Archive for September 2007

30 September

木のよしあしは実で決る


古今東西、優れた「叡智」というものは、
どうも、失われる運命のようです。

 古代エジプト、メソポタミア、 
 マヤ、アステカ、
 アトランティス、ムー、、

それらは何れも、
風に乗って運ばれたタネのように、
どこからかやって来て、文明として花を咲かせ、
そして、
時が来て、土に還った。



古代ムー大陸の末裔と伝えられているハワイには、
「カフナ」と呼ばれる、不思議な力を持つシャーマンがいて、
代々、秘教的な知識を受け継いできたそうです。

「カフナ」という言葉は、現代ではややゆがめられたイメージで受け止められているようですが、
本来は、
訓練を受けた達人、力と知識を管理し伝えていく専門家、を指すのだそうです。

 つまり、
 いわゆるサイキックな能力の者だけがカフナなのではなくて、
 彼らは、宗教的な指導者であったり、
 優れた芸術家や職人であったり、
 医者や法律家や、政の助言者であったりする。

けれど、
そのカフナたちのほとんどは、
歴史の中で、主に政治的な意図で 粛正されてしまったのだそうです。

 はたして、
 現代のカフナに、こんな言葉が残されているそうです。
  「木のよしあしは実で決る」

   〜『ハワイアン・ヒーリング―ポリネシアの癒しの智慧』より


「叡智」というものがタネに喩えられるとしたら、
かつての古代の文明も、
そのDNAの幾らかは、 タネのように風に乗り、
海を越え、時を越え、
今も芽吹きの大地を求め、運ばれているのではないでしょうか。

失われたのは、「叡智」というタネではなくて、
それを運ぶ風と、それが芽吹く土壌なのかも知れません。




17:50:00 | milkyshadows | |

23 September

Moon Glow


ところで、今日は「秋分の日」。
今日を境に、少しづつ、夜が長くなっていく。

 月は満ちて来て、
 もうすぐ十五夜。


月を見上げる度に、
私は、昔読んだ、アイザック・アシモフの科学エッセイを思い出します。

 アシモフは、とてもシンプルな計算で、
 月を巡っての、地球と太陽の引力の力を較べています。

 それによると、
 つまり、私たちの地球は、
 月を衛星として取り込むための、太陽との綱引きに負けているんだそうです。

 「月は真の衛星でも捕獲された小惑星でもなく、
  それ自身が一個の惑星であって、
  地球とぴったり歩調を揃えて太陽を公転しているのだと考えてもいいかもしれない。」
   〜 『時間と宇宙について』より


私たちの月は、
ほんのわずか条件が整わず、惑星になり損ねたんですね。
月の輝きの神秘さは、
そんな秘められた生い立ちのせいなのかも知れません。

 そのことが、
 幸せなことだったのか、残念なことだったのか、
 それは分かりません。

 いづれにしても、
 月は、
 寡黙で不毛ではあるけれど、
 遠く私たちを周回しながら、生命の律動を深く司り、
 私たち地球の奇跡は、月とのコラボレートがあればこそ起こり得たのでしょう。

 生命を宿す事なく生み分かたれた月。
 けれど、それは美しく、
 まるで、心を透明にして見つめた時の鏡のように、
 目に映る姿だけではなく、私たちの命や魂の輪郭をも投影しているように感じるのです。


豊かな水と光の下で生まれ育ち、
繁栄の中で生を営む事の幸せは尊いけれど、
それは魂の本質のすべてではないような気がします。

 魂の来し方行方を、もっと深く遠くまで見渡せるように、
 私たちは、200万光年まで届く眼力を授かっているのではないでしょうか。


17:50:00 | milkyshadows | |

16 September

恵み について


 「知識」と「知恵」はどう違うのか?

ある人にそう聞かれて、ハッとしました。
「だって、“知恵”は“恵み”と書くでしょう」って。。


 人類は「知恵」を授かって生まれてきた。
 そして千年をかけて「知識」を構築した。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


現代社会で「教育」とよばれている作業の本質は、
つまり、
授かった「知恵」を「知識」へと変換する作業なのかも知れません。

 気まぐれで捉えどころの無い「恵み / 知恵」という有機体を、
 分析し、解析し、合理的に体系づけて、管理して飼いならす。

 そうして体裁を整えられて「知識」へと変換された情報は、
 誰にでも分かりやすく、扱いやすくて、素早く伝えられるから、
 地球上の津々浦々にまで、遍く恩恵が及ぶ。

 「知識」は積み重ねられて、「幸福」が大量生産され、
 私たちは、繁栄を享受している。


さて、「幸福」は大量生産できるのでしょうか。。?

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「知恵」は、「知識」に変換することで「商品」となる。

 もう少し露骨に言えば、
 つまりそれは、カネを生む。

 そして今や、
 身体や心や魂までもが「知識」へと変換され、消費されている。
 「知恵」という恵みは、
 経済原理の下に呑み込まれようとしている。


それでも、
私たちが授かった「智慧」は驚くほどに豊かなのだと、あらためて思うんです。
驚くほどに豊かで、そして、怖いほどに深い。
怖さゆえ、持て余し、浪費している。

「ムダ」というのは「豊かさ」 と不可分だから、
「浪費」もまた、「知識」の為の揺かごなのかも知れません。


 それならば、
 いったい目的は何なのでしょう?

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「魂」までをも地平に取り込もうとする「知識」というものの先に、
いったい、私たちは何を見ようとしているのでしょうか?


17:50:00 | milkyshadows | |

09 September

「脳」と「ホルモン」


 2冊の本を紹介します。

ひとつ目は、
 ピーター・ラッセルという人の書いた、『グローバル・ブレイン』という本です。
 「情報ネットワーク社会と人間の課題」という副題のこの本の中で、
 ピーター・ラッセルは、
 「100億」という数字について、その数字がもたらす興味深い可能性に触れています。

「この数字は、新しい進化のレベルの出現に必要な要素のおおよその数を表している。
 単細胞には この数に近い原子が存在し、
 人間の脳の皮質には この数の細胞がひしめいている。」

つまり、
 今世紀中に100億という人口に到達するであろう人類は、
 その時、新たなステージに移行するだろう
 そしてそれは、ガイアにとっての神経組織(global brain)になるのではないか、、
というような内容でした。

そんなビジョンをふまえて、私が今感じていることは、
 私たちの置かれている状況は、
 大鍋の中で、ゆっくりと、水から茹で上げられている卵のように、思えるんです。
 いつか気づいた時には、ゆで卵になって固まってしまう。。

生命の誕生と、その成長のことを思っても、
 受精直後の細胞は、まだ何になるか分からない状態ですが、
 徐々に役割が分担されていって、
 骨になる細胞は骨に、肉になる細胞は肉に、
 血になる者は血に、そして脳になる者は脳になって行く。
今、ガイアにとっての人類は、
 そんな、役割分担の臨界点にさしかかっているのかも知れません。


もうひとつの示唆は、
 橘川幸夫さんの『21世紀企画書』という本に書かれていた「ホルモン系」という視点。

今の細胞分化の話の流れで言うならば、
 「さて、じゃぁ自分はどの部位になってゆくのか?」と考えた時に、
 いわゆるアーチストやヒーラーと呼ばれる人たちは、
 血でもなければ脳でもなければ、
 実のところ、「ホルモン」になっていくのじゃないか、という話です。

全体の中で、遊軍のように自在に動き、
 ごく微量でも威力を発揮して、
 クスリにも毒にもなる。。


 はたして、
 私たち人類は、どこへ向かっているのでしょうか?

 目を凝らし、
 耳を澄まして黙想すれば、
 「大いなる流れ」に身を委ねることが、出来るのでしょうか。。



17:50:00 | milkyshadows | |

02 September

存在を祝福する舞い


bellydance / rikta  photo / motoka

少し前の話ですが、
6月の終わりに、ある写真展を観に行きました。

東京お台場で、
「ノマディック美術館」と呼ばれるコンテナを積んだ移動式の特設会場を設けて行われていた、
グレゴリー・コルベールというカメラマンの『ashes and snow』という展示です。

ひざまずく象の前で、祈るように本を読む少年のポスターは、
写真展には行かなくても、どこかで見かけた方が多いのではないでしょうか。

 「動物が自然に生息する場所で
  人間と交流する姿をとらえることによって、
  動物が持っている詩的な感性を探ろうとする」

そこで観たショートムービーは、
動物たちと人間とが、まったく対等に、ダンスをする映像でした。

 滑るように飛ぶ ハヤブサの大きく開いた翼。
 水場で 雨のようにしぶきをあげる アジアゾウの長い鼻。
 その動物たちの営みの傍らで踊るダンサー。

私たち人間にとって、
彼らと対等に向かい合う為には、
ただ一枚の衣だけを身に纏い、
ただ心だけを開き、
ただ流れのままに 踊ることしか 出来ないのではないか。

  すべての繋がりの中で、
  今ココ に在る、ということ。
  その存在を祝福すること。

コルベールの映像の ダンサーの踊りは、
自らの存在を祝福する舞いに、私には見えたのです。

その、
羽のような踊りが神々しいほど美しくて、
魂の底から、私は揺さぶられたのでした。




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