Archive for 05 August 2007
05 August
『Eco Surfer (エコサーファー)』
オマエはとにかく海が好きだから
___サーフィンとの出逢いは?
僕は、横須賀生まれ、横須賀育ちなんです。
高校3年の時に担任の先生から「オマエはとにかく海が好きだから、海の大学もあるんだぞ」って言われて、ギリギリ評点も足りるからって、静岡県清水の東海大学海洋学部へ推薦状を書いてくれたんです。
それで、大学1年の時に友達に誘われて波乗りに行ったのが初めてです。
___初サーフィンは静岡の海だったんですね。
そうなんです。最初はショートボードでした。友達の友達から借りて。
親父も海が好きで、小さい頃からボディボードみたいなことを伊豆の海でやっていたので、波をつかまえることには難しさを感じなくて、始めたその日に立てたんです。それで、周りがビックリして。そのビックリされたことが自分でも嬉しくて「コレは面白い!」と(笑)
もうそれから13年間、波乗り中心で僕の生活は動いてます。サーファーってそうなんですよね。今の仕事も、社長には「波乗りが出来るから」って言ってあります。
海の守り方とかサーフィンのスタイルとか、
ビーチカルチャーを学ぶ旅がしたいと思ったんです。
ビーチカルチャーを学ぶ旅がしたいと思ったんです。
___「Eco Surfer(エコサーファー)」というネーミングはユニークですね。
自分の屋号なので、いろいろ考えました。
「環境」と「サーフィン」ということをネーミングから浮かびやすいものにしたくて、辞書で調べて「Environmental Surfer」とか「Green Surfer」とか考えたんですが、長過ぎたりゴロが悪かったりで。
「Eco Surfer(エコサーファー)」というのは単純にリズムが良くて覚えやすいし、直球ですね。
___「エコサーファー」と名乗るようになってからは何年くらいなんですか?
5年弱です。
25歳くらいまでは、普通に土日だけサーフィンして、普通にサラリーマンやって、という毎日でした。ある時、人生このままでいいのかなって真剣に考えて、考え抜いて、その時に「エコサーファー」の軸になるようなものがモヤモヤと浮かび上がったんです。
その時、横須賀から藤沢の会社に通っていたんですけど、辻堂で一人暮らしすることにしたんです。それで、そのモヤモヤの一つのカタチとして「毎朝会社に行く前に必ずビーチクリーンをしよう!」と決めて、その日から、たった15分だけですが、365日のうち320〜330日はビーチクリーンをしました。毎朝、同じ時間に。
でもやっているうちに、だんだん、正直イヤになってきたんです。やってもやってもゴミは減らないし、手伝ってくれる人もいないし。「あれ、、思ったのと違うな、、」って。
それで、「この海の向こうにはアメリカがあるんだな」とか単純に思うようになってきたんです。ハワイとかカリフォルニアとか、サーフィンの盛んな国へ行って、彼らの海の守り方とかサーフィンのスタイルとか、エコロジーも含めてビーチカルチャーを学ぶ一人旅がしたいと思ったんです。
それから一年間、ビーチクリーンをしながら計画をして、お金を貯めて、英語の勉強もちょこちょこして、アメリカに渡りました。
「Eco Surfer(エコサーファー)」という言葉は、向こうへ行って半年くらいの時に出て来ました。ホームページを立ち上げて、アメリカにいる一人の日本男児のサーファーだ、って。それからどんどん太くなって、今に至ります。
サーフィンを通して伝えて行くのが僕らしいと思うし、
経験からきていることなので、自信はあります。
経験からきていることなので、自信はあります。
___webは結構ボリュームがありますね!
いやぁ、歴史があるし、書くことも好きなんです。帰国前から、帰国後のことも、事細かに書いているので。
___小説のようなストーリーで、読み入ってしまいました。
「伝える」という使命を感じているんです。難しい言葉は知らないけど、分かりやすく書くことは得意かも知れないですね。どうしたら伝わるかな、って。
「伝える」と言っても、いろいろなスタイルがあるし、いろいろな人がいる。僕は、一番好きなサーフィンを通して伝えて行くのが僕らしいと思っていて、プロになれるほど上手くはないけど、それでも伝えられることはあると思うし、自分の経験からきていることなので、自信はあります。
___分かりやすく、と言えば、小学生を対象に講座を持ってらっしゃるそうですね?
これも繋がりで、小学校のPTA会長をやってらっしゃる主婦の方からメールを頂いたんです。
小学校6年生の授業で「総合」という科目があって、環境問題を勉強する時間がある。でも、難しいことは知っているけど机上の空論で頭デッカチになっている子供たちがいっぱいいるから、そういう現状に対して、茅ヶ崎のシンボルである「海」で実際に活動している人を探しています、と。
それで、「地域講師というカタチで、子どもたちと一緒にゴミ拾いをしたり、いろいろな話をしてくれませんか?」と言われたんです。
すごく熱心な方で、ビーチクリーンをやって「これはどこから運ばれて来たんだろうね」とか「これで何か作ってみよう!」とか、皆で考える場を作るので是非ゲストで来て欲しいと言われて、「出来ることは協力します」とやり始めました。
他の小学校からもお誘いがあって、今は逗子小学校に年に5回くらい行ってます。
___授業はどんな感じでなさるんですか?
最初は考えましたよ。普通の授業はやりたくないので(笑)。
僕は、波があってもなくてもウェットスウーツを着て波待ちをして子どもたちを待つんです。演出から入るんです。(笑)
やっぱりインパクトを与えたいし、子どもたちにとってヒーローであるべきだと考えたんです。だから、僕はサーファーだからサーファーの格好をして、海で待ち合わせをさせるんです。波のない日が多いんですけど、僕は沖で波待ちをして待っているんです。そこを芝居で「直也さ〜ん」とか「エコサーファ〜」とか皆が呼ぶんです。(笑)
波がない時は困るんですけど、そこで僕がふり返ってスーッと登場するんです。子どもたちにはインパクトありますよね。
___何年生くらいの子どもさんたちなんですか?
最初は6年生でした。今の子どもたちは、3年生の時から4年間つき合ってます。
年によって内容も変えなくちゃいけないということも学んだし、今は少しは柔軟に対応できるかなぁ。。
一人でゴミ拾いをしていた時、
寂しい思いをしたんです。
寂しい思いをしたんです。
___どんな内容をなさるんですか?
もちろんビーチクリーンをするんだけれど、まずゴミ拾いをさせる前に、海岸を散歩している大人たちにわざと声をかけさせるんです。子どもが言えばイヤとは言わないし、茅ヶ崎を好きだったら喜んでやってくれるんです。そうして皆を巻き込んで、「一人じゃなくて、皆と楽しくやろうね」ということを必ずやります。
僕が一人でゴミ拾いをしていた時、寂しい思いをしたんです。みんな僕を見て「あぁゴミ拾いをしてる」と思うんだけど、だいたいの人はそれで終わっちゃう。でも彼らの中には「あぁ良いことやってるなぁ、声かけて手伝いたいな」って思う人がきっといるはずなんですが、その第一歩が出せない人が多い。
だから子どもたちには、「一人でゴミ拾いをするとこれしか拾えないから、皆で拾わない?」って言うんです。皆で拾えば海がどんどんキレイになるじゃん、って。
それで、その後、そのゴミを広げるんです。広げると、その中には持って帰りたいような宝物が必ずあるんです。例えば、ビーチグラスや、桜貝、宝貝。それから、レトロなミニカーだったり。結構いろいろなものが落ちてるんです。それを見せ合うことが、子どもたちには楽しいみたいですね。
だから、ゴミがどこから来たということよりも、まずは楽しんでもらう。スゴイね、って褒めてあげる。皆でやって、それを見せっこする、という流れです。
(つづく)
田んぼに行こう
休耕田の再生
___ここの田んぼは棚田になっているんですね。
そうです。東と西が小高い丘に囲まれて、山の上から、海まで見渡せるような素晴らしい所です。日当りも良いし、風も通りますし、農業をやるにはすごくよい所です。
___恵まれた環境にも関わらず、休耕田になっていたそうですが。
日本中で起こっている事ですが、ここの地主の方もお歳を召してらして、3年前から休耕田になっていました。
その前はずっとお米を作ってらして、ここは丘の中腹ですが、上までずっと棚田だったんです。Google Mapでここを探すと、上までキレイに棚田なんですよ。
なので、何年かかるか分からないですが、上まで攻めて行きたいですね。
___メンバーは募集をかけるんですか?
食事をしたり遊んだりしている時に「田んぼやってるんだよ」って話すと、むしろ「やりたい!」って志願してくれる人の方が多くて、どこかしらやってみたい思いとか、農業の行く末についての問題意識とか、安全な食についての危機感とかがあるのでしょう。
まぁでも、そもそも田んぼに入ること自体を楽しみとして演出できるんじゃないかと思っています。
___ここの田んぼのメンバーは、皆さん、東京からいらしてらっしゃるとか?
そうですね。
だいたい20代後半から30代のメンバーが中心で、皆それぞれ平日は会社で働いたりしています。電車や車で一時間くらいですから、週末毎に、来れる時に来て草をむしっています。(笑)
日本のお米は高いか?
___結構大変な労力ですよね。
ええ。
だから、普段接するお米ってスーパーで袋に詰められて5kgで3,000円とかで並んでいて、それを「日本のお米は美味しいけど高い」と言う声もありますけど、実際やってみると、それが本当に高いのかどうか身をもって感じられますよね。
___皆さん、普段はどんなお仕事をなさってるんですか?
私は通信関係のサラリーマンですが、コンサルタントがいたり、農水省や環境省のメンバーもいます。世代が近いという共通点を除くと、いろいろなメンバーがいます。
___ukkiさんにとってのキッカケはどんな事でしたか?
やっぱり食いしん坊から始まって(笑)、安全な食とか、美味しいものとか、あとは、何でも自分でやってみるというのが入り口でしょうか。
それで幸いにもこういう恵まれた環境の田んぼをやってみないかとお誘いを受けて、これはやるしかないなと二つ返事で飛びつきました。
___でも一人では出来ない事ですよね。
そうですね。
最初にこの田んぼを仲立ちしてくれた人にも、出来るだけ機械の使い方を覚えなさいと言われたんです。今、メンバーが集まっているのでほとんど手でやっているんですが、やっぱり自分が疲れないことが大事だと言われました。一瞬で終わるお祭りとは違って、お米を作るというのは一年間通しての作業なので、どれだけ持続できるかというのが大事になりますよね。
幸い、私たちの場合は、今日も10人程のメンバーが来ていますが、「やりたい」と名乗りを上げてくれたのが50人くらいいるんです。だから、週末の作業でも、来られるメンバーが入れ替わり立ち替わり来てくれるので、ありがたいです。
一反の水田
___この田んぼはどのくらいの広さなんですか?
棚田なので真四角ではないですが、だいたい南北に20m、東西に50m、約1,000です。日本の単位で言うと「一反」という大きさです。
___自給ということを考えると、これでどのくらいの人数が養えるんでしょうか?
正確には分かりませんが、だいたい一反の田んぼから7〜8俵のお米が穫れれば合格点と言われています。1俵が60kgですから、400~500kg穫れれば合格でしょうか。少なくとも、ここへ来てくれているメンバーに山分けして、「あぁ自分のお米だ」って思えるような量はあると思います。
___一株の苗でお茶碗一杯分だそうですね?
そうですね。一株で2,500〜3,000粒くらいのお米が実ると言われています。それがちょうどお茶碗一杯分くらいです。
という事は、2〜3粒のお米がお茶碗一杯になるんです。
___そう考えるとスゴいですね!
一人当たり年間1,000杯くらい食べるとすると、1,000株で一人分。この田んぼで何株あるかは数えていませんが。
ここで実は問題に思うのは、例えばこの一反の水田でお米を作って、それをJAに売ったとしても、現金収入で20万円くらいなんです。このサイズの田んぼを一年間やって20万円。大卒のサラリーマンだと、1ヶ月でそのくらいもらえますよね。
それを考えると、後継者問題が出てくるのも分かりますし、農地の大規模化というのも一つの方向としてはあると思います。
でもやっぱり、そもそも「日本人、もっとお米食べようよ!」とか、「もっとお米にお金を払おうよ!」っていう気にはなりますよね。
美しい棚田
___今「大規模化」とおっしゃいましたが、そういう方向性が、結果、農薬ということに繋がる。
そう思います。やはり効率を重視していくと、莫大な広さの田んぼで、草むしりの作業などをとても手でやろうとは思いません。農薬や肥料というところになると思います。
それでも、食の安全だとか、棚田の美しい風景の保全とかを考えると、こういう昔ながらの手作業の活動を後押し出来たら良いと思っています。
___なるほど。棚田という地形では、大規模的なやり方はかえって難しい。
そうですね。大きな機械は入れられないですし、やっぱりトラクターで一回で終われるような所の方がやりやすいでしょうね。
極端な例で、アメリカの農家の田んぼではトラクターにGPSを積んでないと迷子になって家に帰れない(笑)。田んぼの中に飛行場があって、飛行機で農薬を撒くんだそうです。それと較べると、日本のお米が高くつくのは仕様がないと思います。
でも、美味しくて安全なお米って、良いものは価値を認めてお金を払って行くというのが大事かなと思います。