17 August

[アンコールスペシャル] 「農」のある暮らし

soulbeauty.net (10.8.17 OA)


#1 Quilombo / Various Artists "Rhythmstick"
#2 Ela Disse Assim... / Max De Castro "Samba Raro"
#3 Baby Why / ラヴ・タンバリンズ "らぶ・ぱれーど"
#4 Lovers Rock / Sade "Lovers Rock"
#5 Jealous Guy / ユッスー・ンドゥール "Instant Karma: The Amnesty International Campaign to Save Darfur"
#6 I'm Coming Back Again / Joe Sample "Sample This"
#7 If I'm Still Around Tomorrow / Sadao Watanabe "VOCAL COLLECTION"

[opening theme] Everything You Do / The Gadd Gang "The Gadd Gang"
[ending theme] Virginia Sunday / Richard TeecThe Best"


今週は、2007年7月29日と同年8月5日に放送したものを再構成してお届けいたしました。
インタビューtextは下のリンクからご覧下さい↓
 「農」のある暮らし
 田んぼに行こう


20:00:00 | milkyshadows | |

05 August

田んぼに行こう

journal & report [2/2]
ukki さん (大磯わくわく田んぼ

休耕田の再生


___ここの田んぼは棚田になっているんですね。

 そうです。東と西が小高い丘に囲まれて、山の上から、海まで見渡せるような素晴らしい所です。日当りも良いし、風も通りますし、農業をやるにはすごくよい所です。

___恵まれた環境にも関わらず、休耕田になっていたそうですが。

 日本中で起こっている事ですが、ここの地主の方もお歳を召してらして、3年前から休耕田になっていました。
 その前はずっとお米を作ってらして、ここは丘の中腹ですが、上までずっと棚田だったんです。Google Mapでここを探すと、上までキレイに棚田なんですよ。
 なので、何年かかるか分からないですが、上まで攻めて行きたいですね。

___メンバーは募集をかけるんですか?

 食事をしたり遊んだりしている時に「田んぼやってるんだよ」って話すと、むしろ「やりたい!」って志願してくれる人の方が多くて、どこかしらやってみたい思いとか、農業の行く末についての問題意識とか、安全な食についての危機感とかがあるのでしょう。
 まぁでも、そもそも田んぼに入ること自体を楽しみとして演出できるんじゃないかと思っています。

___ここの田んぼのメンバーは、皆さん、東京からいらしてらっしゃるとか?

 そうですね。
 だいたい20代後半から30代のメンバーが中心で、皆それぞれ平日は会社で働いたりしています。電車や車で一時間くらいですから、週末毎に、来れる時に来て草をむしっています。(笑)

日本のお米は高いか?


___結構大変な労力ですよね。

 ええ。
 だから、普段接するお米ってスーパーで袋に詰められて5kgで3,000円とかで並んでいて、それを「日本のお米は美味しいけど高い」と言う声もありますけど、実際やってみると、それが本当に高いのかどうか身をもって感じられますよね。

___皆さん、普段はどんなお仕事をなさってるんですか?

 私は通信関係のサラリーマンですが、コンサルタントがいたり、農水省や環境省のメンバーもいます。世代が近いという共通点を除くと、いろいろなメンバーがいます。

___ukkiさんにとってのキッカケはどんな事でしたか?

 やっぱり食いしん坊から始まって(笑)、安全な食とか、美味しいものとか、あとは、何でも自分でやってみるというのが入り口でしょうか。
 それで幸いにもこういう恵まれた環境の田んぼをやってみないかとお誘いを受けて、これはやるしかないなと二つ返事で飛びつきました。

___でも一人では出来ない事ですよね。

 そうですね。
 最初にこの田んぼを仲立ちしてくれた人にも、出来るだけ機械の使い方を覚えなさいと言われたんです。今、メンバーが集まっているのでほとんど手でやっているんですが、やっぱり自分が疲れないことが大事だと言われました。一瞬で終わるお祭りとは違って、お米を作るというのは一年間通しての作業なので、どれだけ持続できるかというのが大事になりますよね。
 幸い、私たちの場合は、今日も10人程のメンバーが来ていますが、「やりたい」と名乗りを上げてくれたのが50人くらいいるんです。だから、週末の作業でも、来られるメンバーが入れ替わり立ち替わり来てくれるので、ありがたいです。

一反の水田


___この田んぼはどのくらいの広さなんですか?

 棚田なので真四角ではないですが、だいたい南北に20m、東西に50m、約1,000です。日本の単位で言うと「一反」という大きさです。

___自給ということを考えると、これでどのくらいの人数が養えるんでしょうか?

 正確には分かりませんが、だいたい一反の田んぼから7〜8俵のお米が穫れれば合格点と言われています。1俵が60kgですから、400~500kg穫れれば合格でしょうか。少なくとも、ここへ来てくれているメンバーに山分けして、「あぁ自分のお米だ」って思えるような量はあると思います。 

___一株の苗でお茶碗一杯分だそうですね?

 そうですね。一株で2,500〜3,000粒くらいのお米が実ると言われています。それがちょうどお茶碗一杯分くらいです。
 という事は、2〜3粒のお米がお茶碗一杯になるんです。

___そう考えるとスゴいですね!

 一人当たり年間1,000杯くらい食べるとすると、1,000株で一人分。この田んぼで何株あるかは数えていませんが。
 ここで実は問題に思うのは、例えばこの一反の水田でお米を作って、それをJAに売ったとしても、現金収入で20万円くらいなんです。このサイズの田んぼを一年間やって20万円。大卒のサラリーマンだと、1ヶ月でそのくらいもらえますよね。
 それを考えると、後継者問題が出てくるのも分かりますし、農地の大規模化というのも一つの方向としてはあると思います。
 でもやっぱり、そもそも「日本人、もっとお米食べようよ!」とか、「もっとお米にお金を払おうよ!」っていう気にはなりますよね。

美しい棚田


___今「大規模化」とおっしゃいましたが、そういう方向性が、結果、農薬ということに繋がる。

 そう思います。やはり効率を重視していくと、莫大な広さの田んぼで、草むしりの作業などをとても手でやろうとは思いません。農薬や肥料というところになると思います。
 それでも、食の安全だとか、棚田の美しい風景の保全とかを考えると、こういう昔ながらの手作業の活動を後押し出来たら良いと思っています。

___なるほど。棚田という地形では、大規模的なやり方はかえって難しい。

 そうですね。大きな機械は入れられないですし、やっぱりトラクターで一回で終われるような所の方がやりやすいでしょうね。
 極端な例で、アメリカの農家の田んぼではトラクターにGPSを積んでないと迷子になって家に帰れない(笑)。田んぼの中に飛行場があって、飛行機で農薬を撒くんだそうです。それと較べると、日本のお米が高くつくのは仕様がないと思います。
 でも、美味しくて安全なお米って、良いものは価値を認めてお金を払って行くというのが大事かなと思います。


17:50:00 | milkyshadows | |

29 July

「農」のある暮らし

journal & report [1/2]
ukki さん (大磯わくわく田んぼ

「冬水田んぼ」


___ここは凄く良い所ですね!

 湧き水が年中通して流れていて、しかもその水がとてもキレイなので蛍が出ます。

___湧き水が出るというのは、田んぼの環境としては恵まれている?

 そうです。
 町中にある田んぼは、「水利権」という水の利用料を払って決まった期間だけ使わせてもらうのですが、ここだと一年中湧き水が流れて来ていて、他の田んぼの都合に合わせることがないので「冬水田んぼ」というのをやりたいと思っているんです。

___「冬水田んぼ」?

 最近見かける田んぼって冬になるとカラカラになっちゃって、冬の間カチカチの状態で放置していることが多いんですけど、それを冬の間も水を張っておくことによって、田んぼに育った虫等が死なずに、いろいろな生態系を残して行けるということです。
 農薬を使っている所だと、益虫も害虫もまとめてみんな殺してしまいますが、本来なら、害虫が増えるとそれを食べる益虫も増えるし、さらにそれを食べる鳥だとか、いろいろなものを育むことが出来るんです。
 全国いろいろな所で「冬水田んぼ」の取り組みがありますが、この小田原・大磯でもそういうことをやって行くと、そのうち渡り鳥とか遊びに来るんじゃないかと思っています。
 宮城県で、唯一『ラムサール条約』(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)に登録されている水田があるんです。そこが先導になって、「冬水田んぼ」が見直されるキッカケになっているんです。
 その福島の「冬水田んぼ」や兵庫県の豊岡では、昔はコウノトリが飛び交っていたのですが、農薬を使っている数十年の間にすっかりいなくなってしまったんです。それで「コウノトリ育む農法」ということで、もう一度コウノトリを飛ばせようと、地元の方々が協力してやっている取り組みがあって、去年あたりは、野生のコウノトリが飛んで来て、五十数年ぶりに孵化したとか、そんなニュースが聞こえています。
 宮城の岩渕先生がおっしゃっていることですが、「田んぼ」は単に「rice field(お米を作る畑)」ではなくて、「田んぼ」なんです。それは何かと言うと、お米を穫るだけではなくて、いろいろな生態系の舞台でもあるし、子どもが遊び回る教育の場でもあし、いろんな要素がある。昔から日本の集落は「田んぼ」があって、農作業があって、お社があって、そこを中心にまとまっていたんです。それが、農業が大規模化したり兼業化したり、農業を継ぐ人がいなくなってしまうと、集落自体の繋がりも薄れてくる。
 ここの田んぼをやるうえでは、週末しか来ないとしても、田植えのお祓いや収穫祭とか、農業のお祭り事を体験しながらやって行きたいと思っています。

___「冬水田んぼ」という考えは古くからあるんですか?

 江戸時代に書かれた農書にも記述があると聞いています。
 田んぼに足を入れるとトロトロした感触がしますが、それは細かい砂と一緒に、イトミミズやユスリカ等の小さな生き物の糞の層が堆積しているんです。その層があると、雑草が生え難いんだそうです。
 だから、今こうして草むしりをやっていますけど、「冬水田んぼ」を何年もやって土が出来てくると、こういう大変な作業は回数を減らしたり、やらなくて済むようになるんです。
 江戸時代では、当然手作業でやっていたのでしょうが、そういった昔ながらの智慧があるんです。農薬とかを使うようになって、その辺はあまり日が当たらなくなって来ているかも知れませんが、試行錯誤しながらそれを受け継いで行ければ、と思っています。
 それほど大仰なことは出来ませんが、「普通のサラリーマンをやりながらでもこれだけ楽しく出来るんだよ」というのはメッセージになると思っています。

「農」のある暮らし


___週末だけの作業でこれだけ田んぼが成り立つというのは、農業がとても身近に感じます。

 本当はもっと頻繁に見たいのですが、私たちの場合は地元の農家の方にご指導いただいたり、平日我々が来れない時に様子を見ていただいたり、いろいろな意味で恵まれた条件が揃っていることもあります。
 「畑」だと食べ頃を逃さない為には週末の作業だけでは少ないと思いますが、「水田」だと水の管理を除けばそんなに頻繁に来ないとどう仕様もないということはないんです。家の近所に畑を持てれば良いのでしょうが、水田は以外に取り組みやすいなぁ、と実際に取り組みながら感じています。

___そうすると、街の暮らしをしながら兼業できるような「仕組み」が出来れば良いのでしょうか?

 そうですね。「仕組み」は必要だと思います。
 実は、ここへ来てくれているメンバーは、山登りやマラソン等いろいろな遊びの仲間だったんです。「今度の週末、何をしようか?」という時に、「じゃぁ何処何処の山へ行こう!」というのと同じレベルで「田んぼに行こう!」と。そんな選択肢がいろいろな人に提案できるような仕組みがあると良いですね。
 我々は「兼業農家」かも知れないですが、「農業」をやっているとは思っていなくて「農」なんです。「農のある生き方」なんです。
 生業としてやっていくのは大変ですし、そこまでやるつもりはないと言ったら失礼ですが、やっぱり「農のある生き方」って当たり前のようで、難しいですけれども豊かな暮らしだと思います。
 田んぼに来てまわりの畑を見ると旬のものも見えますし、何よりも、コンクリートの上だけで生きているのとは違った歓びや楽しさがありますよね。
(つづく)


17:50:00 | milkyshadows | |

22 July

土地の持つ「気」

journal & report [2/2]
小宮真一郎 さん (ブルーベリーガーデン旭

憩える農園


___開園から3年とのことですが、「無農薬・無化学肥料」や「土地の個性」というメッセージは当初から発してらしたんでしょうか?

 当初から発していたのは、「人が憩って楽しめる農園」ということと「無農薬での栽培」の2点でした。
 それで、皆で六畳の小屋を建てたんです。その小屋の存在が大きかったです。

___集える場が出来ることは大きいですね。

 たった六畳ですが、そこへ東京からもいろいろな方がいらして、皆が憩って行かれた。それで「憩える農園」ということを思い始めたのかも知れません。
 開園してからは、集って来た方の風や言葉や感想から、逆に、自分の村の個性に目覚めさせられました。

___これからの展開はどうお考えですか?

 出土した重要文化財の土偶も、囲っておくのではなくて博物館に収めた方が良いと思っていましたが、この古い里山を含めたアピールをしたいという時に、やはりこの村で本物の土偶が見れることが一番良いなと、私自身の考えも変わってきました。難しいことだとは思いますが。
 この里山の景観を残すということの他に、自分でも思いもよらず、外からの人との交流の場にしたいという願いに導かれています。
 この村を輝かせる、と言っても、とにかく人を呼ぶとか何かを造成するというのではなく、自然の「気」を感じれるような場でありたいですね。

土地の「気」


___私ここまで車で来ましたが、現代文明の乗り物で立ち入ることがはばかられるような神聖さを感じました。今の時代は、自然と人間との関わりを模索していますね。

 僕が「交流」と言っているのは、それなんです。
 主義主張や国籍を超えて、自由に本音で生きる。それを農園祭のスタッフが共有している。一番大事なのは、差別がなく、平和で、戦争がない、ということですから。

___人々が集う、その核になる本質は何なのでしょう?

 此所の場合は、土地の「気」でしょうね。
 去年の農園祭では、「此所へ来て、こんなに自分が許されて自由な気持ちになったのは初めて」という感想がありました。癒されるとか心地よいとか、それは土地の持つものじゃないでしょうか。
 誰かがカリスマ的にトップにいるのではなくて、それぞれが自由な表現をしたりするような、此所はそういう場なんじゃないでしょうか。

___だからこそ、古代に此所に集落が出来た。

 昔の人は、良い「気」を感じる力が強かったのでしょうね。
 そこで、良い気の場所に神社を建てたりした。しかも、そこを独り占めするのではなくて開放する、という精神だったんです。
 また、縄文の世は、戦争の無い時代だったんです。武器が見つかっていないんです。簡単に言えば、人々が仲良く暮らしていた。弥生くらいから、権力のある人が倉庫を作って米を蓄えたりして、上下関係が出来てきたり、争いが起きてきた。武器が見つかって、戦の痕も見つかっている。
 縄文というと、土器のことや、食べ物が雑穀だったということも興味がありますが、それ以上に「なぜ戦が無かったのか?」ということが僕にとっては大きなテーマです。

___雑穀ということをおっしゃいましたが、稲作が始まったことの影響が大きいのでしょうか?

 そうだと思います。
 でも、水田耕作で稲作をしても戦にならないシステムや精神性があれば良いんです。何故争ってしまうのか、それを考えると面白いですよね。
 昔の人は、気が良い場所を神社にして共有した。今のように、お金持ちが土地を囲って他人を入れない、というような精神構造ではなかったんですね。
 
___そういう思いで、この農園を開放なさろうとしてらっしゃるんですね。

 理想はそうですね。この村がモデルケースになれば良いです。


17:50:00 | milkyshadows | |

15 July

人が集う里山

journal & report [1/2]
小宮真一郎 さん (ブルーベリーガーデン旭

「山田村」


___この辺は「山田村」と言う土地なんですね。

 正式には「山田村」という名前は無いんです。昔、この辺の里山が「山田」と呼ばれていました。

___こちらからは遺跡が出たそうですね。

 昭和9年にウチの敷地内から縄文晩期の土偶が出土したんです。名前は無いのですが「容器型土偶」と呼ばれていて、中に骨が入っていたんです。国の重要文化財に指定されています。今は金庫に眠っちゃっているので、これを何とか皆さんが見れるように展示したいと思っています。
 縄文ファンにとってはとにかく価値のあるもので、国の代表としてルーブル美術館や万博で展示されたりしたのですが、この土偶がここにあれば、ここから出たという事が全国から来た人に分かる。
 5〜6年前には、昭和女子大学のチームがこの近辺をさらに発掘したんです。そうしたら、弥生期の炭化した米が出た。

___ということは、ここで稲作が行われていた。

 そうなんです。2500年程前、縄文から弥生の境の時期。それが、関東地方では最も古いとされています。

___その頃からここには集落があった。

 そういうことだと思うんです。だから、この里山は非常に古い村であった、と。
 そして、黒曜石も出て来ていて、神津島とも古くから交流が行われていた。
 ただ、そうしたことを、この辺の人たちはあまり知らない。

人が集う


___では、7月28日の『山田村夏祭り』はそれをふまえた企画なんですね。

 そうです。
 ウチの農園は今年3年目で、最初は、「無農薬・無化学肥料」という自分のこだわりを追求したくて始まったんですが、何故か開墾している頃から「人が集える場」になって、さらに開園してからは、周りの方の反応を感じて、それがこの村の「個性」や「歴史」に僕が目を向けるキッカケになったんです。
 そうしたコンセプトが明確になって来たというのが、今の状況です。
 あと石釜を今年作ったんですが、この里山で穫れた小麦やブルーベリーでパンやピザを焼くということで、今後の村を表現できればと考えています。薪も豊富にあるので。
 
___古代の人たちも、そうして火を使っていたんでしょうか?

 石釜は無かったでしょうが、薪を使ってやっていたと思います。
 石釜は、農園独自の個性として、私が作りました。今後は自分で栽培した地粉を使って出来れば良いのですが。

ブルーベリーガーデン旭


___ブルーベリーは無農薬・無化学肥料で栽培してらっしゃる。

 無農薬というのはあると思うのですが、無肥料というのはあまり聞かないですね。生育にはバラツキが出ますが、それに肥料を与えて大きくしようという考えは無いんです。
 「自然農法」ということに感銘を受けて、それでやっています。

___ブルーベリーをお作りになってどのくらいになるんですか?

 この秋で、植えてから6年になります。

___その前は、ここはどういう土地だったんでしょう?

 祖父の代は、専業のみかん農家でした。それが暴落してしまって、父は農業をやらずにサラリーマンになって、みかんを切って杉を植えたんです。
 とりあえず杉にしてしまったけれど、それを販売する計画も無かったようで、そのままあまり管理されずに、20年間ここは杉山だったんです。
 僕も農業をやるつもりはなかったんですが、いろいろな流れで、杉を切ってブルーベリーの畑にしました。

当たり前すぎて、気づかない


___「流れ」とおっしゃいますと?

 もともと絵と音楽が好きで、油絵を志したんですが、美大に落ちたり体調を崩したりして、それで自分の住んでいる土地の豊かさに気づいたんです。

___では「農園」ではなくて「アトリエ」という発想もお有りだったのでは?

 そうなんです。だから、農園でコンサートとか、農業と芸術の融合という考えで進んで来たんです。そのときに、この「村」というものの興味を探っていくと、見過ごしていた歴史に気づいたんです。
 やはり自分にとっては、ウチから出た土偶ですし、当たり前過ぎてボヤケていたんですが、去年の農園祭で土偶の見学会をやったら、かなり皆さん衝撃を受けて、そうした周りの人たちの感動やお話を聞いて、「あぁ面白い土地だったんだ」と思うようになりました。

___なるほど。生まれ育ってしまうと有難味がない。。

 そうなんですよね。
 絵を志して半年くらい都会で暮らしていたんですが、緑の無い中であまりに息苦しくて、こちらへ戻って来てスゴく「気」があることに吃驚してしまいました。
 ずっと住んでいると当たり前過ぎて感じないんですが、外へ出てみると自分の住んでいる所の「気」を感じるんですね。

里山


___今日は曇っていますが、ここの空気は豊かで濃いですね。久しぶりに土の道を歩いてここまで来ましたが、土が柔らかくてフワフワしていました。

 うん、やはり自然の生態系が生きているんでしょうね。
 公園などの土は、草を排除して踏み固められていますが、今歩いて来た雑木林や畑の中は、草の根が土を耕して、虫も生きているし。

___里山に見える風景というものは全部人間の手が入っている、ということを読んだことがあります。

 そうですね。特に水田や雑木林。ウチの雑木林も、人の手が入らないと竹が覆ってしまって歩けなくなってしまう。
 雑木林の心地よい空間は、人が落ち葉掻きをしたり下草を刈ったりして管理をしている。20年毎に木を切ったり、下草を掻いて堆肥にしたり、人の手が入って里山の環境が保たれていた。

___じゃぁ、ここから見える風景は、まだ自然と人との交流がなされている。

 まだ辛うじて皆さん水田をやってますから、美しい風景がずっと続いてくれれば良いですね。

___20年間放置された杉林から畑に戻すには、苦労が大きかったのでは?

 最初は、切らなくちゃいけないということで、チェーンソーで。何百本あったんですかねぇ、、(笑)
 その時は、私自身、自然の生態系を活かした「自然農法」という理想はあっても、実際に何を栽培するかというのは頭に無かったんです。ただ切っていた。(笑)
 そうしたら、今まで真っ暗だったのが広がってきて、だんだんこの景観が広がってきたんです。それで、切っている途中もいろいろな人を招いてお見せしたら、皆さん喜んで、ずっと一日居たりするんです。
 それで、「無農薬」ということもありながら「人が来れる所」にしたい、という2つが芽生えたんです。そうしてブルーベリーの摘み取り園ということになったんです。
(つづく)



17:50:00 | milkyshadows | |