14 September

ものづくりの骨格

artist file "tanebito" [Archives #8] 
安藤 和夫 さん(創作家具 /安藤工房


___安藤さんは、伝統的な技法で家具を作ってらっしゃいます。

 「伝統」を学びたい、ということがスタートにはあります。でも、それは目的ではなくて、自分が届きたいことの道すがらに「伝統」というものがあって、それを避けて行く訳にはいかないので勉強している、ということです。
 造形を欲するというのは、大げさに言えば、一人の人生の中で人類史を再現するようなことだと思うんです。「ものづくり」という仕事はそれをやらなきゃいけないと思っています。
 こういう仕事をしていると、よくオタクだと思われるんですが、オタクには家具は作れない。「ものづくり」には、オタクくらいの熱量の高さは必要だけど、クールに全体を見渡せる力がないと、特に家具は作れない。何故かと言うと、人が使うものだから。
 そういう、家具という仕掛けが面白くて家具屋になったんです。その中に芸術的な要素があるとしても、そんなものは客の側が求めていなかったりもする訳です。(笑)だから僕は、自分らしさというものを削いでいく仕事をずっとやってきた。独立してから22年、ずっと引き算の旅をしてきました。

___「引き算の旅」?

 辛いけど必要なことだったので、行かざるを得なかった。逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。
 見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。「個性」とは、デコレーションを付けるように作り出すものではなくて、削いで行って削いで行って、それでも滲み出てしまうもの、隠れようがなかったものがあるとしたら、それが「個性」なのだという捉え方なんです。
 「もの」を作るということは、そのことによって生活に大きな影響を与える。極端に言うと、生活を規定してしまう。
 資本主義の社会では、「もの」をどんどん新しく作ることで欲望を喚起して、欲望までも作り出して経済をまわして行く。「引き算」は絶対にしない。それが今の時代です。「引き算」であるはずの「エコ」ですら、「エコ」という着物を着せることで売れるから「足し算」に使われている。
 こんな時代に、もの作りで思想的に提案するとしたら、作ることを止めてしまうしか無い。そうもいかないので、パラドックスですが、「もの」を作ることによって「もの」を否定して行くことを考えています。
 いつの時代もそうですが、僕は根源的な所へ戻って仕事をしたいと思う立場なので、骨格がきちんと在った上での装飾が美しいと思っています。でも、怪しいものも大好きですが。(笑)


___家具の製作は、クライアントさんの依頼を受けてなさっているのですね。

 今、僕はふたつの役割を演じています。
 ひとつは「注文家具屋」という側面。 それは、例えばお客さんの「こんな機能が欲しい」とか「こんな棚が欲しい」というような要望を、プロとして、プロの技術でそれを実現してあげる。
 でも「注文家具屋」ということだけだと、様々な制約から、どうしても欲求不満になってくるんです。その部分を僕からの提案ということにして、「作家」として時間割を作っています。

___クライアントさんとの間には、かなり濃密なコミュニケーションが必要ですね。

 そうです。相当な想像力が必要ですね。
 僕に注文をくださったということは、戦いを挑んできたわけですから。 過酷ですよね。(笑)

___その戦いは、やはりチャレンジングですか?

 それはクライアントに対してのチャレンジではなくて、「時代」に対してのチャレンジですね。
 クライアントと僕とは、共同製作だと思っています。それは、「未来」に対しての共同製作です。「何がこの時代なのか?」と自問自答しながら、「この時代が作った」という骨格のものが作れたら良いと思うんです。
 日本は、「手」の文化だと思います。「器物百年を経て精霊を宿す」という言葉があるように、手で使い込んでいくことによって物を育てる。手で磨き出していく。器物を100年使い込むことで、確実に別のステージのものになっていくんです。だからこそ、作る側は心して作らないといけない。


___そうやって「木」を見ていくと、語りかけてくるような気がします。

 「木」の方が明らかに僕たちより長生きしている訳ですから、樹齢数百年の木を伐るということは大変なことなんです。
 あたりまえのことですが、木は生き物だったということです。地球の一部であった木の、体を使わせてもらっているのだとしたら、その命の長さ、その命の量、それに対して僕はどういう仕事が有効なんだろうかとバランスを考えるようになりました。 少なくとも、感謝と悲しみをもってその「いのち」をいただくことはとても大事だと思うんです。
 そうすると物量としてはなるべく使わない方が良いのですが、 そこは、人間が最低限の量の仕事をすれば良い。量的には最低限、質的には最高の仕事です。ひとつひとつのものを丹誠込めて、未来に対する届け物のようなつもりで作っています。

___素材としての「木」には、安藤さんにとってはどんな魅力がありますか?

 「木」は素材ではなくてパートナーなんです。
 命は有限で、人間だけが死を悲しむ。人間は、そこに明らかに自然とは違う時間軸を見ているんだと思うんです。だから「永遠」という概念が生まれた。それを僕は形にしたい。「祈り」に近くなりますが、木の教えてくれることにどれだけ耳をそばだてられるかということを、自分の仕事にして行きたいと思っています。そうすると、木がなろうとしている形が何となく分かってくる。
 木の家具の注文を下さる方は「木って良いですね」と必ず言う。木を「自然」への入り口として、そこから「自然」を見ているんだと思います。ですから、僕はなるべく素性の分かる「木」を使って、「木」のストーリーを必ず語るようにしています。「木」に触ってもらって、「木」のエネルギーとその方とが何か響き合ったならば、それは素材を超えるんです。
 そこへ僕が技術をもって、「木」を器物に置き換える。それは、器物に置き換えた「いのち」なんです。使う方は、例えばテーブルという機能として使うのでしょうが、それは「いのち」をいただいている訳なんです。生活の中で「自然」を自分の傍に置いて、そこから大きなエネルギーをもらって行くのだと思います。そうして、大きなストーリーの中で、新しい1ページがそこへ加わって行く。その中のどこに自分はいるのか、ということだと思うんです。
 人間の自然観なんて、大したものじゃない。「自然」と言いながら、相当に不自然なことをしているんです。だから僕は、個人の為だけに作るのではなくて、その先にあるものの為に作っているんです。



20:00:00 | milkyshadows | |

14 October

自然から教わること

artist file "tanebito" #08 [4/4] 
安藤 和夫 さん(創作家具 / 安藤工房

僕は頭デッカチでスタートして、
ようやく自然から教わるバランスの方が増えてきました。


 日本は、「手」の文化だと思います。「器物百年を経て精霊を宿す」という言葉があるように、手で使い込んでいくことによって物を育てる。手で磨き出していく。器物を100年使い込むことで、確実に別のステージのものになっていくんです。だからこそ、作る側は心して作らないといけない。

___そうやって「木」を見ていくと、語りかけてくるような気がします。

 だから、二度と同じものが無いんです。
 木の材質の違いはデータとしてはありますが、人間が二人として同じ人がいないように、二本として同じ木はないんです。同じ楢の木でも北と南では違うし、その木が育った環境によって、いつまでも狂いが抜けない木もある。
 「木が狂う」という言い方がありますが、それは木が狂うのではなくて、作った人間の予想が裏切られたから木のせいにして「狂った」と言っているんです。木は自然の原理原則に則って正確に動いただけのことで、狂ったのは人間の方なんです。

___それは地球環境の問題にも言えますね。

 その通りですね。環境問題については、人間が無茶をしてインパクトを与えていることは確かです。
 けれどもっと大きな視点から見れば、これが自然なんだという意見もある。そう言ってしまうと、何もしないで良いのでは、となってしまうので採用しないようにしていますが。(笑)
 でも、やっぱり原子力は止した方が良いですよね、どう考えても。コントロール出来ると思う方が傲慢です。想定しても対処出来ないのが人間なのに、想定外などと言われても困るよね。(笑)

___そう考えると、いろいろな意味で謙虚にならざるを得ませんね。

 そうですね。木を毎日触っていられる仕事はありがたいことです。
 僕は思想信条から始まって、自分探しをして、ものづくりの道へ入った。頭デッカチでスタートして、ようやく自然から教わるバランスの方が増えてきました。


人間の自然観なんて、大したものじゃない。
「自然」と言いながら、相当に不自然なことをしているんです。


 木は、丸く生えているものですよね。それを平らに削ってテーブルにしたりする。僕たちが見ている木目というのは、いわば断面なんですね。断面を撫で擦って「木は良いね」などと言っている。これは人間に置き換えたら相当怖い。例えば、腕の断面を切って「あぁ、血管のありどころが良いね」とか、そういうことをしているんです。(笑) 
 人間の自然観なんて、大したものじゃない。「自然」と言いながら、相当に不自然なことをしているんです。木は「そっとしておいて欲しかった」と言っているかもしれない。
 とは言え、そこは、人間が最低限の量の仕事をすれば良い。量的には最低限、質的には最高の仕事です。ひとつひとつのものを丹誠込めて、未来に対する届け物のようなつもりで作ってゆく。
 だから僕は、個人の為だけに作るのではなくて、その先にあるものの為に作っているんです。

日本の国土や風土が持っている潜在的な力はとても大きい。
放っておけば草で覆われてしまう国なんて、そうそうある訳じゃない。


___今の社会は、何かにつけ過剰になっています。木を使って作品をつくるためには木を切らなくてはいけませんが、適正な分量というのはどう判断していったら良いでしょうか?

 日本の国土や風土が持っている潜在的な力はとても大きい。そのことを、もっと知るべきなのでしょう。それを知ったうえでないと、適切な量というのは出てこないと思います。
 だって僕たちの国では、お百姓さんの仕事の何割かは雑草を取ることなんです。雑草だって命ですから、大地にあらかじめ力があるということなんです。放っておけば草で覆われてしまう国なんて、そうそうある訳じゃない。外国では、大変な思いをして土を作ることから始めて砂漠の緑化をしたりしている。
 こんな豊かな自然背景を持っている国ですから、 自給自足が基本だと思うんです。 それが出来る国なのに、今、僕たちは、どこから来たか素性の分からない食べ物を食べたりしています。それも、国を越えている。食糧の自給率のこれほど低い国は無いくらいです。しかもそれは、そうせざるを得なかったのではなくて、国策としてそうして来た。これはヤバいと僕は思う。
 世界的な貿易の均衡の中で必要のないものを無理やり買わされたり、商取引きの為の経済操作が主になっている。輸入ありきでの結果、 安く手に入ってしまって仕方ないからそれを食べている。
 僕たち日本人は「本当に必要なものを食べようとしているのか?」ということさえも、今まで自分たちで積極的に考えたことがないのではないかと思うんです。 お国にあてがわれたり、テレビのご託宣を文化だと思ってきた。制度もそう。食べ物もそう。 「どういう生活をしたいのか? どうやって暮らしたいのか?」というビジョンを作らなくちゃいけない。
 衣食住のうち食べることは分かりやすい部分なので、まずは自給のための必要量を把握して保証することから始めて、それから他のものへ拡大して行ったら良いと思います。それぞれの職業の人がそれをやってくれたら良いと思うんです。
 人類の歴史の中で、お腹がいっぱいになった時代なんて今が初めてなんです。だとしたら、もう少し高邁なことを考えても良いんじゃないかな。(笑)
 そういう時代なのかな。

思想はどこにあるのかと言ったら、
それを僕たちは作らなきゃいけない。


 例えば、日本で消費するコットンの99.9%は輸入しています。でも、日本で人件費をかけてオーガニックのコットンを作ったら、Tシャツが何万円の値段になってしまう。そうすると、いきなり自給へ転換することは無理だとしても、アイデアとして思想があるのなら、僕は可能だと思っています。そのための思想はどこにあるのかと言ったら、それを僕たちは作らなきゃいけない。
 「自分は何を食べたいのだろう?」「何を着たいのだろう?」「どういう所に住みたいのだろう?」「どういう生活が良いと思うのか?」「どういうコミュニケーションがありがたいと思うのか?」そういうことを一人一人が考えていかないと、必要な形が提案出来ないと思うんです。
 何の職業を択ぼうが、一人では生きていけないのが人間です。そうすると、自分が思うことがあっても社会の側にシステムが用意されていないと、結局、居場所がなくなるんです。その時にどうするのか、ということなんです。戦うのか、力を持って革命を起こすのか、あるいは逃げ出してコミューンをつくるのか。アメリカくらい広いと、砂漠の真ん中で自分たちのコミュニティをつくっても成り立ちますが、日本は狭いので、そうも行かない。
 「コミュニティの再生」ということがよく言われますが、そう言われて田舎に帰れるかと言ったら、みんなコミュニティのしがらみが嫌で都会に出て来た訳なんです。同質性を前提として、異質なものを受け入れないのが日本の農村社会だったんです。これは、世界に出たら通用しない考え方ですよね。アメリカの凄いところは、最初から他者を前提として国をつくろうとしているところでしょう。では、対案をして何を持ってくるのかということになりますが、急にまた疑似「村」をつくってもダメなんです。
 コミュニティには、具体的な経済圏などを一にする「エリアコミュニティ」と、関心事で繋がる「テーマコミュニティ」とがあります。昔は、エリアとテーマが一致していた。現代では、ひとつの地域に住みながらも、経済圏もテーマもバラバラな社会です。だから、両方を上手に考えていかないといけない。他者を前提をするということは、自分が考えもしないような思想や生き方を内包していけるような想像力をどれだけ持てるか、ということなんだと思うんです。日本の国は、想像力がなさ過ぎですよね。異質なものが怖いから排除する。だから崩壊し始めているんです。豊かさとは何なのか、という概念が間違っているんでしょうね。

「稲作」は、大きな側面を持っていると思います。


 「稲作」は、大きな側面を持っていると思います。
 今まで「保守」という考え方でここまでの国が出来てきましたが、それはさっき言ったように、潜在的に大地の力があったからなんです。そうすると、日本という国をつくるときに、圧倒的な大きさで「稲作」というものがベースにあるということが分かる訳です。
 僕が稲作の時間割を自分の体の中に入れよてみようと思ったのは、それが知りたかったからなんです。
木を使う仕事をして、自然のことをしゃべることは出来ても、自分の中は近代西洋の時間割のまま生きていたんです。だから、畑ではなくて稲作をやりたかった。畑は一人でも出来るし、プランターでも出来る。植物を育てることと稲作は全く違う。そうして稲作をやり始めて8年目になります。
 縄文時代は稲作をやっていなくて狩猟採集の生活で、弥生時代になって稲作が入ったと言われていますが、重要なことは、縄文以前の古い時代には他殺体が出ていないそうなんです。稲作以降、他殺体が出てくる。なぜかと言うと、狩猟採集の時代は人が獲物を求めて移動していくので、テリトリーという意識がそれほど大きくないんです。みんなが共有する財産として自然があった。もちろん、シビアにならなくても生きていけるほど自然が潤沢だったこともあるでしょう。それが稲作へ移行していくと、これは「今撒いた種が何ヶ月後かに収穫される」というような抽象的な概念を信じなくては出来ない訳なんです。約束事をみんなが守って、「ここは私が植えた所です」とお互いに認めあうことの出来る、発展した社会でなければあり得ないことです。同時にそれは、大地に線を引くことになっていく。結果、戦いを生んでいく。
 僕は農業や稲作自体を否定したくはないのですが、稲作がテリトリーという概念を生んだとすると、それを全面的に受け入れて良いものか迷っています。これから先は、みんなが腑に落ちる形で、人と人とが高度に保証し合って契約を結んでいけるような時代を、どうやって提案し実現していけるのかということになるだろうと思います。

___「高度な約束事」とは、どういうビジョンなのでしょう?

 例えば、人によってご飯を食べる量は違いますから、社会主義的に一人当たり一合の配給というようなやり方では生産意欲が湧いてこないと思うんです。その対案として、みんなが平等に暮らしていくための分配の仕方と、社会を成り立たせていくための所有のあり方というものを、かなり高度に綿密に想像しないといけないだろうと思います。
 具体的なビジョンはありませんが、少なくとも、「所有」という概念は相当取り払って「共有」ということにしていかなくてはならないでしょうね。でも、自分だけの大切なものはある訳ですから、それを無視する訳にはいかないでしょう。
 そんなことが人間に出来るかどうか分かりませんが、アイデアは出していかなくてはいけないと思っています。


18:00:00 | milkyshadows | |

07 October

木のストーリー

artist file "tanebito" #08 [3/4] 
安藤 和夫 さん(創作家具 / 安藤工房

神代木

___「神代木(じんだいぼく)」で作品をつくってらっしゃいますね。

 「埋もれ木」とも言いますが、神の代から伝わるほどのタイムスケールのものを特別に「神代木」と呼んでいます。その木が欅なら「神代欅」、杉だったら「神代杉」と言います。
 お見せした作品は、北海道のエルムツリー/楡の木で「神代楡」です。神代木の中でも、神代楡にだけ現れる特殊な木目があって、その木目を出すことを積極的にやっていったら、ひとつの形が生まれてきました。
 箱根辺りでは、よく神代杉が出ます。杉の木が多く生えているし、火山もあるので、火山灰土に埋もれて神代杉になる可能性が大きいんです。

___相当な時間、埋もれていたんですね。

 1,000年から8,000年と言われています。

___8,000年ですか! それでも木は腐らないんですか?

 古代から木簡が出ることもあるでしょう? 環境によるんです。火山灰土は強アルカリですし、水に浸かっていたから腐らなかったということもある。
 奇跡的に大丈夫だったものが神代木として残っているので、全部が丸ごと使える訳ではないんです。しかも、樹脂分が完全に抜けてしまっている場合が多いので、相当難しいし、仕事としてはリスキーなんです。木の性が無くなっていてポックリ折れしやすいので、細い足の椅子などには向かないし、広い面積が無傷で平らな状態のものも少ないのでテーブルになることも少ないし、精密な仕事にも向かないので指物にもならない。僕も今までは、お茶道具のように小さなものに使われているものしか見たことがなかった。

厨子


___その神代木で「お厨子」というシリーズを創作なさった。

 「厨子」という概念にいたるまでに、10年以上の過程がありました。
 そもそも小田原の材木屋でたまたま神代木を見つけて、それを桟積みして枯らして持っていたんです。でも、不思議な色をしているし、それを何に使えば良いのかピンと来なかった。
 それと並行して、お仏壇を作る仕事がたまに入っていたんです。仰々しい仏壇はインテリアにも合わないし嫌がられる方が多かったり、日本だとクリスチャンでも便宜上お位牌があったりする。それで、仏壇ではなく故人の遺品を納めるメモリアルボックスとして、ゴシック風デザインの違い棚を作ったことがあって、すごく喜ばれた。亡くなった方に特定の宗教宗派があるにせよないにせよ、人間には宗教心というものはあるのだと思います。その時に、「手を合わす対象としての箱」を作ろうと思ったんです。
 どの様式でも、そこに付ける金物だとか脚や天板の形で様々に変わるだけで、基本形は「箱」なんです。装飾としての要素を取り払えば、ミニマムな「箱」になる。だから、最低限の「箱」を神代木で作ろうと思ったんです。この神の代から伝わる神代木こそが、聖なるものを入れるには相応しいと気づいた訳です。この木の持っている精神性だけで「箱」が作れないだろうか、と思ったのがスタートです。
 僕は楡の神代木を使いますが、その特殊な木目を出すために削って行ったらカーブになった。そのカーブは、図面に描いたデザインを木にあてがって造形するのとは逆で、木目からスタートしたデザインなんです。そういう仕事で「厨子」というシリーズを作って行ったんです。
 去年の個展の時には、それだけではストイック過ぎて説得力が無いので、金物と七宝の力を借りてワンランク上のものを作りました。

___先ほど見せていただいた作品ですね。

 銀製の金物は、佐土玲子先生の作品です。工芸会でご一緒で、いつか先生にお願いしたいとずっと思っていました。奈良県明日香村にお住まいで、天平時代の紋様のものを多く作られています。日本の、ゆったりとした時間が流れていたであろう時代の紋様がとても上手な方です。
 プレートの七宝は、皆さんがご存知の近代七宝ではなくて、上沼緋佐子先生の泥釉七宝です。七宝はガラス質の粉をプレートの上に並べてオーブンで焼いたものですが、近代は製錬技術や化学技術が発展したために発色が純粋でクリアになり過ぎて、プラスチックみたいでつまらなくなってしまっているんです。上沼先生は、文化庁の調査研究で古代七宝に携わったのがキッカケで、その魅力に取り憑かれたそうです。古代七宝は、つまり不純物が多く含まれているので、独特の深みというか独特の混ざり物があるのでしょうね。鋳物や焼物のような風合いがあって、質感の高いものです。
 神代木を寝かせていたこと。箱を作りたいと思っていたこと。その箱に、聖なる概念をつけて行ったこと。そして、金工と七宝の先生と出逢っていたこと。それらを自分の中でプロデュースして出来上がったものが「厨子」だったんです。

「木」は素材ではなくてパートナーなんです。


___素材としての「木」には、安藤さんにとってはどんな魅力がありますか?

 「木」は素材ではなくてパートナーなんです。「木」の方が明らかに僕たちより長生きしている訳ですから、樹齢数百年の木を伐るということは大変なことなんです。
 若い頃は、自分の思想や造形原理の方が先ず前提としてあって、それからそれに適した素材を探すという順番でした。それが、「木」というものに日々接していると、木の凄さ、計り知れなさにだんだんと長年かかって惹かれてきたんです。それは、他に言いようがないのですが、木の持っている「いのち」みたいなものなのでしょう。
 あたりまえのことですが、木は生き物だったということです。木は、ひとつの生命体として地球上に生えていた。その時は大きく枝を張って、葉が繁って、そこには鳥が飛んで来ただろうし虫も来た。たくさんの生命の循環の中で、大きな存在として木はあったんだろうなぁ、と。
 それは知っていたことですが、腑に落ちないまま仕事していたんでしょうね。技術を覚え、独立をし、「木」を手に入れて、でも僕は何を作ったら良いんだろう、と。
 そうして迷っている中で、「ネイティブ」と呼ばれている人達に出逢って、特にアイヌの人達の文化に徐々に接していったんです。ものを作ることに対して迷っていたことの答えは、そこから見つかりました。

___アイヌ、、

 彼らは、木や生き物や、たくさんのことの循環の中で生きていたんです。その「サスティナビリティ」という概念を自分の中に入れたら、ストンと腑に落ちたんです。
 当時は高度経済成長の中で、まだ「エコ」という概念はあっても言葉にはなっていなくて、「サスティナビリティ/持続可能性」という対案も提示される前でした。「使い捨て」に対して警鐘をならす人達もたくさんいたし、僕もその側にいたのですが、それが自分の仕事とダイレクトに結びついて来るとは、その時はまだ思っていませんでした。

木の体を使わせてもらっているのだとしたら、
その命の長さ、その命の量、
それに対して僕はどういう仕事が有効なんだろうか?


 具体的に結びついたのは、インドネシアやフィリピンから来る熱帯雨林材の最大消費国が日本だったということでした。今で言う「フェアトレード」で、そのことで現地の人達の生活や文化を支えているのなら良いけれど、調べてみるとそうではなかった。そういう話を聞いていくと、僕たちが消費するものがどこから来ているか知らないということは罪だと思い始めたんです。それで、消費者が消費しなければ循環は止まる、つまり熱帯雨林を伐ることを止められるかも知れないと思って、僕は「熱帯雨林材は使いません」とキャンペーンのように積極的に言い出したんです。そんなことを言う木工屋は全然いなかったのですが、僕は取材されたり発言する機会が多かった。
 それまでは、経済の仕組みの中で、お金さえ払えば「木」は無尽蔵に手に入ってどんな加工をしても構わなかった。でも、地球の一部であった木の、体を使わせてもらっているのだとしたら、その命の長さ、その命の量、それに対して僕はどういう仕事が有効なんだろうかとバランスを考えるようになりました。
 そうすると物量としてはなるべく使わない方が良いのですが、自然に対して何らかのインパクトを与えないと存在出来ないのが人間ですから、少なくとも、感謝と悲しみをもってその「いのち」をいただくことはとても大事だと思うんです。例えば一匹の豚を屠殺して食べるとしたら、その悲しみまで自分のエネルギー源にして行かなくてはいけない。食べ物だけではなくて、「木」を使うことも同じだと僕は思っています。

僕はなるべく素性の分かる木を使って、
木のストーリーを必ず語るようにしています。


 命は有限で、人間だけが死を悲しむ。人間は、そこに明らかに自然とは違う時間軸を見ているんだと思うんです。だから「永遠」という概念が生まれた。それを僕は形にしたい。
 「祈り」に近くなりますが、木の教えてくれることにどれだけ耳をそばだてられるかということを、自分の仕事にして行きたいと思っています。そうすると、木がなろうとしている形が何となく分かってくる。
 木の家具の注文を下さる方は「木って良いですね」と必ず言う。木を「自然」への入り口として、そこから「自然」を見ているんだと思います。
 ですから、僕はなるべく素性の分かる「木」を使って、「木」のストーリーを必ず語るようにしています。「木」に触ってもらって、「木」のエネルギーとその方とが何か響き合ったならば、それは素材を超えるんです。
 そこへ僕が技術をもって、「木」を器物に置き換える。それは、器物に置き換えた「いのち」なんです。使う方は、例えばテーブルという機能として使うのでしょうが、それは「いのち」をいただいている訳なんです。生活の中で「自然」を自分の傍に置いて、そこから大きなエネルギーをもらって行くのだと思います。そうして、大きなストーリーの中で、新しい1ページがそこへ加わって行く。その中のどこに自分はいるのか、ということだと思うんです。
(つづく)


18:00:00 | milkyshadows | |

30 September

時代をつくる骨格

artist file "tanebito" #08 [2/4] 
安藤 和夫 さん(創作家具 / 安藤工房

僕は「作家」とか「職人」とか未整理なままなんです。
これから答えを出していかなきゃいけない。


___安藤さんは、クライアントさんの依頼で家具を製作なさっているのですね。

 今、僕はふたつの役割を演じています。
 ひとつは「注文家具屋」という側面。でも、「注文家具屋」ということだけだと、どうしても欲求不満になってくるんです。納期の問題、趣味の問題、いろいろことが制約になる。その部分を、僕からの提案ということにして、そこを「作家」として時間割を作っています。それは、自己表現/自己発言の為にやっているので、売れようが売れまいが関係ない。そんな風に、自分の中で役割分担をして二重人格をつくっています。(笑)
 去年、初めて個展をやったので、僕は「作家」とか「職人」とか未整理なままなんです。これから答えを出していかなきゃいけない。
 修行中は、すぐにでも個展をやるようなスタイルにしたいと思っていたんです。でも「作家」として作品を出していくことに疑問があって、その疑問を整理するために「注文家具屋」として生きていこうと思った。たった一人で社会を相手にして行くというのが「作家」だとしたら、そうではなくて社会の中の「構成員」として暮らしていく、家具を作る技術を持った一社会人としてエリアの中に埋没して行くということでも良いな、と思ったんです。それは、例えばお客さんの「こんな機能が欲しい」とか「こんな棚が欲しい」というような要望を、プロとして、プロの技術でそれを実現してあげる。そういうことを仕事にしてきました。

クライアントと僕とは、共同製作だと思っています。
それは、「未来」に対しての共同製作です。


___その為には、クライアントさんとの間に、かなり濃密なコミュニケーションが必要ですね。

 そうです。相当な想像力が必要ですね。
 お客さんはプロではないですから、100%の要望は言えていないと思うんです。完成して納めた家具がお客さまの「思った通り」だったとしたら、その人は満足しないんです。思ったものを越えなきゃダメ。要望を越えた時に、初めてお客さんは手放しで喜ぶんですね。そうするとお客さんは感動して、過呼吸になるのが分かる。(笑)
 その為には、その人の持っている経済力、センス、なりたいであろう所、そこまで読み取った上で、かなり想像しなきゃいけない。判断しなきゃいけない。そうすると、当然だけど、よく勉強しなきゃいけない。少なくとも、僕に注文をくださったということは、戦いを挑んできたわけですから。(笑)
 過酷ですよね。

___クライアントとの戦いというのは、やはりチャレンジングですか?

 それはクライアントに対してのチャレンジではなくて、「時代」に対してのチャレンジですね。
 クライアントと僕とは、共同製作だと思っています。それは、「未来」に対しての共同製作です。「この時代が作った」という骨格のものが作れたら良いと思うんです。
 「何がこの時代なのか?」と自問自答しながら、それも学んでいく。そしてその答えは、学んだことを付け加えるのではなくて、削ぎ落として行った時に出て来るんだと思います。

朝鮮李朝の家具や焼物が好きなんです。
あの時代に生きていた人たちは、余程豊かな心を持っていたという気がする。
だとしたら、その豊かさこそ、自分のものにしたい。


 朝鮮李朝の家具や焼物が好きなんです。独特の歪みというか、ヘタウマの世界なんですね。今の日本人が作るのはもっとシャープで完璧な形ですが、どちらかと言うとひしゃげていたりする。最初、焼物はなんとなく惹かれていたのですが、家具は許せなかった。若くて、良さが分からなかった。「下手じゃん」って。(笑)
 若い頃、僕は上手でシャープなものが作れたんですが、魅力がなかった。そこの差ですよね。それが、自分なりの答えが見つかって来たんです。
 例えば、李朝の茶碗に、僕には許せない鈍い曲線があるとします。日本人は器用ですから、完成度の高いものを上手なものと思う節があるのですが、当時それで成り立っていたということは、作り手だけでなくて受け手がいた、ということなんです。つまり、その鈍い茶碗をお金を出して買って使った人達がいる、ということです。
 そこにどういう会話があったのかを想像すると、作る側は「まぁこのくらいでいいでしょ」「ここで終わっていいや」と思える人たちがいた。頼んだ側も「あぁ充分だよ」「それも良いね」と受け取ったんでしょう。現代人はどうかと言えば、作る側は「まだ私の線が出ないから待って下さい」とこねくり回したあげく、頼んだ側は「いや、これは違う」とか言って返してしまう。
 どちらの時代が良いかと考えた時に、僕はひとつの答えが見つかったんです。どう考えても、李朝の時代のゆったりとした空気感の方が、現代よりも豊かだったと思うんです。あの時代に生きていた人たちは、余程豊かな心を持っていたという気がする。
 だとしたら、その豊かさこそ、自分のものにしたいと考えたんです。普段から何を食べて何を楽しむか、李朝の時代に行ったような生活をして、そういうゆったりした時間割の中に自分を置いたらゆったりしたものが作れるのかな、と思った。向上心で切磋琢磨して、自分をキリキリと締め上げて、その中で出て来たものは良くも悪くも緊張感を漂わせてしまう。それを否定はしないけれど、僕の求めるものはそうではない。僕の作ったものを持ってくれた人が、「あぁ、ゆったりと豊かな気持ちになった」と言ってくれたら、それが理想なんです。

「もの」を作ることによって「もの」を否定して行くことを考えています。


 「もの」を作るということは、そのことによって生活にかなりの影響を与える。極端に言うと、生活を規定してしまう。どんなものが必要なのかを、作り手がプレゼンテーションする訳ですから。
 資本主義の社会では、「もの」をどんどん新しく作ることで欲望を喚起して、欲望までも作り出して経済をまわして行く。「引き算」は絶対にしない。それが今の時代。「引き算」であるはずの「エコ」ですら、「エコ」という着物を着せることで売れるから「足し算」に使われている。こんな時代に、もの作りで思想的に提案するとしたら、作ることを止めてしまうしか無い。(笑)
 そうもいかないので、パラドックスですが、「もの」を作ることによって「もの」を否定して行くことを考えています。
 絵でも音楽でも、芸術や表現はすべてそうですが、「もの」には先ず骨格があって、そこに豊かな肉がつく。そこに皮膚がついてお化粧をしたら、キレイなんです。ところが、今ほとんどの表現者がしていることは、お化粧の技術に精通することであったり、新しい装いの服を選ぶことに躍起になるばかりで、肉や骨格をきちんと作ることに届いている表現者は非常に少ない。僕は、お化粧をしなくても良い骨格を作りたい。家具の場合は、「構成」そのものです
 そういう最低限のミニマムな仕事に憧れていて、贅肉をどこまでも削ぎ落として、物理的にこれ以上削ったら倒れちゃうという所まで僕はやっちゃった。(笑)それは李朝の家具とは正反対にカミソリの刃のようで、人は怖くて触れない。構造的に限界まで行ったので、少し肉をつけても良いかな、と思い始めたのがここ数年のことです。本当はお化粧をしたくて仕方なかったのですが、その為にこそ、きちんとした骨格や健康な肌を作りさえすれば、粉を一掃けするだけでキレイになる。それが、僕にとっての「引き算」なんです。

僕は根源的な所へ戻って仕事をしたいと思う立場なので、
骨格がきちんと在った上での装飾が美しいと思っています。


 その時代やその国の風土によって、自然の見取り方って違うと思うんです。
 ギリシャ/ローマの時代、天と地を繋ぐものとして、彼らには大理石があったのでそれを柱頭として立てた。そこに屋根を乗せたら美しかった。人間はそこまで作るのに何世代もかかったはずだから、それは感動したと思うんです。そうすると、その柱と屋根の接地点には、大きなエネルギーが内在していることが見えただろうと思うんです。その時初めて、それを記念するため表現するために、その工人は(同時に彼は芸術家であり哲学者でありエンジニアであった訳ですが)そこに装飾を付け加えて行ったんです。その時代の柱頭飾りは、その時代の人たちが見たエネルギーの形なんだと僕は思います。純粋に力学的な形が最初にあって、そこに何らかの一筆が加わって装飾が興って行く。
 そういう風に、人間は何かを発見して自分のものにして行く。その上で、より豊かさをそこに付け加えて行く。そして発展して行く。発展して行くと何が起こるかと言うと、本来構造として必要だったことを忘れて装飾過多になって行って、癌細胞のように増殖して独立し始める。それが「バロック」という様式。
 いつの時代もそうですが、僕は根源的な所へ戻って仕事をしたいと思う立場なので、骨格がきちんと在った上での装飾が美しいと思っています。でも、怪しいものも大好きですが。(笑)
(つづく)


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23 September

「伝統」と「個性」

artist file "tanebito" #08 [1/4] 
安藤 和夫 さん(創作家具 / 安藤工房

僕は、椅子が好きなんですよ。
料理と椅子に狂っていた。


___安藤さんは、伝統的な技法で家具を作ってらっしゃいます。

 「伝統」を学びたい、ということがスタートにはあります。でも、それは目的ではなくて、自分が届きたいことの道すがらに「伝統」というものがあって、それを避けて行く訳にはいかないので勉強している、ということです。
 そもそも横浜の元町で西洋のクラシック家具の修行から入っていますし、「日本の伝統を守ろう」とは思ってない。(笑)

___家具づくりに携わるキッカケはどういうことだったのですか?

 彫刻家になろうと思っていたんです。
 当時はバブル以前で、彫刻家で食える時代ではなかったんですね。今でもそうですが、彫刻家というのは、石を買ったり木を買ったり、場所も必要だし、お金がかかるんです。資産やインフラがないと続けられない。これは無理だからシャバに戻ろうということで、敗者復活戦ですね。(笑)
 僕は、椅子が好きなんですよ。彫刻の学校へ行っていた頃は、彫刻はあんまりやらないで椅子ばかり作っていました。椅子は実用ですから、これは堅気だなぁと思って、それで家具屋を探したんです。
 たまたま気に入った所を見つけたんですが、募集をしていなくて。それでも「給料いらないから」と言って入ったんです。くれましたけどね。働けば、僕は使えるので。(笑)

___そこは有名な工房だったんですか?

 普通の木工所だったんですが、社長がデザイナーで、オリジナル家具を作ろうとし始めていたところだったんですね。技術を持った職人さんは居たんですが、町の木工所と言ったら、ほとんどは店舗の内装などの仕事ばかりなんです。
 そこへちょうど出逢ったので、僕が彫刻やアートの経験があると言うので、面白がられて入れたんですね。

___その時には既に作品をお持ちだった。

 彫刻の作品は、いくつか写真を見せたりしました。
 でも期待されたことは、現代アートではなくて、もっと伝統的な仕事だったんです。僕の行った学校が、アートの為に「伝統」をキチンと勉強させる所だったんですね。
 その学校へ4年行ったんです。まぁ「在籍4年」と言った方がいいね。(笑)
 料理と椅子に狂っていた。

___お料理もなさるんですか!?

 あの頃はね。
 料理ってすごくクリエイティブな仕事でしょ。だから「レシピ」というのは嫌いで、創作ですから、大成功か大失敗。(笑)
 創作意欲があっても、何を作っていいか分からない人が多いですよね。だから、僕もそうだったんだろうね。何が自分に向いているかも分からないし、ただモヤモヤしたものがあるだけで、何をしていいのか分からない。

見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。
何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。
そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。


___創作の為のモチベーションには2つのケースがあると思います。自分の内側に材料がある場合と、外に豊富な材料がある場合と。安藤さんは、どちらでしたか?

 その時は、明快にどちらかがあった訳ではないですね。おそらく、そこから長い旅が始まるのでしょうが、最初から「自分の中に何かがある」という人はいないと思う。或は、あっても気がつかない。
 今ではよく、若い人が僕のところへ「こういう仕事がしたい」と言って来たりするのですが、それは、家具屋の職人として埋もれて行くためにこの仕事に就くのではなくて、「何か自分がやりたいこと」を家具という場で実現したい、ということなんです。彼らはつまり「作品発表」がしたいんですね。初めから「作家」を狙っているんです。その「表現の場」を探している。
 それで感じることは、「自分らしいもの / 他者と違う自分」を表現したい、と皆が思っているということです。でもそこで、そこに「個性」と呼ばれるものがあるのか、と問うことはとても大変な作業なんです。
 例えば僕が何かの作品を作って、「過去にこんなものは見たことが無い」という造形をしたとしましょう。それで自分は満足するんです。ところが彼らは、そこで満足が終わるのではなくて、それを他者に見せて、それに対して半数以上のオーディエンスが感動してくれることを求めている。「見たことも無いものをつくって、それに感動する」ということがどういうことなのか、それを考えていないんですね。

___なるほど、、

 見たことも無いものを見た時に、人は感動なんてしないんです。何かどこか、自分の中に響き合うものを感じた時に、それに惹かれるんです。そこにあるのは何かと言ったら、「個性」というよりは、「普遍性」の方なんです。
 世界にひとつ、誰も作ったことがないものを作りながら、尚かつ皆に分かって欲しい、というのが作る側の心理の中身なんです。
 そうすると、「際立って違う何か」が自分にはあるのか無いのか、という作業をしなきゃいけない。それを大概は、しないでいる。当然ですよね。若いうちは分からないから。「自分は人と違う」と、漠然とだけど、思っていたい。
 「自分は何なのか?」という教育もなく、それを問う環境にも出逢えないまま育って、でも大人になってしまったのだから「自分らしくありたい」と考える。そんな中で、例えば芸術作品に出逢った時に「どうも自分は人と反応の仕方が違うようだ」と感じるようなことがあると、そこで「それが自分かも知れない」と思い始める。それで尚かつ、自分が受け手というだけではなく、表現者として発信していくことが出来たらより幸せではないか、ということなんだろうと思います。
 そういうステップを踏めば分かりやすいのですが、そのステップを経ないまま悶々としている人が多いようです。それが「自我」であれ「自分らしさ」であれ、強迫観念のように押しつけられている。

僕は、自分らしさをいうものを削いでいく仕事をずっとやってきた。
逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。


 日本は開国以来、西洋の様々な概念の対訳として「自我」や「個性」という言葉をはじめ、たくさんの日本語を作ってきたけれど、まだまだ腑に落ちていないんです。東洋に「自我」がなかった訳ではないだろうけど、概念が違う。拠り所になる位置が全然違うんだと思うんです。
 日本で、鼓打ちの話があります。
 ある鼓打ちが、師匠について何年も鼓を打ち続けている。その弟子は、「どうしても師匠のように打てない」と言って悩むんです。師匠に打ち明けると、師匠は弟子の演奏を聴いて、こう言った。「それがお前なんだよ」
 つまり、正しい演奏というものがあるのではなくて、どうしてもズレてしまうところがあるとしたら、それが「個性」なんだということです。「個性」とは、デコレーションを付けるように作り出すものではなくて、削いで行って削いで行って、それでも滲み出てしまうもの、隠れようがなかったものがあるとしたら、それが「個性」なんだよ、という捉え方なんです。
 これは、日本の書や画には今でも引き継がれている考えです。古の書画の達人というのは人間として崇高な方だった訳で、その人が書いた書が素晴らしいということで、臨書(手本を見てそのとおりに書くこと)をする。つまり、到達した「高み」というのが、神話化された過去に予めあって、後世の僕たちは少しでもその「頂き」に近寄りたいと思って学ぶ訳です。
 西洋では、どちらかというと自分がクリエーターとして「創造主」の側に立つというパラノイア的な考えがあるので(笑)、スタート自体が違うんです。日本人には東洋的な感覚が残っているのに、西洋的な教育を受け、西洋的な食べ物を食べている。だから、誰かが筋道を立てて説明してくれないと、どうして良いのか分からないですよね。

___おっしゃる通りですね。

 だから、出そうと思って出て来るような「個性」なんて無いんです。「個性」だと思っていることがあるとしたら、ただ彼が不勉強で知らなかったりするだけなんです。
 僕も、若い頃ほど斬新な椅子を作っていました。今考えると恥ずかしくて消したいくらいのものばかり(笑)。知らなかったから作っていただけで、そんなのはとっくにアフリカにあったり、中国で作られていた。日本でも、開国後、大正期あたりに、一生懸命学んで切磋琢磨して、キッチュだと言われながらも作っては失敗して、その膨大な積み重ねの後に僕達が今いるんです。
 造形を欲するというのは、大げさに言えば、一人の人生の中で人類史を再現するようなことだと思うんです。それを近代史まで自分の中で経験して行くというのは、生半可なことじゃないのですが、「ものづくり」という仕事はそれをやらなきゃいけないと思っています。
 誰かに学べることがあるとしたら、例えばノコギリを使う技術とか西洋史の時間割とか、断片的な知識だけでしょう。ほとんどは自学自習で、回路を繋げていかなくちゃいけないんだと思うんです。そういうプロデューサーの役割を、自分にあてがっていかなくちゃいけない。
 こういう仕事をしていると、よくオタクだと思われるんですが、オタクには家具は作れない。「ものづくり」には、オタクくらいの熱量の高さは必要だけど、クールに全体を見渡せる力がないと、特に家具は作れない。何故かと言うと、人が使うものだから。
 そういう、家具という仕掛けが面白くて家具屋になったんですね。そのことによって、彫刻という何をやっても構わない世界から、納期や値段というシャバの制約が生まれた(笑)。その中に芸術的な要素があるとしても、そんなものは客の側が求めていなかったりもする訳です。だから僕は、自分らしさをいうものを削いでいく仕事をずっとやってきた。独立してから22年、ずっと引き算の旅をしてきました。

___その「引き算の旅」は、辛いことでしたか?

 辛いけど必要なことだったので、行かざるを得なかった。逆説的に、それが「自分探し」をすることになっていたのかも知れないですね。
 「個性」というものに対して疑いを持ったのがかなり早かったので、勉強をすればする程、いろいろな国で作られたものを見れば見る程、「あぁ、オレ、やること無いな」と思った。
 でも当時は、何が自分の心の中に起こっているのか整理が出来なくて、それを言葉にするまでには時間がかかりました。
(つづく)


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