Archive for 22 June 2008

22 June

幸せの法則

artist file "tanebito" #19 [1/3] 
木村 正宏 さん(がんこ本舗代表)

「お客さん」っていう言葉は距離がある。
モノを通じて、向こう岸にいる人なんですよね。
「売るより一緒にやろうよ」って。


___洗剤の開発は、海洋タンカーの座礁事故から学んだということですが、座礁事故の処理に携わってらしたんですか?

 いや。俺ね、興味がある方向へ出掛けて行くんです。文献とか調べて、「勉強したい」って電話入れちゃう。日本だけじゃなくパリの工場や、ネパール、南インドにもありますけど、そこへ行って、自分の体で体感して持って帰る。
 たいてい研究されている人って、深いんですけど一方向で考えているんで、商品化するという表現力には乏しかったりするんです。こっちは表現者として訪れて「つまりこういうことなんなんですね?」っていうことをつかみ取れれば、あとは出来上がって行くんです。
 知識をお借りするだけじゃなくて、先生の息のかかった工場を使うことで、恩返しにもなるし。そこにオリジナルな考えもプラスαで入れて行って、モノが出来上がって行く。

___「表現者」とおっしゃいましたが、そういうスタンスをご自分に課してらっしゃるんですか?

 あのね、俺、自分がやっているのは「会社」じゃなくて「劇場」だと思ってるの。全員、役者なの。俺は劇団の団長であったり、脚本家であったり、演出家であったり、いろんな面があるけど俳優がいなかったら成り立たないでしょ? 大道具さんもいるし、小道具さんも、メイクさんもいる。

___そして、オーディエンスも。

 そうそう、もちろん!
 だから、そういう「劇場」のような感覚でみんなに見せて行く。「こんなやり方あるじゃん」って。必要以上に巨大な企業を目指す必要はなくて、「茅ヶ崎劇場」ですね。(笑)

___「等身大」というキーワードもおっしゃっています。

 それは必要でしょう! 必要と言うか、それしか出来ないのにそれ以上をやろうとすることの方が、ちょっと疲れるんじゃないの?

___手の届く範囲にしかリアリティって無いですものね。
 
 ないない。
 お客さんを作るより、友達を作った方が手っ取り早いでしょ。「お客さん」っていう言葉は距離がある。モノを通じて、向こう岸にいる人なんですよね。

___しかも、経済の関係ですね。

 そうだよね、どうしても。(笑)
 それで考えたのがフリマへ行くことだったんだよね。フリマは、お客さんと友達になれるじゃん。逆はないでしょ? 友達とお客さんになる、って言わないでしょ?「お客」から「友達」とか「仲間」という身近なものになって行く。友達だったら、「こういう洗剤あるんだよね」って言ったら「なんでオマエそんな洗剤の話するの?」「友達が作ってるから」って。(笑)友達が洗剤作ってるって、面白いじゃん。(笑)
 そうなってくると、連中が使って良ければだんだん伝わって行く。「売るより一緒にやろうよ」って。それで良いと思ってる。大きなことは何もする必要がない。

 こういう人が欲しいから、って集めるじゃないですか。それは機械でいいんですよ。何も人間じゃなくて良いじゃないですか。人間は感情がある。感情を持って生まれた者を機械のように使うっていうのは、自分の考えに反するんだよね。だって俺が嫌だもん。(笑)俺が嫌なことを他人にはしたくない。
 じゃぁどうしたら良いかって言うと、会社を人の幸せを追求できる所にしたい。人間が生まれた理由が幸せを追求することであれば、会社も人間が作ったものだから、幸せを追求する。人間って、関係性の動物なんだよね。関係性の中に、遺伝子自身が遺伝子そのものを保存して行く、未来永劫生命体であり続ける為のシステムを組み込んでいるんですよ。自分たちは「自分たちの意志で」って思い込んでいるけれど、それを操作しているのは遺伝子なんですよ。それが「本能」としていろいろな方向に持って行く訳です。だから、人との関わりっていう「多様性」、それは未来への存続を遺伝子が感じて我々を動かしているっていう真実を自分なりに見つけているつもり。
 大きな目標で動いている面もあるけど、基本はとにかく人の個性を伸ばして行くこと。それが会社の目的で良いじゃない。その結果、10年後にたこ焼きやをやっていたとか。(笑)面白いじゃん。「前は洗剤作ってたんだけど、今時代はたこ焼きだと思うんだよね」とか。(笑)

何かねぇ、今でもそうなんだけど、ハァハァ息が切れるの大好きなの。(笑)
ハァハァ言ってると生きてる気になれるんです。


 自分は愛媛県の宇和島っていう所の生まれで、育ったのが「ひろみ」って呼ばれる所なんです。自宅の近くに小さなせせらぎがあって、それが少し大きな川にぶつかって、それがさらにもう一つの大きな川にぶつかって、さらにその二つが高知県側でもう一つの大きな流れと合流するんです。そこで四万十川になる。割と海も近い所で、海に流れ込む方と山奥に向かって流れて行く方とあって、奥に流れて行く方に住んでたの。ちょっと山間をぬって行くと分水嶺がある訳です。
 何かねぇ、今でもそうなんだけど、ハァハァ息が切れるの大好きなの。(笑)ハァハァ言ってると生きてる気になれるんです。子どもの頃から走るのが好きで、耳のところでゴォーっていう音が聞きたくて走るの。「ゴォー」が好きなの。風を切る音。ずっとそれを感じていたくて、だから走るしかない。

___趣味は「実験」だそうですね。

 考えて閃いたら、即行動に移してみないと分からない。とにかくやっちゃう。やって失敗、というのは学びでしょ。だから、やればやるだけ狭まって行くというのかな。結論の導き方って人それぞれだと思うけど、自分は数学や物理という思考の傾向があるものだから「消去法」なの。これじゃなかった、というものをどんどん消して行くと、最後に残ったものが「本質」。
 例えば「太陽とは何だろう?」という投げかけに対して、それをハートだけで捉える表現の方法もあるじゃないですか。「生命」と捉える人も要るだろうし、「愛」というように捉える人もいる。そういう「愛」とか「生命」という言葉を自分の中に宿してくれる「太陽」というもの自身は一体どんな存在であるのか? その本質を見極めて行く為に、他の星と違うところはどこか、とやっていくと「太陽」というものが見えてくる。そうすると、心象風景を作ってくれている「太陽」を客観で捉えつつ、自分の中で起こった現象とがようやく結びついてくる。

___そういう手法は、「クリーエーション」や「アート」と同じですね。
 
 それだけですから。そのくらいしか遊び道具はないですよ。(笑)

___遊び道具なんですね。(笑)

 所詮暇つぶしですから。だって知らないんだもん。仕様がないよね。(笑)
  だから、小さいときから扱い難い子だったと思いますよ。親も大変だったと思います。本を買い与えるしかない。「どうして?」「何故?」ばかりですから、それが物理学や天文学に及ぶ質問になってくると、小学校2年くらいになると親は答えなくなって来ますよね。それで、どっさり本は買っていただきました。その本を読むのが面白いから、本を読んでいた。勉強するつもりはないんです。漫画を読むのと変わらない。いろいろな本を読んでいて、アイデアが浮かんだり、また違う謎に巡り会えたり。
 そんな子だから、会社は使い難い。スポンサーをやってくれているゴム工場で働こうと思ったんだけど、社内では使い難いって。他の人間が調和を取っている中に自分が入ると崩れちゃう。「どうして今の指示が出ているんですか?」「目的は何ですか?」ってすぐ聞いちゃう。「その目的を達成する為にだったら、方法論は一つじゃないですよね」と。要は、本来のモノゴトの核になるものを見つける為に、徹底してそうじゃない要素を排除して行く仕事をオープンにやると、周りの人間は厄介でしょ? 人の存在は無意味なものとは思ってないけど、逆なんですよ。人っていうものが生きる活かされる為に、不必要なものを省いて行こうってこうことです。

 今の仕事もそうですが、人間の生きる目的って幸せになりたいだけじゃないですか。それが分かっていれば、興味があることで幸せになる方法はどういうことかな、って。
 幸せっていうのは、飢えていたらあんまり実感することが出来ない。だから、飢えがない程度に収入を得るか、自分が作るか、或いは魚を獲ってくるか。そういう話じゃないですか。方法はどれでも良い。
 そういう感じですね。あまり情緒的でないですね。(笑)かなり論理的。

___そうは言っても、発するオーラは理屈っぽい感じではないですね。

 あ、その疑問なり謎の根本が、感情から来てるからですよ。感情に興味がある。今の自分の感情というものは、何故このようになっているのかという要素をキチッと見極めたい。だから、要らないものを省いて行ったら「あぁ俺がこういう気持ちになっているのはこれなんだな」って。
 おじいちゃんが亡くなった時に、泣くだろうと思ったら全然泣かないで、もう口をきいてくれなくなった亡骸が愛おしくて添い寝して、変ですねぇ。で、それは何故なのかと考えて行くと、「人の死とは何なのか?」「生とは何なのか?」って、いろいろと研究対象が見えてくる。それを、今の生きている自分のリアルな興味の中に持ち込むんです。
 そして、リアルな所では数学的にモノゴトを割り切って考える方だから、それがいつの間にか商品になっているだけ。「真実」なんて本来は到着できないものなんだけど、多角的に検証していかないと「真実」というものには到着しない。

人間なんて知れてるから、
神様に通じているのはそういう潜在意識の部分だと思う。


___さきほど「削ぎ落として行く」ということをおっしゃっていましたが、逆に「編み合わせて行く」作業も必要だということでしょうか?

 どうだろう? 意識的にする必要は全く無いと思う。
 ただ、いろんな角度から見ないとモノって分からないから、そういう見方はチャレンジして行く訳。今まで見たことのない方向から見ると「ああ!」って思う。その方からの見方を発見した時は、そういう見方が自分には欠如していたんだなと思うから、面白い。そうやって穴を埋めて行くようにジグゾーを組み合わせて行って、見えて来たものがおぼろげながら「真実」に近いものなのかなぁ。
 最終的なパズルを仕上げて、人に発表できる形になる、商品という形になる。ここの過程は、自分たちがやっているんじゃないんです。全部「神様」の力です。「宇宙」と言っても良いですけど。
 だって、お風呂入って「あぁ気持ち良い〜♪」とか行ってる時に、ボカーンって頭に電気が灯るの。(笑)「なんだ、これとこれを組み合わせて、ああやって、そうしたらコレ出来るじゃん!」とか。トイレ行ってスッキリした後、ドア開けながら「ほぉ」っとした一息の時に、ポコーンとアイデアが出て来たり。(笑)全部そう。
 人間なんて知れてるから、神様に通じているのはそういう潜在意識の部分だと思う。だから山登りと一緒で、出来ることはすべて自分の細胞に叩き込んで、後は神様任せ。神様は、編み方や組み方を知っている。そして、「自分が求めているのはこういうものなんです」というのを、潜在意識と神様が話するんじゃないの? 知らないけどさ。(笑)
 すべて「頂きもの」。頂きものを自慢できないでしょ? 自分のことのように言えない。だから、まして、ものを「売る」なんて出来ないよね。
(つづく)


20:00:00 | milkyshadows | |