08 June

あしがら理想郷構想

artist file "tanebito" #18 [3/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、
言ってみれば、
まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)


___これまで精力的に各地を視察なさっていますが、ヨーロッパなどでの印象的な事例をご紹介いただけますか?

 そもそもの話をすると、私は「足柄平野は可能性の大地で、素晴らしい未来がある」というようなことを前回市長選の時から言い続けていますが、今は実際そうはなっていないことがたくさんある訳です。だから理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、言ってみれば、まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)人は憧れだけで一つの目的を何年も掲げ続けることは出来ません。そういう意味で、私が憧れている、将来必ず到達したいと思っている足柄平野の姿を考える上で、その実現を既に果たしている地域の姿を見ることによって、「やっぱり出来る!」と勇気をもらう為にいろいろな地域を訪ねたんです。

 ヨーロッパは予てから行きたいと思っていました。スウェーデン、デンマーク、ドイツへ行きましたが、まさに私の憧れを実現している地域でした。そして行ってみて、「あぁ、やっぱりやれば出来るじゃないか!」と何度も膝を叩いた訳です。
 例えば日本の「行政」というのは、いろいろな計画を「市民参加」と言っておきながら、既に決まったものを市民に見せて「どうですか?」と言っている。つまり、市民の声を聞いてはいるけれど、市民の意見を反映するつもりはないかのようです。理想的には、計画を作る段階で市民の意見が充分に反映されて、それを基に、すべてとは言わないでもあらかたの納得の得られる計画を作って、それを実施に移して行くというプロセスだろうと思います。

 日本では「それは理想論だ」と言われてしまいますが、スウェーデンのストックホルムでは、その理想が現実として行われているんです。
 例えば大掛かりな再開発にしても、まだ計画の柔らかい段階のものが市役所のロビーに展示されていて「これは計画中ですので、市民の皆さまの意見を受け付けています」という表示までしているんです。そこで、当然いろいろな利害関係者がいろいろなことを言います。それをキチンと集約して、フィードバックして、「これをこう受け容れて、こう変えました」と。それを何回も延々とやるんです。そして、あらかた「行けそうだ」となったところで議会にかけて、承認を得て、予算がついて"GO"になるんです。

 ドイツのバルトキルヒでは、市を25地区に分割して、問題は地域の力で解決しています。全く理想的な、地域の住民による問題解決の事例です。行く先々でそうした事例に遭遇して勇気づけられました。
 だから、私の言っていることは絵空事ではないという確信を持っていますし、それは地球上のいろいろな所で実際に起こっていることで、今は出来ていなくてもそれを目指している所はたくさんあって、「やれる!」という実感を持っています。

 それから、印象的ということで申し上げるなら、岩手県の葛巻町ですね。葛巻町は、北上山地の真ん中で「岩手のチベット」と呼ばれているような所で、林業と牛くらいしか産業がないような、典型的な過疎の山村です。冬は氷点下で、いつも北西の風が吹き荒れていて、「こんな所によく住んでいるなぁ」と日本中から思われているような所だった訳です。
 そこがエネルギー自給率も食糧自給率も200%近くなっていて、日本の国家が破綻しても葛巻は生き残るという程になっているんです。

___葛巻では、その地域の方が自発的にそうした方向を見出して行ったのでしょうか?

 そうです。
 葛巻は、過疎の山間地に往々にしてある産業廃棄物処分場の計画が持ち上がって、現金収入がないですから産廃を誘致しようという人と、地域の自然の中で行きて行こうと言う人たちと、町論を真っ二つに割ったんです。その選挙で「自然と共に生きる」と言って勝ったのが、私の会った元町長の遠藤さんです。
 遠藤さんは小田原にもいらしてくれて、印象的な言葉をおっしゃっていました。「たとえこの町が経済的にダメになっても、自分たちはずっとこの町で生きて行く覚悟を決めている」と。その覚悟に触れて、私は本当に感銘を受けました。地域に対する「愛情」という言葉では済まない、何と言うんでしょう、その地域と一体になって生きて行く覚悟の凄さと言うんでしょうか。
 その遠藤さんに「小田原でも自然エネルギーを導入したいと思うので、そういった話をしに来てくれませんか?」とお願いをしたら、つくづくと「小田原はこんない良いものがいろいろとあって、あなた、これ以上何を望むの?」とおっしゃったんです。返す言葉がなかったです。(苦笑)
 葛巻は、本当に何もないところからアイデアをひねり出して、風車とミルクと、自生する山葡萄を使ったワインを、それこそ15年以上かけて難産の末に作っていったんです。町長も何代か変わっていく中で、今はそうしたいくつかの第三セクターが町の財政を支えています。だからと言って、それでもまだ町の未来は盤石ではないんです。そうした限られた大地の中で生き抜いている方々がいる訳ですから、葛巻のことを考えたら、この小田原で出来ないことなんてないですよ。
 小田原に無いのは、追いつめられて「何とかしなきゃいけない」という気迫であったり切実感だと思います。もしかしたら、大地震によってそれがもたらされてしまうのかなぁと思うこともありますが、そうした生きる死ぬに直面しないでもやって行けるようにハンドルを切って行きたいと思っています。

つまり小田原は、一つの地域圏としての理想的な姿を、
総合的な形で提示出来る可能性を持っていると思うんです。


___加藤さんは小田原のポテンシャルをとても強く信じてらっしゃいます。これから進めて行く改革は、他地域に向けてのモデルケースにもなり得るとお考えになっているともおっしゃっていました。

 私は、いろいろな町を国の内外問わず訪問して来ました。環境政策で先進的な町、福祉のコミュニティづくりで先進的な町、市街地の再生において先駆的な町。それぞれの町ごとにいろいろな先進事例がありますが、トータルにバランス良く取り組んで全体像として上手く行っている所は、まだそれほど無いんです。
 例えば、教育問題は教育のことだけを考えていてもおそらくダメなんです。大人たちが一生懸命街づくりにに取り組む生き様が子どもたちの心を開くとか、水源の森づくりに一緒に取り組むことで環境意識の高い子どもたちが育つとか、地域のお年寄りを支える活動を子どもたちと行うことで福祉の分野の裾野が広がるとか、それぞれの分野が密接に繋がり合っているんですね。そういう意味で小田原は、自然環境はあるし、都市の基盤もあるし、交通のインフラもある、産業もある、文化的土壌もある。いろいろな素材がすべてオールインワンで整っている地域なんです。
 だから、これだけ揃っているからこそ可能な取り組み方があるんです。つまり、一つの地域圏としての理想的な姿を総合的な形で提示出来る可能性を、小田原は持っていると思うんです。一番底辺に「自然環境」があって、その上に安心して暮らせる「人の営み」があって「経済活動」があって、さらにその上に、人をつくって新しい価値を構築して行くということが出てくる訳ですが、それを一体的な一つの自給自足・自主独立の地域経済圏というものが、私はこの地域には出来ると思っていて、それが私の目標でもあります。
 小田原はその可能性を充分に持っていると思います。

___加藤さんが主宰なさっているシンクタンクは『あしがら総研』とおしゃいますが、「あしがら」と掲げたことの背景にはそうした思い入れがあったのでしょうか?

 「小田原市」という行政区域は、あくまで便宜的なものでしかないと思っています。
 私は、人が生きる為に必要な地域基盤というものは、一つの水系でまとまると思うんですね。ここであれば酒匂川です。酒匂川によって開かれてきたのがこの足柄平野なんです。そこに注いでいるいろいろな川があって、その先にはその水を生み出している山がある。一つの水で繋がっている地域圏がある訳なんです。これが「足柄地域」です。
 まぁ必ずしも「あしがら」という言葉でなくても良いのですが、この2市8町(小田原市・南足柄市・松田町・大井町・開成町・山北町・中井町・箱根町・湯河原町・真鶴町)のエリアが、私たちが暮らす為に必要な「命のインフラ」だと思うんです。ですから小田原の中心街に暮らしていても、私たちの水源は山北町の玄倉川の上流や中川の一番奥にある訳で、やはりいつもそういった場所のイメージにも思いを馳せながらこの地域のことを考えて行く必要があると思っています。

___そうやって地図を見ると、視点が変わってきますね!

 そうでしょ。(笑) 私はこの地図を壁に貼ってあるんです。
 ただ残念ながら、「命のインフラ」と言うことで食糧自給率を考えると、足柄平野には水田がたくさんあるように見えますが、流域35万人の人口を通年で賄えるだけの米の生産量が無いんです。せいぜい2ヶ月分でしょう。だから結局、いくら豊かだと言っても、生きて行く為には遠くの農村地帯等と連携をして食糧を確保しなくてはいけない状況になってしまっているんです。
 もともと足柄平野は、穴を掘れば水が噴くくらいに水の豊かな所だったのですが、今は地下水のレベルがどんどん下がっているんです。それは、平野中をコンクリートで固めてしまって雨水が地中に行かないということもあるでしょうし、山が荒れてしまっている状況もあるでしょう。そういうことは目には見えませんが、いつもキチンと意識を払っておかないと危ないと思っています。
 これからは、中国やインドがいつどうなるか分からないですし、アメリカが転んでしまったらどうなるか分かりません。地球上で何か経済的な大変異があった時に、地域が食糧の安全を保障する盾になって行かなくてはならないと思うんです。せめて水や野菜や果物や、お米も出来るだけ地域の中で生産して、地域に住む方々の命を支えて行く仕組みをつくることが必要です。

___地域の問題が、グローバルな問題と繋がっていることを感じます。

 だから、そういうことを考えると、あまりノンビリはしていられないということなんです。どこの地方都市もすべからく、これからは生存が問われる時代になって行くと私は思っていますので、目先の経済的繁栄だけではなくて「10年後20年後にここで生きて行けるのか?」ということがとても重要なテーマになって来ると思うんです。今から手を打っておかないと、ある日突然水が出なくなるということだってあり得る訳です。
 市民の皆さんの命を守るということは、50年100年先まで見通して、基盤整備をキチンとして行くということだと思っています。

___その第一歩としては、どんなことから着手なさいますか?

 皆さんに実感してもらいやすいところから、一緒に汗を流して行くことでしょうか。
 分かりやすいのは、山が枯れているということでしょうね。私たちの命を支える水を生み出す元である沢が枯れているということが、山へ見に行けば分かります。明神ヶ岳の中腹まで行くと、沢がことごとく枯れ上がっているんです。土地の古老に聞けば、昔は飛び込めるほどの淵があったと言う所も、今は一滴も水が無いんです。それを見ると愕然とします。
 小田原市も現在、植樹活動はそれなりにやっていますが、もっと違う勢いでやって行く必要があるだろうと思います。そうした作業を、行政の職員と市民がタッグを組んで、同じレベルでやって行くということがとても大事で、そうでなければ難しいと思います。
 市民の生活の現場は24時間動いていますから、職員は5時になったら定時終了というのではなくて、少なくともそういう痛みが分かるような仕事の仕方をして行かなくてはいけないと思います。そういう意味で、せめて市民の皆さんとの共同作業は一生懸命やって行く。地域の問題の掘り起こしについても、率先して職員が地域を走り回って課題の拾い上げをして行く、というようにして行きたいですね。
 それから、これは他の自治体でやっていたことの受け売りですが「オラが町のカルテ」を作るんです。小学校区だと大きすぎるので自治会単位くらいが良いと思いますが、住んでいる町のことを先ず自分たちが知るということです。そういった共同作業を子どもからお年寄りまで一緒になってやってみるというのも、比較的分かりやすいアプローチの一つかなと思います。
 とは言え、こんなことは私が決めることではないので、市民の皆さんや職員の方々の知恵を総動員して、どうしたら一番早く一番効果的に理想の小田原に持ち込めるかということを一緒に考えて行くことが大事です。

水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。
自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。
私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。


___加藤さんの事務所には、『風の谷のナウシカ』が全巻揃っています。どんな興味でご覧になったのですか?

 映画を観たのは、封切りの時ではなくてずっと後でした。子どもが出来てからです。私も単純なので、困難に向かって行くナウシカの姿に感動しました。
 どうして事務所にナウシカがあるかというと、「風の谷」というのが一つの理想郷を示していると思っていて、私の後援会の機関誌は『風の谷便り』という名前です。「小田原は可能性の大地だ」とか「人に必要なすべてのものがここにはオールインワンである」というようなこと言って届かなくても、「風の谷のイメージです」と言うと子どもでも直感的に分かるということで、キーワードにしています。
 水が巡っていて、緑の大地があって、人々が子どもからお年寄りまで、皆で支え合って暮らしている訳です。まさにそういうことですよね。生かされる大地を守って、その上で人々が豊かに暮らして、お互いをいたわり合って行く地域の姿。そして、まさに酒匂川という大きな谷を共有しているイメージもあります。海から良い風も吹いて来ますし。

___街のサイズもコンパクトですよね。ちょうど手を広げた幅という感覚です。人の幸せは、手の届く距離にしかありませんから。

 おっしゃる通りです。
 横浜の中田宏市長は私と同い歳ですが、大変だろうなぁと思います。人がそこで生きて行くということのリアリティが、あのどこまでも続く住宅街の波を見ていても、私には掴めないですよ。小田原に育った私たちには、水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。そしてそれが、立つ場所や光の加減によって様々な表情を見せてくれます。これは本当に幸せなことだと思います。
 だからこそ、いろいろなことがイメージし易いと思うんです。横浜市で「持続可能な社会を!」と言っても「?」という感じだと思いますが、この土地だったら、環境も経済も福祉も教育も、皆さんイメージ出来ると思います。そういう意味で、私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。ですから、私たちはこれを活かして行く役割を与えられていると考えたいですね。
 私は「小田原から日本を変える」というような大げさなことを言うつもりはありませんが、少なくとも、そういう所へいつも通じて行くような取り組みをしたいですし、出来ると思っています。


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01 June

地域社会と市民自治

artist file "tanebito" #18 [2/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

正々堂々と理想を語って、
理想の方に現実を合わせて行くことが大事だと思います。


___「加藤市長」に対しては、新しい質のリーダー像が期待されているように感じます。いわゆるカリスマ的なトップダウンではなく、コーディネーターやファシリテーターのような質と申し上げれば良いでしょうか。

 そうですね。これまでの人生を振り返っても、ガキ大将で「俺にツイテ来い」と言うのではなくて、どちらかと言うと、いつも全体を見ていて、自分が出るというよりも皆を出すことに腐心するタイプだと思います。
 ですからこういう状況になると、そうした古いタイプのリーダー像を期待する方々からすると「もっとガンガンやって欲しい」という声も頂戴しますが、私が上手くモノゴトを進めた経験の中では、各々の持っている能力や特徴をどう組み合わせると全体が一番良くなるか、というような立ち回り方を必ずしています。

___そうした手法でチームを束ねるにあたっては、構成員一人一人の自発性が強く求められます。

 全くその通りです。私の言ったようなことは皆さんの自発性によってしか成り立たないものなので、やはり、全体として何を目指すのかということをキチンと伝えていかないと、その共同作業は達成出来ないと思います。
 私は、目標の与え方は緩いと思います。もちろん、全体のビジョンはキチンと言いますし、「新しい事業の目的はこう変えます」ということは言います。そして「その為にはこういう手法に変えます」、「その時に皆さんの置かれたポジションはこういう役割になるから」と言って、「基本的に全部任せるから一番良い結果を出して欲しい」という形で投げます。
 そう言うと、迷ったり困ったりする人もいると思います。その辺は、必要に応じて手を出したりします。本当は一人で何でもやってしまった方が早いと思ったりしちゃうんです。(笑)

___とすると、重要なことは「目標とする大きな理念をどう与えるか」ということと、「底辺をどう活性化するか」という両端へのアプローチのようです。理念については、どのようなものを掲げ、どのように伝えて行こうとなさっているのでしょう?

 それには、人間が生きて行くことにおいて大事なことは何なのか、どうして行けば幸せな地域社会が築けるのか、ということについての認識は外せないと思うんです。その価値観が共有出来ないと、末端で間違えてしまうと思います。要は、どのように生きて行くことが大事なのかということの哲学を、小田原の市民で共有したいと思っています。
 別の言い方をすると、「理想的な地域社会の仕組みって何だろう?」ということです。いつまでも続けて行ける地域の仕組みはどういうものなのかということを、大前提の議論として、市民の皆さんと共有したいと思っています。もちろんそれは難しい言葉で言ってもダメなので、卑近な例に置き換えて伝えて行くことになると思います。
 そしてそこに到達する為に、「今地域の現状はこうだから何年かけてこうしましょう」という形で、とにかく地域としての理想の姿を、先に私は提示したいと思っています。とかく、キレイ事を言っても「それは理想論じゃないか、現実は甘くない」というような言葉が返って来ますが、私はそういう言葉が大嫌いで、やはり、現実に理想を合わせるのではなくて、理想の方に現実を合わせて行くことが大事だと思います。
 そういう街づくりのアプローチは世界中で始まっていますし、正々堂々と理想を語って行って、小田原や足柄平野だからこそ出来る取り組みがある訳ですから、それを子どもからお年寄りまでいろいろな言葉で共有して、そこからがスタートです。

___それが「持続可能な地域づくり」ということに繋がるのですね。

 そうです。
 当たり前のことですが、人間は自然と切り離されては生きて行けない訳ですから、一番の底辺には「豊かな自然環境」があって、命を支えるしっかりとした基盤があるということが大前提です。このことは、経済成長優先の時代にはオミットされてきたことですが、敢えてそれをやって行きたい。
 その上に、人が人として生きて行く為の「社会の仕組みづくり」です。人は一人では生きて行けませんから、お互いに支え合って行く為のものをキチンと作って行くことが次の段階です。そしてその上にようやく「経済活動」があって、お金としての生活の糧を得て行く、ということです。
 そしてさらにその上には、人をつくり、新しい価値を構築して行くということが出来てくるのだと思います。

行動が変わり意識が変わって、皆さんに実践として見て頂けるようになると、
小田原の方たちの気質ですから、
それは伝播して行くと私は信じています。


___一方で、一人一人の自発性を高める仕組みづくりとしては、どんなアイディアをお持ちでしょうか?

 自発性を高める為には、やはり現場に関心を持ってもらうしかないですよね。関心を持ってもらうには、そこに関わる楽しみを見出してもらうか、或いは、置かれている状況に対して問題意識を持ってもらうということしかないと思います。
 それが自然に起きれば御の字なのですが、なかなかそうもいかないでしょうから、市民が参加することで大きく前進するような「地域づくりのフロンティア」をたくさん作るということが一つだと思います。それは、意欲的な方々に、意気に感じて動いて頂くことになります。
 もう一つは、地域を支えて行く大人の責任として、「その地域の問題については基本的に地域で解決をするんだよ」というような市政運営の仕組みを持ち込みたいと考えています。例えば、今住んでいる地域の課題について、そこに暮らしている人たちが責任感を持って感じているかと言ったら、全然感じていない訳ですよ。これまで通り過ぎてしまっているような人たちが、「これじゃいけないな」と感じるかどうかということは、その解決を自分たちで担っているかどうかで決まるんだろうと思うんです。「これを放っておいても誰もしないぞ」とか、「これについて自分たちが意見を言って予算を市に求めれば下りるぞ」というような街づくりの回路が出来れば、それは関わって行くことにならざるを得なくなるでしょう。
 仕組みづくりのについては、工夫が必要ですし時間もかかると思いますが、地域ごとの自治の形に持ち込むしかないと考えています。いずれは小学校区を一つの単位にして、それぞれで地域の運営やより良い地域づくりについて、地域の方たちのいろいろな世代が満遍なく混ざり合って、顔を突き合わせてディスカッションをし、一緒に汗を流して動いて行くような、そんな活動の核づくりの動きを進めて行きたいですね。
 ですから、楽しみながら参加出来るような活動の「フロンティアづくり」と、地域の責任は自分たちが引き取って行くという意味での「地域運営の受け皿づくり」の両方が必要になるでしょうね。

___そうした展開に際しては、地域ごとで事情が違ったり、温度差があったりすると思います。具体的にモデルケースとして想定している地域があるのでしょうか?

 ええ。全市で25の小学校区がありますが、同時に導入できるとは全く思っていません。やはり、そういう土壌が比較的ある所とあまり無い所とあります。ですから、そういう取り組みに対して意欲的に動いて頂けそうな所に、先ず、チャレンジをして頂くことになると思います。
 そうして、その地域の方々の行動が変わり意識が変わって行くことで、皆さんに実践として見て頂けるようになると、小田原の方たちの気質ですから、それは伝播して行くと私は信じています。

私は、大地震が来ることは覚悟しています。
備蓄をするということ以上に大事なことは、
「お互いがお互いを支えて生き抜いて行く」ということなんです。


___防災については、どんなお考えをお持ちでしょうか?

 私は、大地震が来ることは覚悟しています。それは文字通り大きな、時代を変えるモーメントになると思います。
 阪神大震災の時に、私は地震発生後4日目に救援物資を2tトラックに満載して現地に入って、延べ20日くらいは向こうに行っていました。中越地震の時も、1週間後でしたが現地へ行っていろいろ様子も見て来ました。地震が起きた後の被災地の復旧ということについては、それなりに生々しく知っているつもりです。そうした現場の修羅場を見た時に、小田原の現状の中には、まだまだ備えが足りないことは多々あると思います。
 地震への備えというのは、「防災の器具を用意して、放水の訓練をして、、」ということだけではなくて、もっと大事なことは、被災した直後の瓦礫の中で「お互いがお互いを支えて生き抜いて行く」ということなんです。備蓄をするということ以上に、起きてしまったら如何に死なないようにするか、生き抜くか、復旧を一日も早くするか、ということなんです。
 これは防災訓練で訓練できることではなくて、日頃の地域の中での関わり合いの中でしか育めないと思うんです。例えば、阪神では被災地が西宮や芦屋や神戸とかの高級住宅街でしたから、地域の関わり合いは残念ながらあまり無かったんです。だから皆さん避難所で為す術なく、冷たいおにぎりが来るのを待っているしかなかったような状況で、大変でした。かたや中越では、皆さん日頃から集落単位での関係が出来上がっていますから「この子はどこの子で、どこのおばあちゃんはどういう体の不具合があって、、」ということも皆が知っていますので、避難所へ行けば、ボランティアが手を出す必要があまりなかったんです。これはコミュニティの力の差だと、それはハッキリしていました。小田原はその中間なので、そうしたことがスムーズに出来る地域と、やり難い地域と、あると思います。
 そういった意味で、「地震への備え」と「市民が主役になって支え合う地域」というのは全く表裏の関係で、一つのことなんです。だから防災訓練も、「炊き出し」と言わないで「芋煮会」ということにして年2回くらいやれば良い訳です。(笑)そういう時に、子どもたちに火の起こし方を教えたり、そこで酒盛りをしたって良い訳です。ちょっとした活かし方次第で、「防災訓練」と言ったら参加しないような人が「芋煮会」と言ったら来るかも知れないじゃないですか。
 そういったことですよね、万事が。
(つづく)


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25 May

「新しい小田原へ」

artist file "tanebito" #18 [1/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

小田原はポテンシャルの低い街ではありません。
今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。


___マニュフェストでは、「新しい小田原へ」という表現をなさっています。「新しい」ということについて、「今まで」と「これから」にはどんな違いをお感じになって、どんなことを提示なさろうとしているのでしょうか?

 いくつか切り口があります。
 一つは、モノやヒトの活かし方がガラリと変わることだと思います。二宮尊徳の言葉を借りれば、全てのモノには徳があって、それを活かして行くことが大事だということです。小田原はそんなにポテンシャルの低い街ではありません。これだけのものを持っていながら元気がないというのは、それを活かせていなかっただけなのではないのか、ということです。古いものを根こそぎにしてしまって何か新しいものや仕組みを持ち込もうと言うのではなくて、今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。
 28歳で小田原に戻って来てから、この地域でいろいろな仕事をやらせていただきました。百姓も漁師も、林業関係の仕事もやりました。小田原駅周辺の商業地域でも、商人の方々と長くおつき合いもさせていただいていますし、地場産業の担い手の国宝級の方々ともおつき合いをしてきました。足柄平野の隅々まで歩いて、いろいろな景色を、いろいろな季節で見て来ました。そういう自分の経験をトータルに考えると、この地域は大変なポテンシャルを持っている所だと思う訳です。「新しい小田原」というのは、そういったヒトやモノが活かせるか活かせてないかの違いだけであって、本来持っているそれらの力が充分に遺憾なく発揮される状態を差して言っているんです。そういう仕組みにして行きたいと思うんです。
 その為には、「市役所の◯◯さんが、、」とか「市会議員の◯◯さんが、、」とか言うのではなくて、ずっと在野で活動してこられた方々の感性や、会社を経営されている方々の視点や、生活をしているお母さま方の視点が大切で、そちら側の視点からものを見て行く。それは、現場サイドの発想からいろいろなものを捉え直して行くということでもあると思うんです。
 私がマニュフェストの中で通奏低音のように言っているのは「市民の力で」「市民が主体になって」ということですが、まさにそのことによってでしか「新しい小田原」には至れない。内側から皮を脱ぐというか、そういうことなんだと思うんです。

___「今まで」は、どうしてそれが出来なかったのでしょう?

 小田原は、与えられる歴史に慣れ過ぎて来たんだと思います。恵まれていましたから。
 この街は北条氏の時代に全国から職人を呼んでつくりあげたのですが、例えば江戸時代に宝永火山が噴火して、この足柄平野に火山灰が1mくらい堆積した時も、いち早くお手上げして、お上に領地を返上して助けに来てもらった訳です。それで、日本中からいろいろな方がこの地域に助けに来てくれて救っていただいた。近世になっても、お江戸/東京が近いですから、何かあれば援軍が来たり、そちらを頼って出掛けて行けばいろいろなものが得られたりしてきました。そのうえ、後ろに箱根と伊豆があるから、黙っていても人が通る。ですから、何か自分たちで求めなくても恵まれた状況が与えられてきたことと、神奈川県の西部で街らしい街は小田原しかなかったですから、いろいろな集積が自ずからありましたし、商人の方々も比較的恵まれた中で、この街は成り立つことが出来たんだと思います。
 それに、何と言っても気候が穏やかで、過酷な気象条件や過酷な地形ということが無い訳です。過酷な経済状況に置かれたこともないですし、そういう意味では、自分たちで強く求めたり、活用のしかたをあれやこれや考えないと生きて行けないという状況は無かった訳です。蒲鉾は蒲鉾であれば良いし、お魚は刺身で食べれば良い、という具合に、それほど工夫をしなくてもこの街は生きて来れた。そしてその中で「安定」していることが尊ばれていて、時の為政者にお任せしていれば喰い逸れることはありませんでした。ですから、生きることへの貪欲さという意味では、私もいろいろな地域を訪ねましたが、小田原は本当に希薄です。
 例えば、この辺では空の上を風はただ吹いているだけですが、岩手県葛巻町では、他に何も資源が無い中で風すら活かして地域経済を何とかしようと風車を建てたりしています。そうして、有るか無いかも分からないような資源さえも取り出して地域づくりをやっている訳です。そういうことを考えると、小田原の方々は、何か工夫をしてやり繰りをして無から有へというようなことをやる必要がなく生きて来れたような気がします。

___そうした意識に変換して行く為には、どのような視点を持ったら良いでしょう?

 今までは基本的に、生活に困るとか生きて行くことに困るとか、地域の未来に大きな不安が襲うような見通しというのはあまり無かった筈なのですが、それがこれからはやって来る訳です。
 幸い、小田原は財政赤字が雪だるま式に膨らんでいるようなことはないですが、かなり巨額な借金は抱えていますし、あまり財政的な余裕はありません。これからは税金を納める人も減って行きますから、社会を支える様々な部門を賄う為の税収を、これまで通りのやり方では支えて行けない時代に入って行くんです。高齢者の介護のこと、地域の医療のこと、教育のこと。これから先は、好むと好まざるとに関わらず困り始めると思います。それは小田原だけではないですよね。日本の地方都市が、すべからくそういう状況に直面して行くことになると思います。
 まだ小田原はそうした状況がどなたにも等しく訪れているという状況にはなっていませんが、意識のある方はそれを見越して非常に心配されています。

___危機に直面していない方々に対して、現状を知らせる必要がありますね。

 はい。それは最低限のことですよね。
 そうは言っても、危機が来るからと言って「わかりました」と言う人ばかりではないので、やっぱり、できるだけ生き方や暮らし方や地域の運営のしかたを皆で探して作って行くことで、それを楽しむ人たちが増えて行ってもらいたいと思っています。

特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。
子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。


___楽しむ人たち、、、

 ええ。
 例えば、私が問題視していることの一つに、地域の子供会の加入率が下がっているんです。地域によっては解散してしまった所もありますし、年々下降しています。それはそのまま行くと、地域の中で子どもたちをお互いに面倒見ようという気運や風土が、小田原から消えて行ってしまう訳です。こうした事は、かなり怖いことだと私は思うんです。そういうことは、お年寄りの面倒を見ない地域、孤立したお母さんがいてもあまり気にかけない地域、と言ったようなお互いに関わり合わない方向へ行ってしまう。そういう状況は、自分がリアルに生存の危機として感じないとなかなか変わって行かない。
 けれど一つ救いは、とかく皆さんが大変だと思って引き受けないような、例えば子供会やPTAや自治会の役員なども、やってみてそれなりに肩を入れてみると「あぁ、なんだ結構楽しいじゃないか」というようなことがあるんです。「恊働」という言葉もありますが、地域の中でお互いが力を合わせることの楽しさ、それによる達成感というような、素朴なことですが、そういったことを確実に育てて行くことが必要だと思っています。それは支え合う地域をつくる為だけではなくて、そういった動きが出来てくれば、例えばこれまで行政が税金で賄っていた人件費を作業員の方たちに払うのではなくて、地域のコストを下げて行くことに繋がる訳です。
 だから入り口としては2つあって、危機感の方から、つまり問題に直面して本当に困った人たちから変革の作業が始まるという話と、そんなに困っていないけど、プラスの意味で地域により関わって行くことに楽しみを見出して行く人たちを増やして行くことと、2つあると思うんです。

___そうした自発的な参加を促す仕組みとしては、どんなアイディアをお持ちでしょうか?

 特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。一番動き難いのは、子育て世代の大人たちが、ある意味感度が鈍いんです。地域のことに一番熱心なのは、65歳以上の、自治会の役員のお年寄りの皆さんで、我々勤労者世代はゴボッと抜けている。あと可能性があるのは、小中学校の子どもたちでしょうか。地域に接点を持ちやすいのは、子どもたちと、意識を持っているご年配の方たちだけなんです。
 そういった人たちが地域に関わって行く為の回路づくり。その回路の作り方には工夫が必要ですが、何かちょっとした作業で地域の環境が目に見えて変わるといったような、ささやかなことから始めるしかないだろうと思っています。そういうところで、参加する楽しさや関わって行くことの面白さを感じて、終わった後に缶ビールが出たりすれば、もうそこで繋がりが出来てしまう訳です。(笑)
 そうやってささやかなことを積み重ねて行く中で、地域に応じた活動の裾野を、少しづつ広げて行くということだと思います。

___一方で、感度の低い層に対してはどうなさいますか?

 そこでまた「子ども」に戻る訳です。やっぱり、子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。子どものことだからと言って、貴重な休みの週末にお父さんが出て来てくれるケースは今でも充分あります。
 子どもというのは自然を背負って生まれて来て、少なくとも10歳の頃までは本当に優しい気持ちを持っていますし、自然に親しみたいという率直な野性や、楽しく遊びたいという欲求も持っています。そういったものを伸ばすような活動を作っていくことで、そこに大人たちが着いて来るという構図は作れると思います。
 あとは、市の職員ですね。税金で雇われている職員は、そうした地域の中での人の変容を促進するための触媒になるべきだと思っています。私もこれまでいろいろな活動に関わってきて痛感することですが、仕事を抱えていますと、帰ってくるのは夜遅くだったり、土日は午前中寝ているというような方が多い訳です。そういう中で、さらに地域の為にもう一踏ん張りして、責任をもってキチンとコミットして行くのは、正直、市民の方には難しいと思うんです。要するに、地域の活動の仕組みづくりの起爆剤になれるのは、今は市の職員しかいないと思っています。職員が5〜10年の間、地域に入り込んで人材と資源を掘り起こして行く訳です。
 そうしていつかの段階で、職員が黒子に回っても地域の人たちの力で活動が支えられて行くような方向に持ち込みたいと思います。
(つづく)


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