Archive for 17 June 2007

17 June

川の流れの如く

artist file "tanebito" #03 [2/4] 
土屋 譲 さん(打楽器プレーヤー)


山で暮らす


___いつもドラムを演奏しながら何を考えてるんですか? 気持ち良さそうに叩いてますネ。

 考えてないですよ、何も(笑)。
 何かの為に演奏する、というのは有り得ないですね。僕は「自然」というのをテーマにしてる。ずぅっと遡って、人類がこの世に生まれる前に「自然」はあるわけですよ。海があって、山があって。人も自然に生かされている。それが僕にとっては一番の深い感覚なんです。
 僕自身、自然の中に行こうと思った時期があったんですよ。寄(やどろぎ)っていう所なんですが、そこで、山の中で暮らそうと思った。音楽だとか考えなくて。
 山があって、川があって、谷の端にログハウスがあって、「そこで暮らせば?」と言われて2年ほど暮らしたんです。丸太の間から隙間風が凄くて、寒いし。でも、朝、ドアを開けると、鳥が目の前の木にとまって「ちゅんちゅんちゅん」て囁くんですよ。その音色がものすごくキレイなんですよ。それが谷間に響くんですよ。
 それを聞いた時に、僕たちが出してる音ってみんな雑音だな、って思いましたね。

___音楽家の演奏も雑音?

 どんなに上手いクラシックの演奏家でもそこまでは行けないかな。鳥のさえずりを聞いて、僕は愕然としましたね。
 特に僕なんか打楽器じゃないですか。「こんなキレイな自然ってあるんだ」と思うと、到底追いつけないし、しばらく音が出せなくなった。
 参りました m(_ _)m っていう感じ(笑)。

無駄な音


___そのログハウスにはドラムセットを持ち込んだんですか?

 もちろん持ち込みました。
 実は、自分のドラミングや音楽性を変えようとして自然の中へ行ったのに、しばらくはドラムセットに向かえなかった。

___どのくらいの期間ドラムを叩けなかったんですか?

 半年くらいは叩けなかった。
 その間、情けないことに、お酒を飲んだり、川の流れを眺めながら鳥の音を聴いたり、夜はたき火をしたりして。
 本当に「自然」っていうのは無駄な音が無くて、安らいじゃう。でも、だんだんその安らぎが危険だなって思い始めたんですよ。「自分はまた音楽ができるのかな?」って。
 今感じているのは大事なことだけど、「でも俺は音を出して何かやらなければいけないんじゃないか?」って、このままボーッとしたままになってしまうこととの、精神的な戦いになりました。そして、そういうことを感じた土屋譲が良い音を出せばいいんじゃないか、って無理矢理自分に言い聞かせた。

川の流れの如く


 そんな体験がすごく役に立っているし、音を大事にするようになりましたよ。
 例えばシンバルって金物系って言うんですけど、キンキンするじゃないですか。でも、叩いてるスティックは木ですよね。木と金属をどうやって交わらせるのか。その間に僕が入って、僕の奏法があれば、絶対に良い音が出せる。
 同じことを、僕は川の流れで感じたんです。川が流れて行く時って「ザァー」って流れて行くんだけど、よく聞くと抵抗もあるじゃないですか。海の満ち引きの音は例えばブラシを使って表現できるんですけど、川の流れってJazzのスイング感そのものなんですよ。決して一定ではないんだけど、流れて行く、そして、優しい。 
 Jazzではトップシンバルを中心に音楽が動いて行くんですが、僕はそのシンバルレガートが川の流れの如く動いて行ければいいなぁって、それをイメージして叩いてきたんです。そうしたら、Jazzだとかジャンルにこだわりが無くなった。自然に音が出ることさえ思っていれば、どんな音楽でも出来るんだっていうことが分かった。
 流れてるでしょ。毎回違うんですよ。変化してるんですよ。川だけじゃなくて、すべて、毎日が、川の流れの如く。時の流れを感じるのかな、川の流れを見ていると。

___「唄心」ということについては、自然の中で暮らすことで変化がありましたか?

 それについては違いはないですね。
 でも、昔は荒かったかな。唄ってるというよりは、単純にリズムを楽しんでるだけだった。結局は今またそこへ戻ってきているんだけど、無駄な音を出すくらいだったら暴走族と同じだろ(笑)。

___それを自己表現だからと許される境目って何でしょう?

 どんな形であれ、他人がうるさいと思うものはうるさいんですよ。ただそれだけ。
 僕が山の中で小鳥のさえずりに土下座したのは、そこに境目は無い。「ちゅんちゅん」っていう音だけで、「参りました」ってだけなんですよ。
(つづく)


22:00:00 | milkyshadows | |

「アンマ」が日本を抱きしめる日。

journal & report [1/2] 
amma "embracing the world" tour in japan
「アンマ」が日本を抱きしめる日。

28,29 may 2007
@東京調布 味の素スタジアム内 ミズノフットサルプラザ


抱きしめる聖母


___アンマのプログラムの全体像を簡単にご説明いただけますか?

 非常に説明し難いんです。プログラム自体は世界共通のスターンダードモデルがあって、どこでも同じパターンなんです。
 パンフレット見ても、問合せが多いんです。「いったい何時に終わるんですか?」とか。アンマは、一人でもいたら終わらないんです。だから「終わるまでやってます」としか言えないんです。
 不思議なイベントですよね。アンマが来て抱擁してくれる、それだけなんですよ。

___眺めていると、本当に果てしなく一人一人をしっかりと抱きしめて、それを永遠とやっている。

 日本が終わると全米ツアー。その後はヨーロッパ。
 いろいろな宗教者とかいますが、それを実際にやり続けている凄さがアンマにはありますね。しかも一人一人を、誰でも、毎日となると、見てるだけでも感動する。
 彼女のやっていることは、形そのものはヒンドゥー教です。例えばキリスト教のやり方があったり、仏教の儀式の流れがあったりするように。
 日本では仏教やキリスト教は受け入れやすいのですが、ヒンドゥー教となると宗教色に抵抗があるようで残念です。
 アンマは「気づき」をくれる存在です。
 
___実際に触れてみて、アンマってどんな方ですか?

 何なんでしょうね?
 昔の自分を抱っこしてくれたお母さんの優しさを、年に一回来てくれて思いださせてくれる存在。単純明快に抱きしめてくれる。それによって癒される。
 今、癒しブームですよね。アロマだとか、そういったものが肉体を持ったようなものです(笑)。

___「癒し」ってどういうことでしょう?

 僕にとっては、「ストレス」と正反対のものでしょうか(笑)。

___解き放たれる、みたいな感じですか?

 気持ちのプレッシャーや、行き違いなどから解き放されて行くみたいな、そんな感じですかねぇ。

___アンマをまだ知らないたくさんの日本の人に、何かメッセージをいただけますか?

 パンフレットには「抱きしめることが生きること。」って、ちょっと重たいことが書いてありますけど、僕が好きだったのは「昔、お母さんに抱きしめられたこと、覚えてますか? アンマはいつもあなたを抱きしめてくれます。是非いらしてください。」っていうコピーです。それにすごく感動したので、アンマを知らない人にはそう言ってみたい。

___そういうキャッチコピーは、やっぱりボランティアの方が作るのですか?

 ほとんどそうです。最近は、プロがボランティアをしてくれています。相当なプロの方が入ってくれています。

映画『ダルシャン』


___ 『ダルシャン』というドキュメンタリー映画が公開されるそうですね。

 去年、カンヌ映画祭に出品されたんです。ノミネートされて、賞は取れませんでしたが、フランスでは既に一般公開されました。DVDも発売されています。日本ではこれから、2008年に公開されます。

___どんな内容ですか?

 アンマの50歳の生誕祭の「ダルシャン」を、インドのコーチンという場所でやったんです。何万人もの人が集まりました。
 その様子を、インドの文化を織り交ぜてドキュメンタリータッチで紹介している映画です。ヤン・コーネンという監督が撮りました。映像がすごいキレイなんです!

___日本でアンマの知名度が芳しくないのはどうしてでしょう?

 宗教アレルギーでしょう。
 こういう形で行うと、新興宗教のように思われる。後援でついてくれている自治体や教育委員会にしても、マスコミにしても、何か悪いもののように捉えられてしまう。これが仏教やキリスト教だったら違うんでしょうが、ヒンドゥー教だったりすると怪しまれてしまう。海外はそういうことがないですから、全然問題無くできる。
 そういう点、難しいところがあるんです。
(つづく)

[お話]
五十嵐 修 さん / NPO法人 国際チャリティ協会アムリタハート


21:50:00 | milkyshadows | |