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22 July

土地の持つ「気」

journal & report [2/2]
小宮真一郎 さん (ブルーベリーガーデン旭

憩える農園


___開園から3年とのことですが、「無農薬・無化学肥料」や「土地の個性」というメッセージは当初から発してらしたんでしょうか?

 当初から発していたのは、「人が憩って楽しめる農園」ということと「無農薬での栽培」の2点でした。
 それで、皆で六畳の小屋を建てたんです。その小屋の存在が大きかったです。

___集える場が出来ることは大きいですね。

 たった六畳ですが、そこへ東京からもいろいろな方がいらして、皆が憩って行かれた。それで「憩える農園」ということを思い始めたのかも知れません。
 開園してからは、集って来た方の風や言葉や感想から、逆に、自分の村の個性に目覚めさせられました。

___これからの展開はどうお考えですか?

 出土した重要文化財の土偶も、囲っておくのではなくて博物館に収めた方が良いと思っていましたが、この古い里山を含めたアピールをしたいという時に、やはりこの村で本物の土偶が見れることが一番良いなと、私自身の考えも変わってきました。難しいことだとは思いますが。
 この里山の景観を残すということの他に、自分でも思いもよらず、外からの人との交流の場にしたいという願いに導かれています。
 この村を輝かせる、と言っても、とにかく人を呼ぶとか何かを造成するというのではなく、自然の「気」を感じれるような場でありたいですね。

土地の「気」


___私ここまで車で来ましたが、現代文明の乗り物で立ち入ることがはばかられるような神聖さを感じました。今の時代は、自然と人間との関わりを模索していますね。

 僕が「交流」と言っているのは、それなんです。
 主義主張や国籍を超えて、自由に本音で生きる。それを農園祭のスタッフが共有している。一番大事なのは、差別がなく、平和で、戦争がない、ということですから。

___人々が集う、その核になる本質は何なのでしょう?

 此所の場合は、土地の「気」でしょうね。
 去年の農園祭では、「此所へ来て、こんなに自分が許されて自由な気持ちになったのは初めて」という感想がありました。癒されるとか心地よいとか、それは土地の持つものじゃないでしょうか。
 誰かがカリスマ的にトップにいるのではなくて、それぞれが自由な表現をしたりするような、此所はそういう場なんじゃないでしょうか。

___だからこそ、古代に此所に集落が出来た。

 昔の人は、良い「気」を感じる力が強かったのでしょうね。
 そこで、良い気の場所に神社を建てたりした。しかも、そこを独り占めするのではなくて開放する、という精神だったんです。
 また、縄文の世は、戦争の無い時代だったんです。武器が見つかっていないんです。簡単に言えば、人々が仲良く暮らしていた。弥生くらいから、権力のある人が倉庫を作って米を蓄えたりして、上下関係が出来てきたり、争いが起きてきた。武器が見つかって、戦の痕も見つかっている。
 縄文というと、土器のことや、食べ物が雑穀だったということも興味がありますが、それ以上に「なぜ戦が無かったのか?」ということが僕にとっては大きなテーマです。

___雑穀ということをおっしゃいましたが、稲作が始まったことの影響が大きいのでしょうか?

 そうだと思います。
 でも、水田耕作で稲作をしても戦にならないシステムや精神性があれば良いんです。何故争ってしまうのか、それを考えると面白いですよね。
 昔の人は、気が良い場所を神社にして共有した。今のように、お金持ちが土地を囲って他人を入れない、というような精神構造ではなかったんですね。
 
___そういう思いで、この農園を開放なさろうとしてらっしゃるんですね。

 理想はそうですね。この村がモデルケースになれば良いです。


17:50:00 | milkyshadows | |

15 July

人が集う里山

journal & report [1/2]
小宮真一郎 さん (ブルーベリーガーデン旭

「山田村」


___この辺は「山田村」と言う土地なんですね。

 正式には「山田村」という名前は無いんです。昔、この辺の里山が「山田」と呼ばれていました。

___こちらからは遺跡が出たそうですね。

 昭和9年にウチの敷地内から縄文晩期の土偶が出土したんです。名前は無いのですが「容器型土偶」と呼ばれていて、中に骨が入っていたんです。国の重要文化財に指定されています。今は金庫に眠っちゃっているので、これを何とか皆さんが見れるように展示したいと思っています。
 縄文ファンにとってはとにかく価値のあるもので、国の代表としてルーブル美術館や万博で展示されたりしたのですが、この土偶がここにあれば、ここから出たという事が全国から来た人に分かる。
 5〜6年前には、昭和女子大学のチームがこの近辺をさらに発掘したんです。そうしたら、弥生期の炭化した米が出た。

___ということは、ここで稲作が行われていた。

 そうなんです。2500年程前、縄文から弥生の境の時期。それが、関東地方では最も古いとされています。

___その頃からここには集落があった。

 そういうことだと思うんです。だから、この里山は非常に古い村であった、と。
 そして、黒曜石も出て来ていて、神津島とも古くから交流が行われていた。
 ただ、そうしたことを、この辺の人たちはあまり知らない。

人が集う


___では、7月28日の『山田村夏祭り』はそれをふまえた企画なんですね。

 そうです。
 ウチの農園は今年3年目で、最初は、「無農薬・無化学肥料」という自分のこだわりを追求したくて始まったんですが、何故か開墾している頃から「人が集える場」になって、さらに開園してからは、周りの方の反応を感じて、それがこの村の「個性」や「歴史」に僕が目を向けるキッカケになったんです。
 そうしたコンセプトが明確になって来たというのが、今の状況です。
 あと石釜を今年作ったんですが、この里山で穫れた小麦やブルーベリーでパンやピザを焼くということで、今後の村を表現できればと考えています。薪も豊富にあるので。
 
___古代の人たちも、そうして火を使っていたんでしょうか?

 石釜は無かったでしょうが、薪を使ってやっていたと思います。
 石釜は、農園独自の個性として、私が作りました。今後は自分で栽培した地粉を使って出来れば良いのですが。

ブルーベリーガーデン旭


___ブルーベリーは無農薬・無化学肥料で栽培してらっしゃる。

 無農薬というのはあると思うのですが、無肥料というのはあまり聞かないですね。生育にはバラツキが出ますが、それに肥料を与えて大きくしようという考えは無いんです。
 「自然農法」ということに感銘を受けて、それでやっています。

___ブルーベリーをお作りになってどのくらいになるんですか?

 この秋で、植えてから6年になります。

___その前は、ここはどういう土地だったんでしょう?

 祖父の代は、専業のみかん農家でした。それが暴落してしまって、父は農業をやらずにサラリーマンになって、みかんを切って杉を植えたんです。
 とりあえず杉にしてしまったけれど、それを販売する計画も無かったようで、そのままあまり管理されずに、20年間ここは杉山だったんです。
 僕も農業をやるつもりはなかったんですが、いろいろな流れで、杉を切ってブルーベリーの畑にしました。

当たり前すぎて、気づかない


___「流れ」とおっしゃいますと?

 もともと絵と音楽が好きで、油絵を志したんですが、美大に落ちたり体調を崩したりして、それで自分の住んでいる土地の豊かさに気づいたんです。

___では「農園」ではなくて「アトリエ」という発想もお有りだったのでは?

 そうなんです。だから、農園でコンサートとか、農業と芸術の融合という考えで進んで来たんです。そのときに、この「村」というものの興味を探っていくと、見過ごしていた歴史に気づいたんです。
 やはり自分にとっては、ウチから出た土偶ですし、当たり前過ぎてボヤケていたんですが、去年の農園祭で土偶の見学会をやったら、かなり皆さん衝撃を受けて、そうした周りの人たちの感動やお話を聞いて、「あぁ面白い土地だったんだ」と思うようになりました。

___なるほど。生まれ育ってしまうと有難味がない。。

 そうなんですよね。
 絵を志して半年くらい都会で暮らしていたんですが、緑の無い中であまりに息苦しくて、こちらへ戻って来てスゴく「気」があることに吃驚してしまいました。
 ずっと住んでいると当たり前過ぎて感じないんですが、外へ出てみると自分の住んでいる所の「気」を感じるんですね。

里山


___今日は曇っていますが、ここの空気は豊かで濃いですね。久しぶりに土の道を歩いてここまで来ましたが、土が柔らかくてフワフワしていました。

 うん、やはり自然の生態系が生きているんでしょうね。
 公園などの土は、草を排除して踏み固められていますが、今歩いて来た雑木林や畑の中は、草の根が土を耕して、虫も生きているし。

___里山に見える風景というものは全部人間の手が入っている、ということを読んだことがあります。

 そうですね。特に水田や雑木林。ウチの雑木林も、人の手が入らないと竹が覆ってしまって歩けなくなってしまう。
 雑木林の心地よい空間は、人が落ち葉掻きをしたり下草を刈ったりして管理をしている。20年毎に木を切ったり、下草を掻いて堆肥にしたり、人の手が入って里山の環境が保たれていた。

___じゃぁ、ここから見える風景は、まだ自然と人との交流がなされている。

 まだ辛うじて皆さん水田をやってますから、美しい風景がずっと続いてくれれば良いですね。

___20年間放置された杉林から畑に戻すには、苦労が大きかったのでは?

 最初は、切らなくちゃいけないということで、チェーンソーで。何百本あったんですかねぇ、、(笑)
 その時は、私自身、自然の生態系を活かした「自然農法」という理想はあっても、実際に何を栽培するかというのは頭に無かったんです。ただ切っていた。(笑)
 そうしたら、今まで真っ暗だったのが広がってきて、だんだんこの景観が広がってきたんです。それで、切っている途中もいろいろな人を招いてお見せしたら、皆さん喜んで、ずっと一日居たりするんです。
 それで、「無農薬」ということもありながら「人が来れる所」にしたい、という2つが芽生えたんです。そうしてブルーベリーの摘み取り園ということになったんです。
(つづく)



17:50:00 | milkyshadows | |