Archive for 10 June 2007
10 June
父のマウスピース
artist file "tanebito" #03 [1/4]
土屋 譲 さん(打楽器プレーヤー)
土屋 譲 さん(打楽器プレーヤー)
ドングリの笛
___小さい時は自然の中で遊んでらしたそうですね。
生まれたのは富士宮市の山の中。朝起きると、目の前に富士山があるんですよ。そして森があって。遊ぶものなんて無かったから、とにかく自然の中で自然を相手に遊んでた。
母が連れて行ってくれる所というのは茶畑だとか草むらだとか、本当に何にも無くて、たとえば「ドングリの中の実を出してピーって吹くと音が出るんだよ」とか草笛とか。もう今の若い人はあんまりやらないかな。。
でも僕たちとか僕たちより上の世代の人は当たり前のごとく、そうやって自然にある草とかを使ってピーって音を出して楽しんでいた。そういう遊びが(音に触れる)最初だったんです。
小学校はホントに田舎の小学校で、一学年一クラス。
遊んでたのはドングリだとか草笛だとか、あとは学校で笛とかハーモニカとか。とにかく、帰りながらずぅっと笛を吹いてる。皆が皆そうじゃなかったですが、自分はハーモニカを吹きながら歩いて帰った。そうすると軽快に帰れる(笑)。
父のマウスピース
父親は医療関係の国家公務員で、移動があったので、富士宮から神奈川に越して来ました。
父も、絵とか音楽は大好きで、トランペットを吹いてたことがあるって聞かされた。Jazzではなくて、多分ただトランペットの音が好きでやってたんでしょうね。マウスピースだけが残っていて、僕が小さい頃にそれを見つけて「コレなぁに?」って聞いたら「ププププピピィ♪」って演るんですよ。でも、それだけじゃトランペットだとは分からないじゃないですか(笑)
今になって分かるのは、そのマウスピースのコントロールで、トランペットっていうのは、実はもの凄いことが出来る。だから、本体が無くても、マウスピースだけは残しておきたかったんだな、って。でもその時は「何だコレ?!」って(笑)。
父親との会話っていうのは、それくらいしか無かったかな。。
___それを見て、トランペットを演ろうとは思わなかったんですか?
思わなかったです。僕がドラムをやろうとした時も、父は反対しました。「音楽でメシは喰えないぞ」って。プロを目指すと言ったら「甘い」と言われた。
でも俺はキカン坊ですから、自分の思った道にしか行かない(笑)。
___お父様もプロを目指してらしたのかしら?
いや、目指してはなかったと思います。父の時代は戦後ですから、音楽を演るというより食べるのに精一杯だったと思います。確かに当時Jazzはあったんですが、父にはそれは分からなかった。
父もそうですが、母も音楽は大好きで、今でもママさんコーラスで歌ってる(笑)。
そんな二人の子供ですから、僕が音楽に傾倒してもおかしくないですよね。
今でも父とはほとんど話さないですが、スゴク辛いことがあった時に会いに行ったらこう言ったんです。「オマエが貫いている道は険しいし、いろんなことがある。それを音に生かせ!」
___お父様は演奏を聴きにいらっしゃることもあるんですか?
来て欲しいけど、絶対に来ないですね。
本当は聴きたいんだろうけど、あえて来ないんじゃないかな。巌窟だからね(笑)
___土屋さんの演奏も「頑固」ですものね(笑)。
え?! 俺の演奏って頑固かい? それ、結構ショックですけど、、(笑)
人前で演ってるし、皆をHAPPYにしたいので、いつも笑顔で演奏していたいって思ってます。
Max Roach
___もしミュージシャンになってなかったら何をされてました?
考えられないなぁ。。 音楽やってなかったら、俺はチンピラかな(笑)
___ケンカ強いんです?(笑)
いや、チンピラってケンカ弱いんですよ。度胸ないし。
武道は興味があって、今からでもやりたいと思ってるくらい。だから『K-1』って面白くてよく観てる。いろんなジャンルの人たちがブツカリ合うのが面白い。
僕たちが演ってるJazzもそうなんです。アフリカの黒人がアメリカで始めた。アメリカって国はいろんな音楽を興してきたんですが、でもその母体たるリズムやニュアンスは黒人がつくってきたんです。彼らの反射神経や直感力はもの凄い。
アメリカは、だから救われてる。黒人プレーヤーがいなかったらJazzもBluesもなかった。それにも関わらず、アメリカは黒人を迫害した。それに立ち向かった黒人プレーヤーがいっぱいいるんです。
その中でも、マックス・ローチ(Max Roach)というドラマーは僕の「師匠」ですね。チャーリー・パーカー(Charlie Parke)というアルトサックス奏者の後ろで演ってた人です。後にクリフォード・ブラウン(Clifford Brown)という天才的なトランぺッターと組んで演るんです。そのアルバムは絶妙で、それを聴いて、僕は本格的にJazzに入ったんです。
(つづく)