Archive for 27 April 2008
27 April
聖なる野蛮人
人が一つ真剣にやれるものであれば、見つけられるものは一緒です。
真理は同じだと思います。
真理は同じだと思います。
___どうしてお坊さんになろうと思ったんですか?
テニスプレーヤーになりたかったんですが、肩を壊したんです。その時に父親が「オマエみたいなのは坊主に向いている」と言ったんです。
勉強は嫌いだったんです。「俺が今生きているというのはどういうことなのか?」という本当のことを知りたかったのに、学校というのはそういうことを教えてくれる場所ではなかった。大学で仏教を勉強した瞬間に、「あ、コレが子どもの頃から俺が知りたかったことだ!」ということが分かったんです。仏教は、生きるということを突き詰めて行くことだったんですね。だから、自分にとっては天職みたいなものです。
___宗教なら何でも良かった訳ではなくて「仏教」だったのですね?
いえ。宗教なら何でも良いんです。人が一つ真剣にやれるものであれば、見つけられるものは一緒ですから。真理は同じだと思います。
たまたまそれが仏教であり、禅であり。それがテニスでも同じだと思います。自分が与えられた肉体を、如何にパフォーマンスして行くかがテーマなんです。そして「より美しく」となれば、何をやっても同じです。
___その想いに応えてくれるだけの懐の広さが「仏教」にはあった。
そうですね。
人一人を幸せに出来なくて仏教など語れません。自分が如何に幸せになれるかということを発して、それに連れて皆が幸せだと思ってくれたら、それが一番幸せなんです。あとはもうずっと坊さんとして生きています。アートを始めてからは15年くらいでしょうか。
___アートを始めたのは、どんなキッカケだったのですか?
私のことを面白いと思っていた人がいて、「作品をつくりなさい」と、ギャラリーと資金を提供してくれたんです。そうしたら最初の個展で売れちゃって、やってみたら続いたんです。父がサラリーマンでしたけれどアーチストでしたから、父の感性を受け継いだんだと思います。
___とても自由な作風ですね。ルーツは日本画なのでしょうか?
『鳥獣戯画』もそうですが、お坊さんの描くものはイラストなんです。アニメの原点ですね。何にでも描きますよ。
一時期「クラブ」というものにも興味があって、お経が欲しいと言うので、何年間かお経を上げに行っていたことがあります。(笑)
___クラブでお経ですか!
アンビエントのパーティでした。私が上げたお経に音をかぶせたり、リズムを刻んだりして行くんです。
___前衛ですね。
それでも出来ちゃうからね。(笑)
暇を与えられると深く悩んでしまうので、常にハプニングが面白いですね。
「禅」というものは、
みんながどちらかに偏った時に反対側に歩んで行けるバランサーなんです。
その時代のバランスを取っていく。
みんながどちらかに偏った時に反対側に歩んで行けるバランサーなんです。
その時代のバランスを取っていく。
私は小田原で生まれて、生後100日目に父の仕事の関係で横須賀へ行ったんです。その横須賀での14年間の生活が自分のベーシックに大きな影響を与えていますね。物心ついた時にはアメリカンブレックファストでしたから。自分にとってアメリカはとてもオシャレに感じたんですね。住んでいたのが下町の方でしたから、学校には肌の色や目の色が違う子がいて、毎日ケンカしていました。(笑)
そうしたことが、自分の禅の道にクロスしてくるんです。父はサラリーマンでしたから、別にお坊さんになる必要はなかったのですが二十歳で出家したんです。
___アメリカの文化と禅の美意識とは対極のように感じますが。
そうなんですよね。僕らにとっては、物心ついてからアメリカ文化に憧れていましたし、学生の頃には『ポパイ』や『オリーブ』が創刊されて、アメリカの西海岸の情報がたくさん入って来るんです。だから、私の憧れた彼らが、なぜか禅に憧れているという感じなんです。差別しているということは、意識しているということですから、僕らが「禅/ZEN」を背負ってアメリカを歩いていると、そのものが歩いている訳ですから「It's COOL !」なんです。カッコ良いんですよ。
仏教を勉強し始めた頃は、ちょうどヒッピーの時代だったんです。60年代で、ベトナム戦争の真っ盛りでした。「ビート・ジェネレーション」と呼ばれる人たちがいて、そんな時代の矛盾を50年代から訴えていました。そして、何か見えざるものに導かれて、私は坊さんになるんです。
私が禅に関心を持ったのは、二十歳で出家をした後にインドを放浪して、その時にヒッピーの人たちに出会ったんです。それで彼らが「ZEN」の話をする訳です。彼ら欧米人が関心を持つ「ZEN」というものは、自分たちが感じている「禅」とどう違うんだろう、と興味を持ったんです。それで、本来なら永平寺に修行に行くところを、ヒッピーの聖地サンフランシスコへ行って3ヶ月放浪したんです。その中で、アメリカの禅センターを知ったんです。
___「禅」よりも先に「ZEN」に触れたのですね。
どちらかと言うと、そうですね。
___異文化に接することで、自らのルーツが浮き彫りにされたのでしょうか?
アメリカというのは、結局、日本人のアイデンティティを根底から奪い去ろうとしている訳ですよね。そうしておきながら、「禅/ZEN」だと言って憧れている。
それは、アメリカの指導者たちが、もうどうにも出来なくなっているからなんです。世の中のコントロールが効かなくなっている訳です。だから、その状況をチェンジして行くシステムを、彼らは禅の悟りに見出そうとしているんです。
___今までと違う発想をすれば状況を切り拓けるだろう、としているのですね?
そうですね。
もともと「禅」というものは、みんながどちらかに偏った時に反対側に歩んで行けるバランサーなんです。その時代のバランスを取っていく。そこが禅の面白さなんです。
禅は宗教ではありません。モノゴトをデザインする根本なんです。
日本では、お寺に入ると言っても、今は葬式仏教ですから結局は法要の仕方を教わったりする訳です。でもそれは現代の生活に直接反映されているものではないですよね。
ところがアメリカでは今、何千何万もの人たちが座禅をしていて、修行道場が約2000ヶ所もあるんです。
___「禅/ZEN」はブームなのでしょうか?
何回かブームが来ていますね。
1950年代に、鈴木大拙という人がアメリカ全土を講演して廻ったんです。それにカルチャーショックを受けて「禅」に興味を持った連中が「ビート・ジェネレーション」なんです。時代の限界を見た時に、それを越えて行くのが「禅/ZEN」なんだ、ということですね。
___「ビート」のルーツは「禅」だったんですね!
そうです。
ビートの人たちは、最初NYのグリニッチビレッジあたりにいたのですが、ちょうどマッカーシーの赤狩りの頃でしたから、みんな新天地を求めて西海岸のサンフランシスコへ行くんです。そこで、ギンズバーグやケルアック達の「ポエトリー・ルネサンス」が興るんです。ギンズバーグが初めて『吠える』を読んだ時、会場に遅れて行くのですが、実は鈴木大拙に会っていて遅れたんだそうです。
___生々しいお話ですね。あの時代は、もの凄いパワーに満ちていたのでしょうね。
50'sですから、アメリカは光り輝いていたんです。クルマは何台も持っている、家にはクーラーもある、何でもある、未来は明るい、と。
でも、彼らは「そんなことはない!」と、追いやられて行く人間や矛盾を敏感に感じ取って、それを詩によって声に出し始めて行く訳です。そして案の定、ベトナム戦争が起こるんです。
___意識の進んでいた人たちは、当時、そうした危機を察知していた。
そうです。今の日本もそうですが、繁栄の裏では貧富の差が開いて行くんです。
___そういう意味で、「禅」はバランサーとして働くのですね。
だから、彼らは「聖なる野蛮人」と呼ばれていたんです。
『禅ヒッピー』という本があって、私はとても影響を受けたのですが、その中に「リュックサック革命」という言葉があるんです。バックパッカーが現れるよりも前の時代ですね。(笑)
___今で言うところの「自分探し」のルーツなのでしょうか。
そうですね。若い人はあちこち旅に出ていますよね。スピリチュアルやネイティブにもいろいろな系統があって、ハワイに行ったり、インドに行ったり。僕らの頃は、インドのゴアがヨーロピアンな感じで、ヌーディストやヒッピーが集まっていた。今まさに、その時代が再び来ている気がしますね。
ただ、どんどん日本人の感性が鈍ってきちゃってる。禅は、大胆だけど繊細ですから、日本人には合うんですが。
___禅は、削ぎ落とす文化というイメージがあります。
そうですね。どんな思想でも良いのですが、最終的には禅的な感覚が残って行くだろうと思います。禅は宗教ではありません。モノゴトをデザインする根本なんです。
真理が何らかのカタチとして結晶になってきたら、◯や△や◇と同じなんです。単純化して行くんです。ポリネシアとかネイティブの文化も、学んで行くと、自ずとまた結晶になって行く訳です。
___一線を超えると、共通した価値観へ到達するのですね。
それが「禅/ZEN」なんです。インドから来たのですが、日本に入ってから非常に洗練されて行くんです。日本人って凄いよね。
(つづく)
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