Complete text -- "心地良く暮らすバランス"

02 March

心地良く暮らすバランス

artist file "tanebito" #14 [1/3] 
野見山 文宏 さん(生理解剖学講師・鍼灸師 / Unplug-lab Japan

理性的な部分を否定したり「もっと自由に振る舞わなくちゃ」と思うことこそが、
理性的なマインドの働きであるんですね。


 僕はどちらかと言うと「アタマ人間」、理性的と言うんでしょうか。学生の頃はそうでもなかったんですけど、会社に入ってから徹底的に「理性人間」になったように思うんですよね。例えば、奔放に自由に振る舞っているような人を見ると、引け目を感じたりしたんです。ネコのように無邪気に振る舞っている人を見ると、僕はそこでどうしても頭で考えてしまったりクールな部分があったりした。それで、そういう理性的な部分を否定しようとしていた訳です。
 でも、そうじゃないだと気づいたんです。理性的な部分を否定したり「もっと自由に振る舞わなくちゃ」と思うことこそが、理性的なマインドの働きであるんですね。尚かつ、理性やマインドの働きは必要なことだったんだ、と。それがあるからこそ、社会でもいろいろなことを成し得たし、実際にいろいろなことを得ることが出来た。それを否定するなんて、もし自分がマインドの立場だったら「これだけ頑張って来たのに、何で否定されなくちゃいけないの?」って。(笑)
 今までマインドのことを否定して蔑んで「あっち行け!」と思っていたけど、今は「ありがとう」という気持ちになりました。(笑)
 サーフィンもよく似ています。波に委ねているだけじゃ何処に行くか分からなくなります。そこで、中心を持って、方向性を体で示してあげることがすごく大事です。

___野見山さんは「バランス」についてポリシーに掲げてらっしゃいます。現代医学に対して東洋医学、貨幣経済に対して自給自足、都会生活に対して田舎暮らし、左脳と右脳、現実世界とスピリチュアル。
 
 当たり前ですけど「どっちも大事だよね」という話です。
 例えば、最近はスピリチュアリズムで「天使はこう言ってるから、、」とか「神のお告げがあって、、」と言ってフワフワと行く気持ちも分かるけど、それだけじゃない意思決定の仕方もあるでしょ。地に足を着けつつ天を仰ぐ、みたいな。そんな生き方をしたいな、と思うんです。
 「田舎暮らし」もしくは「スローライフ」ということも、退職金で悠々自適で田舎でバンダナ巻いて蕎麦打ちして、ということで良いんですが、それだけだと錆び付いちゃう、と言うと失礼ですが、刺激がもの足りない。でも、都会にずっと居続けるのも疲れちゃったり、いろいろな問題がある。そして、環境問題やいろいろを考えると、その中間が丁度良いということになる。楽しいし、一番可能性があるような気がしますね。まさに「アライブ/alive」。臨界点こそアライブ、生きている、躍動感ある暮らし。
 田舎で静かに引っ込んでいるのも良いし、都会でグーッと頑張るのも良い。だけど、都会へ行くと燃え尽きちゃう、田舎へ行くと静まり返っちゃう。その臨界点こそが、カオスの淵。(笑)そんな感じだと思っています。

僕の中のキーワードは「バランス」なんです。
多分、6:4〜8:2くらいが心地良いのかな。
困った時に2割は助けてもらえるような緩やかさが、ちょうど僕らの生き方として合っているような気がします。


___その臨界点を見つけるためには、座標軸としての両端を自分なりに知る必要がありそうですね?

 そう思います。都会生活もとことんやってみて、田舎の生活もやってみて、ちょうど今、そのバランスが取れている気がします。

___両端を体験する冒険が、人生では必要だということでしょうか?

 時として、そういう力は必要でしょうか。(笑)
 サーフィンなんか、そうじゃないですか? 昔は本当に無茶してました。初心者でようやく立てるか立てないかの時に、「台風の時に行くのがサーファーだぜ!」という感じで行って、それでボロボロになってましたからね。今は絶対そんなこと出来ないですけど、時としてそういう体験は必要ですよね。
 だから、両方を経験してみると面白いかも知れませんね。最初から心地良く落ち着いちゃうと勿体ない。本当の心地良さが分からないような気がします。都会でガーッと働く経験も必要だろうし、田舎でノンビリも必要だろうし。何が心地良いのかな、と最近はよく考えます。

___その「心地良さ」も、人それぞれのバランスなんでしょうね。

 だと思います。だから、僕の中のキーワードは「バランス」なんですよね。
 食糧自給もそうですが、全部を自給と言うと凄くストイックで硬くなる感じがするし、全部をスーパーに委ねるというのもどうかと思う。エネルギーも出来るだけ自給したいと思っているし、医療の自給も、要は自分で治せるようなことをしていきたい。それもバランスです。時として頼ることも必要です。
 多分、6:4〜8:2くらいが心地良いのかな。出来るだけ、6割から8割は自分で何とか出来る自信があって、困った時にあと2割は助けてもらえるような、それくらいの緩やかさが、ちょうど僕らの生き方として合っているような気がします。

___見ていて憧れるようなライフスタイルでも、自分にとって心地良いバランスとは限りません。

 全然違いますね。
 だから、昔はその座標軸が他人の生き方の座標軸で、「こういう生き方をしたらカッコ良い、尊敬される」というような形で生きていましたけど、最近はそこが定まって来た気がします。

僕は病気になったが故に、
手を放す勇気というか、後押しをしてくれたんです。


___リチャード・バックの『イリュージョン』が愛読書だそうですね。主人公が、曲芸飛行士を辞めて救世主の修行をするという話です。救世主を辞めた男に弟子入りをする。
 
 不思議な話ですよね。初めて読んだのは、まだ東京で働いていて、まさか自分が伊豆に来るなんて思いもしなかった頃に、伊東に住む友人に薦められたんです。『かもめのジョナサン』もそうですが、リチャード・バックは深いテーマを物語に乗せて書く人なんです。
 特に『イリュージョン』で印象に残っているのはイントロダクションで、川の底につかまりながら生きている村人たちがいて、その人たちは誰もが川の底につかまっていることが当たり前だと思って生きているんです。それを、ある時ひとりの若者が「それはオカシイよ」と言い出すんです。村人たちは「手を放したら危険だよ」と止めるのですが、若者は手を放す。それで、最初は流れに持って行かれて石にぶつかったりするんだけど、その若者は流れに運ばれて、川の上に顔を出して、そのまま大きな海に運ばれて行く。他にも深いエピソードがあるのですが、その「手を放す」「委ねる」ということを教えてもらった本ですね。
 実際に、サラリーマンをやっている頃にはその生活が当たり前だと思っているんですよね。今だから「そうじゃないよね」と思えるけど、あの頃は「この会社でずっと働いて、給料もらって生活して、出世して、、」という人生が当たり前で、そこから外れたらトンデモナイことになっちゃうと思っていたんです。

___手を放すことには勇気が必要です。

 そうですよね。怖いもんね、誰しも。(笑)
 僕は病気になったが故に、手を放す勇気というか、後押しをしてくれたんです。病気にならなければ手を放せていなかったかも知れませんね。中途半端に風邪ひいたくらいだったら、しがみついて「コレが良い」と思っていたかもしれないですね。(笑)

___手を放すことを後押しするのも、川の底にしがみつくのを促すのも、どちらも「流れ」なのかも知れませんね。

 そうですね。たまたま僕には、今の流れが心地よい流れだったんでしょうね。
(つづく)




[野見山 文宏 さん / プロフィール]

1966年、神戸市生まれ。
某大手銀行に就職後、全国トップセールスに輝くほどに都会でのサラリーマン生活を極めるが、1998年、過労で倒れたことを機に「生きること・働くこと」の意味を考え、退職。東洋医学を学ぶべく鍼灸師へ転身。地球環境や有機農業などを含め大いに学ぶ。
2001年、ホリスティックな治療を学ぶべく、伊豆/安らぎの里へ夫婦で就職。治療と同時に、ヨガ・食養生・呼吸法などの指導を担当。
2005年、「unplug」によって人は変わることをつたえたくて独立。塩見直紀氏の「半農半Xという生き方」に大いに感銘を受け、自然農の畑で食糧を自給しつつ、後の半分は魂の輝く仕事をしようと「里山リトリート」をスタート。
2006年、「日本一わかる!生理解剖学講座」を全国で開催。自然やカラダの素晴らしさを伝える。
 

野見山文宏 著『感じてわかる! セラピストのための解剖生理』

BAB出版より2010年4月末ごろ出版予定です。
18:00:00 | milkyshadows | |
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