Complete text -- "メディアリテラシー 〜 メディアを読み解く力 〜"

17 February

メディアリテラシー 〜 メディアを読み解く力 〜

artist file "tanebito" #13 [3/4] 
鎌仲 ひとみ さん(映像作家 / 最近作『六ヶ所村ラプソディー』

「情報」というものは如何にして作られて、何を目的にしているのか?
情報というのは人を操作できるものなんですよ、使い方によって。
怖いですよ。暴力的だし。


___今日は東京工科大学へお邪魔して、鎌仲ひとみ監督にお話を伺っています。

 ようこそ。(笑)

___こちらではどんな講義をなさっているのですか?

 一つは、「メディアリテラシー」をドキュメンタリーということを媒介に教えるということと、社会問題を見る視点を養うこと。もう一つは、自分で映像作品を作って発信するためのスキルを身につけることの指導をやっています。

___「メディアリテラシー」という言葉は最近目にすることが多くなって来ましたが、どんなことなのでしょうか?

 私たちは「メディア」というものの中に囲まれて私たちは生きています。TVもラジオも、新聞もインターネットも、その中の広告もブログもそうです。道を歩くといろいろな看板もありますが、それもすべて「メディア」なんです。そうして種々雑多なレベルの情報の中に囲まれて生きているのですが、ではその「情報」というものは如何にして作られて、何を目的にしているのか? そのことを学ぶことが「メディアリテラシー」なんです。端的に言えば「文字が読み書き出来るようにメディアを読み解く力」のことです。
 今の時代は「メディア」というものを見て「これは絶対買った方が良い」って、それまで持ってた使えるものを捨てて買ったりする。それは「プロパガンダ」ですよね。必要のないものを必要だと思わせて買わせる技術というのが広告プロパガンダです。それで大量生産、大量消費、大量廃棄ということをやることによって、今の経済は廻っている。
 だけど、そういう商業的なプロパガンダの他に公共放送というものがあります。普通の人は、公共放送が言っていることは一定の信頼を持って良いものだと思い込んでいる訳です。それは公正に公平に公共的な常識に基づいて報道されているんだろう、と思っている。でも、必ずしもそうではないんです。限界があるんです。意図してそうしている時もあるし、意図せずにどうしてもそうなってしまうような宿命的な構造というか弱点を持っている。それを頭にインプットしておかないと、流されて来る情報を自分の中にフィルターを通さないで入れてしまう。
 だから、本当に自分の頭で思考して言っているのか、TVでそう言っていたからそのまま言っているのか、ということが曖昧になっている。そこをキチンと区別つけるのが「メディアリテラシー」なんです。

___メディアを読み解く力。。

 例えば「郵政民営化、良いんだよね」と誰かが言っていたとします。「それは誰が言っているの?」ということです。或いは、最近で言うと「憲法9条」。「憲法9条、変えた方が良いんだよね」って。誰が言ってるの?「あなたは何故そう思うの?」「だってTVで言ってたじゃない」(笑)
 TVの中で、10人出てきて8人が「憲法9条変えた方が良いよね」と言ったら、皆きっと「ああ、そうだ。変えた方が良いんだ」という風に思う訳ですよ。でも、それはTVの中の誰かが言っていたことで、自分で考えたことではないんです。自分で集めた充分な情報を、自分で取捨選択して判断している訳ではないんですよ。「だって有名なあの人が言っていたから、今あれが流行なのよ」とか、そういうことです。
 そんなことをやったら、世論とか選挙とか政治とか簡単に動かすことが出来る訳ですよ。現代の戦争は、それに気がついて「情報戦争」だと言っているんです。ブッシュが「やっぱりイラクを攻撃するしかない!」と言った時に、メディアがこぞって「そうだ!そうだ!」とやって、反対した人をバッシングした。そういうことを見抜けないと、また同じ轍を繰り返してしまう。操作されていることに気がつけない自分がいる訳です。
 かつてヒトラーが「ドイツは優秀な、純粋なアーリア人(の国)だ!ユダヤ人は劣等だから迫害して良いんだ!」などとやった。でも、当時ドイツ人はそんな馬鹿げたことを信じて、仲良く暮らしていた隣人のユダヤ人が殺されても「仕様がないんだ」と思った。それほど、情報というのは人を操作できるものなんですよ、使い方によって。怖いですよ。暴力的だし。
 そのことを、自分を守るために知っておかないと。

自分の立ち位置と言うか軸を持たないといけないのですが、
同時にそれを開いて行くことが必要です。
そういう姿勢って、訓練が必要ですよね


___情報には送り手と受け手がいて、受け手としての力を養おうということですね?

 そうです。
 でもその力を養うには、発信する立場に立てばすぐ分かるんです。例えばブログを書いたら、ヒット数を多くしようとしたらいろいろな工夫がある訳です。キャッチーにしたり、明るく華やかにしたり、人を惹き付けるいろいろな方法がありますよね。作る側に立って初めて、必ずしもすべて公平に同等でフェアな形で情報が出されているのではない、しかもそのように情報を出すこと自体が実はすごく難しいことなのだ、と分かってくる訳です。

___ 以前読んだ本に「20世紀は川の時代だった」という表現がありました。情報は、上流へ行って流せば自動的に下流へ流れた。でも「21世紀は海の時代だ」と。この海は地球の裏側とも繋がっているけれど川のように上流下流はないから、情報を発信するためには自分で潮流を作らなくてはいけない。受け手も、泳ぎ方を学ばなくてはいけない。

 オーバーチョイスになりますよね。あまりにもいろいろなものがあり過ぎて選択できない。どれをどう選んだれ良いのか分からない。だから、情報の海の中で「こっちだ!」と見極める力というのは、どうしても必要です。

___先ず自分の中にアンカーが落とされる必要がありますね。

 自分の立ち位置と言うか軸を持たないといけないのですが、同時にそれを開いて行くことが必要です。
 人間の思考って、すべてそのように外から来たものによって決められているんですよ。自分はそれを思い込んでいる訳です。でも「それは誰が言っているの?」と、頭の中をかき分けて行くと「あ、半年前に読んだ本に書いてあった」って。それが思い込みだということすら自覚していない。
 何か全然違う考え方に出会った時に、そういう考え方もあるということに対して自分はどう向き合うのか。そういう姿勢って、訓練が必要ですよね。だから、カナダでは小学校の時からメディアリテラシーを教育しています。

___具体的にはどうのような教育なのでしょう?

 それはいろいろあるのですが、マニュアルではないんです。結局、思考する能力。人から何かを言われた時に、それをキチンと聴いて、自分の中で咀嚼して、それについて自分の意見を言える人間になる、ということがメディアリテラシーの基本なんです。思考を深めるスキルを身につけるということです。

___ということは、マスメディアに対してというレベルだけでなく、人と人との関係性についてのことでもありますね。

 そうです。コミュニケーション能力がすごく必要です。

客観報道なんてあり得ませんよ。主観報道を客観的にやっているだけです。
絶対的な情報ではなくて、自分も相対化して見ることができるようになるのが最終目標ですね。


___大学の講座ではどんなアプローチで講義されているのでしょうか。

 気になっている社会問題でも、知らないことってたくさんあるんですよね。例えば「裁判員制度」。聞いたことあるけど、どういうことか分からない。それで「じゃぁ裁判員制度について皆で調べてみよう」と言って、調べさせるんです。そうすると皆インターネットで簡単に調べて来ようと思うのですが、「それは最後。それ以外の方法で調べて来なさい」と。調べるとなるとすべてメディアでしかないんです。私たちはメディアでしか伝えられないんです。だから「伝えられなかったこと」は「無いこと」になっちゃうんです。
 一番大事なのは「第一次情報」、直接自分が取材をするということなんです。例えば法務省に電話してみよう、実際の裁判官に会ってみよう、或いは弁護士の人に会って裁判員制度をどう考えているのか聞いてみよう、裁判の傍聴に行って実際に裁判がどう進むのか見てみよう、とか。そんなふうに実体験をすることから、全然違う情報と知識が自分の中にインプットされる。それは「メディア」ではないんですよ。
 実体験はメディアではないんです。その人だけの経験だから、その人のものになるんですよ。例えば1本のペットボトルを立てて、一人一人がどういう情報やイメージを持っているのか「知っていることを言いなさい」と言うといろいろな違ったことを言う訳ですよ。(笑)実体と、一人一人が思っていることとがズレを持っている。そのズレをどう認めて、且つ自分の中のズレを自覚するということです。
 それでまた帰って来て報告をさせる。そうすると全員の視野が広まっているんです。そういうことをやらせるんです。

___とすると、「メディア」というのは「実体験」のための時間や労力を買っているようなものなのですね。

 そうなんですよ。
 でも自分が実体験をして、そのことを人に伝えようとした時にどうでしょうか? 主観が入らないか? 絶対入りますよ。だから「客観報道が在る」という思い込みを、先ず打ち砕かないといけないんです。客観報道なんてあり得ませんよ。主観報道を客観的にやっているだけですよ。(笑)
 だから「あぁそういうものなんだ」と分かった時に、もっとリラックスして、絶対的な情報ではなくて「たかがそんなものなんだよな」という相対化が出来る訳です。

___では、自分が送り手になった時にも、伝え方の客観性を検証するための相対化が必要ですね。

 そうですね。自分も相対化して、自分を相対的に見ることができるようになるのが最終目標ですね。

___誰もが受け手であり、送り手でもある。

 発信してるんですよ。人間はそれを見て読み込むことをやっているんです。「今日の上司の雰囲気は?」とか、体全体で発信されているものがありますからね。「あ、今日はマズそう」とかね。(笑)
(つづく)




[鎌仲 ひとみ さん / プロフィール]

大学卒業と同時にフリーの助監督としてドキュメンタリーの現場へ。
初めての自主制作をバリ島を舞台に制作。その後カナダ国立映画製作所へ文化庁の助成をうけて滞在する。カナダの作家と共同制作。NYではメディア・アクティビスト集団ペーパータイガーに参加。95年に帰国してからNHKで医療、経済、環境をテーマに番組を多数制作。98年、イラク取材をきっかけに「ヒバクシャー世界の終わりに」を作る。現在は東京工科大学メディア学部助教授に就きながらその後も映像作家として活動を続けている。
[代表作品]
『ヒバクシャ――世界の終わりに』(2003/グループ現代)『エンデの遺言――根源からお金を問う』(1999/NHK)『メディアリテラシーの現在と未来』(世界思想社)『ドキュメンタリーの力』(子どもの未来社) 他
 
18:00:00 | milkyshadows | |
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