Archive for 18 May 2008
18 May
"Article 9"
___どのくらい活動なさってるんですか?
(Erock)
2001年から活動しています。
主にUSAで活動していますが、パレスチナやキューバ、タンザニア、南アフリカ、そして日本と、いろいろな国へ行っています。
___どうして日本へ?
(Erock)
たくさんの理由があります。
There are many reasons.
___『9条ピースウォーク』に帯同なさっていますね。
You're joining "Article 9 Peace Walk",aren't you ?
(Erock)
最初からずっと一緒に、広島から東京まで歩くんです。
Yes. We've been walking from the beginning. We'll walk to Tokyo from Hiroshima.
___やはり「憲法9条」に響いたのでしょうか?
What attracted you ? Especially "article 9", I mean your reason to come here.
(Erock)
もちろん「9条」はひとつの理由です。でも『ピースウォーク』に参加することで、音楽を通じて人々に出会えるし、平和を訴えることが出来ます。それでやって来ました。
全行程を歩いている日本山妙法寺の加藤行衛上人やシスター・クレアとは、ボストンで行われたピースウォークや平和の為のイベントで知合いだったんです。シスター・クレアから,一緒に歩かないかとお誘いを受けました。
私たちの住んでいるボストンは、4日置きに殺人が起こるほどに暴力的な街なんです。そんな環境に生きていると、いつも平和というものに意識があるものですから、憲法9条を通じて平和を実現するという活動に興味をひかれてやって来たんです。
It was one of the reasons. Getting to understand "article 9" has come more as we're being in Japan. We're learning more about "article 9". But, it was "Peace Walk" that bounce here, then idea for walking and be able to share our music and perform, and meet new poeple who are interested in peace and justice.
And Reverend Kato and Sister Claire, both come from same stste,We had known each other form and different rallies; Peace Walk from Boston and different events that I have to do peace and justice in Boston in Massachusetts.So Sister Claire extended the invitation to myself bag way to come to Japan and walk from Hiroshima to Tokyo.
Boston, the city we're from, has a lot of violence, as one murder every four days. We are very adjusting and bringing into the violence and creating peace, atmosphere peace, having us for "article 9" and "Peace Walk" comes every movement.
(Optimus)
「9条」については、聞いてはいましたが深くは知りませんでした。
ボストンでは、平和について、非暴力的な紛争解決の方法について、常にコミュニティの中で人々と話し合って来たのですが、日本に「9条」があるということは、それが政府レベルで認められているということですし、民衆レベルでも、スピリチュアルなレベルでも、あらゆるレベルで「私たちは平和を実現して行く」という意志が示されているという、象徴的なことだと思います。
I originally came "article 9" for me, "What is just that 'article 9' ?", I had people talking about. But I didn't know what it is, or what it really meant.
And I think, I'd used to, I great, so, like within our communities we always talk and there're a lot of people who act towards making a world nonviolent, as well as a world for peace and a world for justice. And within Japan, one of the things with "article 9", it seems to have the support of the government. Because, there're a lot of different power type of power; people power, political power, spiritual power. It was "article 9", it seems usually the most difficult element that does happen is government support to promote justice as well as to promote peace. And I think "article 9" is kind of symbolism of the way of life and culture of putting peace at the forfeit for every level.
こんなふうにして招かれて、実際にそこに行ってみることは素晴らしいことです。歴史の本などで物語として読むだけではなくて、事実に直接触れることは、私にとって非常に重要なことだったんです。
And I mean for me, anytime I get offered to travel, it's a beautiful thing I have opportunity, two side of where I am. So, that's one thing, just like we're learning about the culture, learning about the people, when you are close you get to the source, 'cause you know we insert things in history books, or you should insert things in television. But when you're actually there in present, you can kind of feel that a little stronger of what it is, kind of separate that reality from that fiction was. Were that exaggeration, of a culture?
私たちの来たアメリカという国は非常に暴力的な国で、むしろ、その暴力を拡げて行くことをしています。
一つの例をあげると、今回私は日本で、戦争に行って戦ったお年寄りの方に会いました。その方は、戦争で右腕を失って、自分自身のことを戦争の犠牲者だと思っていましたが、同時に、200万人ものアジアの同胞を殺して来たことも話してくれました。自分は犠牲者でもあるけれど、人を殺している現場を実際に目の当たりにしたことで、加害者でもあるのだと考えが変わった、と話してくれました。
私自身も旅をすることで、考え方を変えられる体験をしています。住んでいる所から離れることによって、物質的な暮らしよりも、人々と接することで築かれて行く関係性に重きが置かれてくるからです。グローバルに旅をすることで、自分が住んでいる所のものを行った先の人々に伝え、そこから自分は持ち帰ってくるんです。
We come from violent culture, now it's States of America's window, most party for bales of violence to broke entire the world.
There was a gentleman who was involved in World War?,fight on the side of Japanese. And during the War, he lost his arm. He god of himself as a victim of this war. Then he realized the mount of people, Japanese as himself, had killed within a country of Asia. He said he shifted that himself as a victim to a surviver of this
___日本では、一歩を踏み出すことのハードルが高い状況があります。実際に日本に来て、こうした活動に参加して、どんな印象をお持ちでしょうか?
(Erock)
たくさんの方が、とても暖かく迎えてくれています。車から手を振ってくれたり、子どもたちも手を振ってくれたりします。一方で、こうした平和運動のようなことに煩わされたくないと言って避ける人もたくさんいます。こうしてチラシを配ったりしていますが、突き返されたこともあります。
同じようなことはアメリカでもあります。大半の人々は、自分の仕事や消費生活に気持ちを向けています。日本では、こうした運動に興味を向けているのは本当に一部の人たちで、あまり世代間の交流も無く、偏っているように感じています。ここまで63日間歩いて来ましたが、若い人たちがなかなか参加してくれないという話をよく聞きます。私たちのようにHipHopをやっている者の役割は、全ての世代の人たちをこうした運動に引きつけるということだと思っています。それぞれの世代なりの活動はあるのでしょうが、今までバラバラだったことが音楽によって結びつくことが出来れば、もっとパワフルな活動になる可能性があるはずです。
私たちは『ピースウォーク』に参加するだけでなく、東京や名古屋や大阪のクラブや、今日も小田原のポケットパークでパフォーマンスをしました。そうしたことで、もっと若い人たちが集まってくれて、世代を超えた活動に結びつくようにと考えています。
(Optimus)
歳をとった人たちも、もともとは若かった訳ですから、これまで伝統的に行われて来た活動にしても、上の世代は若い世代から大きなエネルギーをもらうことが出来るし、若い世代も上の世代からたくさんのことを学ぶことが出来るはずです。ですから、お互いに与え合うということが大事だと思っています。
___楽曲は、どんなテーマを歌っているのですか?
(Erock)
自分たちの音楽は、「Life Music」と呼んでいます。フィジカル、スピリチュアル、メンタルといった、すべての「Life/いのち」にフォーカスして曲作りをしています。
(Optimus)
今日も街で話していたことですが、若い人たちが社会的な抑圧にどう対処したら良いか分からないような時に、それを表現する方法として音楽があると思います。どこかにそうしたハケ口がなくてはなりません。ですから、私たちの音楽のテーマは「liberation/解放」「freedom/自由」「justice/正義」、そして「peace/平和」ということです。
「history/歴史」は文字通り「His Story」ですから、支配者側から書かれたものでしかありません。例えば、コロンブスはヒーローとして国やストリートや学校の名前になっていますが、それはあくまでも建国者側の歴史です。征服されて殺されて行ったネイティブの側の歴史を学ばなくては、過去に起きたことの全体像は見えて来ません。そうして初めて、現在と未来とが繋がって行くんだと思います。
(Optimus)
旅をして、人と出逢って、話をしたり、歓びを共有したりしながら曲作りをしています。
(Erock)
音楽には癒しの力がありますし、宗教的な儀式でも必ず音楽が伴います。南アフリカやアメリカでの様々な平和運動においても、自由の唄が象徴として歌われてきました。プランテーションの奴隷たちの歌には、解放へのメッセージが込められていました。
嬉しい時も、悲しい時も、怒りすらも、音楽ならば直接表現することが出来ます。資本主義的なアメリカ文化に対して、ポジティブな音楽を表現して行けたら良いと思っています。パレスチナの占領についても歌うけれど、外へ出て踊ろうという歌も歌います。
(Optimus)
両方とも大事なんです。
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