Archive for 18 November 2007

18 November

「輝き」に戻るプロセス

artist file "tanebito" #10 [2/3] 
小笠原 和葉 さん(ボディワーカー / Effleurage

『クラニオセイクラル』のような静かなセッションを行うと、
自分でも気づかないことに気づかされることが多いですね。


___『クラニオセイクラル』という手技をなさっています。

 「頭蓋仙骨療法(とうがいせんこつりょうほう)」と言います。

___脳脊髄液に働きかけるそうですが、これはリンパのようなものなのですか?

 身体の中に実際に存在する液体なんです。背骨は下から、尾てい骨があって、仙骨という三角の骨があって、腰の骨があって、その上に背骨が首まで積み重なって、その上に頭蓋骨があります。その中に神経や脳など大切なものが入っているのですが、それを保護する役割がある「脳脊髄液」という液の上に浮かんでいる状態になっているんです。
 その液自体が、呼吸のような波のような、下から湧き上がって広がって行って、緩やかに戻る所へ戻って落ち着いて行く、という運動をしているんです。その動きは、全身どこを触っても、熟練したプラクティショナーであれば感じることが出来るんです。
 常日頃、肉体的なショックを受けますし、外傷によるショックや、ストレスでも体はキュッとなりますし、そういうものが体の中に蓄積されていくと、そこの部分には広がって行き難くなるんです。でも、そこへ広がって行き難くなっているけれど、そこへ広がって行きたいという動きが必ずありますので、そこへ耳を傾けてあげて、心の中で会話をしながら「こっちへも来れるんだよ」と教えてあげる。そうすると、不思議なことに、体はそれに応えてくれるんですね。「そうそう、こっちへ行きたかったんだ」と。
 実際に骨が動いたり、身体の中の緊張が取れて、そこへ流れが戻って来たりとか、そういうことをお手伝いするワークです。リンパ・マッサージのように外から圧をかけて流すというアプローチではなくて、体が動きたがっている方向に気づいてあげるということがすべてかも知れないですね。

___私も体験させていただきましたが、本当に触れているだけなのですね。

 そうです。

___それでいて、脳脊髄液の流れを、肉体的な感覚として本当にリアルに感じます。驚きました。

 私もいまだに驚いています。〔笑〕
 神経や脳に働きかけていますから感覚を感じますので、その過程では「光が見えた」とか「音が聞こえた」と言う方もいらっしゃいますし、そういうことは普通に起こります。

___人間の体は本当に凄いですね! 痛い・痒い・熱いという皮膚感覚が、体の内側へも向いていることに気づかされました。

 外側の刺激の方がやはり圧倒的に強く感じますから、なかなか内側の繊細な感覚に気づくことはないですが、それはそういう機会がないということなんだと思います。『クラニオセイクラル』のような静かなセッションを行うと、自分でも気づかないことに気づかされることが多いですね。

___このような繊細なセッションは、それなりの感性をお持ちの方でないと感じられないでしょうか?

 私も最初はそれを危惧していて、プロとしてワークをしていくことを躊躇していました。けれど、普段は気づかない感覚が在るということを衝撃的に感じる方というのは、繊細なことにはそれほど目を向けていない方の方が多いんです。〔笑〕
 もともとヒーリングやボディワークに興味があるとか、ヨガやマクロビオティックをやって体のことに気をつけている、という方よりは、1日20時間働いているというような方の方が「なんだコレは!」とビックリされる方が多いということに、始めてから気づきました。

___食べ物にしてもエンタテイメントにしても、何にせよ刺激を求める社会です。その点、『クラニオセイクラル』のファーストタッチは穏やかです。

 本当に触れているだけですから、外から見ると「何をしているんだ?」という感じだと思います。〔笑〕

___説明がないと、戸惑う方が多いのでは?

 また、説明が難しいんですよね。
 私も始める時に、ボディワークに興味を持って調べていく中で、何を読んでもまったく分からないのが『クラニオセイクラル』だったんです。「5gのタッチで、、、云々」と書いてあるのですが、分からないので、とりあえず縁があってワークショップに行ったんです。そうしたら、本当に触れられているだけなのに、自分の体の中で骨がポキポキ鳴っていく感覚や、首の筋がピクピク動く感覚、その動きの後に何かがワァーっと流れていく感覚とか、外側までそれが広がっていく感覚とか。。

___体験すると、本当に驚きます。

 説明はとても難しいです。〔笑〕おいで下さいとしか言いようがないです。〔笑〕

その方の体が表現するものに耳を傾けているだけです。


___セッションを受けた方は、どういう反応が多いでしょうか?

 本当に人それぞれですね。
 心や魂のレベルで変わっていくと言う方も多いですし、それでいて肉体にも反応があって効く。それが面白くて、不思議で凄いなぁと思うところです。
 過去に大きな怪我や手術をされている方、逆子や難産など出産の時に強い圧縮があった方などは、頭蓋や頭の神経系に働きかけることによって、かなりこちらの手に大きく感じることが多いです。骨がパキパキ鳴って開いたりする。それによって、長年感じていた違和感が消えたり、肩こりが楽になったり目が良くなったという方もいらっしゃいます。
 もっとスピリチュアルなことに気づいていく方や、「メッセージを受け取りました」などとおっしゃる方もいます。ものごとに対する反応の仕方も、より深くから気づくように変わって行くんです。セッションを重ねることによって、そういった根の深く歴史の長いものについて変化が見られることが多いようです。
 同じ方でも、起こることは毎回違いますし、体がビクビク動いて、体の中に溜まっていた衝撃をリリースするようなことが多く起こるセッションもありますし、ゆらゆらと眠っているような起きているような感じで静かに進んでいくセッションもあります。何が起こるとは言えないですね。

___プラクティショナー(施術者)は、セッションの中で何を見ているのですか?

 その方の体が表現するものに耳を傾けているだけです。

___それを、触れている手の感覚で感じる。

 そうして感じていることも多いですが、そうでないもので感じていることも多いと思います。
 さっきも言ったように、例えばこうしてお話をしていて、言葉で聞いて、表情から読み取って。でも、そうじゃないものからもたくさん情報を受け取っている。「本当はこうしたいんじゃないかな」とか。
 それは、手で触って感じる時もありますし、「なんとなくあっちが気になる」というように感じる時もあります。手で触れて感じているリズムが「からだのあの部分で曲がっている」とか「通り難い感じがしている」というようなことを、触覚といろいろな情報を合成して認識しているのだと思います。

___感じる力は誰でも持っているとするなら、それを体系づけることが勉強なのでしょうか。

 そうですね。勉強はたくさんさせられます。全身の解剖学をやりますし、脳の中の血管の一本一本や、神経系、内蔵についても細かく勉強します。そういう知識をバックグラウンドで持っていることによって、「あの感覚はこの膜から来ている」とか「あれはこの骨の感覚だ」というようなことが、だんだん一致しやすくなる。拾っている感覚と知識とが合成されて、より詳細なことが見えてくる。
 でも、やっぱり「慣れ」でしょうか。セッションを重ねることによって、だんだんそういうことが見えてくる。

どんな人でも、必ず美しいんです。
その本質は光り輝いている。


___体の感覚で得たものを体系づけるということは、人類の驚くべき力ですね。

 「知識」は必要なもので勉強も必要ですが、二次的なものだと思います。一番自分が試されて要求されていると感じるのは、その人の中にある、その人の生命力を推進している力や知性を、心から100%「信じる」ということなんです。
 それが出来ないと「知識」に振り回される。「治してやろう!」とすると、体は心を開いてくれない。体が心を開く、というのは変ですが。〔笑〕
 もっと大きなものを信じて明け渡していくということが、一番必要とされてチャレンジされているところだと思います。

___クライアントさんからは、どんなフィードバックがありますか?

 「何々に気づきました」ということが多いと思います。具体的に肉体的な症状が取れたという方もたくさんいらっしゃるのですが、「自分の中にこういうものがあるということに気がつきました」というフィードバックが一番多いし、心に残るものだと思います。

___そういう場に立ち会うことは、どんなお気持ちですか?

 楽しいですよ。(笑)
 幸せですね。本物に触れている感じが毎日あります。

___「本物」って何でしょう?

 何でしょうねぇ。。
 やっぱり、セッションを通して語りかけているものって、その人の表面的な肉体ではないですし、人格とか造作とかよりも奥深くにある、もしかしたらその人が気づいていないものかも知れないので、本物の絵画を観ているような、そんな感じなんですかねぇ。(笑)芸術に触れている感じがしているかも知れません。

___『エフララージ』のサイトに、「美しいレイキ」という表現がありました。「美しい」ということについては、どんなことをお考えですか?

 さっき、「操作」ということを言いましたが、エネルギー・ワークのセッションを行っていく中で、嫌なものを強制的に変えたり取り外したいということも出来ると思うのですが、私が美しいと思うのは、その人本来の在り方や輝きに戻っていくプロセスだと感じています。
 どんな人でも、必ず美しいんです。その本質は光り輝いている。それは、エネルギー・ワークや、実際に触れている時に、私の心が強烈に感じることなんです。本当にキレイだなぁと感じます。なので、クライアントさん自身が、そこに気づいて歩み寄っている時があります。私に気づかれることによって、内側からも花開いていく。そのプロセスは、すごく美しいなぁと思います。
 現代社会で生活していると、それに蓋をしていたり、外からレッテルを貼ることが多いでしょうから、それによってどんどん自分を閉じ込めていってしまう。そうじゃなくて、その向こうに本当は光り輝いているものがあるということに気づいて、自分の方に取り戻してくるプロセスは、キレイだなぁと思います。

___なるほど。。

 情報が多いということは幸せなことでもあるし、文明の恩恵だと思いますが、そのことによってかえって本質から遠ざかってしまう。気づかなくしてしまう。それは、もったいないなぁと思います。
 自分の本質に気づかないから、外側からの情報に頼ってしまう。他人からの期待に応えようとしているうちに、自分の内側からの要求が分からなくなってしまうことって、ありますよね?
 そういうことは、起こりやすいことだと思います。
(つづく)


18:00:00 | milkyshadows | |

光を描く


クリエーターの端くれとして、
「クリエーション」ということの使命について考えることがあります。


何かをつくろうとする時、
何か事を成そうとする時、
一番最初のステップを促す言葉があるとしたら、
それは、こんな問いかけなのだろうと思います。

 「ソコカラ、ナニガ、ミエル?」

目を閉じて、
呼吸を整え、
心を魂の中心に置いて、
再びそっとまぶたを開いた時に、
そこに映される光は、いったいどんな輝きなのでしょう。

 透明な瞳に映される、ありのままの光。

 この宇宙を、
 本当に直視するのだとしたら、
 私がそこで見るものは、光の純粋だけではなくて、
 闇や混沌なのかも知れません。

 「ソコカラ、ナニガ、ミエル?」


はたして、闇を前にした時に、
クリエーションには何ができるのでしょう?

 そこに見えるのが光だろうと闇だろうと構わない。
 けれど、
 クリエーションが放射する力を信じるのなら、
 闇に飲まれる退廃よりも、闇を見つめる勇気にこそフォーカスすべきなのだと思う。

そもそも、
この宇宙は闇から生まれたのですから、
光は闇の子、闇は光の母。
そんな過不足のない宇宙の生々流転を「カオス」と取るか「シンフォニー」と取るか、
その受け止め方の違いこそが、私たちそれぞれの魂のありようなのでしょう。
 
 「勇気」というのは眼を開く力だと思う。 
 真っ直ぐに、闇や混沌を見据える力。
 そこから光が放たれ宇宙が始まったのだとすれば、
 「勇気」こそ魂の本質なのかも知れない、と思う。


勇気を育むこと。
それがクリエーションの使命なのだとすれば、
そのための一番最初のステップは、
透明な瞳でありのままの光を映す、ということなのではないでしょうか。


17:50:00 | milkyshadows | |