Archive for 29 July 2007
29 July
「農」のある暮らし
「冬水田んぼ」
___ここは凄く良い所ですね!
湧き水が年中通して流れていて、しかもその水がとてもキレイなので蛍が出ます。
___湧き水が出るというのは、田んぼの環境としては恵まれている?
そうです。
町中にある田んぼは、「水利権」という水の利用料を払って決まった期間だけ使わせてもらうのですが、ここだと一年中湧き水が流れて来ていて、他の田んぼの都合に合わせることがないので「冬水田んぼ」というのをやりたいと思っているんです。
___「冬水田んぼ」?
最近見かける田んぼって冬になるとカラカラになっちゃって、冬の間カチカチの状態で放置していることが多いんですけど、それを冬の間も水を張っておくことによって、田んぼに育った虫等が死なずに、いろいろな生態系を残して行けるということです。
農薬を使っている所だと、益虫も害虫もまとめてみんな殺してしまいますが、本来なら、害虫が増えるとそれを食べる益虫も増えるし、さらにそれを食べる鳥だとか、いろいろなものを育むことが出来るんです。
全国いろいろな所で「冬水田んぼ」の取り組みがありますが、この小田原・大磯でもそういうことをやって行くと、そのうち渡り鳥とか遊びに来るんじゃないかと思っています。
宮城県で、唯一『ラムサール条約』(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)に登録されている水田があるんです。そこが先導になって、「冬水田んぼ」が見直されるキッカケになっているんです。
その福島の「冬水田んぼ」や兵庫県の豊岡では、昔はコウノトリが飛び交っていたのですが、農薬を使っている数十年の間にすっかりいなくなってしまったんです。それで「コウノトリ育む農法」ということで、もう一度コウノトリを飛ばせようと、地元の方々が協力してやっている取り組みがあって、去年あたりは、野生のコウノトリが飛んで来て、五十数年ぶりに孵化したとか、そんなニュースが聞こえています。
宮城の岩渕先生がおっしゃっていることですが、「田んぼ」は単に「rice field(お米を作る畑)」ではなくて、「田んぼ」なんです。それは何かと言うと、お米を穫るだけではなくて、いろいろな生態系の舞台でもあるし、子どもが遊び回る教育の場でもあし、いろんな要素がある。昔から日本の集落は「田んぼ」があって、農作業があって、お社があって、そこを中心にまとまっていたんです。それが、農業が大規模化したり兼業化したり、農業を継ぐ人がいなくなってしまうと、集落自体の繋がりも薄れてくる。
ここの田んぼをやるうえでは、週末しか来ないとしても、田植えのお祓いや収穫祭とか、農業のお祭り事を体験しながらやって行きたいと思っています。
___「冬水田んぼ」という考えは古くからあるんですか?
江戸時代に書かれた農書にも記述があると聞いています。
田んぼに足を入れるとトロトロした感触がしますが、それは細かい砂と一緒に、イトミミズやユスリカ等の小さな生き物の糞の層が堆積しているんです。その層があると、雑草が生え難いんだそうです。
だから、今こうして草むしりをやっていますけど、「冬水田んぼ」を何年もやって土が出来てくると、こういう大変な作業は回数を減らしたり、やらなくて済むようになるんです。
江戸時代では、当然手作業でやっていたのでしょうが、そういった昔ながらの智慧があるんです。農薬とかを使うようになって、その辺はあまり日が当たらなくなって来ているかも知れませんが、試行錯誤しながらそれを受け継いで行ければ、と思っています。
それほど大仰なことは出来ませんが、「普通のサラリーマンをやりながらでもこれだけ楽しく出来るんだよ」というのはメッセージになると思っています。
「農」のある暮らし
___週末だけの作業でこれだけ田んぼが成り立つというのは、農業がとても身近に感じます。
本当はもっと頻繁に見たいのですが、私たちの場合は地元の農家の方にご指導いただいたり、平日我々が来れない時に様子を見ていただいたり、いろいろな意味で恵まれた条件が揃っていることもあります。
「畑」だと食べ頃を逃さない為には週末の作業だけでは少ないと思いますが、「水田」だと水の管理を除けばそんなに頻繁に来ないとどう仕様もないということはないんです。家の近所に畑を持てれば良いのでしょうが、水田は以外に取り組みやすいなぁ、と実際に取り組みながら感じています。
___そうすると、街の暮らしをしながら兼業できるような「仕組み」が出来れば良いのでしょうか?
そうですね。「仕組み」は必要だと思います。
実は、ここへ来てくれているメンバーは、山登りやマラソン等いろいろな遊びの仲間だったんです。「今度の週末、何をしようか?」という時に、「じゃぁ何処何処の山へ行こう!」というのと同じレベルで「田んぼに行こう!」と。そんな選択肢がいろいろな人に提案できるような仕組みがあると良いですね。
我々は「兼業農家」かも知れないですが、「農業」をやっているとは思っていなくて「農」なんです。「農のある生き方」なんです。
生業としてやっていくのは大変ですし、そこまでやるつもりはないと言ったら失礼ですが、やっぱり「農のある生き方」って当たり前のようで、難しいですけれども豊かな暮らしだと思います。
田んぼに来てまわりの畑を見ると旬のものも見えますし、何よりも、コンクリートの上だけで生きているのとは違った歓びや楽しさがありますよね。
(つづく)
街角の店
叩き上げ
___貴金属の世界でも、カリスマ的なデザイナーとかいらっしゃるんですか?
例えば、スペインのホアキン・ベラオさんや、ティファニーにいらっしゃるピカソの娘さん(パロマ・ピカソ)とか。
日本にもいっぱいいらっしゃいます。
ほとんどの方が、専門の学校に行って彫金や石の勉強をしてる方が多いと思うのですが、私は家業だったので、叩き上げのような感じで(笑)。
普通の大学で心理学をやって、卒業したらすぐにこの仕事をやらなくてはいけない状況で、専門の学校に行ったことはないんです。必要な時に必要な部分だけを習いに行くような感じでした。
___教室での教え方にも、それが反映しているように思います。自由にやらせる部分と、ガイドラインをきちんと示す部分と、そのバランスを心得てらっしゃるように見えます。
せっかくいらしていただいているので、一つは技術が上がっていただきたいという思いがあるんです。だけど、楽しいことが一番。楽しく、キレイに、自分が良いと思ったものを作っていく。
なるべく自由に、思ったようにやってもらって、ポイントだけ「工具の使い方はこう!」みたいな時に言わせていただく。
全員に同じことを言っても仕方がないですよね。その人に必要のないことだと覚えられないし。
___教える場面でも個別対応。
個別ですね。私の場合、クラスは8人くらいまでです。
人の始まり
___心理学を専攻されていたということは、先生をめざしていた?
小学校の先生になりたかったんです。
「教育」というか、人の始まりの根底のようなところを一緒に勉強できたらおもしろいだろうと思っていたんです。
___話が大きくなりますが、今の「教育」についてお感じになることなどありますか?
話大きいですね(笑)
「ゆとりの教育」とか言いますが、何か違う気がします。もっと根源的な「自然」の所に連れ出すような時間があった方が良いですよね。
「街」の価値
___ジュエリーショップというと「街」と切り離せない。「街」の中での存在。かたや「スローライフ」など、「街」から離れることへの価値観がある。その辺は、どうお考えですか?
出来れば「街」から離れたいかも知れない。
高価なダイヤモンドを見る時も、もっと空気のキレイな所で見た方が良いと思うんです。 アクセサリー・スクールも、すごく風の入る所で出来たら気持ち良いと思う。光とか。空気感。
ジュエリーショップというと、黒が基調でピンスポットが当たったいるような暗いお店がいっぱいありますが、私は違うと思うんです。もっとナチュラルな場所で見た方が、本当の色も分かるし、嘘がない。そういう所で見た方が良いし、選んで欲しいと思う。
___貴金属についても、「街」を離れて商売が成り立つと思いますか?
やってみないと分かりませんが、ナチュラルなストーンの場合は、かえってその方が良いと思います。
都会的なもの、都会にいる人が選ぶジュエリーは、少し難しいかも知れないですが、逆にそれを価値を思って買いに来てくれる人はいると思うので、やってみればまぁまぁ成功の方じゃないかと思います。
___私も美容師として「街」との繋がりはテーマなんです。流行と切り離してのファッションは有り得ないので。
でも、「美」という精神性が経済システムに取り込まれていることに、違和感を感じています。
私もそういう仕事に関わっていて、いつも居心地が悪いことは悪いですね。
___藤沢さんの場合は、「天然石」というのが一つの突破口なのでしょうか?
「自分が息が出来る」というか「自然」になれるところのような気がします。高価な貴金属だけでは息が詰まるところがあって。
でもかたや「流行」は面白いですよね。都会から切り離された所に移って行ったら、それが新たな悩みになるかも知れないですね。 流行のものを置いてもあまり意味がなくなる。
___ 最先端のものと、地に根を張るもの。 私たちが両方見れるアンテナを持って「媒介」になれば良いのかな?
そうですね。
あとは、「街」そのものについても考えた方が良いかも知れないですね。ココにいながら、この街がもっと自然に近づくようなことを考える。
街の良さは、人がたくさんいて、人が簡単に出逢えたり、情報を直ぐに分かち合えたりすることだろうと思います。街角に店をつくることは、出来るだけ長い時間店を開けて、たくさんの人が入り込めるような場所をつくる義務があるような気がするんです。
私がココにお店を出して人と人が繋がっていく場所をつくることによって、どういうカタチか分からないけども、自然にみんながこの街を居心地の良い空間にしていくような努力を協力してできるような、そういう流れがつくれたらいいと思っています。
___人が集まる場所を提供するということは、すごく大きな意義がありますね。
それは商売をやっていく人だったら義務みたいなものだと思っているんです。
それで私たちも生活させていただいているのですから、いろいろな人と逢う機会があって、より良い何かを生み出す力が生まれるような場所を、いつもここに作っておくということがとても必要ですよね。