Complete text -- "あしがら理想郷構想"

08 June

あしがら理想郷構想

artist file "tanebito" #18 [3/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、
言ってみれば、
まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)


___これまで精力的に各地を視察なさっていますが、ヨーロッパなどでの印象的な事例をご紹介いただけますか?

 そもそもの話をすると、私は「足柄平野は可能性の大地で、素晴らしい未来がある」というようなことを前回市長選の時から言い続けていますが、今は実際そうはなっていないことがたくさんある訳です。だから理想の足柄平野に恋い焦がれている感じで、言ってみれば、まだ見ぬ理想の女性をずっと信じて生きてきた訳です。(笑)人は憧れだけで一つの目的を何年も掲げ続けることは出来ません。そういう意味で、私が憧れている、将来必ず到達したいと思っている足柄平野の姿を考える上で、その実現を既に果たしている地域の姿を見ることによって、「やっぱり出来る!」と勇気をもらう為にいろいろな地域を訪ねたんです。

 ヨーロッパは予てから行きたいと思っていました。スウェーデン、デンマーク、ドイツへ行きましたが、まさに私の憧れを実現している地域でした。そして行ってみて、「あぁ、やっぱりやれば出来るじゃないか!」と何度も膝を叩いた訳です。
 例えば日本の「行政」というのは、いろいろな計画を「市民参加」と言っておきながら、既に決まったものを市民に見せて「どうですか?」と言っている。つまり、市民の声を聞いてはいるけれど、市民の意見を反映するつもりはないかのようです。理想的には、計画を作る段階で市民の意見が充分に反映されて、それを基に、すべてとは言わないでもあらかたの納得の得られる計画を作って、それを実施に移して行くというプロセスだろうと思います。

 日本では「それは理想論だ」と言われてしまいますが、スウェーデンのストックホルムでは、その理想が現実として行われているんです。
 例えば大掛かりな再開発にしても、まだ計画の柔らかい段階のものが市役所のロビーに展示されていて「これは計画中ですので、市民の皆さまの意見を受け付けています」という表示までしているんです。そこで、当然いろいろな利害関係者がいろいろなことを言います。それをキチンと集約して、フィードバックして、「これをこう受け容れて、こう変えました」と。それを何回も延々とやるんです。そして、あらかた「行けそうだ」となったところで議会にかけて、承認を得て、予算がついて"GO"になるんです。

 ドイツのバルトキルヒでは、市を25地区に分割して、問題は地域の力で解決しています。全く理想的な、地域の住民による問題解決の事例です。行く先々でそうした事例に遭遇して勇気づけられました。
 だから、私の言っていることは絵空事ではないという確信を持っていますし、それは地球上のいろいろな所で実際に起こっていることで、今は出来ていなくてもそれを目指している所はたくさんあって、「やれる!」という実感を持っています。

 それから、印象的ということで申し上げるなら、岩手県の葛巻町ですね。葛巻町は、北上山地の真ん中で「岩手のチベット」と呼ばれているような所で、林業と牛くらいしか産業がないような、典型的な過疎の山村です。冬は氷点下で、いつも北西の風が吹き荒れていて、「こんな所によく住んでいるなぁ」と日本中から思われているような所だった訳です。
 そこがエネルギー自給率も食糧自給率も200%近くなっていて、日本の国家が破綻しても葛巻は生き残るという程になっているんです。

___葛巻では、その地域の方が自発的にそうした方向を見出して行ったのでしょうか?

 そうです。
 葛巻は、過疎の山間地に往々にしてある産業廃棄物処分場の計画が持ち上がって、現金収入がないですから産廃を誘致しようという人と、地域の自然の中で行きて行こうと言う人たちと、町論を真っ二つに割ったんです。その選挙で「自然と共に生きる」と言って勝ったのが、私の会った元町長の遠藤さんです。
 遠藤さんは小田原にもいらしてくれて、印象的な言葉をおっしゃっていました。「たとえこの町が経済的にダメになっても、自分たちはずっとこの町で生きて行く覚悟を決めている」と。その覚悟に触れて、私は本当に感銘を受けました。地域に対する「愛情」という言葉では済まない、何と言うんでしょう、その地域と一体になって生きて行く覚悟の凄さと言うんでしょうか。
 その遠藤さんに「小田原でも自然エネルギーを導入したいと思うので、そういった話をしに来てくれませんか?」とお願いをしたら、つくづくと「小田原はこんない良いものがいろいろとあって、あなた、これ以上何を望むの?」とおっしゃったんです。返す言葉がなかったです。(苦笑)
 葛巻は、本当に何もないところからアイデアをひねり出して、風車とミルクと、自生する山葡萄を使ったワインを、それこそ15年以上かけて難産の末に作っていったんです。町長も何代か変わっていく中で、今はそうしたいくつかの第三セクターが町の財政を支えています。だからと言って、それでもまだ町の未来は盤石ではないんです。そうした限られた大地の中で生き抜いている方々がいる訳ですから、葛巻のことを考えたら、この小田原で出来ないことなんてないですよ。
 小田原に無いのは、追いつめられて「何とかしなきゃいけない」という気迫であったり切実感だと思います。もしかしたら、大地震によってそれがもたらされてしまうのかなぁと思うこともありますが、そうした生きる死ぬに直面しないでもやって行けるようにハンドルを切って行きたいと思っています。

つまり小田原は、一つの地域圏としての理想的な姿を、
総合的な形で提示出来る可能性を持っていると思うんです。


___加藤さんは小田原のポテンシャルをとても強く信じてらっしゃいます。これから進めて行く改革は、他地域に向けてのモデルケースにもなり得るとお考えになっているともおっしゃっていました。

 私は、いろいろな町を国の内外問わず訪問して来ました。環境政策で先進的な町、福祉のコミュニティづくりで先進的な町、市街地の再生において先駆的な町。それぞれの町ごとにいろいろな先進事例がありますが、トータルにバランス良く取り組んで全体像として上手く行っている所は、まだそれほど無いんです。
 例えば、教育問題は教育のことだけを考えていてもおそらくダメなんです。大人たちが一生懸命街づくりにに取り組む生き様が子どもたちの心を開くとか、水源の森づくりに一緒に取り組むことで環境意識の高い子どもたちが育つとか、地域のお年寄りを支える活動を子どもたちと行うことで福祉の分野の裾野が広がるとか、それぞれの分野が密接に繋がり合っているんですね。そういう意味で小田原は、自然環境はあるし、都市の基盤もあるし、交通のインフラもある、産業もある、文化的土壌もある。いろいろな素材がすべてオールインワンで整っている地域なんです。
 だから、これだけ揃っているからこそ可能な取り組み方があるんです。つまり、一つの地域圏としての理想的な姿を総合的な形で提示出来る可能性を、小田原は持っていると思うんです。一番底辺に「自然環境」があって、その上に安心して暮らせる「人の営み」があって「経済活動」があって、さらにその上に、人をつくって新しい価値を構築して行くということが出てくる訳ですが、それを一体的な一つの自給自足・自主独立の地域経済圏というものが、私はこの地域には出来ると思っていて、それが私の目標でもあります。
 小田原はその可能性を充分に持っていると思います。

___加藤さんが主宰なさっているシンクタンクは『あしがら総研』とおしゃいますが、「あしがら」と掲げたことの背景にはそうした思い入れがあったのでしょうか?

 「小田原市」という行政区域は、あくまで便宜的なものでしかないと思っています。
 私は、人が生きる為に必要な地域基盤というものは、一つの水系でまとまると思うんですね。ここであれば酒匂川です。酒匂川によって開かれてきたのがこの足柄平野なんです。そこに注いでいるいろいろな川があって、その先にはその水を生み出している山がある。一つの水で繋がっている地域圏がある訳なんです。これが「足柄地域」です。
 まぁ必ずしも「あしがら」という言葉でなくても良いのですが、この2市8町(小田原市・南足柄市・松田町・大井町・開成町・山北町・中井町・箱根町・湯河原町・真鶴町)のエリアが、私たちが暮らす為に必要な「命のインフラ」だと思うんです。ですから小田原の中心街に暮らしていても、私たちの水源は山北町の玄倉川の上流や中川の一番奥にある訳で、やはりいつもそういった場所のイメージにも思いを馳せながらこの地域のことを考えて行く必要があると思っています。

___そうやって地図を見ると、視点が変わってきますね!

 そうでしょ。(笑) 私はこの地図を壁に貼ってあるんです。
 ただ残念ながら、「命のインフラ」と言うことで食糧自給率を考えると、足柄平野には水田がたくさんあるように見えますが、流域35万人の人口を通年で賄えるだけの米の生産量が無いんです。せいぜい2ヶ月分でしょう。だから結局、いくら豊かだと言っても、生きて行く為には遠くの農村地帯等と連携をして食糧を確保しなくてはいけない状況になってしまっているんです。
 もともと足柄平野は、穴を掘れば水が噴くくらいに水の豊かな所だったのですが、今は地下水のレベルがどんどん下がっているんです。それは、平野中をコンクリートで固めてしまって雨水が地中に行かないということもあるでしょうし、山が荒れてしまっている状況もあるでしょう。そういうことは目には見えませんが、いつもキチンと意識を払っておかないと危ないと思っています。
 これからは、中国やインドがいつどうなるか分からないですし、アメリカが転んでしまったらどうなるか分かりません。地球上で何か経済的な大変異があった時に、地域が食糧の安全を保障する盾になって行かなくてはならないと思うんです。せめて水や野菜や果物や、お米も出来るだけ地域の中で生産して、地域に住む方々の命を支えて行く仕組みをつくることが必要です。

___地域の問題が、グローバルな問題と繋がっていることを感じます。

 だから、そういうことを考えると、あまりノンビリはしていられないということなんです。どこの地方都市もすべからく、これからは生存が問われる時代になって行くと私は思っていますので、目先の経済的繁栄だけではなくて「10年後20年後にここで生きて行けるのか?」ということがとても重要なテーマになって来ると思うんです。今から手を打っておかないと、ある日突然水が出なくなるということだってあり得る訳です。
 市民の皆さんの命を守るということは、50年100年先まで見通して、基盤整備をキチンとして行くということだと思っています。

___その第一歩としては、どんなことから着手なさいますか?

 皆さんに実感してもらいやすいところから、一緒に汗を流して行くことでしょうか。
 分かりやすいのは、山が枯れているということでしょうね。私たちの命を支える水を生み出す元である沢が枯れているということが、山へ見に行けば分かります。明神ヶ岳の中腹まで行くと、沢がことごとく枯れ上がっているんです。土地の古老に聞けば、昔は飛び込めるほどの淵があったと言う所も、今は一滴も水が無いんです。それを見ると愕然とします。
 小田原市も現在、植樹活動はそれなりにやっていますが、もっと違う勢いでやって行く必要があるだろうと思います。そうした作業を、行政の職員と市民がタッグを組んで、同じレベルでやって行くということがとても大事で、そうでなければ難しいと思います。
 市民の生活の現場は24時間動いていますから、職員は5時になったら定時終了というのではなくて、少なくともそういう痛みが分かるような仕事の仕方をして行かなくてはいけないと思います。そういう意味で、せめて市民の皆さんとの共同作業は一生懸命やって行く。地域の問題の掘り起こしについても、率先して職員が地域を走り回って課題の拾い上げをして行く、というようにして行きたいですね。
 それから、これは他の自治体でやっていたことの受け売りですが「オラが町のカルテ」を作るんです。小学校区だと大きすぎるので自治会単位くらいが良いと思いますが、住んでいる町のことを先ず自分たちが知るということです。そういった共同作業を子どもからお年寄りまで一緒になってやってみるというのも、比較的分かりやすいアプローチの一つかなと思います。
 とは言え、こんなことは私が決めることではないので、市民の皆さんや職員の方々の知恵を総動員して、どうしたら一番早く一番効果的に理想の小田原に持ち込めるかということを一緒に考えて行くことが大事です。

水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。
自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。
私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。


___加藤さんの事務所には、『風の谷のナウシカ』が全巻揃っています。どんな興味でご覧になったのですか?

 映画を観たのは、封切りの時ではなくてずっと後でした。子どもが出来てからです。私も単純なので、困難に向かって行くナウシカの姿に感動しました。
 どうして事務所にナウシカがあるかというと、「風の谷」というのが一つの理想郷を示していると思っていて、私の後援会の機関誌は『風の谷便り』という名前です。「小田原は可能性の大地だ」とか「人に必要なすべてのものがここにはオールインワンである」というようなこと言って届かなくても、「風の谷のイメージです」と言うと子どもでも直感的に分かるということで、キーワードにしています。
 水が巡っていて、緑の大地があって、人々が子どもからお年寄りまで、皆で支え合って暮らしている訳です。まさにそういうことですよね。生かされる大地を守って、その上で人々が豊かに暮らして、お互いをいたわり合って行く地域の姿。そして、まさに酒匂川という大きな谷を共有しているイメージもあります。海から良い風も吹いて来ますし。

___街のサイズもコンパクトですよね。ちょうど手を広げた幅という感覚です。人の幸せは、手の届く距離にしかありませんから。

 おっしゃる通りです。
 横浜の中田宏市長は私と同い歳ですが、大変だろうなぁと思います。人がそこで生きて行くということのリアリティが、あのどこまでも続く住宅街の波を見ていても、私には掴めないですよ。小田原に育った私たちには、水の発する山がいつも見えていて、田んぼも畑もそこにあって、海もあって。自分を支えてくれているものが、全部視界に入っている訳です。そしてそれが、立つ場所や光の加減によって様々な表情を見せてくれます。これは本当に幸せなことだと思います。
 だからこそ、いろいろなことがイメージし易いと思うんです。横浜市で「持続可能な社会を!」と言っても「?」という感じだと思いますが、この土地だったら、環境も経済も福祉も教育も、皆さんイメージ出来ると思います。そういう意味で、私たちの地域は理想的なサイズを与えてもらっているんです。ですから、私たちはこれを活かして行く役割を与えられていると考えたいですね。
 私は「小田原から日本を変える」というような大げさなことを言うつもりはありませんが、少なくとも、そういう所へいつも通じて行くような取り組みをしたいですし、出来ると思っています。


20:00:00 | milkyshadows | |
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