Complete text -- "「魔法の瞬間」"

09 September

「魔法の瞬間」

artist file "tanebito" #07 [2/3] 
滝越 リクタ さん(ベリーダンサー,オーラソーマセラピスト / sacred temple

「セクシュアリティ」と「スピリチュアリティ」とを、
繋いでひとつに合わせることが私の仕事です


___『sacred temple』とは?

 「神聖な寺院」という意味です。
 タントラでは「身体を神聖な寺院として」ということを言います。

___そこ(身体)にはすべてがある、ということでしょうか?

 そうですね。身体がスタートです。
 今「スピリチュアリティ」ということが言われていて、過去世だとか守護霊だとか、「私たちは身体ではない」と言って意識が上の方へ行ってしまっている。もちろんそれも大切な要素なのですが、まずは基本の部分を体験すること。それを忘れたら、スピリチュアルな方向へは行けないんです。
 「セクシュアリティ」と「スピリチュアリティ」、実際的な部分と霊性とを、繋いでひとつに合わせることが私の仕事です。

___セッションに来られる方は、いろいろ問題を抱えている方が多いのですか?

 どうでしょう。。
 私は、「問題」という形でクライアントさんと出逢ったことがないかも知れません。いろいろな事を話してくださって、その中で、現状の自分に起こっていることや過去に起こったことについてはシェアをしますが、その時に「それが問題なんですね」というふうにはお聞きしないんです。その背後にはもっと大きな理由があったりしますし、それぞれがユニークなんです。
 そこにいつも見るのは「美しさ」です。

それぞれに影響し合っていて、
それでも全部が正しい場所にあってバランスが取れている。
そんな全部を見たときには 畏敬の念を感じます。


___美しさ、、

 「何故それが起こったか」ということの背後には、私たちが把握していないような、もっと大きな目的があって、それは人によって呼び方はいろいろですが、それこそ「神」の意志と言ったり、「宇宙」と言ったりする。
 私たち一人をとっても、いろいろな面を持った多面体で、それで一つの宇宙をつくっている存在なんだと思うんです。そこにまた他の人が関わってきて、社会だとか職場だとか、親との関係とか、いろいろなことが複雑に絡んでいます。宇宙も同じで、太陽系をとってみても、いろいろな惑星があって、それぞれに影響し合っていて、それでも全部が正しい場所にあってバランスが取れている。
 だから「AとBの付き合いがどう見えるか」というだけで「良い悪い」ということではなくて、その他に絡まっている様々なものをトータルな写真にして見てみると、実はバランスが取れていることに気づいたりする。それは、植物にしても食べ物にしても、人間だって宇宙だって、同じだと思うんです。
 そんな全部の写真を見たときには畏敬の念を感じますし、それをクライアントさんに開いていただいたて見せてもらうことができるというのは、セラピストとしての素晴らしさですね。

___「セラピスト」というのは、リクタさんにとってどんな仕事ですか?

 私がセラピストとして体験しているのは、「クライアントさんと一緒にいる」という、ただその状態なんです。「Do」というアクションではなくて、「Be」ということです。ジャッジをしたりストーリーを加えたりするのではなくて、ただそこにいて、目を見たり、呼吸をすることで、何かがポンと出て来るんです。
 クライアントさんをサポートする言葉が、自分じゃない所から自分を通ってやってくるような体験。「媒体」になるような体験を仕事を通してさせてもらっているということは、実は、もの凄いことだと思うんです。
 「セラピスト」や「オーラソーマ」が凄いというのではなくて、前も後もない「ただその瞬間にいる」ということがどれだけ全てか、ということです。

時間を平行に滑るのではなくて、
一瞬一瞬を下ろして行く


___「セラピー」は、セラピストとクライアントの共同作業だと思います。「ただ寄り添う」というスタンスを取るとすると、クライアント自身のアクションを促す為には、ただひたすら待つのでしょうか?

 どうでしょう。。
 その質問で思い出した出来事なのですが、空港の税関で長蛇の列に並んでいた時のことです。そこは、一列に並んで待っていて、空いたブースへ呼ばれて行く、というシステムでした。「これは長くかかるなぁ」と思って待っていたら、そこには空いたブースへ次の人を通す役割の方が一人いたんです。その方が「次の人、◯番ブースへ!」って動かして行くんですね。一日に何万人もそこを通るでしょうから、機械的にやってしまうような仕事なんだと思います。でも、そのオジさんはその機械的な仕事を、本当に愛情を持って、笑顔で楽しそうにやっていたんです! 一人一人をちゃんと見て対応しているんですね。ものの数秒だけの出会いの中なのに、ちゃんと自分を見てくれているということが、とても素敵だと思いました。
 もう一つ、エジプトで「ワーリング」という回りながら瞑想する人たちのショーがあったんですね。それは、ダンサーが大きなスカートを穿いて何時間も回るんです。それが円になって見えるキレイな踊りで、そのメインのダンサーがもちろん素晴らしかったのですが、その後ろに何十人かミュージシャンがいて、時々1人づつ前へ来て自分のテクニックを見せてくれる場面があったんです。もう皆さん本当に素晴らしかったのですが、その中に、カスタネットを持ったオジさんがいたんですね。カスタネットは誰もがやったことのある楽器ですが、その方は本当にニコニコと演奏していて、一打ちするだけで「あぁもう恍惚♪」という表情。(笑)もう皆もそのオジさんの恍惚に引っ張られて笑っちゃうんです。でも、そのオジさんを笑っているのではなくて、純粋にその「カチッ♪」っていう瞬間が楽しい! そういう「魔法の瞬間」を見せてくれるオジさんだったんです。
 その二人に何が共通していたかと言うと、「その瞬間瞬間を、ちゃんと呼吸していた」ということだったんだと思うんです。つまり、「何をしているか?」ではなくて「どれだけそこにいるか?」ということなんだと思うんです。全部の瞬間において。

___「どれだけそこにいるか」とは?

 その「深さ」ですよね。時間を平行に滑るのではなくて、一瞬一瞬を下ろして行くということ。
 そうやって呼吸をして生きていたら、一日に何万人もカウンターに人を通すような機械的な仕事であっても、何時間経過したとか、そういうことは関係なくなってくるんだと思うんです。一瞬一瞬しかないのですから。
 旅をしていると、そういう素敵な「魔法の瞬間」を見せてくれる人がたくさんいるんです。そういう人たちに出逢えてきたことが、すごく大きかったと思っています。
 だから話が戻ると、大切なのは「誰がセラピスト」ということではなくて「自分がどのセラピストに気づいたか」ということなんだと思います。実際は、セラピストではなくても、自分の職業を愛している人に、何かをクリックされて癒されていたりしているのではないでしょうか。
 「その人が何をする人なのか?」ということは重要ではないことに、皆さん気づいているような気がしています。
(つづく)



18:00:00 | milkyshadows | |
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