Archive for 15 April 2007
15 April
「風にかえる」
ギャラリーと演劇
___真鶴の前は、どちらに?
真鶴の前は川崎です。
___そこで、ギャラリーに勤めていた?
勤めるって形じゃなくて、一角を借りて「経験を積みなさい」と提供してもらえた所だったんです。
ギャラリーで作品展を初めてやった時に、私は、どんなお客様がどんな風に買っていくのかって興味があって、毎日ギャラリーに行ってたんです。そしたら、どんな人が作っているか分かった方が、安心してお客様が買えるっていうことがあったり、作品を買いに来てるんだけど、その時の自分を確認したいという人も多くて。その時に、「ギャラリーとは?」「売る仕事とは?」とか「作家とは?」みたいなことがすごく試されて、「あぁ、私は両方やりたいんだ」ってすごく思って独立した感じです。
___ギャラリー以前は?
ギャラリー以前は、舞台衣装のデザインを。『オズの魔法使い』とか、日本の昔話の着物だったりとか『レ・ミゼラブル』とか、そういうお芝居の衣装をデザインしてました。
___ 結構大きな舞台も?
はい。出演者の大勢いる舞台も。
___ その時も生地選びから?
生地選びからやらせてくれるようなお芝居はなかなかなくて、舞台はとてもお金がかかるので、ありものを加工するとか、衣装屋さんに行って借りてくるとか。
でも、『オズの魔法使い』とかはイリュージョンの世界だから、その辺に売ってるもので出来るものではないから、そういうものは、絵を描いて作ってもらっていましたね。
衣装デザインのいちばんは、設計をするってことね。誰がいつ、どのシーンで何を着るのか、っていうことを提案する仕事があるので、それは縫い子さんとは、またちょっと違う。
___ 演じる側は、興味なかったんです?
演じる側をやりたくてお芝居の世界に入ったのに、なかなか役につけてもらえなくて。裏方を転々としている間に衣装に出会って、すごく面白いと思って。衣装を勉強している合間に時々、舞台に出てたりとかして。
お芝居はものすごく大勢のスタッフがいて成り立っていて、いろいろなものの一部が役者さんなのよね。お客さんとしては、 舞台の上の役者さんしか見ないけれど。
そういうチームワークみたいなものは 、舞台をやったからこそ学べて、今、 作品展をやるときに一人でその作業を全部やらなきゃいけないわけなんだけど、舞台の経験があるからそれがスムーズ出来るんだろうな。
針金のスキマ
___作り手として、「作風」についてはどんなスタンスでなさっていますか?
私は、目に見えているものと目に見えてない空間の両方で表現したいタイプで、針金と針金のスキマとか、そういう所もすごく大事なんです。だから、左右対称にしてドーンという感じは、私の仕事ではないかもしれない。
なんか動いてる感じ、空気のある一瞬の輪郭を縁取った、っていうような。そこは、すごく大事にしていますね。
だから、作品だけが目立つというのは好きではなくて、 身に着けた時に本人と作品がピタッとはまる、その人らしさというのがトータル的に表現されるものがすごく好き。
ジュエリー業界というと、どんなにその石に希少価値があるか、というところに価値を置くんですけど、私のは全然そういう価値ではないですよね。原石などの自然が生み出す造形とそのお客様との出逢いが素晴らしい、というところなので、価値観がちょっと違う気がする。
一般的に、作家は作家、売る人は売る人という風に分かれていると思うんだけど、その両方をやることは、作家だけをやりたい人にとってはとても面倒くさいことかも知れない。ひとつのアイデアを出して、同じものを10個作る方がよっぽど労働的には楽でしょう? そういう、生産性をあげて沢山の利潤をあげる価値観の方が一般的のような気がする。
特にオーダージュエリーの仕事は、「素材とあなたの個性の両方を生かして、あなたの為に世界にひとつの作品を作ります」という感じなので、「このパワーストーンはすごいです」という感じではないので、 感覚的にはすごく新しいのかも知れない。
___あえて挑戦している?
私のやりたいことが、たまたまそういう新しい価値観だったという感じ。それは自然なことなので、あんまりチャレンジしてる気もなくて。
インド
_____インドに行ったことがあるんですね。
はい。染織やデザインに興味があって。
例えば更紗だとか木綿だとか藍染だとか、日本の文化のデザインの源流を辿っていくと、だいたいインドに行っちゃう。シルクロードの文化、それを現地でどんな風にやってるのか、その環境をみたくなっちゃって。そんなツアーないから、テーマを決めて一人旅をして、小さな村々を訪ねていくの。
_____あらかじめ調べて行った?
インドに行くって言ったら、みんなが危険だって言って。で、ガイドブックに載っている日印協会っていう民間の団体にホームステイ先を紹介してもらったの。そしたら、日本と交流のある日本通のインド人のお家を紹介されて、そこを拠点に村々を訪ねた。
_____訪ねる村々は、現地に行ってから調べたんですか?
そう。現地に行って「あそこがいいよ」とかって言われて、「じゃあここから何キロですか?」みたいな。友人の旦那さんがたまたまインド人で、ローカルな地図を日本で描いてもらって参考にした。
_____そこでは、染色の技術も学んだ?
うーん、、むこうでやっているのは、例えば地面に穴をほって、そこにドボンと布をつけて、洗う時には川で洗って、みたいなことだから・・・
たぶん私は、技術というよりはその景色を見たかったのかなぁ、、湿度とか、、
たまたま田植えの時期に行ったんだけど、田んぼに苗がわぁっと緑になっていて、川から時々霧があがってきて、本当に(故郷の)信州みたいな景色で、ほとんど日本と似たりよったりのカスリを織ってるの。たぶん、染織と土地の環境はすごく似てる、影響しあっている。だから、そういうことを見たかったのかな。
何かに惹かれたんだと思う。 作家として何が大事かっていうのを。その頃は作家になろうとは思ってなかったけど・・
たぶん今の私の作品も、この真鶴の空と海があるからだと思う。
「風にかえる」
___どうして真鶴だったんですか?
真鶴に遊びに来てるうちに、「あぁ、この空とこの海を毎日見ていたら、私の作風はもっと変わるかも知れない」と思って、新しい自分を見たくなったんです。
___土地と作品の関係性って面白いですね。
舞台のときも、いろんな人の舞台を観察して、いちばん大事なのは湿度かなって。例えば『アラジンの魔法使い」っていう砂漠のお芝居を観る時に、その乾いた風を衣装で表現できるか、装置として表現できるか、って。 お客さんがそれを感じることができるとすごく良いなって思った。
___肌触りですね。
はい。空気感。感じる世界。
この話で思いついたのは、私の石が「生きてるね」ってよく言われるのは、何か命っぽい呼吸してるような風を感じるのかも知れない。乾燥したただの石じゃなくて。
___だから『風にかえる』?
それは後づけでね。そうかも知れない。
この場所の名前を考えているときに、原生林の近くの海を見下ろせる所に座っていたら、凄く大きな風が吹いて、高いところにある楠の葉っぱがフワァって落ちてきて、一枚一枚がくるくるくるくる回りながら、目の前をヒューって横切っていたの。
「あぁ風だぁ」って思って、『風のアリトエ』にしようかなって思った。
その帰り道にカエルに会って、最初『風とカエルのアトリエ』にしようかと思ったんだけど、ちょっとモジッて『風にかえる』にしてみた。
名前を『風にかえるアトリエ』にした後に、整体をやってる方に「人間にとって一番身近な風は、自分の呼吸だよ」って言われて、「あぁ風にかえるっていうのは、自分の呼吸に戻るって意味があるなぁ」って。私自身も、自分の呼吸を取り戻したくて真鶴に来たようなところもあって、なにかこの空とこの海とこの原生林の自然のリズムに、私が戻りたいってすごく思った。
___ カエルのメッセージだったんですね! カエルは、南米ペルーでは神聖な動物とされているらしいです。
音楽をやってる人は、ゲコゲコ鳴くからか「音楽の神様」って言う人が多い。「癒しの神」と言う人もいて、カエルが鳴くと浄化の雨が降るって言う。
たぶん、かえる、元に戻る、っていうのは癒しでもあるし浄化でもある。その象徴っぽい気もする。でも「自分の呼吸に戻る」っていうのが、今の私には一番ピンと来てるんだけど。
(つづく)
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