Archive for 21 October 2007

21 October

「最高の音楽というのはドキュメントなんです。」

artist file "tanebito" #09 [1/3] 
菅野 邦彦 さん(Jazzピアニスト)

僕は、商業意識なんて全くなかった。
音楽は商業意識があったら無理なんです。


___菅野さんの作品は、なかなか手に入れることが難しくて、ようやく『ポートレート』というアルバムを見つけました。これはもう30年以上前のレコーディングなのですね。

 兄貴(沖彦氏)の録音です。よく見つけましたねぇ。
 僕の場合は、1,000枚くらい出して、無くなるとサッと廃盤にしちゃう。CDとして正式にリリースしたものは2枚しかないんです。デジタルの音はどこまで行っても切れていて身体に悪いので,僕も兄貴もCDは録音しないことにしてるんです。神経をやられちゃうから。

___このアルバムでの演奏は、もの凄いダイナミクスです。

 録るのは難しいらしいですね。
 このアルバムは、兄貴がとにかくソロピアノで演ってくれと言うので、僕の好きなベーゼンドルファーのピアノで録りました。ソロピアノですから、独り言みたいなものです。
 45分弾いただけですから、これ。録り直しなんかしていない。

___それで『ポートレイト』なのですね。ライナーノーツには「最もサービス精神に欠けたこのレコード、そして最高にジャズ的なこのレコード」とあります。

 ほぉぉ。
 僕は、商業意識なんて全くなかった。音楽は商業意識があったら無理なんです。ジョアン・ジルベルトやマイルス・デイビスもそうでしたが、アメリカのジャズは残念ながらそれで終わっちゃった。

___海外のトップ・ミュージシャンとも親交がお広いそうですね。

 一流の人とは、全部遊びで演っています。向こうからは仕事を持ちかけて来るけど、こちらからは持ちかけたことがない。断っちゃう。

日本の「音頭」こそ、最高にハッピーなリズムなんです。
もう一度邦楽を真面目に聴いて、勉強してもらいたいですね。


___『ポートレイト』は1974年のレコーディングですが、その後はブラジルへ行かれた。

 それまでレコード会社はジャズなんて売れると思っていなかった。それが僕で商売になるいうと、あらゆる所がジャズ部門を作って、僕は毎日朝から追いかけられちゃった。それで逃げ出して行ったんです。ボサノバが特別好きだった訳じゃないし、勉強に行った訳でもない。どこでも良かったんです。カリブでも良かった。一番遠い所へ行こうと思って、南米なら真裏だから良いんじゃないかなって。(笑)
 結局、あらゆるレコード会社で片っ端から1枚づつ付き合った。友達がいるし、人が好いので。

___そうして60枚のレコーディングをなさった。

 僕のリーダーアルバムだけだったら50枚くらいかも知れないな。
 田舎の公会堂で誰かが録ったようなものも、レコードにして良いかと言ってきた。僕はライブはOKだから、LPで出す分には、気に入ったらどうぞ、って。そのお金で、ブラジルとか世界中を遊んでる訳。
 そういう意味では、数奇な人生だったなぁ。今までの音楽家の中では、一番お金と時間をかけている。

___ブラジルでは、ボサノバに日本の「音頭」を感じたそうですね。
 
 日本の「音頭」こそ、最高にハッピーなリズムなんです。ブラジル人もアメリカ人も、こうなりたいんです。だけどなれないんです。奴隷として黒人を連れてきたというところから出てきた「ジャズ」や「サンバ」というは、精神的に悲しい世界なんです。
 日本人はハッピーな民族ですから、音楽的には恵まれちゃってる。「音頭」は、神様を天から呼んで、神様に捧げる音楽なんです。それを僕らは先天的に持っている訳ですから、これからは、もう一度邦楽を真面目に聴いてジャズに取り入れたり、海外の方には勉強してもらいたいですね。

___菅野さんは、『リンゴ追分』など日本の曲も題材になさっています。

 みんなリクエストです。イントロでは初めて『君が代』を演りましたが、途中で分からなくなっちゃった。(笑)それでも、あの『君が代』はバブルが始まる前の時代をもろに表現していると思いますよ。大混乱のドキュメントです。

音楽は人の心の動きですから、
方眼紙には絶対に書けないんです。


___「音頭」の良さを音楽的に言えば、やはりリズムでしょうか?

 僕たちは当たり前のように譜面を見て演奏して、リズムも数が割り切れるようになっていますが、音楽は人の心の動きですから、方眼紙には絶対に書けないんです。
 一番最初の音楽は、おそらくアフリカで、敵が攻めてくるというので大きな楽器が始まったんでしょうね。素敵な人が来るのなら大慌てしない。不幸なことに部族同士で対立するので、敵が来るから「ドン♪」と知らせた。それに応えて「ドンドンドン♪」と返した。要するに「掛け合い」なんです。相手の音を聴いて、それに返す。
 それが、西洋では最初から譜面で「ドンドンドン♪」と重ねてしまう。それは皇帝の凱旋のための音楽で、ゴマスリみたいなものです。西洋音楽は、不幸にして、そうやって発展してきた。譜面やレコードが出来たことで音楽が広まったというのは良いことではあるのですが、軍隊式に同じように音を重ねていくというのは音楽ではないと思います。
 本当の音楽は、一対一の掛け合いから始まるんです。敵が攻めて来るにしろ、愛を語り合うにしろ、相手が音を出している時に音を出してしまったら、これは音楽にはならない。人はそれぞれ違うから、重なる訳がないんです。それを、練習して一緒に「ドン♪」と演らなきゃならないとなると、これは音楽にはならない。そのような教え方で、そのような音楽ばかりになって、音楽はどんどん悪くなっていった。だから僕は、最初から音楽をやり直そうと言っているんです。
 ジャズの場合はクラシックという手法のお手本があったものだから、それをなぞって酷い世界に入っていった。ジョン・コルトレーンやオーネット・ コールマンは、抽象的で非常に難しい音楽になってしまった。僕もその最中にいたけれど、これは違うと思ってやめちゃった。

___違和感を感じられたのですね。

 ジャズを初めて演奏したのは、松岡直也さんのお姉さんのスタジオで、バンドの練習をした時です。その時に「え?!」と思った。皆で一斉に音を出したら意味ないじゃないか、って。ジャズってこんなにイカさない音楽なのかと思った。最初から僕は疑問があった。
 朝から晩まで、音を重ねて、同じことを演る練習をする。それは音楽の勉強とは関係ないところなんです。クラシックではそういうことがとても多い。一人一人は才能豊かでも、同じことを大きな音で、ゴージャスに聴こえる為に寸分の狂いもなく演奏する。
 だって、あなたの場所に僕は入ることが出来ない訳ですから、一緒に音を出しているつもりでも、それはシミュレーションなんです。見えないが故に、あたかも重なったものが音楽だと思っている。
 最高の音楽というのはドキュメントなんです。それ以外は商業意識があるから上手く見せようと思ったり、何回も練習して人前で学芸会です。そんなことに音楽的な価値なんてある訳がない。
 大きなことを言うようですが。。(笑)
(つづく)



18:00:00 | milkyshadows | |

"Just Keep Playing !"

私は、
ものごころつく前からオンガクが大好きでした。

まだ一人では歩けない頃から、おじいちゃんの背中で、
小田原の5月のパレードの時には、 ズンズンとリズムを踏みしめていたそうです。

カセットテープもまだ無い時代で、
父が持っていたのは、
ポータブルのレコードプレーヤーと、オープンリールのテープレコーダーでした。

目の前で、装置が回転して音が出ることが、
幼心にも、生々しくユーモラスで、
私にとっては、
「オンガク」というより、「録音された音」そのものが、
城址公園の梅子さん以上のアイドルだったように思います。

思春期の頃の私の最大のアイドルは、
父の影響で、ビートルズでした。
もちろん、リアルタイムではありませんでしたが、
オンガクが音楽以上の力を持つことを、
私はビートルズから学びました。

その後、紆余曲折ありましたが、
ある学生時代の終わりの夏に、
ひとりのアメリカ人ミュージシャンの演奏に感動して、
東京中のライブハウスを追いかけたことがありました。

そのミュージシャンは、
リチャード・ティーというキーボード・プレーヤーで、
この番組のオープニングとエンディングに流れている曲のフェンダーローズは、
彼の演奏です。

その夏、
ある場所で、演奏を終えて帰って行く彼に、
私は、勇気を出して声をかけたことがありました。

「あなたの演奏が大好きなんです」
と、片言の英語で話しかけると、
彼はいつもの人懐っこい笑顔で、
でも、ちょっとはにかんで、
握手をしてくれました。

その彼の腕の太さと言ったら、
それこそ私のウエストくらいはありそうなほど逞しくて、
これでピアノを弾いたら、そりゃぁ鳴るだろうなぁと思ったものです。

 「私も少しピアノを弾くんです」

 「へぇ、どのくらいやっているんだい?」

 「10年くらいです」

 「そうか、俺は40年やってるよ。
  やっとピアノが少し分かってきたところだよ」

彼はそう言って、一瞬真剣な目をしました。

 「私に何かアドバイスをいただけませんか?」

 「OK」

そして、彼は一言だけ私にメッセージを残して、去って行ったのです。
彼のメッセージは、こんな言葉でした。

 「Just Keep Playing!」

その後、
リチャード・ティーは、1993年に、残念ながら亡くなってしまいました。
私は、結局、彼のアドバイスは実行できませんでした。
音楽は大好きですが、
どうも私は演奏家には向いていなかったようです。

「とにかく続けなさい」という彼の言葉。

私は演奏家にはなれませんでしたが、
今もこうしてオンガクの隣にいて、
ずっとずっと愛し続けて行くことでしょう。


17:50:00 | milkyshadows | |