Archive for 25 May 2008

25 May

「新しい小田原へ」

artist file "tanebito" #18 [1/3] 
加藤 憲一 さん(第20代小田原市長)

小田原はポテンシャルの低い街ではありません。
今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。


___マニュフェストでは、「新しい小田原へ」という表現をなさっています。「新しい」ということについて、「今まで」と「これから」にはどんな違いをお感じになって、どんなことを提示なさろうとしているのでしょうか?

 いくつか切り口があります。
 一つは、モノやヒトの活かし方がガラリと変わることだと思います。二宮尊徳の言葉を借りれば、全てのモノには徳があって、それを活かして行くことが大事だということです。小田原はそんなにポテンシャルの低い街ではありません。これだけのものを持っていながら元気がないというのは、それを活かせていなかっただけなのではないのか、ということです。古いものを根こそぎにしてしまって何か新しいものや仕組みを持ち込もうと言うのではなくて、今あるものや仕組みの運用のしかたをちょっと変えるだけで、俄然、力が出てくると私は思っています。
 28歳で小田原に戻って来てから、この地域でいろいろな仕事をやらせていただきました。百姓も漁師も、林業関係の仕事もやりました。小田原駅周辺の商業地域でも、商人の方々と長くおつき合いもさせていただいていますし、地場産業の担い手の国宝級の方々ともおつき合いをしてきました。足柄平野の隅々まで歩いて、いろいろな景色を、いろいろな季節で見て来ました。そういう自分の経験をトータルに考えると、この地域は大変なポテンシャルを持っている所だと思う訳です。「新しい小田原」というのは、そういったヒトやモノが活かせるか活かせてないかの違いだけであって、本来持っているそれらの力が充分に遺憾なく発揮される状態を差して言っているんです。そういう仕組みにして行きたいと思うんです。
 その為には、「市役所の◯◯さんが、、」とか「市会議員の◯◯さんが、、」とか言うのではなくて、ずっと在野で活動してこられた方々の感性や、会社を経営されている方々の視点や、生活をしているお母さま方の視点が大切で、そちら側の視点からものを見て行く。それは、現場サイドの発想からいろいろなものを捉え直して行くということでもあると思うんです。
 私がマニュフェストの中で通奏低音のように言っているのは「市民の力で」「市民が主体になって」ということですが、まさにそのことによってでしか「新しい小田原」には至れない。内側から皮を脱ぐというか、そういうことなんだと思うんです。

___「今まで」は、どうしてそれが出来なかったのでしょう?

 小田原は、与えられる歴史に慣れ過ぎて来たんだと思います。恵まれていましたから。
 この街は北条氏の時代に全国から職人を呼んでつくりあげたのですが、例えば江戸時代に宝永火山が噴火して、この足柄平野に火山灰が1mくらい堆積した時も、いち早くお手上げして、お上に領地を返上して助けに来てもらった訳です。それで、日本中からいろいろな方がこの地域に助けに来てくれて救っていただいた。近世になっても、お江戸/東京が近いですから、何かあれば援軍が来たり、そちらを頼って出掛けて行けばいろいろなものが得られたりしてきました。そのうえ、後ろに箱根と伊豆があるから、黙っていても人が通る。ですから、何か自分たちで求めなくても恵まれた状況が与えられてきたことと、神奈川県の西部で街らしい街は小田原しかなかったですから、いろいろな集積が自ずからありましたし、商人の方々も比較的恵まれた中で、この街は成り立つことが出来たんだと思います。
 それに、何と言っても気候が穏やかで、過酷な気象条件や過酷な地形ということが無い訳です。過酷な経済状況に置かれたこともないですし、そういう意味では、自分たちで強く求めたり、活用のしかたをあれやこれや考えないと生きて行けないという状況は無かった訳です。蒲鉾は蒲鉾であれば良いし、お魚は刺身で食べれば良い、という具合に、それほど工夫をしなくてもこの街は生きて来れた。そしてその中で「安定」していることが尊ばれていて、時の為政者にお任せしていれば喰い逸れることはありませんでした。ですから、生きることへの貪欲さという意味では、私もいろいろな地域を訪ねましたが、小田原は本当に希薄です。
 例えば、この辺では空の上を風はただ吹いているだけですが、岩手県葛巻町では、他に何も資源が無い中で風すら活かして地域経済を何とかしようと風車を建てたりしています。そうして、有るか無いかも分からないような資源さえも取り出して地域づくりをやっている訳です。そういうことを考えると、小田原の方々は、何か工夫をしてやり繰りをして無から有へというようなことをやる必要がなく生きて来れたような気がします。

___そうした意識に変換して行く為には、どのような視点を持ったら良いでしょう?

 今までは基本的に、生活に困るとか生きて行くことに困るとか、地域の未来に大きな不安が襲うような見通しというのはあまり無かった筈なのですが、それがこれからはやって来る訳です。
 幸い、小田原は財政赤字が雪だるま式に膨らんでいるようなことはないですが、かなり巨額な借金は抱えていますし、あまり財政的な余裕はありません。これからは税金を納める人も減って行きますから、社会を支える様々な部門を賄う為の税収を、これまで通りのやり方では支えて行けない時代に入って行くんです。高齢者の介護のこと、地域の医療のこと、教育のこと。これから先は、好むと好まざるとに関わらず困り始めると思います。それは小田原だけではないですよね。日本の地方都市が、すべからくそういう状況に直面して行くことになると思います。
 まだ小田原はそうした状況がどなたにも等しく訪れているという状況にはなっていませんが、意識のある方はそれを見越して非常に心配されています。

___危機に直面していない方々に対して、現状を知らせる必要がありますね。

 はい。それは最低限のことですよね。
 そうは言っても、危機が来るからと言って「わかりました」と言う人ばかりではないので、やっぱり、できるだけ生き方や暮らし方や地域の運営のしかたを皆で探して作って行くことで、それを楽しむ人たちが増えて行ってもらいたいと思っています。

特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。
子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。


___楽しむ人たち、、、

 ええ。
 例えば、私が問題視していることの一つに、地域の子供会の加入率が下がっているんです。地域によっては解散してしまった所もありますし、年々下降しています。それはそのまま行くと、地域の中で子どもたちをお互いに面倒見ようという気運や風土が、小田原から消えて行ってしまう訳です。こうした事は、かなり怖いことだと私は思うんです。そういうことは、お年寄りの面倒を見ない地域、孤立したお母さんがいてもあまり気にかけない地域、と言ったようなお互いに関わり合わない方向へ行ってしまう。そういう状況は、自分がリアルに生存の危機として感じないとなかなか変わって行かない。
 けれど一つ救いは、とかく皆さんが大変だと思って引き受けないような、例えば子供会やPTAや自治会の役員なども、やってみてそれなりに肩を入れてみると「あぁ、なんだ結構楽しいじゃないか」というようなことがあるんです。「恊働」という言葉もありますが、地域の中でお互いが力を合わせることの楽しさ、それによる達成感というような、素朴なことですが、そういったことを確実に育てて行くことが必要だと思っています。それは支え合う地域をつくる為だけではなくて、そういった動きが出来てくれば、例えばこれまで行政が税金で賄っていた人件費を作業員の方たちに払うのではなくて、地域のコストを下げて行くことに繋がる訳です。
 だから入り口としては2つあって、危機感の方から、つまり問題に直面して本当に困った人たちから変革の作業が始まるという話と、そんなに困っていないけど、プラスの意味で地域により関わって行くことに楽しみを見出して行く人たちを増やして行くことと、2つあると思うんです。

___そうした自発的な参加を促す仕組みとしては、どんなアイディアをお持ちでしょうか?

 特別なことではなくて、やっぱり鍵は「子ども」だと思うんです。一番動き難いのは、子育て世代の大人たちが、ある意味感度が鈍いんです。地域のことに一番熱心なのは、65歳以上の、自治会の役員のお年寄りの皆さんで、我々勤労者世代はゴボッと抜けている。あと可能性があるのは、小中学校の子どもたちでしょうか。地域に接点を持ちやすいのは、子どもたちと、意識を持っているご年配の方たちだけなんです。
 そういった人たちが地域に関わって行く為の回路づくり。その回路の作り方には工夫が必要ですが、何かちょっとした作業で地域の環境が目に見えて変わるといったような、ささやかなことから始めるしかないだろうと思っています。そういうところで、参加する楽しさや関わって行くことの面白さを感じて、終わった後に缶ビールが出たりすれば、もうそこで繋がりが出来てしまう訳です。(笑)
 そうやってささやかなことを積み重ねて行く中で、地域に応じた活動の裾野を、少しづつ広げて行くということだと思います。

___一方で、感度の低い層に対してはどうなさいますか?

 そこでまた「子ども」に戻る訳です。やっぱり、子どもが行く所には親がもれなく着いて行くということしかないと思います。子どものことだからと言って、貴重な休みの週末にお父さんが出て来てくれるケースは今でも充分あります。
 子どもというのは自然を背負って生まれて来て、少なくとも10歳の頃までは本当に優しい気持ちを持っていますし、自然に親しみたいという率直な野性や、楽しく遊びたいという欲求も持っています。そういったものを伸ばすような活動を作っていくことで、そこに大人たちが着いて来るという構図は作れると思います。
 あとは、市の職員ですね。税金で雇われている職員は、そうした地域の中での人の変容を促進するための触媒になるべきだと思っています。私もこれまでいろいろな活動に関わってきて痛感することですが、仕事を抱えていますと、帰ってくるのは夜遅くだったり、土日は午前中寝ているというような方が多い訳です。そういう中で、さらに地域の為にもう一踏ん張りして、責任をもってキチンとコミットして行くのは、正直、市民の方には難しいと思うんです。要するに、地域の活動の仕組みづくりの起爆剤になれるのは、今は市の職員しかいないと思っています。職員が5〜10年の間、地域に入り込んで人材と資源を掘り起こして行く訳です。
 そうしていつかの段階で、職員が黒子に回っても地域の人たちの力で活動が支えられて行くような方向に持ち込みたいと思います。
(つづく)


20:00:00 | milkyshadows | |