関係ない話をしている時だったりするかも。(笑)

___そうすると、主催者側のファシリテーションの力が問われますね。

 だからいろいろなタイプの上映会があって、主催者によってすごくカラーが違うんですよね。本当はもっと前からそういうことをやって来なきゃならなかったのに、今いきなり始まったばかりだから皆すごく苦労なさってる。でも、すごく楽しいことだと思うんです。

何かが出来る、何かを変える。
すごくその可能性のある国なんですよ、日本って。


 日本って、官僚が腐っていたり政府が本当に国民のことを考えているのか分からないような、いろいろな問題がある国だけど、それでも世界中のいろいろな国と較べると、こんなに経済力がある人がたくさんいて、市民がこんなに自由に活動できる国なんて無いですよ。楽しくやれるんです。今のうちですよ。やれる時にやっておかないと。
 私はイラクの医療支援をやっていますけれど、外も歩けない。どこでいつテロに合うかも分からない。政府が言っていることに対して、私のように「本当に大丈夫なの? もっと皆で知って、相談しましょうよ!」なんてことをソ連のような所で言うと、エレベーターに乗っているところを撃ち殺されるとかね。(笑)いや本当ですよ。今のロシアでも、この10年くらいで数十人は殺されてるんじゃないでしょうか。或いは、生きるのに精一杯になってしまえば、もちろんそんなことも出来なくなる。
 だから、こんなに何かが出来る、何かを変える、すごくその可能性のある国なんですよ、日本って。それなのに、皆それにエネルギーを使わないし、それに気づいていないというのは勿体ないなぁと思うんですよね。

___そんな危機感まで意識が届いている人が、まだまだ少ないように感じます。

 日本の国の中にいたらブロックされて見えないし、マスコミも本当に危機がある酷い現実をハッキリと伝えることをやっていないかも知れないけれど、いったん日本の外へ出ると、そりゃぁもう大変ですよ! 生存を脅かされるような現場が、世界中にゴロゴロしている。
 そんな貧しい国に日本が行って、その人達の食糧をお金で買い叩いて来て、日本人はそれをちょいとカジって、毎日3000万人分を捨てている。それもエネルギーですよ。食糧自給率が低いから、遠い所から運んで来る。木材も、建築資材として運んで来る。その輸送のためのCO2を出すことをやっている。それは、お金を出したからと言って、奪って来る訳ですからねぇ。
(つづく)




[Read more of this post]
18:00:00 | milkyshadows | |

風の強い日に


風の強い日に、 
ベランダでいちばん元気だった鉢が萎れてしまった。

 恐るべし自然の力。
 生も死も一瞬の出来事。
 
鉢から崩れ落ちて、コンクリートの上にうなだれる緑を見ていたら、
つい、「自然の力」と「現代文明」について考え込んでしまった。

 どうして私たちは街の暮らしに憧れるのだろう?
 どうして私たちは自然を飼いならそうとしてきたのだろう?
 
 文明を批判する訳ではなく、
 私たちは
 「自然」に対してトラウマがあるのかも知れない。
 もしかしたら、
 カオスな「自然」に疲れてしまったのかも知れない。
 生々流転、諸行無常を、
 不確かなものとして諦めてしまったのかも知れない。
 
たしかに「自然」は「現代文明」よりノロマだし不確かだから、
人は一生のうちに、物語の結末までは見せてもらえない。
 
 つまり
 急ぎすぎなのかも知れない。

 私たちは、
 待つこと を、学ぶべきなのかも知れない。

時間をください。

 もう少し 世界を信じてみよう。
 もう少し 自分を赦してみよう。

 ひとつひとつが、もしも5ミリづつズレたら、世界は全く違う顔をする。

世界を変えるのには、
いったいどれほどの時間が必要なのだろう?

 それはもしかしたら、
 本当は、一瞬なのかも知れない。


17:50:00 | milkyshadows | |