Archive for 19 August 2007
19 August
海の守り方
サーフィンは、ライフスタイルなんです
___サーフィン、本当にお好きなんですね。
サーフィンは、ライフスタイルなんですよ。
海は母などと言われるけど、精神的にもリセットされるし、とにかく気持ちが良いんです。とても健康的な生活を送ることができます。
朝と夕方に波がキレイにまとまることが多いんです。風が吹かないことが多いんですね。岸の遥か沖から吹いてくる風によって波はつくられ、今度は岸から海に向かって吹く風(オフショア)が吹き始めると波の表面がキレイに整えられ、サーファーにとって最高の波になるんです。でも、あまりにオフショアが強く吹き過ぎると、今度は波が消えちゃうんですね。だから、そのわずかな瞬間っていうのがすごくおもしろい。
波があれば、朝4時には起きちゃうし、夜は11時には寝ちゃう。4時に起きて、2〜3時間サーフィンやって、朝食をモリモリと食べて、潮臭いまま会社行って、また11時くらいに寝て・・・って、すごく健康的な生活でしょう?
次の日に波があると分かっていれば、お酒も極力飲まないし、肺活量が必要だからタバコを吸わない人が多くなっているし、体だって柔らかい方がいいからストレッチやヨーガをやったり。食事にも気をつけてベジタリアンになる人もいるし、もっとディープに入っていくとスピリチュアル的要素も入ってくる。
サーフィンをしてる時は時間がストップしていて、「瞑想」の時間だと言う人もたくさんいる。自分にとっては「内観」の時間だったりもするんです。
___今おっしゃったようなことを強く体験したのはどんな出来事でしたか?
例えば、テトラポット。 あれだけ重い石を海岸線に撒いても、大きい波がドカーンと来ると、一瞬テトラポットが宙に浮くんです。 そうするとそこに流れが出来て、人がいたら吸い込まれてしまうぐらいの流れをつくる。だから、テトラポット周辺で起こった事故は、テトラポットの下に死体が入っていたりすることがよくあるんです。
そういうことを、サーファーは身体で知っているんです。「自然」を人間の力でねじ伏せることは出来ない。俺たち人間はすごくちっぽけだっていうことを分かっている。
だからこそ、「自然」に対しては謙虚に、共存したいんだったら無理なこともしないし、危険なこともしない。今日は無理だと思ったらやらないし、それは自己責任ですから。
サンフランシスコで『エコサーファー』を立ち上げました
___海外でステイされたことがあるそうですね。
5年間の学生ビザを取って、アメリカに行きました。最初はLA、それからハワイ。
英語の学校に入って、最初の4ヶ月くらいは一生懸命勉強しました。早く学校に行って予習して、その後に図書館へ行って、1日15時間くらい英語の勉強をしたんだけど、周りは日本人ばかりで勉強はつまらないし、英語も全く上達しなかった。
それだったら行きたい所へどんどん行ってしまおうと思って、たまたまインターネットでWWOOF(ウーフ) という非営利の組織を見つけたんです。それは、農園や農場でマンパワーを募集している人たちと、体力はあるけどお金がなくて、でもいろいろなことを手伝いたい、泊まる所とゴハンは提供してもらいたい、という人たちを繋げるシステムで、そのグループに約20$払うと、そういうマンパワーを欲しがっている農園のリストが送られてくるんですよ。
それで、カリフォルニア州のリストをもらって見てみると、ソーラーパネルで、お水は雨水を貯めて、環境にやさしい有機野菜をつくっている、という農園があったんです。そこは、サンフランシスコと言っても本当に田舎で、それこそ隣の家まで車で10分というような場所。もう日本人なんか絶対にいない。
そこへ行ってその人たちと生活をしながら、朝早く起きて水やりをしたり、土を混ぜて苗を植えたり、トラクターで開墾したり、ソーラーシステムの電池を交換したり、あっという間に1ヶ月が過ぎた。そこですごく英語が上達したんです。そこにはもうアメリカ人しかいないので。
実は、そのサンフランシスコで『エコサーファー』というグループを立ち上げました。僕のヴィジョンを農家の人たちも知っていたし、協力してくれていたので、心良く「旅立っていけ」ということで、今度はハワイ州のリストをゲットしたんです。ホストがサーファー、海まで歩いて行ける、という条件で探しました。それでハワイ島へ行って、そこから毎日サーフィンです。
ハワイ島では、子どもたちが普通に海でサーフィンするんです
___ハワイはサーフィンのメッカですものね。
ハワイ島でスゴイなぁと思ったことは、子どもたちが普通に海でサーフィンするんですよ。とにかく学校が終わったら、親の車で海まで来るんです。 海まで遠い子もいるから、親が車で連れて来て下ろして行くんですよ。「何時に迎えに来るから」って言って。
その時間は子ども達が海で遊ぶ時間だから、大人たちはサーフィンをやらないようにしている。 ほとんどの子がサーフィンかボディボードをやる。
でも、そんな時でもアメリカのメインランドから来たサーファーが彼らの波を取ったりすることがある。それをローカルのサーファーが見つけると、「上がれ!」と。「別にケンカするワケじゃなくて、とにかく上がれ」と。
「なんで上がらせたかというと、ここの海はオマエだけのものじゃなくて、子ども達のものでもあり、皆のものなんだ。この子ども達はここの海が好きで、この時間帯だけは特に子ども達に海を満喫させてあげたいから、申し訳ないけど上がって、来るならまた明日の朝とか、そういう時間帯に来てくれ」と言う。そういう守り方をしているローカルなんです。
それが凄くカッコ良くて!僕はこういうことが知りたかったんだな、と思いました。
まさにビーチの守り方のお手本になりました。もちろんゴミも拾うけど、本当のシーンを見れた気がした。だからみんなスゴク笑顔だし、空間のバイブが良いんだなぁ、というのを感じました。
___その方たちはオーガナイズされて行動しているの?
そうではないです。
でもそこにはボスがいて、「俺が最終的には出て行く」という人がやっぱりいる。見た目はもう、体中にハワイの伝統的なタトゥーが入っていて、細長いサングラスをかけて、上半身裸で、髪の毛も長くてガタイが良くて、近づき難いオーラを出してるんだけど、でもサングラスを外すと細い目でニコニコ笑って、子どもたちに「サーフィンしろ、サーフィンしろ」って。
そういう場所で、僕も半年サーフィンやらせてもらって、一緒に大会に出たり、一緒にゴミ拾いしたり、誰かの誕生日には必ず呼んでもらって、ゴハンを一緒に食べたりしたんです。そういういろいろな経験が今の『エコサーファー』には生きているんです。
(つづく)
ドームハウス
「四畳半内接フラー・ドーム」
___最初は、四畳半の部屋の中に「フラー・ドーム」を作ったそうですね。
アマチュアバンドやっていたので、友達の庭にログハウスでスタジオを作ってしまおう、ということが始まりでした。
『ウッディライフ』とかアウトドアの本を読んでいたら、たまたまそこに「フラー・ドーム」が出ていて、面白いなと思って画用紙で模型を作ったんです。そうしたら、どうしても中に入ってみたくなってしまった。(笑)
「これのデカイのを作れば、それは家だしスタジオじゃないか」って思って、真四角の四畳半にピッタリ収まるように逆算して、ケント紙で三角形を百数十枚使って作ったんです。「四畳半内接フラー・ドーム」ですね。
それで、内側へ入って、人生変わっちゃった。サラリーマンやってる場合じゃない、って。(笑)
___それほど衝撃的だったのですね。
家を建てるというのは、四角い物の集合だとしか思ってなかった。それが三角形で出来る、柱が要らない。最少の材料で、広い空間で、しかも丈夫。
それ以上に、僕は音楽をやっていたので、内部にスピーカーをセットしたら、今までと全く違う感覚があった。スピーカーと自分の位置の組み合わせを偶然見つて、ビックリするような音像を体験したんです。
まだデジタルの時代ではなかったので、テープに録った音楽にはノイズがあったんですが、それが相殺されちゃうんです。しかも、音源の位置が分からなくなって、空中にいたままヘッドホンをしたような感覚になる。
「これはスゴイ!」とビックリして、それから半年はそこへ籠ってた。(笑)
無謀にもそれから一年後に会社を辞めて、建築は全くの素人だったのですが、最初は失敗もしましたが3年目くらいで工法を確立しました。
その頃、アメリカにドーム建材のメーカーが2社あって、キットを日本で輸入していたんです。僕もそれを買って一棟建てようと思ったんですが、すごく高い値段だった。本来は最少資源で作れるものなのに、それはおかしいと思って「じゃぁ自分で作ろう」となったんです。
___当時、日本ではドーム建築を手がけている会社はなかったんですか?
まだインターネットのない時代でしたから雑誌などで調べたら、村上さんという方がいらして、その方が『ドームプロジェクト』という名前で8棟ほどドームを建てていたんですが、辞めて全く違う分野に行ってしまった。
その『ドームプロジェクト』という名前が良かったので、僕が名前だけ引き継いで、その後100棟ほど組み立てました。
セルフビルドのエコ建築
___小林さんの組み立てたドームで、実際に暮らしている方がいらっしゃるんですね。
最初の2〜3年は、ほとんど別荘ばかりでした。それも、フラーということで惹かれて建てた方ばかり。キットだけ渡してセルフビルドで組み立てるというワケには行かない人が多かったので、僕も現地に行って建築を手伝いました。
そのうち建築会社と組むようになって、建築を指導したり、自宅としての需要も増えてきました。
___ドームハウスは魅力的ですが、土地が必要ですね。
まぁ、そうですね。土地は必要です。(笑)
ただ、同じ容積で較べると建築費がかなり安く済む。
___建材が少なくて済む、ということですね。
普通に考えれば、一つの空間といえば12畳くらいが限界でしょう。それ以上になると、柱や梁や壁が必要になる。ドームならば、僕が手がけたうちの最大は、直径13.5m。それでも柱が要らない。とにかく、空間が広い。
しかも、組み立てはプロの人がいなくても2日くらいで出来てしまう。
___内部の空間が丸いということで、居住性や居心地はいかがでしょう?
よく「丸いと不便ではないか」と言われますが、壁に家具を密着させる必要はないんです。家具で間仕切りにする、という発想にしてもらえればいい。
それから、ほとんどの場合、中二階になさいますね。土地が大きい場合は全二階にして、上は本当のワンルーム。
___空気の対流にも都合が良い。
四角い家だと、四隅に空気が溜まるんです。長い間には、四隅からカビが生えてくる。
ドームでは、温かい空気が上で冷やされて壁沿いに降りてくる。頂点にシーリング・ファンを付けるだけで、冷暖房は物凄く効率が良い。
___エコな建築ですね!
エコです。
そもそもフラーの「最少資源で最大効果」という考えに僕は惹かれたんです。三角形のパネルを組み合わせるというのも、全部が筋交いになるわけですから、これほど合理的なことはない。
フラー研究者と出逢う
___フラーについてはかなり研究されたんですか?
英語の本を読める訳ではないのですが、面白い出逢いがあったんです。
フラーの晩年に、2年間助手をしていた梶川泰司さんという方がいて、フラーが亡くなった後、帰国して広島大学でフラーの研究所を持っていたんです。それが引っ越すという時に、たまたま縁があって、小田原で研究室を構えていたんです。その梶川さんが南足柄の丸太の森でワークショップをなさる、というのを偶然に新聞で見て、すぐに会いにいって自己紹介したんです。その頃ちょうど、寄(やどろぎ)の山の中にドームを作っていたのでお連れしたら、「一緒に仕事をやらないか」と誘われた。
梶川さんは東京でドームの会社を興そうとしていたんですね。ところが、実際に建築の知識のある人がいなかった。梶川さんは日本人で唯一フラーと懇意にしていた方ですから、非常に名誉のあるお誘いだったんですが、僕は組織に入るのが嫌だったので、木造ドームのキットを供給するという形にしたんです。それで、2年間ほど『ドームプロジェクト』の名前を伏せて、梶川さんの『デザインサイエンス社』を通して仕事していました。
なんと隣町にそんな人が越してくるなんて、奇跡ですよね。(笑)
(つづく)