Complete text -- "ドームハウス"

19 August

ドームハウス

artist file "tanebito" #06 [2/3] 
小林 一郎 さん(ドームビルダー / Dome Project

↑ ジオデシック・ドーム(1967年モントリオール万博アメリカ館)

「四畳半内接フラー・ドーム」


___最初は、四畳半の部屋の中に「フラー・ドーム」を作ったそうですね。

 アマチュアバンドやっていたので、友達の庭にログハウスでスタジオを作ってしまおう、ということが始まりでした。
 『ウッディライフ』とかアウトドアの本を読んでいたら、たまたまそこに「フラー・ドーム」が出ていて、面白いなと思って画用紙で模型を作ったんです。そうしたら、どうしても中に入ってみたくなってしまった。(笑)
 「これのデカイのを作れば、それは家だしスタジオじゃないか」って思って、真四角の四畳半にピッタリ収まるように逆算して、ケント紙で三角形を百数十枚使って作ったんです。「四畳半内接フラー・ドーム」ですね。
 それで、内側へ入って、人生変わっちゃった。サラリーマンやってる場合じゃない、って。(笑)

___それほど衝撃的だったのですね。

 家を建てるというのは、四角い物の集合だとしか思ってなかった。それが三角形で出来る、柱が要らない。最少の材料で、広い空間で、しかも丈夫。
 それ以上に、僕は音楽をやっていたので、内部にスピーカーをセットしたら、今までと全く違う感覚があった。スピーカーと自分の位置の組み合わせを偶然見つて、ビックリするような音像を体験したんです。
 まだデジタルの時代ではなかったので、テープに録った音楽にはノイズがあったんですが、それが相殺されちゃうんです。しかも、音源の位置が分からなくなって、空中にいたままヘッドホンをしたような感覚になる。
 「これはスゴイ!」とビックリして、それから半年はそこへ籠ってた。(笑)
 無謀にもそれから一年後に会社を辞めて、建築は全くの素人だったのですが、最初は失敗もしましたが3年目くらいで工法を確立しました。
 その頃、アメリカにドーム建材のメーカーが2社あって、キットを日本で輸入していたんです。僕もそれを買って一棟建てようと思ったんですが、すごく高い値段だった。本来は最少資源で作れるものなのに、それはおかしいと思って「じゃぁ自分で作ろう」となったんです。

___当時、日本ではドーム建築を手がけている会社はなかったんですか?

 まだインターネットのない時代でしたから雑誌などで調べたら、村上さんという方がいらして、その方が『ドームプロジェクト』という名前で8棟ほどドームを建てていたんですが、辞めて全く違う分野に行ってしまった。
 その『ドームプロジェクト』という名前が良かったので、僕が名前だけ引き継いで、その後100棟ほど組み立てました。

セルフビルドのエコ建築


___小林さんの組み立てたドームで、実際に暮らしている方がいらっしゃるんですね。

 最初の2〜3年は、ほとんど別荘ばかりでした。それも、フラーということで惹かれて建てた方ばかり。キットだけ渡してセルフビルドで組み立てるというワケには行かない人が多かったので、僕も現地に行って建築を手伝いました。
 そのうち建築会社と組むようになって、建築を指導したり、自宅としての需要も増えてきました。

___ドームハウスは魅力的ですが、土地が必要ですね。

 まぁ、そうですね。土地は必要です。(笑)
 ただ、同じ容積で較べると建築費がかなり安く済む。

___建材が少なくて済む、ということですね。

 普通に考えれば、一つの空間といえば12畳くらいが限界でしょう。それ以上になると、柱や梁や壁が必要になる。ドームならば、僕が手がけたうちの最大は、直径13.5m。それでも柱が要らない。とにかく、空間が広い。
 しかも、組み立てはプロの人がいなくても2日くらいで出来てしまう。

___内部の空間が丸いということで、居住性や居心地はいかがでしょう?

 よく「丸いと不便ではないか」と言われますが、壁に家具を密着させる必要はないんです。家具で間仕切りにする、という発想にしてもらえればいい。
 それから、ほとんどの場合、中二階になさいますね。土地が大きい場合は全二階にして、上は本当のワンルーム。

___空気の対流にも都合が良い。

 四角い家だと、四隅に空気が溜まるんです。長い間には、四隅からカビが生えてくる。
 ドームでは、温かい空気が上で冷やされて壁沿いに降りてくる。頂点にシーリング・ファンを付けるだけで、冷暖房は物凄く効率が良い。

___エコな建築ですね!

 エコです。
 そもそもフラーの「最少資源で最大効果」という考えに僕は惹かれたんです。三角形のパネルを組み合わせるというのも、全部が筋交いになるわけですから、これほど合理的なことはない。

フラー研究者と出逢う


___フラーについてはかなり研究されたんですか?

 英語の本を読める訳ではないのですが、面白い出逢いがあったんです。
 フラーの晩年に、2年間助手をしていた梶川泰司さんという方がいて、フラーが亡くなった後、帰国して広島大学でフラーの研究所を持っていたんです。それが引っ越すという時に、たまたま縁があって、小田原で研究室を構えていたんです。その梶川さんが南足柄の丸太の森でワークショップをなさる、というのを偶然に新聞で見て、すぐに会いにいって自己紹介したんです。その頃ちょうど、寄(やどろぎ)の山の中にドームを作っていたのでお連れしたら、「一緒に仕事をやらないか」と誘われた。
 梶川さんは東京でドームの会社を興そうとしていたんですね。ところが、実際に建築の知識のある人がいなかった。梶川さんは日本人で唯一フラーと懇意にしていた方ですから、非常に名誉のあるお誘いだったんですが、僕は組織に入るのが嫌だったので、木造ドームのキットを供給するという形にしたんです。それで、2年間ほど『ドームプロジェクト』の名前を伏せて、梶川さんの『デザインサイエンス社』を通して仕事していました。
 なんと隣町にそんな人が越してくるなんて、奇跡ですよね。(笑)
(つづく)



17:50:00 | milkyshadows | |
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