Complete text -- "「伝統」と「個性」"

23 September

「伝統」と「個性」

artist file "tanebito" #08 [1/4] 
安藤 和夫 さん(創作家具 / 安藤工房

僕は、椅子が好きなんですよ。
料理と椅子に狂っていた。


___安藤さんは、伝統的な技法で家具を作ってらっしゃいます。

 「伝統」を学びたい、ということがスタートにはあります。でも、それは目的ではなくて、自分が届きたいことの道すがらに「伝統」というものがあって、それを避けて行く訳にはいかないので勉強している、ということです。
 そもそも横浜の元町で西洋のクラシック家具の修行から入っていますし、「日本の伝統を守ろう」とは思ってない。(笑)

___家具づくりに携わるキッカケはどういうことだったのですか?

 彫刻家になろうと思っていたんです。
 当時はバブル以前で、彫刻家で食える時代ではなかったんですね。今でもそうですが、彫刻家というのは、石を買ったり木を買ったり、場所も必要だし、お金がかかるんです。資産やインフラがないと続けられない。これは無理だからシャバに戻ろうということで、敗者復活戦ですね。(笑)
 僕は、椅子が好きなんですよ。彫刻の学校へ行っていた頃は、彫刻はあんまりやらないで椅子ばかり作っていました。椅子は実用ですから、これは堅気だなぁと思って、それで家具屋を探したんです。
 たまたま気に入った所を見つけたんですが、募集をしていなくて。それでも「給料いらないから」と言って入ったんです。くれましたけどね。働けば、僕は使えるので。(笑)

___そこは有名な工房だったんですか?

 普通の木工所だったんですが、社長がデザイナーで、オリジナル家具を作ろうとし始めていたところだったんですね。技術を持った職人さんは居たんですが、町の木工所と言ったら、ほとんどは店舗の内装などの仕事ばかりなんです。
 そこへちょうど出逢ったので、僕が彫刻やアートの経験があると言うので、面白がられて入れたんですね。

___その時には既に作品をお持ちだった。

 彫刻の作品は、いくつか写真を見せたりしました。
 でも期待されたことは、現代アートではなくて、もっと伝統的な仕事だったんです。僕の行った学校が、アートの為に「伝統」をキチンと勉強させる所だったんですね。
 その学校へ4年行ったんです。まぁ「在籍4年」と言った方がいいね。(笑)
 料理と椅子に狂っていた。

___お料理もなさるんですか!?

 あの頃はね。
 料理ってすごくクリエイティブな仕事でしょ。だから「レシピ」というのは嫌いで、創作ですから、大成功か大失敗。(笑)
 創作意欲があっても、何を作っていいか分からない人が多いですよね。だから、僕もそうだったんだろうね。何が自分に向いているかも分からないし、ただモヤモヤしたものがあるだけで、何をしていいのか分からない。

見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。
何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。
そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。


___創作の為のモチベーションには2つのケースがあると思います。自分の内側に材料がある場合と、外に豊富な材料がある場合と。安藤さんは、どちらでしたか?

 その時は、明快にどちらかがあった訳ではないですね。おそらく、そこから長い旅が始まるのでしょうが、最初から「自分の中に何かがある」という人はいないと思う。或は、あっても気がつかない。
 今ではよく、若い人が僕のところへ「こういう仕事がしたい」と言って来たりするのですが、それは、家具屋の職人として埋もれて行くためにこの仕事に就くのではなくて、「何か自分がやりたいこと」を家具という場で実現したい、ということなんです。彼らはつまり「作品発表」がしたいんですね。初めから「作家」を狙っているんです。その「表現の場」を探している。
 それで感じることは、「自分らしいもの / 他者と違う自分」を表現したい、と皆が思っているということです。でもそこで、そこに「個性」と呼ばれるものがあるのか、と問うことはとても大変な作業なんです。
 例えば僕が何かの作品を作って、「過去にこんなものは見たことが無い」という造形をしたとしましょう。それで自分は満足するんです。ところが彼らは、そこで満足が終わるのではなくて、それを他者に見せて、それに対して半数以上のオーディエンスが感動してくれることを求めている。「見たことも無いものをつくって、それに感動する」ということがどういうことなのか、それを考えていないんですね。

___なるほど、、

 見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。
 世界にひとつ、誰も作ったことがないものを作りながら、尚かつ皆に分かって欲しい、というのが作る側の心理の中身なんです。
 そうすると、「際立って違う何か」が自分にはあるのか無いのか、という作業をしなきゃいけない。それを大概は、しないでいる。当然ですよね。若いうちは分からないから。「自分は人と違う」と、漠然とだけど、思っていたい。
 「自分は何なのか?」という教育もなく、それを問う環境にも出逢えないまま育って、でも大人になってしまったのだから「自分らしくありたい」と考える。そんな中で、例えば芸術作品に出逢った時に「どうも自分は人と反応の仕方が違うようだ」と感じるようなことがあると、そこで「それが自分かも知れない」と思い始める。それで尚かつ、自分が受け手というだけではなく、表現者として発信していくことが出来たらより幸せではないか、ということなんだろうと思います。
 そういうステップを踏めば分かりやすいのですが、そのステップを経ないまま悶々としている人が多いようです。それが「自我」であれ「自分らしさ」であれ、強迫観念のように押しつけられている。

僕は、自分らしさをいうものを削いでいく仕事をずっとやってきた。
逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。


 日本は開国以来、西洋の様々な概念の対訳として「自我」や「個性」という言葉をはじめ、たくさんの日本語を作ってきたけれど、まだまだ腑に落ちていないんです。東洋に「自我」がなかった訳ではないだろうけど、概念が違う。拠り所になる位置が全然違うんだと思うんです。
 日本で、鼓打ちの話があります。
 ある鼓打ちが、師匠について何年も鼓を打ち続けている。その弟子は、「どうしても師匠のように打てない」と言って悩むんです。師匠に打ち明けると、師匠は弟子の演奏を聴いて、こう言った。「それがお前なんだよ」
 つまり、正しい演奏というものがあるのではなくて、どうしてもズレてしまうところがあるとしたら、それが「個性」なんだということです。「個性」とは、デコレーションを付けるように作り出すものではなくて、削いで行って削いで行って、それでも滲み出てしまうもの、隠れようがなかったものがあるとしたら、それが「個性」なんだよ、という捉え方なんです。
 これは、日本の書や画には今でも引き継がれている考えです。古の書画の達人というのは人間として崇高な方だった訳で、その人が書いた書が素晴らしいということで、臨書(手本を見てそのとおりに書くこと)をする。つまり、到達した「高み」というのが、神話化された過去に予めあって、後世の僕たちは少しでもその「頂き」に近寄りたいと思って学ぶ訳です。
 西洋では、どちらかというと自分がクリエーターとして「創造主」の側に立つというパラノイア的な考えがあるので(笑)、スタート自体が違うんです。日本人には東洋的な感覚が残っているのに、西洋的な教育を受け、西洋的な食べ物を食べている。だから、誰かが筋道を立てて説明してくれないと、どうして良いのか分からないですよね。

___おっしゃる通りですね。

 だから、出そうと思って出て来るような「個性」なんて無いんです。「個性」だと思っていることがあるとしたら、ただ彼が不勉強で知らなかったりするだけなんです。
 僕も、若い頃ほど斬新な椅子を作っていました。今考えると恥ずかしくて消したいくらいのものばかり(笑)。知らなかったから作っていただけで、そんなのはとっくにアフリカにあったり、中国で作られていた。日本でも、開国後、大正期あたりに、一生懸命学んで切磋琢磨して、キッチュだと言われながらも作っては失敗して、その膨大な積み重ねの後に僕達が今いるんです。
 造形を欲するというのは、大げさに言えば、一人の人生の中で人類史を再現するようなことだと思うんです。それを近代史まで自分の中で経験して行くというのは、生半可なことじゃないのですが、「ものづくり」という仕事はそれをやらなきゃいけないと思っています。
 誰かに学べることがあるとしたら、例えばノコギリを使う技術とか西洋史の時間割とか、断片的な知識だけでしょう。ほとんどは自学自習で、回路を繋げていかなくちゃいけないんだと思うんです。そういうプロデューサーの役割を、自分にあてがっていかなくちゃいけない。
 こういう仕事をしていると、よくオタクだと思われるんですが、オタクには家具は作れない。「ものづくり」には、オタクくらいの熱量の高さは必要だけど、クールに全体を見渡せる力がないと、特に家具は作れない。何故かと言うと、人が使うものだから。
 そういう、家具という仕掛けが面白くて家具屋になったんですね。そのことによって、彫刻という何をやっても構わない世界から、納期や値段というシャバの制約が生まれた(笑)。その中に芸術的な要素があるとしても、そんなものは客の側が求めていなかったりもする訳です。だから僕は、自分らしさをいうものを削いでいく仕事をずっとやってきた。独立してから22年、ずっと引き算の旅をしてきました。

___その「引き算の旅」は、辛いことでしたか?

 辛いけど必要なことだったので、行かざるを得なかった。逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。
 「個性」というものに対して疑いを持ったのがかなり早かったので、勉強をすればする程、いろいろな国で作られたものを見れば見る程、「あぁ、オレ、やること無いな」と思った。
 でも当時は、何が自分の心の中に起こっているのか整理が出来なくて、それを言葉にするまでには時間がかかりました。
(つづく)


18:00:00 | milkyshadows | |
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